CULTURE | 2020/10/09

大規模な霧で覆われた市庁舎、別府タワーの巨大な前掛け…1組の作家とじっくり向き合う地域性を活かした芸術祭『in BEPPU』【連載】「ビジネス」としての地域×アート。BEPPU PROJECT解体新書(9)

奥行きの近く(2016年、目) 撮影:久保貴史 (C)混浴温泉世界実行委員会
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構成:田島怜子(B...

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奥行きの近く(2016年、目) 撮影:久保貴史 (C)混浴温泉世界実行委員会

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構成:田島怜子(BEPPU PROJECT)

山出淳也

NPO法人 BEPPU PROJECT 代表理事 / アーティスト

国内外でのアーティストとしての活動を経て、2005年に地域や多様な団体との連携による国際展開催を目指しBEPPU PROJECTを立ち上げる。別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」総合プロデューサー(2009、2012、2015年)、「国東半島芸術祭」総合ディレクター(2014年)、「in BEPPU」総合プロデューサー(2016年~)、文化庁 第14期~16期文化政策部会 文化審議会委員、グッドデザイン賞審査委員・フォーカス・イシューディレクター (2019年~)。
平成20年度 芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞(芸術振興部門)。

たとえ極端であったとしても、勇気を持って一歩を踏み出そう

「この熱を絶やしてはいけない。別府の町にはアートが必要だ」

連載第7回の最後でもご紹介した、『混浴温泉世界 2015』のクロージングイベントで別府市長の長野恭紘さんが言った、この言葉に背中を押されて実行委員会は事業の継続を決めました。 

『混浴温泉世界』は3年に一度の開催ですが、構想段階を経て具体的な計画にかけられる時間は実質1年程度です。その短い期間ですべてを決定しなければならないため、性別や国籍やジャンルをあらかじめ決めて、条件に当てはまるアーティストを選定するようなこともありました。その人が誰かではなく、属性で考えていくなんて、失礼な話ですよね。加えて、僕自身がアーティストであるという出自もあり、地域課題に対するアプローチを視覚的に考えてしまったり、アートに普段馴染みのない市民にもわかりやすく伝えようとする意識が強すぎることも多々ありました。『混浴温泉世界 2015』では、「アート版路地裏散策」や「アーティストによるお化け屋敷」のように、企画の説明となるキャッチコピーが一人歩きし、そこにアーティストの姿が見えにくくなっているなと、反省していました。

『混浴温泉世界 2015』のプログラムの1つ「アーティストによるお化け屋敷」には、お化け役を希望する近所の子どもも多く集まった

『混浴温泉世界 2012』会期中の話になりますが、ある日、駅前を歩いていると、すれ違う若者が僕に軽く会釈してくれました。「誰だったかな」と思いながら会釈を返すと、そのとき同行していたスタッフが、彼は『混浴温泉世界』の参加アーティストだと教えてくれたのです。

僕は『混浴温泉世界』全体のプロデューサーです。芸術祭そのものや、各プログラムの方法性は策定しますが、アーティストの選定や作品など、企画の内容はディレクターに一任しています。ときには数十名のアーティストが関わるプロジェクトもありますし、会期中にアーティストが増えていくのが『混浴温泉世界』の大きな特徴の1つでもありました。とはいえ、僕は自分自身の思いから始まったこの芸術祭の参加アーティストを把握できていなかったのです。自分自身のキャパシティを超え、アーティスト1人ひとりと十分に付き合うことができないこのやり方は本当に正しいのだろうか。僕はずっと靄がかかったような気持ちを抱えていました。

イベントを『in BEPPU』として移行すると決めた時、僕は自分自身の迷いを断ち切るように、たとえ極端であったとしても、より別府らしい芸術祭を実現するために勇気を持って一歩を踏み出そうと決めました。その後押しをしてくれたのは、別府市長や大分県庁の方など、10年前にBEPPU PROJECTを立ちあげたときには最も遠い存在だと思っていた方々でした。

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