1カ月弱のリモートワークを経て出社したスタッフの集合写真
構成:田島怜子(BEPPU PROJECT)
山出淳也
NPO法人 BEPPU PROJECT 代表理事 / アーティスト
国内外でのアーティストとしての活動を経て、2005年に地域や多様な団体との連携による国際展開催を目指しBEPPU PROJECTを立ち上げる。別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」総合プロデューサー(2009、2012、2015年)、「国東半島芸術祭」総合ディレクター(2014年)、「in BEPPU」総合プロデューサー(2016年~)、文化庁 第14期~16期文化政策部会 文化審議会委員、グッドデザイン賞審査委員・フォーカス・イシューディレクター (2019年~)。
平成20年度 芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞(芸術振興部門)。
命が失われてしまうこと、何週間も苦しい闘病生活が続くこと、仕事に大きな影響が出てしまい生活がままならないこと、長い自粛によって孤立したり心身の不調を感じたりすること。この度の新型コロナウイルス感染症拡大によって被害に遭われた、国籍問わず全ての方に心からのお見舞いを申しあげます。
日々状況が変わり、僕の感じ方や考えも変化し続けています。この原稿も何度も書き直してきました。この先どうなっていくのか、何が必要か、まだ僕にはわかりませんが、今感じていることを残しておきます。そのため普段の書き振りとは大きく異なるものになってしまいました。
今アートに何ができるのか、それを発明したい
リモートワーク中はスタッフ全員が参加するZOOM会議を毎日2回開催した
BEPPU PROJECTの取組は多岐に渡りますが、その中核となるものはイベントの企画や運営です。多くの同業者と同様に、この春、数カ月かけて準備してきたいくつかのイベントは中止せざるを得ませんでした。
4月半ばからリモートワークに入り、それが1カ月弱続きました。見えない未来を不安に思う日々は今でも続いています。今アートには何ができるんだろうかと、そんな根源的な自問自答はこの先もずっと続くでしょう。
僕が述べるまでもなく、ここ日本では他国のような想像を絶する状態に、少なくとも今のところは陥っていません。政府も行政もメディアも自粛を呼びかけ、「Stay Home」という言葉が連呼されました。その甲斐あって、緊急事態宣言は解かれ少しずつ日常を取り戻しつつあります。
極めて低金利の融資制度や給付金などで、ひと息つくことができている方もいるでしょう。
とにかく今を乗り切らねば、なんとかしなければと、各地で色々なサービスが生まれました。インターネットでの会議も盛んに行われていますよね。ああそうか、これでも良かったんだと気づきもありました。むしろ、以前よりも会議の件数が増えています。
「大丈夫だ。少し時間はかかるけど、きっとそんな遠くない将来、わずか数カ月前の日常が戻ってくるはず。そのためにみんな頑張ろう!」
毎日のようにスタッフに向けて、そう鼓舞しています。
だけど、そう伝えるたびに、なんと言っていいのか分からない、漠然とした違和感が心の中に広がるのです。
僕はかつての日々に戻りたいんだろうか?
本当にそれを求めているんだろうか?
政府や専門家が主導したとはいえ、今この国が少しずつ顔をあげようとしているのは、立場や役割を超えて、全ての人が頑張ったからだと思うのです。それは今も続いています。
確かな未来が見えない中、少しでも環境が改善できないかと試行錯誤し、心が折れないように励ましあい、そんな日々がいつまで続くのかと怖くもなり、騙し騙し時間を重ねて今に至っているのではないか。
もうこれ以上、頑張れって言われたくない。精一杯やってる。
本当の意味での新しい生活様式ってなんだろう?
僕たちが求める未来はどんな姿なんだろう?
ある日突然世界に危機が訪れたこの数カ月間に、いろいろと試されてきたのは全て、過去の価値に戻るためのことだったのか?
そうじゃない。
盲目的に過去を繰り返すことをやめないか。他人の価値の中で生きることをやめてみないか。
そのためであれば、ない知恵を絞りたい。どこまでだって頑張りたい。もっと頑張れと言われたい。
今こそ、それを描くために全ての力を注ごう。
大切だと心から信じることにのみ、向き合おう。
前回の記事「事業費を倍増した矢先の大きな誤算。どん底からの再スタートで見えてきた地域活性・観光振興におけるアートの役割」の最後に書いた、別府市長からかけられた言葉が今とても強く響きます。
「別府の町にはアートが必要だ」
アートに今、何ができるのか、それを発明しようと思います。