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「左翼も右翼も大嫌い!」という人にこそ観てほしい“圧倒的熱量”の対話。50年の時を経て遂に解禁された伝説的討論『三島由紀夫vs東大全共闘』監督・プロデューサーインタビュー
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  • 2020.03.19
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「左翼も右翼も大嫌い!」という人にこそ観てほしい“圧倒的熱量”の対話。50年の時を経て遂に解禁された伝説的討論『三島由紀夫vs東大全共闘』監督・プロデューサーインタビュー

© SHINCHOSHA

2019年5月、TBSの『NEWS23』で作家の三島由紀夫と東大全共闘による討論のフィルムが放送された(現在も「TBS NEWS」で閲覧可能)。討論が行われたのは1969年5月、有名な「安田講堂陥落」の約4カ月後、そして自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)での三島の割腹自殺の約1年半前のことだ。「世界的な文豪の三島を論破して立ち往生させ、舞台上で切腹させる」と意気込んで東大駒場キャンパス900番教室に集った学生が1000人に上る中、三島はたった一人で乗り込んだ。

「そんなゴジラvsキングギドラみたいな対決があったなんて!」と衝撃を覚えていたら、今年3月20日から総勢13名の当事者・識者の解説が加えられた劇場作品『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』として公開されるという。

映画館には三島由紀夫ファンはもちろん、リベラル・左派的な価値観の人も多く訪れるだろうが、本作は「口汚く罵り合うだけの左翼も右翼も大嫌い!」という人にこそ観てほしい作品だと感じた。実際、全共闘側は終始三島をボロクソに罵っているのだが、三島はユーモアも交えながら自分の言葉を切り返す。その堂々とした姿に思わず「三島先生」と口走ってしまう学生も登場し、討論は意外にも理性的なムードで進んでいる場面も多く、SNSではなく対面だからこその「罵り合い」ではない、「対決」の息遣いが感じられる。

今年は三島由紀夫の没後50年を迎えるアニバーサリーイヤーではあるが、単に“歴史のお勉強”として本作を観るのはつまらない。「この作品を2020年に観ることにどんな意義があるのか」というテーマを中心に、本作の監督・プロデューサーに話をうかがった。

聞き手・文:神保勇揮 写真:赤井大祐

豊島圭介

1971年静岡県浜松市生まれ。東京大学在学中のぴあフィルムフェスティバル94入選を機に映画監督を目指す。卒業後、ロサンゼルスに留学。AFI監督コースを卒業。帰国後、篠原哲雄監督などの脚本家を経て2003年に『怪談新耳袋』(BS-TBS)で監督デビュー。以降映画からテレビドラマ、ホラーから恋愛作品まであらゆるジャンルを縦横無尽に手掛ける。映画は『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』(10)、『ソフトボーイ』(10)、『花宵道中』(14)、『ヒーローマニア-生活-』(16)、『森山中教習所』(16)など。テレビドラマは「ホリック~xxxHOLiC~」(13)、「黒い十人の女」(16)、「徳山大五郎を誰が殺したか?」(16)、「I”s(アイズ)」(18)、「ラッパーに噛まれたらラッパーになるドラマ」(19)、「特捜9」(19)などがある。

刀根鉄太

富山県生まれ。東京大学卒業後、TBSに入社。主なプロデュース作に、『スマホを落としただけなのに』(18)、『かぐや様は告らせたい ~天才たちの恋愛頭脳戦~』(19)。

「要注意テープ」を下の世代に受け継ぐこと

写真左がプロデューサーの刀根鉄太氏(TBS)、写真右が監督の豊島圭介氏

―― この企画はどんな経緯で始まったのでしょうか?

豊島:正直言うと、たまたまだったと思うんです。三島由紀夫の映像がTBSの中にいっぱいあると。こうした映像が各テレビ局にふんだんにあるわけではなくて、TBSにこの討論を含めて4時間を超える「三島に関する映像」があり、討論に関しては90分程の素材がありました。2年ちょっと前ですかね。

―― 「それらのテープが発掘された」ということですか?

刀根:元々局内のライブラリーにあったんですけど、歴史として三島は自決、切腹、しかも首を介錯されたという最期も含めて、慎重に扱わざるを得ない人物であるというところがあったり、当時は天皇についても過激な物言いが盛んだったりしたので、ある種の「要注意テープ」としてライブラリーの中の奥に追いやられていたようでした。

そうした中でちょうど去年、討論本編の約80分のフィルム原盤も見つかって、実際に観てみると、内容にわからない部分があっても当時の臨場感がリアルに伝わってきて、面白くて仕方なかったんです。加えて2020年が三島由紀夫の没後50年ということで、証言者の皆さんも「節目だから話そう」と思ってくれるかもしれないという期待もありました。

加えて、僕と豊島監督は東大の同学年同士だったんですよ。知り合ったのは仕事を始めてからですけど、まだ50歳にはなっていない、それどころか当時生まれてすらいなかった自分たちが、50年前の素材を引き継いで下の世代に渡していくみたいな意識もやはりありました。

「教えてもらうスタンス」で取材に臨む

―― 豊島監督のこれまでのキャリアを振り返ると、エンタメ系の映画・ドラマが多く、政治あるいはドキュメンタリー作品は初めてだったかと思います。

豊島:話を持ちかけられた時は冗談だと思いました(笑)。僕自身、これまで一生懸命政治や学生運動について考えたことはありませんでしたし。ただ、あさま山荘事件についてはトピックとしても面白いですし、我々の親世代の監督たちも映画をたくさん作ってきましたよね。

―― この20年ほどでも、あさま山荘事件を扱った作品としては、原田眞人『突入せよ! あさま山荘事件』(02年)、若松孝二『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(08年)がありました。

豊島:ええ。完成には至っていませんが、長谷川和彦さんが1980年代からずっと連合赤軍ものの映画を構想していて、僕も長谷川さんの下でシナリオ作りをしたことがあったんです。その時に連赤については一通り勉強したんですけど、その直前にあった学生運動のことはよく知らなくて。これも一つの日本の大きな歴史的なムーブメントですから、そのことを一生懸命調べてみてもいいかなというのはきっかけとしてありましたね。

ただ、三島由紀夫にしろ全共闘にしろ、関わっていた存命の方も多いし、僕なんかよりその人物・出来事をよく知る人たちがいくらでもいる。そんな中でやらなきゃいけないというのは、ある種の恐怖ではありますよね。

刀根:二人で打ち合わせをしていた時に「(識者・当事者に)教えてもらうスタンス」というワードがでてきて、「これだ」と。もちろん、僕らもたくさん勉強して準備はしてきましたが。

難解な議論を、スポーツ実況解説のように読み解く

豊島:討論の90分の映像を観ているだけだと、やっぱり言っていることのすべては分からないわけです。語彙のボキャブラリーもそうだし、当時の時代背景や文化も観客全員が知っているわけではないですし。特に東大全共闘側で三島と鋭く舌戦を繰り広げた芥正彦さんはすごい。

写真左が芥正彦氏。この写真には写っていないが、赤ん坊を抱きかかえながら三島由紀夫に挑発的な問いを投げかける
© 2020 映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」製作委員会

―― 芥さんは当時からアングラ演劇の世界で活躍する演出家・俳優であり、「東大全共闘ナンバーワンの論客」として積極的に三島に食って掛かっていくわけですが、特に抽象的かつ難解な発言が多かったです。

豊島:そうですよね。彼の発言に触れると最初は人の揚げ足を取るとか、言葉でもって目くらましするというようにもみえてしまうんですけど、ご本人に直接会って話を聞くと、やはり彼の言いたいことは一貫しているということがわかるんです。僕の理解としては「芸術家として何を信じるべきなのか」という話を、ずっとしていたんだと思いました。

刀根:していましたね、芥さんは。 

写真左は今でも比較的手に入りやすい、討論の妙録本『美と共同体と東大紛争』(KADOKAWA)、写真右は討論から30年後に、本作にも出演した東大全共闘メンバーが中心となって当時を振り返る『三島由紀夫vs東大全共闘 1969-2000』(藤原書店)。こちらはやや入手困難

豊島:三島と芥さんの育ちや文化的背景はもちろん違うので、共有するボキャブラリーはないはずだけど、三島は芥さんの話を必死に聞いている。で、必死に自分のことに置き換えて会話していくという、あの感じをある時に自分でもやっと理解できたんです。それで「やっとこのフィルムの意味が分かったな」と思って。

要するに、「これはコミュニケーションの在り方の一つの美しいサンプルである」みたいなことがだんだん見えてくる瞬間があって、そういう発見に至るまでの間、分からないことを教えてもらうという旅みたいな感じではありましたね。

―― 作中では、わかりにくい概念や用語が出てくると、すぐに説明のテロップや識者たちの解説映像が挿入されますよね。例えば「三島は『天皇を天皇と諸君が一言言ってくれれば、私は喜んで諸君と手をつなぐのに』と発言していましたが、これは全共闘に対して反米という観点ではシンパシーを感じていたからなんです」というような解説に「なるほど!」と思ったりですとか。スポーツの実況解説のような感じで、本当にわかりやすかったです。

刀根:そう捉えていただけると嬉しいですね。あれは豊島監督の見事な仕事です。当初は全編で3時間、4時間のバージョンもあったんですが、なるべく観客が実際にあの場にいるように感じられる臨場感を殺さないよう、苦心して編集してくれました。

スポーツで思い出したんですけど、豊島監督との打ち合わせで、僕が大好きな『モハメド・アリ かけがえのない日々』(1996年)というドキュメンタリーの話をしましたよね。1974年の「キンシャサの奇跡」という、アリが当時のヘビー級チャンピオン、ジョージ・フォアマンに劇的なKO勝利を収めた試合を描いたものです。

豊島:そうだそうだ。確かにしていましたね。

「もう一回、生きている三島先生に会えた」

―― 本作では東大全共闘メンバーや三島由紀夫の楯の会(三島が独自に学生を組織した民兵集団)のメンバーの皆さんに取材をされていますが、実際にお会いしてどんな印象を持たれましたか?

豊島:楯の会の人たちに関して言うと、頭を完全に剃っていて詰襟を着て…みたいなステレオタイプな右翼のイメージの方たちがいっぱい出てくると思っていたら、優しい人たちだったので安心して話を聞いたんですけど、11月25日に毎年行っている、三島と森田必勝(三島と共に割腹自殺した楯の会の二代目学生長)の慰霊祭というのをおやりになっていて、そこに行ったらみんなすごく威圧感ありましたね。

刀根:時々、すごい迫力がありましたよね。

豊島:そうそう。取材をしていても「俺のことはどうでもいい。とにかく三島先生のことを勘違いしてくれるな。君たちにそれだけは託したよ」と皆から本気で言われました。試写会で会った時に「本編で使えなかった取材のシーンがあってすみません」と謝りつつ映画の感想を聞いたら「先生が生き生きと映っていたからそれでいいんだ」ということをおっしゃっていた。

刀根:「もう一回、生きている三島先生に会えた」ということもおっしゃっていましたね。

豊島:僕らとしては複雑で難解な討論のガイドブックのようなものをまずは作ろうと思ったし、加えて三島の死後50年の今、我々が映画を作る意味として、今につながる何か道しるべみたいなものが作れないかと思ってひとまずの結論を描きました。

なので必ずしも僕らが意図はしていなかった部分もあるんですが、彼らのリアクションを見て「我々がしたのは、ある種50年後に三島由紀夫を生き返らせる作業だったんだな」という発見もありました。

下の世代から「活動家」はどう見られてきたか

© 2020 映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」製作委員会

―― 豊島監督がおっしゃっていた「2020年にこの映画を観る意義」という点についてお聞きします。この作品を多くの人に観てもらいたいと思う一方で、そもそも「政治的な事柄に興味を持つ」ということ自体が周囲にバカにされるということが結構ありますよね。そうした現代において、火花を散らしながらの「政治的討論の舌戦」を幅広い層の人に観てもらうために、どんな風にこの作品の魅力を語れば良いのかなと。

刀根:確かに、僕らぐらいの世代が、逆に一番嫌っていたような気がしますね。学生運動とか。

豊島:そうですね。カッコ悪いと思っていましたからね。

刀根:思っていましたね。僕がTBSに入社した当時は、まだ学生運動をやっていた上司がいて「あの人の前で学生運動の話だけはするな。本気で議論を吹っかけられるし、お前ごときが絶対にかなわない」と先輩から言われたこともありました。

それを「へえ~」と言ってポカンと聞いていたような、ある種遠ざかっていた感じがあったので、逆にもっと下の世代の方が真剣に考えているなと感じることが多いですね。

―― 実際、反原発デモなどに足を運んでみると、ほとんどはお爺さん・お婆さん世代で、次いで20~30代ぐらいの人がまばらにいるという感じです。働き盛りの40~50代、ましてやスーツ姿の人はほぼ見かけません。確かに仕事に子育てにとある中で、皆が平日の18時、19時にそうした場に行けるわけじゃないというのは十分わかるんですが。

豊島:そのあたりは世代的なものもちょっとありそうですね。僕らの親の世代がまさに学生運動世代で、卒業してからの姿をたくさん見てきたので。例えば僕のおじは法政大学で学生運動をやってきたけど、「なんにもならなかった」と言って田舎に帰ってきて印刷屋になったという人でした。

あとは元全共闘の小阪修平さん(2007年に亡くなっている)は僕の浪人時代、駿台の小論文の先生だったりして、当時みんなが指を差して、「小阪は全共闘崩れなんだ」と言っていたわけです。そういう人たちが他にもたくさんいた。僕自身も「闘って負けた人たちは予備校の先生になるのか」みたいなイメージも正直なところあって。だから我々は一番、「自分が何をしても変わらないんじゃないか」というしらけムードみたいなものを共有しちゃった世代なのかなとも思いますね。

刀根:働く前は「バブルだ、バブルだ」「別にいいんだ、闘わなくても」と言われていた。

豊島:快楽だけを求めるという。

刀根:そう思って会社に入ったら、バブルが終わったっていうね(笑)。

豊島:いや、僕は『パラサイト 半地下の家族』みたいな生活でしたよ(笑)。

そうした冗談はさておき、例えば今の香港のデモと当時の学生運動が似て見えるところがあるとすれば「あからさまな分かりやすい、強大な敵がいる」ということだと思うんです。去年の年末に『続・全共闘白書』という全国の全共闘・学生運動参加者の450超のアンケートをまとめた大著が出たんですけど、その出版記念パーティに参加させてもらったんですよ。

その場で東大のビラ研究部だという20代の子と元全共闘メンバーの対談コーナーがあって「どうして参加したんですか?」と彼が聞いたところ「分かりやすい敵がいたんだよ」「楽しかったんだ」と答えていて、要するに燃えるんだと。

「悪を倒すための暴力」は2020年に肯定されうるか

© 2020 映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」製作委員会

―― そもそも、今の時代は「学生運動」というと、どうしてもあさま山荘事件や過激派の凶悪・凄惨なイメージと結びついてしまいがちです。ただ全共闘は特に有名な東大闘争なら医学部学生・研修医の待遇改善を訴えていたり、日本大学では大学上層部が入学金や授業料などの一部を着服して裏金として使っていたということへの抗議で始まったりと、今で言うところの「医学部入試での女性差別問題」「英語入試改悪問題」などへの抗議に近い性質があったと思います。

豊島:確かに、テレビで流れるのは安田講堂での学生と機動隊との殴り合いだけですし、そこの事実関係というか歴史の流れは、興味がない人はほとんど知らないですよね。

―― なのでこのぐらいまでの学生運動は世間的にも「学生さんの怒りもわかるよね」という感じで結構受け入れられていたという話を読んだことがあります。今でいえば「女性だというだけで医学部入試の点数が引かれてたらそりゃ怒るよね」みたいな感じといいますか。

豊島:そうですね。当時の学生たちには「戦後民主主義の理念の下に蝶よ花よと育てられてきたけれども、まさに今ベトナムで人が殺されている時に俺たちは東大に安穏と通っていていいのか」という不安みたいなものが世代的に共有されていて、僕らの時はたぶんそれが無かった。けどSEALDsの子たちをなんか見ていると、またそうした若者が出てきたのかなとも思ったりします。

―― 一部の若い子が「社会的な貢献ができるか」という観点で会社選びをするようになったりという話ですとか、確かにそういう傾向は感じますね。

豊島:「この討論を2020年に観る意義」という話の続きをすると、三島は討論開始直前のスピーチで「私は暴力を肯定する。ただしそれは合法的にではなく非合法に行う、つまり何かの目的を達成するために人を殺した時は、おまわりさんに捕まる前に自決でも何でもして死にたいと思っている」という趣旨の発言をし、「私と君たちが共有するのは暴力の肯定である」と言うところから話を始めるわけです。

さっき話した香港のデモでもデモ隊と警察との衝突が起こってケガ人・死者が出ているわけですが、相手が強大な権力を持って立ちはだかっているという“燃える”状況が今なおあったとしても、今は当時のような「暴力を肯定する・しない」の議論はあまり意味をなさないんじゃないかと僕は思っていて。どういうかたちで「暴力を肯定する」と言っていいか分からないんです、僕は。

三島は最後の方で「私は諸君の熱情は信じます。これだけは信じます。他のものは一切信じないとしても、これだけは信じるということはわかっていただきたい」と発言します。

決して揚げ足を取らず、とにかく必死に聞いて理解して必死に返すという、三島のあのコミュニケーション形式とか言葉を大切にする姿勢は50年後の今、本当に観る意義があるなと思っていて。それこそ国会の空転する議論を聞くにつけ、あの場にいる全員にDVDを差し上げたくなる。

熱情、言霊、その息遣いを感じること

© SHINCHOSHA

―― 政治家や官僚が国会で堂々と嘘をつく。バレたところで悪びれもしないですし、有権者も「社会なんてどうせそんなもんだろ」と諦めて誰も信じなくなっただけでなく、それを批判する人をあげつらうのが「俺たちは青臭い、できもしない理想論なんか唱えない。世界のリアルをわかってる大人同士だよね」と確認し合うサインのようなものになってしまって久しいようにも感じます。

豊島:「言葉」というものに関してよく覚えているのが3.11の原発事故のことで、政府や東電は「メルトダウンしていない」とずっと言っていたけれど実際はウソで、3月14日にはメルトダウンしていたことがわかっていたにも関わらず、その後2カ月ぐらい隠蔽していた。

※編集註:2016年に東電が発表した第三者委員会報告書では官邸(菅直人政権)から「原発はメルトダウンしているという言葉を控えるように」という指示があったことを示唆していたが、翌17年に発表された新潟県と東電による合同調査では、当時の東電社長である清水正孝氏の判断でメルトダウン(炉心融解)という言葉を使わないよう指示し、官邸からの介入はなかったと明らかにしている(参考:菅直人公式サイト「炉心溶融の表現回避は東電社長の判断」

それまでは“大本営発表”なんて戦中までの言葉だと思っていたのに、2011年にこれが再び起こってしまった。その時「終わったな…」と強く思ったんです。だからこそ、この作品の現代的な意味みたいなことを考えるにあたって、事象として起こるデモとか警察との衝突よりも、三島が討論の最後の最後に「私がその言葉を、言霊をとにかくここに残して私は去っていきます。そして私は諸君の熱情は信じます」と語り、900番教室では暴力の衝突でなく対話ができるかもしれないという可能性を捨てなかったこと、そのことに意味があるんじゃないかと思ったんです。

―― 最後に、改めてお二人からこの作品のセールスポイントを語っていただけますでしょうか。

刀根:みんなで考えたキャッチコピーですけど、「圧倒的熱量を、体感。」という、とにかく体感してくださいと。文字だけじゃなくて、4Kでリマスターした映像を大スクリーンで映すと三島の熱もより直接的に伝わると思いますし、表情の小さな揺れとか、タバコの煙のもくもくとした空気感まで全部がフィルムに収まっています。10分ぐらいしか撮れないフィルムを何本も何本も回して、百分弱の素材を残してくれている。しかもクリアに音声を録って、照明もきっちり当ててというところで、昔の人たちも捨てたもんじゃないよと。

本当に歴史的価値があるものだし、普通のテレビでは流せないような過激な一面もあるので、テレビ局員としては「最近のテレビはつまんねえな」と思っている人には「テレビ局の素材としてこういうものもあるんだよ」というのをぜひ見てもらいたいと思いますね。

豊島:韓国映画を観ていると、「日本の俳優の顔が負けているな」といつも思うんですね。濃厚な俳優の顔をした俳優たちがいっぱい出てくるので。でも、例えば『仁義なき戦い』を見ると濃いおじさんたちがいっぱいいて、日本でもそれに引けを取らない人たちが映っていた。

でも、それは50年後の日本でも本当は変わっていないはずで、この映画では解説役としてそこそこの年齢を刻んだ濃いおじさん・おばさんたちがいっぱい映っている。その人たちを見に来るだけでもすごく面白いんじゃないかというふうに思いますね。カッコいいから体感してみてほしい。


『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』

3月20日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国公開
配給:ギャガ

出演:三島由紀夫
芥正彦(東大全共闘)木村修(東大全共闘)橋爪大三郎(東大全共闘)
篠原裕(楯の会1期生)宮澤章友(楯の会1期生)原昭弘(楯の会1期生)
椎根和(平凡パンチ編集者)清水寛(新潮社カメラマン)小川邦雄(TBS記者)
※肩書は当時
平野啓一郎 内田樹 小熊英二 瀬戸内寂聴
ナレーター:東出昌大

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