神保慶政
映画監督
1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏や南アジアを担当。 海外と日本を往復する生活を送った後、映画製作を学び、2013年からフリーランスの映画監督として活動を開始。大阪市からの助成をもとに監督した初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」は2014年に劇場公開され、国内主要都市や海外の映画祭でも好評を得る。また、この映画がきっかけで2014年度第55回日本映画監督協会新人賞にノミネートされる。2016年、第一子の誕生を機に福岡に転居。アジアに活動の幅を広げ、2017年に韓国・釜山でオール韓国語、韓国人スタッフ・キャストで短編『憧れ』を監督。 現在、福岡と出身地の東京二カ所を拠点に、台湾・香港、イラン・シンガポールとの合作長編を準備中。
「現代」は、「あの時」や「その後」から見えてくる
2016年にドナルド・トランプが大統領選に勝利してから、アメリカの政治経済に精通している・いないに関わらず、アメリカにおける“読めない”展開の頻度が上がったことは多くの人が同意するところだろう。
渡辺由佳里『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)は、洋書レビュアー・翻訳家の著者がニューズウィーク日本版で連載している「ベストセラーからアメリカを読む」での掲載記事を中心に加筆修正・書き下ろしも行い、“読めない国・アメリカ”の世相を、現地ベストセラー書籍を通じて考察した一冊だ。ちなみに、前回ご紹介したレベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば 危機の時代と言葉の力』(岩波書店)は渡辺氏による翻訳で、書中でも言及がなされている。
本書で紹介される本は、下記のテーマで分類されている。
・アメリカの大統領
・アメリカの歴史
・移民の国、アメリカ
・セクシャリティとジェンダー
・居場所がない国
・競争社会の光と影
・恋愛と結婚
・アメリカと日本の読者
・民主主義のための戦い
「アメリカの大統領」の章以外でもドナルド・トランプが話題はもちろん多く登場するが、ジョージ・W・ブッシュ、ミシェル・オバマ(バラク・オバマ夫人)、ヒラリー・クリントンなどが執筆した書籍も紹介されており、ラインナップは歴代大統領だけに限らず幅広い。
ドナルド・トランプに敗れたヒラリー・クリントンが「何を思っていたか?」を描いた『What Happned 何が起きたのか?』(光文社)では、「物語」(ナラティブ)を制するものが現代アメリカを制するという点に著者は着目している。
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彼女は、メディアに「公正な」ナラティブを作ってもらうことを期待しすぎた。政治イベントで政策について詳細に語るヒラリーをメディアが無視して「eメール」にこだわったのは、そちらのほうが視聴者に売りやすい「ナラティブ」だったからだ。(P70)
一方、メインストーリーからはずれたところにある、いわば「あの人は今」的なテイストの書籍の重要性も説かれている。ジョージ・W・ブッシュが、対テロ戦争で後遺症を抱えた人々を絵画で描いた『Portrait of Courage』(勇敢さの肖像)は、大統領任期中の当時から絵に興味を持っていたブッシュの様子と、「その後」にハードカバーの作品集が出版されるに至る流れが、アメリカ在住の著者の観察と感覚をまじえつつ紹介されている。
私には、ブッシュの絵そのものに興味があるだけでなく、「その後」のブッシュに興味を持つアメリカの読者たちが多くいることと、作品集を出版するに至った出版社があるということ自体が「アメリカの現代」の流れの一端を示しているように思えた。
アメリカとはどこなのか?アメリカ人とは誰なのか?
政治経済などカタい話題ばかりではなく、食の本も紹介されている。ライアン・ストラダルの小説『Kitchen of the Great Midwest』(すばらしい中西部の台所)は「移民の国、アメリカ」の章で紹介されており、アメリカ中西部(ウィスコンシン州・イリノイ州・ミズーリ州など)の料理を通じて「何がアメリカ独自の文化なのか?」の理解が深められるという。
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ソーシャルメディアでは、「アメリカ料理はまずい」というテーマで激しい激論が交わされていることがあるが、たぶん誰も中西部の移民の味を念頭に置いていないと思う。中西部のシカゴはポーランドからの移民も多いことで知られている。ポーランド風ぎょうざの「ピエロギ」とかは、きっと日本人の舌にもあうはずだ。(P133-134)
私が唯一行ったことがあるアメリカは、映画祭で作品が上映されるため招待されたミズーリ州の州都・セントルイスにある、「中西部のハーバード」と言われているらしいセントルイス・ワシントン大学で日本の死生観について講演をして現地の学生たちと交流したことがある。その時、「ニューヨークにもロサンゼルスにも行ったことがなく、セントルイスが僕にとって最初のアメリカだ」という話をしたところ、生まれも育ちもセントルイスの学生が「ある意味セントルイスやミズーリ州が一番アメリカらしいかも、だってアメリカのど真ん中だから」と言われて妙に納得した。この経験によって「真ん中というのは、“っぽさ”が集約するのかもしれない」という視点を得たこともあり、セントルイスの学生の言葉は度々私の脳内に蘇る。
イリノイ州最大の都市・シカゴは、最近ユニークな形で話題の映画の中に登場した。映画『パラサイト 半地下の家族』で主要登場人物のキム・ギジョンが「ジェシカ、一人っ子、イリノイ、シカゴ」と自分がこれから装う「アメリカ帰りの美大生」の人物設定を暗唱しながらドアベルを押す、いわゆるジェシカ・ジングルのシーンだ。「なぜシカゴなのか?」という考察がネット上のレビューサイトやブログで多くなされているので、興味があれば(特に『パラサイト』を観た方は)ぜひ検索してみてほしい。
もう一本映画と絡めると、FOXニュースの元会長・CEOへのセクハラ訴訟を描いた映画『スキャンダル』が日本でも公開中だが、ジェンダーやミソジニーという話題は、アメリカでも継続的に注目されているトピックのひとつだ。
「セクシャリティとジェンダー」の章で紹介されている、オバマ政権下で国務省政策企画本部長も務めたことのある国際政治学者アン=マリー・スローター『仕事と家庭は両立できない? 「女性が輝く社会」のウソとホント』(NTT出版)は、男女両方にとってのフェミニズム、専業主夫の生きづらさにまで触れているという。
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私たちは、弁護士、教授、医師、投資銀行家、企業の重役といった職に就いた人を何の疑問も抱かずに「成功者」とみなし、尊敬する。そして、保育士、看護師、教師(給与が低いアメリカの場合は、日本よりも低い地位とみなす傾向がある)といった、他人の世話をする大切な職業の人を見下す傾向がある。お金を動かすだけの仕事が、子どもや病人の世話をする仕事よりも重要なわけはないのだが、収入の差が偏見を強めている。だから、つい高い地位に就くためにリーン・インしないことを「熱意や努力が足りない」とみなしてしまうことがある。(P205-206)
リーン・インは「一歩を踏み出す」という意味で、FacebookのCOO(最高執行責任者)、シェリル・サンドバーグが執筆した『LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲』 (日経ビジネス人文庫)で普及した言葉だが、アン=マリー・スローターはリーン・インの「努力さえすれば何でも実現できるはず」という考え方を批判することで議論を深堀りし、「全てを手に入れることをやめる」ことを提唱しているという。同じことは、違うアメリカ人によって既に語られていたかもしれないが、一見「仕事の成功、女性の幸せの全てを手に入れている」ように思われているアン=マリー・スローターが「全ては手に入らない」と発言することに意義があり、仕事と家庭のバランスを取ることの重要性を本書では指摘している。
「いい本」は必ずしも多くの人読まれるわけではなく、「売れている本」が必ずしも「いい本」とは限らない
日本ならではと思われるようなキーワードが、アメリカでも同様だとわかる作品がいくつか紹介されている。『Educated』(教育を受けた)は、モルモン教原理主義の家庭に育った32歳女性の回想録で、キーワードは「毒親」だ。本書を書いたサラ・ウエストオーバーは無名の作家であるそうだが、彼女の家庭のすさまじい毒親事情に多くの読者が引き寄せられたのだろう。
『Educated』に関連付けて、スティーブ・ジョブズの娘のリサ・ブレナン・ジョブズが、自分と母親に冷たかった「娘からみたスティーブ・ジョブズ」の人物像を描いた『Small Fry』(小ざかな) も著者は紹介している。
「居場所がない国」の章で紹介されているホープ・ヤーレン『ラボガール 植物と研究を愛した女性科学者の物語』(化学同人)のキーワードは「リケジョ」だ。男性中心社会、アカデミックの世界で戦いながら生きるヤーレンが、ひとりの女性として日々の思いを文学的に語っているこの本を、「女性科学者による回想録」としてではなく純粋に「物語」として読むことを著者はすすめている。
また「恋愛と結婚」の章で紹介されているトレイシー・スレイター『米国人博士、大阪で主婦になる』(亜紀書房)は、異文化コミュニケーションの困難さを恋の力で華麗に乗り越えていく物語で、アメリカ人のパートナーを持つ渡辺氏自身のエピソードもまじえながらレビューがされている。
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母国語ではない言葉で語り合うと、頻繁に誤解が生じる。けれども、流暢な言葉でごまかせないほうが、人間性は露呈しやすいものだ。言語以外のコミュニケーションに頼るしかないので、勘が働く。それに同国人が相手の場合は、相手が自分の心を読まないときに腹が立つが、外国人が相手だと、わかりあうための努力をし、譲歩する。当然のことだが、努力や譲歩をしたほうが関係は長続きする。(P294)
これは筆者も思い当たることがある。韓国・シンガポール・イランなどのスタッフと映画を撮った(コミュニケーションは英語かボディーランゲージ)ときに「言葉がスムーズに通じないほうが、スタッフ同士に連帯感が出るのではないだろうか」と思うことが何度もあった。もちろん、私にとって相互理解や意思伝達のためには日本語がベストだ。しかし、「言葉が通じてしまうということの怖さ」のようものがあることを、上記のレビューを見ながら再認識した。
さらに日本の作品がどのように海外で受け止められているかという点にも本書は触れている。近藤麻理恵『人生がときめく片づけの魔法』(サンマーク出版)の英訳版『The Life-Changing Magic of Tidying Up』はアメリカでも大ベストセラーとなった一方で、村田沙耶香『コンビニ人間』(文藝春秋)は『Convenience Store Woman』というタイトルで2018年にアメリカで出版されているが、売れ行きはイマイチだという。
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なぜ英語版の『コンビニ人間』は日本ほど爆発的に売れないのか?
読者のレビューは決して悪くない。「ひどい作品だ」とけなしているものはないし、アマゾンでもグッドリーダーズでも星1の評価はほぼゼロだ。だが、売れている作品とは異なり、最も多い評価が5ではなく、星4(「実際は3.5」と記している人が目立つ)なのだ。つまり、英語圏の読者に「ものすごく好き」あるいは「ものすごく嫌い」という感情を与えない作品なのである。(P311)
これは、内容が面白くないということではなく、500ページを超えるスティーブン・キングの作品が売れ、通常350ページ以上のハードカバーが長編小説として受け止められるアメリカでは、176ページの中編作品『Convenience Store Woman』は読まれにくい文化的・社会的条件がありそうだと著者は分析している。「いい本」だからといって、売れるわけではないのだ。村上春樹の作品は、長さがあるため読まれやすく、その結果多くの読者に好まれているという。
このように、本書は「ある視点」の集積とその批評を通して、アメリカの現代を単に解体しているだけでなく、日本の書店に平積みしてある本やAmazonのランキングなどからどのような世相が読み取れるかという分析もしてみたくなる視点をも与えてくれる。