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「ネトウヨVSパヨク」の仁義なき戦いが繰り広げられる日本社会は、実は分断していない!?「ネットが分断をもたらした説」に大規模調査で反論【田中辰雄・浜屋敏『ネットは社会を分断しない』】
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  • 2020.02.03
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「ネトウヨVSパヨク」の仁義なき戦いが繰り広げられる日本社会は、実は分断していない!?「ネットが分断をもたらした説」に大規模調査で反論【田中辰雄・浜屋敏『ネットは社会を分断しない』】

神保慶政

映画監督

1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏や南アジアを担当。 海外と日本を往復する生活を送った後、映画製作を学び、2013年からフリーランスの映画監督として活動を開始。大阪市からの助成をもとに監督した初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」は2014年に劇場公開され、国内主要都市や海外の映画祭でも好評を得る。また、この映画がきっかけで2014年度第55回日本映画監督協会新人賞にノミネートされる。2016年、第一子の誕生を機に福岡に転居。アジアに活動の幅を広げ、2017年に韓国・釜山でオール韓国語、韓国人スタッフ・キャストで短編『憧れ』を監督。 現在、福岡と出身地の東京二カ所を拠点に、台湾・香港、イラン・シンガポールとの合作長編を準備中。

http://y-jimbo.com/index.html

「スマホ社会が分断をもたらした」は本当か。分断派の主張

「SNSとスマートフォンなどのパーソナル・デバイスの普及により、極端な意見がより目立つようになって、分断がもたらされた」というような共通認識のもとで議論が進行したり、記事が書かれたりすることは多い。しかし、その前提条件は本当に鵜呑みにしてもよいのだろうか。

田中辰雄・浜屋敏『ネットは社会を分断しない』(角川新書)は、約10万人に対するアンケート調査の裏付けを得た上で、題名の通りに断言する。以前FINDERSで紹介した『さよなら、インターネット』(武邑光裕著/ダイヤモンド社)には、ツイッターの創始者の一人であるエヴァン・ウィリアムズが、インターネットがもたらすと信じていた「人類の連帯」に対する願いが裏切られたと公言していたことが紹介されていた。いわば、分断派代表の見解だ。似た者同士が寄り集まるのではなく、差異を認めあえる。これが、インターネットがつくりだすネット社会に元々抱かれていた理想像だった。

ネットは民主主義を活性化させると思われていたのである。草創期の人々が期待したのは、意見の異なる人からの情報に接することで、相互理解が進むことであった。議論の結果、合意が生まれればむろん望ましいが、生まれなくてもかまわない。合意はしなくても相手がなぜ自分と異なる意見を持つのかをわかることはできる。 (P17)

一般的に語られている「分断」を理解するのに役立つ2つの概念を、著者は紹介している。

選択的接触:すでに自分の持っている考えに合うものを選ぶ傾向
エコーチェンバー現象:「残響部屋」を意味し、自分の意見を強化する意見ばかりを認識する傾向のこと

これらは特段新しい概念というわけではなく、1950年代に既に存在していたという。実社会で起きていたことが、ネット上にも拡張して展開され、しかもその度合がより顕著であるというのが「分断」の一般的理解となっている。

分断しているように見えるのは、中高年層のせい?非分断派の主張

本書は第2章まで上記のような共通認識を紹介し、第3章以降でその論を覆すという構成をとっている。

冒頭で述べた約10万人へのアンケートの項目のひとつでは、「憲法9条改正に賛成か」「夫婦別姓に賛成か」「原発は即時停止すべきか」といった政治的スタンスによって意見の分かれそうな争点10個について賛成か反対かを7段階で選択してもらい、回答を点数化することによって各世代でどれだけの人が極端に意見が分かれているか、つまり「分断の度合い」を調査している。

この調査では、ネット・SNS利用率がもっとも高い20代こそが分断度合いが一番低く、分断度合いは年齢とともに上昇していき、もっとも高いのが70代、次いで60代という結果となった。

その他にもブログやSNSなど、「分断」しているとされるネットメディアを利用してから意見が変わったかどうかなど、さまざまな観点から比較検討されているので、詳しくはぜひ本書を手にとってほしい。

最初に結論を述べておくと、ネットメディアを利用したから分極化するという傾向は見つからなかった。あったとしても一部の人に限られ、限定的である。大勢としてはむしろ逆にネットメディア利用によって人々は穏健化し、分極化は抑制されていた。すなわち、ネットは社会を分断していない。(P105)

民主主義社会において、もし本当に分極化が進んでいるとしたら、どんな不都合があるのか? そのデメリットとして、下記の2点が挙げられている。

・意見の相違が大きくなり、議論し状況を改善していく努力が放棄される
・民主的意思決定自体に疑問を持つようになる

特に、「物事を多数決で決定する代わりに、少数派の意見もきちんと汲み取る」という民主主義のあり方自体に疑問が持たれるようになっては、どんな対策を打とうが全く効果がなくなってしまう。しかし、本当に「分極化が起きていない」というのであれば、社会変革の推進力は自ずと民衆の手元に戻ってくるはずだ。その認識を普及させるべく、非分断派の主張が本書の中盤以降で示されていく。

まず、「ネット社会の登場→分極化」という因果関係ではなく、「実社会で意見の強い人がインターネットを使いやすくなる→ネット社会でも意見の強い人が増えてくる」という流れで物事が生じて、その結果あたかも分断しているように見えるのではないかと、著者は仮説をたてる。1年に60回以上ネットに書き込みをする、つまり何らかの強い主張を持っているであろうヘビーライターは、著者の調査によるとインターネット人口のわずか0.23%しかおらず、例えば憲法9条改正に関する約半数の書き込みはそうしたヘビーライターが書いているのだそうだ。

ネットでは自分の好きなように簡単に情報源を選べる、すなわちノーコストで情報源の取捨選択が可能であり、自分好みの情報を選ぶことができる。しかし、逆に言えば、自分と意見が異なる相手を情報源に選ぶこともノーコストで可能である。クリックひとつで反対意見の人をフォローし、その意見を聞くことができるからで、これはマスメディアには無かった特徴である。(P186)

著者らの調査では、保守寄りであれば百田尚樹や高須克弥、リベラル寄りであれば津田大介や山本太郎など、左右合計27人の論客のTwitterアカウントをフォローしているかどうか尋ねたところ、約4割の人が自身の政治傾向とは反対の意見をもつ人もフォローしていたという。

意見を発しない大多数の人々(サイレントマジョリティー)はしっかりと反対意見にも日常的に触れているというのが、非分断派の主張、すなわち著者の主張だ。

分断が「ある」か「ない」かよりも大切なのは、ズレを修正していくためのすり合わせの機会

投書や政治デモなどをさかんに行う中高年層は、ネット社会の登場前から既に分断しているという。メディアではSEALDsなど若者がとりあげられて、積極的に物を言う若者、そして彼・彼女らを批判する若者が増加しているように見える。しかし、現場に行ってみるとSEALDsのまわりはほとんど中高年層で、SEALDsは「珍しい若者」なので注目されているとわかるという。

こうした印象と実情のズレから、ネット社会に物心ついた頃から触れている若者たちは分極化しておらず、むしろ穏健化していると著者は分析する。実際に若者によって攻撃的な書き込まれているとしても、著者はそれらを、極めて少数、極めて一部の現象であると推測している。

なかには目を覆いたくなるようなあるいは耳をふさぎたくなるような言葉があってもおかしくない。が、我々がそれに接することはほとんどなかった。それがネットの登場で突然目の前に現れた。かくしてこれまでほとんど見たこともない激しい意見と罵倒の応酬を眼前にし、我々は茫然とすることになったと考えられる。(P219)

本書で議論されておらず、まだまだ掘り下げが必要な点はいくつか思い当たる。

・「一部の極端な人」と「普通の人」はどう渡り合っていくべきのか
・「若者に分断は起きていない」と断言して良いのか。「あるにはある」のではないか?
・若者が穏健化しているというのは、そのまま見過ごしてもよいのか。穏健化というのは本書においてどのようなことを指し示しているのか?

本書は、そこまで突っ込んだ議論をする前段階で、ディベートの練習のように「ネットは社会を分断しない」という立場を知るための本にしたいという意図で書かれているように思える。ある種極端な物言いも、批判を覚悟の上なのだろう。著者たちは本書をこう締めくくっている。

ネットで見える世論は保守・リベラルどちらかに偏った意見が過剰に代表されており、真ん中のサイレントマジョリティーの声を代表していない。ネットを見ていると人々は激しく対立し、世の中が分断されているように感じる。しかし、それは一部の極端な人の意見しか表れないというネットの特性のためであり、実際には分断は起きていない。(P290)

本書に書かれているデータをもとに「実際には分断は起きていない」と断言されている点に、筆者は賛同しかねる。やはり「あるにはある」と思うのだ(「思いのほか分極していない」というならば賛同できるかもしれない)。しかし、冒頭の引用で述べられている通り、「相手がなぜ自分と異なる意見を持つのかをわかる」という出発点を得る機会を、本書の読書体験はもたらしてくれた(そしてこれが著者の本望であることを願う)。おそらくそのプロセスを、読者に体験して欲しいのだろう。

底なしのように感じていた分断の溝に、ふわりと橋をかけてくれるような、議論の叩き台として大いに活用できる一冊だ。


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