CULTURE | 2019/09/25

私がTwitterで個人的な投稿を辞めた理由【連載】中川淳一郎の令和ネット漂流記(4)

トップ画像デザイン:大嶋二郎
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中川淳一郎
ウェブ編集者、PRプランナー
1997年に博報...

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中川淳一郎

ウェブ編集者、PRプランナー

1997年に博報堂に入社し、CC局(コーポレートコミュニケーション局=現PR戦略局)に配属され企業のPR業務を担当。2001年に退社した後、無職、フリーライターや『TV Bros.』のフリー編集者、企業のPR業務下請け業などを経てウェブ編集者に。『NEWSポストセブン』などをはじめ、さまざまなネットニュースサイトの編集に携わる。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)、『ネットのバカ』(新潮新書)など。

店を廃業に追い込むバカッター

Photo By Shutterstock

炎上を語る上で避けられないのがやはり2013年夏、熱病のごとく日本中を席巻した「バカッター騒動」であろう。記念すべき第一弾は高知県の某コンビニチェーンのオーナーの息子の若者が、アイスクリームの冷蔵庫で横たわる姿を友人とされる人物がFacebookに写真を公開したことだ。

「もう22になる人が何をしゆがで! あえて言おう!カスであると!」というコメントとともにこの写真により店が特定され、結果的に同店はフランチャイズ契約を解除された。とはいっても、私が妙にツボに入ったのは、「あえて言おう!カスであると!」って、40代以上が知ってる『機動戦士ガンダム』のギレン・ザビのセリフが若者の間で使われたことだ。若いのによくこのセリフを知っておったことについてはホメてつかわそう! あっぱれだ! ……なんて言うか! 喝だ!

冷蔵庫の中に入ったヤツも、撮影してSNSにUPしたヤツもバカか。いや、バカだ。私は幸いなことにこれまでの実生活でバカとはほぼ会わないで済む人生を送り続けているが、日本のバカ人材の層の厚さを2013年のバカッター騒動は見事なまでに知らせてくれた。

その後も「ハンバーガーのバンズの上で寝転がるバイト」「ソーセージを咥えるラーメン屋店員」「ソバ屋の食洗機の中に入るバイト」など、大勢のバカが登場し「バカ」+「Twitter」で「バカッター」という言葉が定着した。

この件についてネット時代に生きる我々が考えるべきは、私のような“発信”する術を与えられている特権階級の人間が言うことはゴーマンであることは理解しつつも「公の場で発言するには資格が必要」ということである。私はプロのフリーライター・フリー編集者として活動しているが、名誉棄損の裁判は1回しか経験していない。

クレームは多数受けたことはあるが、裁判は1回だけである。散々ヤバいネタを出し続けたことは分かっているが、「ガチでヤバい!」情報というものはこの18年間のウェブメディア編集で1回しかなかったということである。

一応私も外注先とはいえ、一部上場企業のニュースサイトの編集を担う人間である。かなりの配慮をした編集活動を続けてきた。だからこそこの13年間で10万本以上の記事を出してきたものの訴訟沙汰は1回で済んでいる。それだけ「ネット炎上」については相当な配慮をしてきたということだ。

しかし、「バカッター騒動」においては、店を廃業に追い込んだことから訴訟沙汰になったりもした。

ヘイトスピーチを連発したDeNA社員が身バレ

Photo By Shutterstock

これを見ると、「ネット上の情報発信のプロ」である私の方が圧倒的にこの「バカッター」のバカよりも本来は影響力は何百倍もあるにもかかわらず、よっぽど慎重にやっていたということを意味するだろう。こちらは一つ一つの記事の内容、そして見出し、写真のキャプションに対しても「訴えられないようにしよう」という配慮をしまくっている。

しかも、一般人のTwitterよりも何千倍ものPVを稼ぐ。そうした状況を日々体験しているがゆえに、とにかく「訴えられない工夫」「訴えられても逃げられる一言一句」を記事と見出しでは心掛けている。

しかし、こうした仕事をしていない人は「ひとこと」の重さを知らない。だからこそ余計な炎上をした挙句に訴えられてしまうのだ。2013年のバカッター騒動では、食洗機に入られた様子をバカッターされた東京都多摩市の蕎麦屋が倒産に追い込まれたりした。

「私はただの一般の学生です」やら「私なんてフォロワーが少ないただの主婦です」みたいな言い訳をしたくなった者も多かっただろうが、ネットという公の空間に誹謗中傷やらをまき散らかした場合は“影響力”様が元々どれだけあろうが関係ない。「ただの一般の…」といった言説は、RTの数やら5ちゃんねるのまとめサイトで盛り上がった時点で「ネット有名人」へと昇華し、多大なる影響力を持つこととなる。

今でもTwitterでは著名人に対する罵詈雑言が次々と書き込まれている。これは「有名人に対してであれば何を言っても良い」という「有名税」的な考えがあるからだろう。また、先日安倍晋三首相を揶揄するようなコラージュが作られたが、このコラージュをRTした人物が述べたのは端的に言うとこれだ。

橋下徹氏に対して同様にやったら訴えられるかもしれないけど、安倍氏だったら絶対に訴えてこないだろうから安全地帯からやったんだね。 

その通りなのである。ネットでは「とにかくウザいヤツ」になることが勝利への鉄則なのだ。橋下氏については、何らかの誹謗中傷をしたらいつ訴えられるか分からないという恐ろしさがあるから悪口は書けないし、妙な「まとめ記事」は作れない。だが、安倍氏であれば総理大臣という立場もあるためいくらでも悪意に満ちたまとめ記事を作ることができる。

こうしたまとめやらブログがPVを稼ぎ、広告費をそのサイトにもたらす。ああ無情。

しかも、こうしたコピペ&肖像権&著作権法違反のサイトの管理人の実名が流出した場合は、その人物は人生が終わる。最近でも韓国に対するヘイトスピーチを連発していたDeNAの社員が身バレし、会社が謝罪する騒動があった。「彼女の言うことは理解できる」的な意見は多数あったものの、韓国人を一方的に叩くようなツイートを連発するような人物がBtoC企業の社員でいたということは大問題だろう。やはり組織を背負うような人間はSNSでの発言においては品行方正を心掛けなければならないのだ。

社会的に背負うものがない人間は「無敵の人」

Photo By Shutterstock

といった観点から考えると、組織を担っていない人間は何を言っても良い、ということになる。2ちゃんねる元管理人のひろゆき氏は「無敵の人」という概念を提唱した。これは、無職だったりして社会的に背負うものがない人間は失うものがないが故にネット上では何をやってもいいし、実生活で犯罪をしてもたいしたダメージはない、という指摘である。

これはまさに慧眼とも言えるもので、失うものがない人間はネットでいくらでも罵詈雑言を書くことができるし、威力業務妨害等で逮捕されても「刑務所に入った方が、今よりもまともな生活が送れるからまぁいいか」といったことになる。

2013年に多発したバカッターにしても、やらかしたのはバイトや学生など、社会的にはそれほど失うものがない者が圧倒的に多かった。正社員も時々存在したが、これは圧倒的に少数派だった。

今、私自身のことを述べるが、失敗はもはや許されない状態になっている。理由は、あまりにも多くの「一流企業」と一緒に仕事をしているからである。あと、2020年9月をもってしてセミリタイアをすることを宣言しており、その後残る弊社従業員・Y嬢をきちんと受け入れてもらうべく、現在付き合っていただいている企業と良好な関係を維持し続け、歓迎の念をもって送り出していただく必要があるからだ。

だからこそ、私は一切の個人的ツイートは辞めた。Y嬢にイベント等の「告知」ツイートはしてもらうが、私が個人的に考えることやら政治的なツイートは一切やめることにした。この状態になってから約2カ月半が経過したが人生で困ったことはまったくない。

そこまで考えると2009年から開始したTwitterって一体なんだったの? という話にもなってくる。あくまでもリスクをもたらすだけの厄介な存在だったのでは? ということだ。

2013年に多発した「バカッター」。さまざまな若者が失職したり退学に追い込まれた。皆さん、SNSやる意味って本当にあるの? これは今一度考えてもいいのでは。


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