EVENT | 2019/07/23

早押しクイズが楽しめるエンタメ酒場『十八番』は、いかにして生まれたのか?【連載】友清哲のローカル×クリエイティブ(5)

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城下町の雰囲気を色濃く残し、桜の名所としてもよく知られる青森県弘前市に、ちょっと変わった酒場がある...

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城下町の雰囲気を色濃く残し、桜の名所としてもよく知られる青森県弘前市に、ちょっと変わった酒場がある。“エンタメ酒場”を標榜するこの空間では、夜な夜な酔客同士が早押しクイズで盛り上がっているのだ。仕掛け人は青森県のご当地タレントとして活躍中のオダギリユタカさん。その謎めいた半生とともに、『十八番』の誕生秘話に迫った――。

聞き手・文・構成・写真:友清 哲

友清 哲

フリーライター

旅・酒・遺跡をメインにルポルタージュを展開中。主な著書に『この場所だけが知っている 消えた日本史の謎』(光文社知恵の森文庫)、『作家になる技術』(扶桑社文庫)、『一度は行きたい戦争遺跡』(PHP文庫)、『物語で知る日本酒と酒蔵』『日本クラフトビール紀行』(ともにイースト新書Q)、『怪しい噂 体験ルポ』『R25 カラダの都市伝説』(ともに宝島SUGOI文庫)ほか。

オダギリユタカ

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青森県平川市出身。歌手、タレント、ラジオパーソナリティー、ナレーター、司会業など青森を中心にマルチな活動を展開中。ABA青森朝日放送『ユタカの舞台』、FMアップルウェーブ『ゴゴナビ‼』(木曜ナビゲーター)などのレギュラー番組を担当するほか、弘前市内で複数の飲食店を経営。

かつて刀鍛冶たちが暮らした「鍛冶町」

エンタメ酒場『十八番』(青森県弘前市新鍛冶町57)は、弘前で最も賑やかな繁華街の中にある

BGMに懐メロが流れる酒場は数多あるが、それに加えてテレビでよく見かける早押しクイズに挑戦できる酒場となると珍しい。青森県弘前市の繁華街、新鍛冶町の一角にある『十八番』は、地元住民にも観光客にもファンが多い“エンタメ酒場”である。

弘前といえばやはり弘前城が有名で、界隈には城下町らしく今も鍛冶町の地名が残されている。これは職業別集住制の名残で、文字通りかつて刀鍛冶が多く住んだ場所であることを示している。

鍛冶町の地名は全国に散見されるが、明治初頭の廃刀令以降は刀鍛冶の仕事が激減。多くの職人が商売替えを余儀なくされる中、弘前ではりんご農家が使う剪定鋏の製造に鞍替えして存続した歴史があるという。りんごの生産量日本一を誇るこの土地らしいエピソードだ。

カウンター7席、テーブル30席に加え、カラオケ用の個室も用意された、文字通りのエンタメ酒場である。ステージではマジックショーなどのイベントも随時開催される

そんな鍛冶町の夜は、なかなか賑々しい。昔より人出が減ったと嘆く飲食店関係者は多いものの、それでも多様な酒場が軒を連ね、地元の酔客たちと観光客が適度に混ざり合った喧騒は、少なくとも筆者には心地いいバランスに感じられる。

津軽の地酒をじっくり味わうのもよし。モダンなダイニングやバーで酔いしれるのもよし。老若男女が集まる横丁もあれば、古き良き昭和のムードを残したスナックだってたくさんある。大手チェーンにあまり侵食されていないのがこの街の魅力だろう。

そんな中でひときわ異彩を放っているのが、エンタメ酒場『十八番』だ。25.2坪のスペースにカウンター席とテーブル席が収まり、正面のステージ上に早押しクイズのセットが設えられているのが最大の特徴である。

スクリーンには昭和歌謡を中心とした懐かしの映像が流され、80~90年代を回顧しながら飲む酒がまた楽しい。仲間内でひとしきり盛り上がっていると、ほどよいタイミングで店主・オダギリユタカさんのMCがスタートし、早押しクイズの“出場”希望者は壇上で着席するよう促される。宴の始まりだ。

本業はテレビやラジオに引っ張りだこのご当地タレント

この日の取材前に、急きょ飲み仲間を集めて早押しクイズにチャレンジさせてもらった。一風変わった旅の思い出になること請け合いだ

枠は全部で5席。混雑時には他のグループと席をシェアしながら出場者を決める。たまたま居合わせた見知らぬ客と早押しクイズで争うのもオツなもので、そこから生まれる交流もある。袖振り合うも多生の縁というやつだ。

ルールは簡単、流れる曲のタイトルを、ボタンを押して答えるのみ。3ポイント先取した人が優勝だ。まずは早押し勝負に勝たねばならず、これが思いのほか難しいのだが、ほろ酔い加減も相まって、壇上で年甲斐なくキャッキャッと盛り上がるのはなんとも愉快なひとときだ。

この店ではこうした早押しクイズ大会が一晩に何度も催され、イントロクイズだけでなく雑学クイズが行なわれることもある。早押しクイズを酒場に持ち込むアイデアがいかに秀逸であるか、実際に体験してみればおわかりいただけるだろう。

実際、実によくできたセットだと感心させられる。ゴム製カバーで覆われた早押しボタンに、ピコーンという音と共に点灯するライト。これらはすべて特注品である。

「最初はネットで購入したおもちゃの早押しボタンを使っていたんですが、いまいち使い勝手が良くなかったので、オーダーメイドで作ってもらったんです。ボタンやライトはDJブース内のシステムと配線で繋がっていて、点灯したライトは僕が手元でリセットできるようになっています。総工費は数十万程度。以前使っていたものより、格段にそれっぽくなったと思いますよ」

店主・オダギリさんが特注した早押しクイズのセット。ちょっとしたタレント気分が味わえるかも!?

そんな凝ったセットもさることながら、何より見事なのは、クイズの進行を担うオダギリさんのMCだ。軽快な口調とウィットに富んだセリフ回しは、いかにもプロのそれ。ゲームをテンポよく進めるだけでなく、なかなか勝てずにいる出場者に対しては、希望の年代を聞いて出題曲をアレンジするなど、サービス業としてもそつがない。この特注のセットも彼のMCがあって初めて生かされるのだ。

それもそのはず、実はオダギリさんの本業は歌手や司会業。オダギリユタカといえば青森では有名なご当地タレントで、テレビやラジオでレギュラー番組を持っているほか、ボランディアで観光ガイドを務めることもある。とりわけ鍛冶町界隈では「ユタちゃん」の愛称で親しまれる存在ながら、「マルチ過ぎて逆に何をやっているかわからない」と言われることも多い、どこかミステリアスな怪人なのだ。

では、このエンタメ酒場『十八番』を始めたきっかけは何だったのか? その疑問を紐解くために、地元でもこれまであまり語られることのなかったオダギリさんの半生を追っていこう。

歌手を目指してオーディションを受けまくった少年時代

『十八番』の店内にディスプレーされている、懐かしのレコードの数々。世代によってはこれだけで十分な酒の肴になりそうだ

「僕はもともと弘前のお隣り、平川市(旧尾上町)の生まれで、幼い頃からずっと歌手になることを夢見ていました。高校時代はカセットテープに自分の歌を吹き込んで芸能プロダクションに送ったり、埼玉にいる叔父を訪ねるふりをしてこっそり都内のオーディションを受けたり、あの手この手でプロになる道を模索していましたね。ところが、親は芸能活動に大反対で……。東京へ送ったはずのデモテープが料金不足で返ってきたのを見つかってしまい、猛烈に怒られたこともありました(笑)」

昔気質の畳職人の家に生まれたオダギリさん。時にはせっかく東京のプロダクションから電話がかかってきたのに、親が門前払いしてしまったこともあったという。

「後に聞いた話では、父は僕に畳屋を継がせたかったらしく、地元から出す気はなかったようですね。なにしろ高校では進学コースに籍を置いていたのに、東京の大学に進むことすら許してもらえなかったほどです。卒業後は結局、親のツテで病院の医療事務をやることになりました」

それでも夢を諦められなかったオダギリさんは、働きながら上京のチャンスを窺い続ける。しかし、薄給ゆえ引っ越し資金もままならず、八方塞がりの状態に陥ってしまう。そこで病院での勤務を終えた後、ホストとしてアルバイトを始めることになったのが、オダギリさんと鍛冶町の接点の始まりだ。

金を貯め、親を説き伏せ、ようやく念願の上京を果たしたのは21歳の時だった。とはいえ、デビューの目処が立っているわけでもなければ仕事もない。とりあえずアルバイトで生計を立てることになるが、食べていくだけで精一杯の日々が続く。このままではいけないともがきながらも、気がつけば2年、3年と月日ばかりが流れていった。

そんなある日、無理がたったのかとうとう体を壊してしまったオダギリさんは、静養のためいったん青森へ戻る決意をする。

「デビューの夢を諦めたわけではなかったので、東京の部屋はしばらくそのまま残していました。そのため体調が回復してからは、東京の家賃を払うためにこっち(青森)でバイトをするという、なんだかおかしな状況に陥っていましたね(笑)」

しかし、これが意外と無駄ではなかった。ナイトシーンで働くうちに、思わぬ“拾う神”が現れたのだ。

ショーパブ経営、タレント業、そして『十八番』開業へ

弘前のFM局・アップルウェーブで、『ゴゴナビ!! 』木曜担当パーソナリティを務めるオダギリさん

「当時、鍛冶町でNo.1と言われていたクラブのママさんが、『あんた面白いから、店をやってみない?』と声をかけてくれたんです。その頃は店の運営にも興味を持ち始めていたので、自分でも意外なくらいすんなりこの誘いに飛びついてしまいました。ママさんにいろいろサポートをしてもらいながら、共同経営の形で新しいショーパブを開いたのですが、今にして思えばこれは大きな転機でしたね」

これが今から四半世紀前のこと。折しもバブル崩壊の直後であったが、一次産業メインの強みだったのか、当時の鍛冶町はタクシーも捕まえられないほど元気だったという。おかげで店の経営も好調で、毎夜、様々な人たちとの交流が生まれた。

ショーパブという業態ゆえ、オダギリさんの話術や歌唱力も店の大きな名物だった。そのうち縁が縁を呼び、青森のローカル局がオダギリさんのキャラクターに目をつけたことから、ラジオやテレビから出演オファーが舞い込み始める。

それを機に、オダギリさんは一気にブレイク。タレント業や司会業、さらには悲願のCDデビューにまで漕ぎ着けた。一度は芸能界を諦めたように見えながら、つくづく人生とはわからないものである。

なお、ショーパブは10年の区切りでいったん閉店。その後、今も経営を続けるバー『ROBIN』をオープンし、並行して2013年に仕掛けたのが『十八番』だ。

ちなみに早押しクイズの着想は、10年ほど前に訪れた横浜にあったという。

「横浜でたまたま立ち寄った居酒屋に、80年代のレコードや映像がたくさん飾られていたんです。これが個人的にツボで、ぜひこういう店を弘前でやれないかと考え始めました。幸い、子供の頃から集めていたレコードや芸能雑誌は全部残してあったので、演出グッズには事欠きませんでしたからね」

ただし、単に懐メロを流すだけでなく、もう1つ新たな売りがほしい。そう考え続けたオダギリさんが最終的にたどり着いたのが、早押しクイズのアイデアだった。

「早押しクイズって、基本的にはテレビの中で芸能人がやるもので、一般の人たちにはあまり縁のないものですよね。でも、やってみたいと思っている人は多いでしょうし、酒場にその機能があればきっと盛り上がるはず。MCをやれる人間もいるわけですから、これはウケるだろうと直感しました」

かくして、エンタメ酒場『十八番』は誕生し、今宵も多くの酔客を楽しませているのだ。

今後は『十八番』を優れた才能の発信拠点に!

弘前城の石垣修繕に伴い、総重量約400トンの天守を住民たちが人力で動かす曳屋が行なわれた(2015年)。これをイベント化してしまうあたりが弘前のユニークなところだ

弘前というのは元気と才気に溢れた街だ。総人口で約17万という規模は決して大きくはないが、独特の文化と商圏が訪れる者を存分に楽しませてくれる。

もちろんこの時代、過疎化や高齢化はどこの地域にも付き物だ。それでも常に新しい“何か”が仕掛けられ、活発に蠢いているムードを持つ地域には、アイデア豊かなプレイヤーが多数活躍しているものである。弘前でいえばオダギリさんもその1人だろう。

早押しクイズシステムにしても、「東京でもこういう店をやりたい」と相談に来る人もいるが、実現したという話は今のところないようだ。『十八番』のスタイルは、アイデア、実行力、環境、資金……などなど、様々な要因が整って初めて具現化できるものなのかもしれない。

では、バイタリティあふれるオダギリさんの原動力は一体何だろう。

「尾上町(現・平川市)で生まれ育った僕ですが、弘前に助けられたという思いが強いんです。子供の頃から音楽が好きで、ピアノを習ったり作詞作曲をやったりしていたため、周囲からはよく、『男のくせに気持ち悪い』といつもバカにされていました。おかげで故郷にはいい思い出がなく、一時期までは出身地を聞かれても尾上町の名前は出さないようにしていたほどです。でも、弘前はそんな自分を最初から丸ごと受け止めてくれて、最終的にこうして夢を叶えてくれました。この街には感謝しかないですね」

多忙の合間を縫ってボランティアで観光ガイドに精を出しているのも、弘前への恩返しの意味が強いのかもしれない。

2年前には、自ら建てた新ビル「喜楽館」に『十八番』と『ROBIN』を移し、リニューアルオープンを果たしたばかり。今ではすっかり弘前に根を張っているオダギリさんの恩返しは、まだまだ終わらない。

「自分自身の芸能活動はこれからも続けていくつもりですが、それと合わせて、『十八番』のステージを使ってもっと音楽など芸能関係のイベントをやっていきたいですね。弘前にも優れた才能を持った若者が大勢います。『十八番』がそうした才能を発信する場所になれば、地方にいても夢を叶えられるようになるはずですから」

かつて東京にデモテープを送り続けていた自身を思い返し、次の世代をできるかぎりサポートしたい。そんな思惑が現在の『十八番』には込められている。


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