ITEM | 2022/09/23

質問しない、自信がない、でも社会貢献したい…「最近の若者」は本当に「なってない」のか?【金間大介『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』】


神保慶政
映画監督
映画監督。東京出身、子育てをきっかけに福岡を拠点にする。長編『僕はもうすぐ十一歳になる。』が...

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神保慶政

映画監督

映画監督。東京出身、子育てをきっかけに福岡を拠点にする。
長編『僕はもうすぐ十一歳になる。』が日本映画監督協会新人賞にノミネート。
2021年にはベルリン国際映画祭の人材部門に選出。
企業参画や子ども映画ワークショップ開催など、分野を横断して活動中。
最新作はイラン・シンガポールとの合作、5ヶ国ロケの長編『オン・ザ・ゼロ・ライン 赤道の上で』(10月下旬福岡市で開催のAsian Film Jointから上映展開開始)。
https://y-jimbo.com/

物理学から「最近の若者」学へ

人生には大なり小なりの転機があります。金間大介『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』(東洋経済新報社)は、「モノの性質」の研究から「ココロの動き」の見極めに知見を応用させていった著者が、「最近の若者」について論じた一冊です。

1975年生まれの著者は、大学院までは物理学のフィールドを中心にバリバリの理系として研鑽を積み、博士後期課程にバージニア工科大学で学ぶため渡米。そこで転機を迎えることになります。新規開講科目だったイノベーション・マネジメントという分野に出会ったのです。それ以来著者はいわゆる「文転」を図り、イノベーション論・技術経営論・マーケティング論・産学連携等の研究を進め、自然科学から社会科学への転向を果たしました。

一応、本書は大学生をはじめとする「最近の若い子」も読者として想定している旨が書かれています。ですが、正直なところ描写されている張本人たちや同世代で同傾向の特徴を持ち合わせた読者には、読むのがややツラい内容になっています。

「大学の講義でよく座るところマップ」などのオリジナル資料や、「講義中に回答者として先生にあてられるのが嫌い」「何につけても目立つのを忌避する」「例題は徹底的に参考にするが、ヒントが無ければ行動しないし質問にも行かない」などといった傾向を例示した上で、著者は本書の題材を「いい子」に設定しています。

もちろん著者は「最近の若者」を一括りに論じるつもりはないはずですし、「若者のわからなさ」を多角的に分析して歩み寄る姿勢は、上記の引用文からも感じられるのではないかと思います。しかし、帯にも記載されているように「いい子症候群」とまで言われてしまうと、「最近の若者」たち自身にとっては若干の抵抗感は否めないでしょう。

逆に「目から鱗だ」と本書をスイスイ読み進められるのは、若手の教育担当や採用活動に従事する人事担当の方々などでしょう。実際、Amazonのレビューには「若手の成長に寄与したいと思って行動したことが、なぜ空回りしていたかわかった」「採用担当として肌感覚で分かっていたことを言語化してくれた」などの意見が散見されます。

「自分で選び取った」という恥ずかしさを持つ世代

「期待に応じる」というある種単純なモチベーションを持ち合わせた「若くない子」たちは、「最近の若い子」たちの心理に困惑します。「自分の欲求を表出させることを避ける(欲求は無いわけではない)」という複雑な構造をした動機と同時に、いわゆる「承認欲求」も存在するからです。

自分の仕事を認めてほしいし人の役にも立ちたいけれども、自分の能力に自信がなく、「失敗したらどうしよう」といったプレッシャーを感じたくない。結果に格差が出て目をつけられるのが怖いから平等を支持するし、「人に対する感謝の意を表に出す」ということも含めて、目立つことは徹底的に避けられます。そうすると、たとえば「施されても施し返さない」という傾向が出てくるといいます。

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自分の選択を避けているわけでは決してなく、自分で選び取ったと他の人に知れてしまうのが「最近の若い子」は困るということです。題名にも入っている「皆の前でほめないでほしい」というフレーズも同様の考え方から生じるため、「若くない子」たちにとっては最も不可解な心理のひとつでしょう。

著者はこうした観点から、インフルエンサーという存在のニーズを分析しています。自分に合ったインフルエンサーに出会うには、口コミもあるかと思いますが、SNSなどによる検索が多少は必要でしょう。しかし、そのサーチは購買欲によってではなく「購買欲をなるべく持ちたくない欲」から生じるというのが著者の見解です。「インフルエンサーが勧めているから」という理由は、自身から湧き出た購買欲を覆い隠すことができます。

「いい子」たちにとって一番困ることのひとつが、自分と他者の選択を対比させられることです。それゆえ、積極的にさまざまな選択をしていく、いわゆる「意識高い系」の同世代は揶揄の対象となります。

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かつてはこういった学生を「意識高い系」と呼んでいた。そのニュアンスは明らかに「痛い学生」という意味を内包する。しかし今は「意識高い」とすら言わない。今の学生には直接的すぎる表現だからだ。明らかにネガティブな意味を含みすぎている。 今はやんわりと「すごい人たち」くらいか。いい子症候群の若者たちは、(少なくとも対面の場では)ネガティブな意味を含んだ形容をあまり好まない。「痛い」も攻撃的すぎて緊張する。「陰キャ」や「メンヘラ」は、主に自分に対する自虐的な意味でよく使う。(P94)

意識高い系はもはや死語なのかと驚いた「こっち側」の皆さんは、してもらい上手の若者たちに対する「してあげたい欲」を封印して、すぐに対応しない、すぐに教えないことを著者は推奨しています。

しかし、実際「いい子」たちを部下として持つ読者にとって悩ましいのは、そんなことをしたら彼・彼女らはすぐに会社を辞めてしまうということかもしれません。その解決策は、本書では提示されていません。「先輩社員たちが自ら率先してチャレンジし、若手にも頼り、失敗し、それでもリカバリーできる背中を見せるべきだ」というアドバイスはなされていますが、長期目線での提言であり著者が例示する「いい子」たちにとって実際に響くかは賭けになるのではないかと思います。

そうなってしまったら、「先生、どうか皆の前でほめないで下さい」と言われたときに「こちら側」の皆さんの多くが何と返答すればよいのか困惑するように、最新の研究をもってしても「笑うしか無い」というのが現状なのでしょう。

フワッとした社会貢献ではなく、ガッチリした世界観を「いい子」に宿すには?

いつの時代も採用の現場では、積極性・主体性を持った学生が好まれます。「そりゃ当たり前だろう」と思ってしまうのも、やはり「こっち側」の思考なのだと思います。実際、採用のミスマッチが頻発していると本書では紹介されています。

「積極性・主体性ウェルカム」とダイレクトに言うと、「若手が活躍できる企業ですなんていかにもなフレーズ、やりがい搾取を狙っているんじゃないか」的な企みを感じて、学生たちはスススっと引いていきます。そして、理想的性格を持ち合わせた希少人材たちを求めて、奪い合いが生じます。

企業側にも多少非があると指摘されているのは、希少人材に対して業務内容でも給与面でもインセンティブが設けられていない、つまり努力してもあまり意味がないどころか、リーダーにされて給料は増えないのに負担が増えるだけと看破されていることです。これは逆に言えば、明文化されていたり目に見える要素でハッキリ示して導いてあげれば、「自分で選び取りたい」という動機ではなく、「社会のニーズに自分が合うようにいたい」という動機で、「いい子」たちはしっかりと反応する可能性があるということです。

現状、そうした「ナイーブな承認欲求」を満たすマジックワードは「社会貢献」だと、理由を7つも挙げた上で著者は説明しています。

ここまでご紹介したところで、なぜ著者は「いい子」を本書の題材にしているかという点に立ち返ってみましょう。その土台には、著者の転機となったイノベーション・マネジメントがあります。

「社会貢献」というフワッとした言葉に「指示待ち」のまま乗っかるのではなく、ゼロから貢献の形を作り出して欲しいという企業側の要望に、「いい子」たちは先述してきたような理由でなかなか応じてくれません。

解決策として、著者のキャリアを逆行するかのように、「ココロの動き」を「モノの性質」に応用させるというプロセスが考えられます。「いい子」たちの心理を具体的に分析し、内なる小さな変化を積み重ね、自己客体化を進ませることで主体が樹立してきて、いつか「世界観」という大木がココロに宿っていることを目指す。その目標地点に「いい子」たちを導けるように、インセンティブの仕組み(モノの性質)をデザインするのです。

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かつて自分探しに興じた「こっち側」の人々にとって、マジックワードの一つは「やりたいこと」でした。今の世代には「誰と働きたいか」「どこで働きたいか」という観点、各々固有の世界観に導いていくことも有効だという助言も本書には記されています。企業の採用担当の方々、労務管理にあたっている方々、ビジョンメイキングや会社の将来設計などに関わっている方々は特に必見の一冊です。


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