文:秋山一馬
スーパーコンピュータ「富岳」を運用する理化学研究所 計算科学研究センター(R-CCS)は、2022年3月10日、「富岳」の共用開始1周年を記念したイベント「富岳」FORWARD 〜共に創る未来〜をオンラインにて開催した。
「富岳」は、学術・産業分野における研究基盤として、Society 5.0の実現やSDGsの目標達成に向けたさまざまな研究に活用されている。我々一般人としても、新型コロナウイルス対策における飛沫・エアロゾルの飛散シミュレーションなどが幅広くメディアで紹介されるなど、記憶に新しい。
本イベントは、2021年9月に開催された「富岳」BEGINS 〜活躍の場を無数に広げて〜に続き開催されたもので、「巨大なITインフラを使うことで見えてくる世界」をテーマに各界のトップランナーが語るパネルディスカッションや、報道番組「news zero」へのレギュラー出演などアクティビストとしても活動するクリエイティブディレクターの辻愛沙子氏など、いわゆる“Z世代”をゲストに迎え、「富岳」への期待や活用アイデアについて語り合うスペシャルセッションが行われた。
学術・産業界のトップ研究者、ビジネスパーソンらが専門的な成果を紹介した前回のイベントとは異なり、若い世代も含め「富岳」を身近に感じてもらうということからか、夕刻開始されたこのイベントでは、出演者のリラックスした様子も画面を通して感じられた。
「MaaS」「脳神経科学」「気象」まったく異なった分野のエキスパートが集結
理化学研究所 計算科学研究センター長 松岡聡氏の挨拶に続き行われたのが、「トップランナーと語る「富岳」FORWARD」と題したパネルディスカッションだ。
ここでは、MaaS社会実装の実現へ尽力する株式会社MaaS Tech Japan代表取締役CEOの日高洋祐氏、脳神経科学分野において、実際に「富岳」を利用し研究する電気通信大学 大学院情報理工学研究科 准教授の山崎匡氏、同じく「富岳」を活用し、天気予報の革命を目指す理化学研究所 データ同化研究チームリーダーの三好建正氏と、まったく異なる分野からゲストを迎え、科学コミュニケーターの本田隆行氏がファシリテーターを務めた。
MaaS Tech Japan代表取締役CEOの日高洋祐氏(写真左上)、電気通信大学 大学院情報理工学研究科 准教授の山崎匡氏(写真右上)、理化学研究所 データ同化研究チームリーダーの三好建正氏(写真左下)、科学コミュニケーターの本田隆行氏(写真右下)
最初にMaaS Tech Japanの日高洋祐氏が、交通事故や渋滞といった課題を解決する「Real-SimCity」の実現を目指すビジョンや事業内容を紹介。複雑で集約することが難しい交通や人々の移動データやユーザーの趣味趣向やモノの動きなど、「富岳」を活用することでリアルタイム処理できるようになると「見えてくる世界観も変わってくるのでは」と期待を寄せた。
MaaS Tech Japanが目指す「Real-SimCity」
次に、「富岳」を使って脳の神経回路をシミュレーションする研究を行っている電気通信大学の山崎匡氏によるプレゼンテーションが行われた。脳の機能は呼吸から心拍といった生命維持から意識・思考といった高次機能まで担っていると考えられているが、その原理はまだよくわかっていない。一方、脳の構造は、約860億ものニューロンと呼ばれる神経回路が複雑につながったネットワークであることが分かっており、原理的にはヒトの脳の神経活動を再現し、「操作可能な脳のデジタルコピーを作って神経活動を再現・予測する」ことが可能であるという。
そして『「富岳」だからできたこと』として、すでにヒトスケールのシミュレーションが終了し、脳の活動を再現することができたこと、さらに、「富岳」はインターネットを介して外部に接続できるため、計算結果をリアルタイムに送信しロボットを操作するといったことも可能になったと紹介した。
操作可能な脳のデジタルコピーを作って神経活動を再現・予測する「シミュレーション神経科学」
続いて、「天気予報に革命を起こしたい」と気象について研究する理化学研究所の三好建正氏が、30秒ごとにアップデートして30分先までを予報するゲリラ豪雨予報アプリ「3D雨雲ウォッチ」を試験的に運用したことを紹介した。三好氏は、このアプリの運用が「富岳」の計算資源の9%を確保することで実現できたことに触れ、「富岳」の持つ巨大なパワーについて解説するとともに、観測データをリアルタイムに取り込んでシミュレーションとつなぎ合わせるための橋渡しを担う「データ同化」技術の重要性について解説した。
サイバー世界と現実世界の橋渡しを行い、シミュレーションにより気象に限らず社会のさまざまな課題を解決する「データ同化」技術の重要性
「究極の複雑系」を扱うエキスパートが抱く「富岳」への期待
議論が進む中で、気象データを扱う三好氏からモビリティデータを扱う日高氏に対し、モビリティのデータを気象予報に役立てるなど、データを統合することで、相互にフィードバックできるのではないかという提案があった。三好氏は、そうすることでいままで役に立つと思えなかったデータが、本来考えていなかった目的で使われるようになり、データの価値が高まる可能性があると話した。これに対し、日高氏も、雨が降るとタクシーに乗る人が増えるように、気象によって人の行動が変わるのは分かっているにもかかわらずタクシーが不足する事態が生じることなどを挙げ、防災の観点からも気象データをモビリティに取り込むことは重要と応えた。
さらに議論は進み、ゲリラ豪雨などのきっかけとなる事象を抑えるなど、現実性はともかく将来的には「気象を制御する」可能性や、交通においても電車だけ、バスだけといった個別の動きを見るのではなく、全体でシミュレーションすることでキラーアプリを生み出せるのでは、といった意見が交わされた。
最後に、ファシリテーターの本田氏から10年後、15年後はどんな世の中になっているのか?という問いが投げかけられた。日高氏は、15年後には少なくとも気象とモビリティデータが統合され、さらにはモビリティを扱う人の意識をつなぐなど、色々な分野と連携できるようなものを実現したいと語ったが、脳神経科学に関わる山崎氏が、「人の意識はまだまだだと思う、そもそも科学の俎上に載せるのが難しいので、個人的には15年後はさっぱり分かりません」と頭を抱えるシーンもあった。
三好氏は、さまざまな現象はマルチエージェントのネットワークによって引き起こされているカタストロフィーであり、戦争や暴動などは、いわゆる複雑系としてネットワークのシミュレーションで記述できる、15年後とは言わないが、未来にはスパコンの力で破滅の原因を抑えるなど、科学の力で人類を進化させることもできるのではないか、と語った。
異なる分野のゲストの話を受け、ファシリテーターの本田氏は、今までのスーパーコンピュータの計算は、複雑なものを簡略化して計算させていたが、これからは複雑なまま計算させるという世界に突入したのではないか、そしてそこから出てくるデータがシミュレーションだけではなく、アクチュエーションとつながることで、「富岳」やこれからのスーパーコンピュータが社会にとってますます重要なものになってくるのではと感じた、とセッションを締めくくった。
Z世代が投げかける「社会変革のためのリクエスト」
株式会社arca CEO / Creative Directorの辻愛沙子氏(写真左上)、国立情報学研究所 助教授 TURING株式会社CTOの青木俊介氏(写真上中央)、九州大学 情報基盤研究開発センター 教授・センター長の小野謙二氏(写真右上)、理化学研究所 計算科学研究センター センター長の松岡聡氏(写真左下)、株式会社企(くわだて)代表取締役 慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 特任准教授のクロサカタツヤ氏(写真右下)
続いて行われたスペシャルセッションでは、「Z世代と語る「富岳」FORWARD」と題し、「Z世代」を代表し、クリエイティブディレクターとして幅広い分野で活躍する株式会社arca CEO / Creative Directorの辻愛沙子氏、自動運転システムの開発に取り組む国立情報学研究所 助教でTURING株式会社CTOを務める青木俊介氏が登場した。
この「Z世代」の二人に対し、「富岳」に関わる第一人者として、九州大学 情報基盤研究開発センター長で教授の小野謙二氏、理化学研究所 計算科学研究センター長の松岡聡氏が応え、ファシリテーターを株式会社企(くわだて)代表取締役 慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 特任准教授のクロサカタツヤ氏が務めた。
セッション冒頭の自己紹介があった。最初に登場した辻愛沙子氏からは、テレビCMや新聞・屋外などの広告の制作や商業施設のディレクション、化粧品などの商品開発を行うクリエイターとしての側面と、さまざまな領域で社会課題と向き合うアクティビストとしての側面が紹介された。
続いて同じくZ世代の代表として青木俊介氏が登場、米国で自動運転の研究開発に携わったのち、日本に帰国後自身の研究室を立ち上げ、さらに大学発スタートアップで自動運転システムの開発を行うTURING株式会社を立ち上げたことが紹介された。青木氏が「実はHPCについては全然分からないので、国立情報学研究所の名前は消して出たかった」と話し、笑いを誘う一幕もあった。
そして九州大学の小野謙二氏、理化学研究所 計算科学研究センターの松岡聡氏も挨拶し、セッションへと入った。
最初の話題は、辻氏、青木氏が「富岳」について「どんなふうに見えているの?」「どうしたら使えるの?」といった疑問を小野氏、松岡氏に投げかけることではじまった。
まず辻氏からは、スパコンといえば「すごく難しくて頭が良い人だけのもの」というイメージだったが、「富岳」では格好良いロゴやグラフィックなどが作られているのが驚きであること、認知してもらうという意味での入口は達成しているのではないか、というクリエイターの視点からの感想が述べられた。その上で、実際の利用についてはウイルスの飛散シミュレーションぐらいしかわからず、「誰が使えるの?」「UI、UXはどうなっているの?」「誰に相談すればいいの?」「いくらかかるの?」といった具体的なことがあまり知られていないのでは、という意見が投げかけられた。
次に青木氏から、どうやったら入口までたどりつけるのだろうと思っていたこと、しかしイベントや一般への情報発信などは非常に頑張っている印象であるとの感想が述べられた。さらに、アメリカのAmazonやGoogleなどのように、スタートアップへの無料サービス提供によってユーザーを確保するようなことを、「富岳」で行ってみても良いのでは?との意見が出された。
続いての話題は、辻氏の手掛けるクリエイティブの領域で「富岳」ができることはあるのか?というテーマに。辻氏によると、世の中に点のように存在しているたくさんの声を、線でつなぎ可視化して、そこにコピーをつけることで、社会課題を提起することもクリエイティブの仕事のひとつだという。例えば、家事や育児の役割分担の議論で俎上に上がる「ゴミ捨て」という役割は、一言で表現されているにもかかわらず、そこにまつわる様々なタスクがある。SNS上などで数多く存在するこうした議論を集めて見える化し、「名もなき家事」というコピーを付けて企業が発信したことで問題が広く認識された、という例が紹介された。
これを受けて、小野氏は、Web上でクローリングすることで膨大なデータを集め、それらを分析、数値化して特徴を取り出すことができる、データサイエンスとスパコンがそこでつながる、と答えた。クロサカ氏も、辻氏のアクティビストとしての活動は、「まだ見えていないもの」を扱っていること、これらを見える状態にしていくことは、まさにHPCが取り組んでいることに近く、一見すると「富岳」と距離があるように感じられる辻氏の取り組みこそ、実は「富岳」が取り組むべき次の課題なのではないか、とコメントした。
「コロナ用のコンピューター?」ではない。「富岳」の本当の価値とは?
続いて、「富岳」の本当の価値とは?という問いに、青木氏は「『富岳』が世界一を目指すのは大事!かっこいいと思う!」と即座にコメント。一方で、基盤技術やスパコンがあっても生活は変わらない、キラーアプリケーションが必要ではないか、と説いた。さらに青木氏は「キラーアプリケーションがくしゃみの飛沫シミュレーションで良いのか?」と質問。これに対し松岡氏は、実際にはもっといろいろな成果があること、一般向けに発信しようと頑張っているが、マーケティングとして大きな課題と認識しており、むしろプロの意見をいただきたい、と述べた。
意見を求められた辻氏は、くしゃみの飛沫のシミュレーションの話であるから国民全体が当事者意識を持てたとコメント。一方、さまざまな理由で可視化されていない研究トピックが社会には多く存在するはずで、こうしたトピックを公募し、クラウドファンディングで研究することも考えては?とアイデアを提案した。
「富岳」の価値については九州大学の小野氏もポイントを2つ挙げた。ひとつは「富岳」によって計算科学に携わる人のコミュニティが着実に継続的に育っており、これがポスト「富岳」を作っていくという点。もうひとつは、社会科学という具体的な例がようやくスパコンで扱えるようになり始めたという点。今後これらが発展することで、気象などのシミュレーションだけではなく、もっと柔らかな部分が求められる社会実証を扱うことが増えていくだろう、それが実社会に役に立つと期待していると語った。
Z世代は「富岳」で何をしたい?
最後に、Z世代の二人に「富岳」で何をしたいか?という質問が投げかけられた。
青木氏は、自身の研究である自動運転で社会がどう変わるのかをシミュレーションしたい、と回答。人類の歴史をたどれば、飛行機や電車など新しいモビリティが社会に導入された際には、犠牲を伴いながらも次第に受け入れられてきた。自動運転を実装した時に、社会がこの技術をどのように受容するのか見てみたい、と語った。
辻氏は、「やってもらいたいこと」として、日本の女性のセクシャルヘルスが可視化されていない、という課題を挙げた。医学であるにもかかわらず「デリケートな問題」としてなかなか議論が進まない現状があるため、データ解析や課題の洗い出しなど、コンピューティングの世界からアプローチすることができるのではないか、と語った。もうひとつ、企業のレピュテーションリスクの問題を挙げ、実際に仕事に関わる分野でもあるため、取り組んでいる研究者がいればぜひタッグを組みたい、と訴えた。また最後に、様々な社会問題を議論するにあたって女性や有色人種のデータがあまりないという問題についても触れ、こうした課題に対してもコンピューティング分野にぜひ貢献してほしい、と提起した。
クロサカ氏は、こうした課題はこれまで「人間ができることには限界がある、コンピュータのリソースには限界がある、できないけれど仕方がない」と言われてきたことであると述べ、これらにチャレンジしていくことが「富岳」や今後のHPCの大きなテーマになるだろう、とまとめた。
最後に、九州大学の小野氏、理化学研究所計算科学研究センターの松岡氏と、ファシリテーターを務めた本田氏、クロサカ氏による「まとめ・展望」セッションが行われた。
本イベントを振り返りながら、本田氏の「計算にも個性が出てくるのかもしれない」というセッション中の発言に、クロサカ氏は注目。Z世代の二人からも同じく「突き抜けた能力」と「個性」に言及があったことも踏まえ、複雑系のエキスパートとZ世代のフロントランナーがいずれも指摘した価値や可能性が、富岳やHPCのFORWARDをデザインする際の重要なヒントになるのではないか、とまとめた。
松岡氏は、複雑な現象や社会課題をサイエンスでいかに解決するかが「富岳」の重要な役割であることを改めて確認した、とコメント。加えて、今スーパーコンピュータは、あるサイエンスの問題を解く、という従来の目的から、社会全体の複雑な問題を解くものへと変革の時を迎えており、「富岳」はまさに社会の「プラットフォーム」である、と述べた。そして、将来はインフラとして整備されたスーパーコンピュータを、多くの人が自分の目的のために何も気にすることなく使うことができる時代にしたい、そのための人材を育てていきたい、と熱く語りイベントを締めくくった。
本イベントの様子は、後日特設サイト「富岳」FORWARD 〜共に創る未来〜でもアーカイブ視聴が可能だ。ぜひ日本が世界をリードするスーパーコンピューター「富岳」によって生み出される価値と、今後の展望について、若い世代をはじめより多くの方々に知ってもらいたい。
都市インフラ、資源循環、次世代創薬。日本が誇るスーパーコンピュータ「富岳」の現在地は? “「富岳」BEGINS〜活躍の場を無数に広げて” 開催レポート