CULTURE | 2023/08/25

『春に散る』を映画化した瀬々敬久監督にきく、沢木耕太郎が描いた「戦後日本の老いと若さ」

©2023映画『春に散る』製作委員会
聞き手・文:舩岡花奈(FINDERS編集部) 写真:赤井大祐
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©2023映画『春に散る』製作委員会

聞き手・文:舩岡花奈(FINDERS編集部) 写真:赤井大祐

バックパッカーのバイブルとして知られる『深夜特急』をはじめ、ノンフィクション作品を数々手がけてきた沢木耕太郎。朝日新聞連載から始まった、ボクシングをテーマにした青春小説『春に散る』の映画化が実現した。

かつて将来を有望視されたボクサーだった広岡仁一(佐藤浩市)が不公平な判定で負けたことをきっかけに渡米し、再起を目指し奮闘するも、志半ばで選手としての人生を終えた。その後、ホテルの経営者として成功を収めたが、心臓発作を患い、40年ぶりに帰国するところから物語は始まる。

帰国後、広岡は飲み屋で同じように不公平な判定負けを経験し、一度はボクシングを辞めた若き青年の黒木翔吾(横浜流星)と出会い、広岡がボクシングを教えることに。広岡と翔吾が一度は諦めた世界チャンピオンを目指す。

本作は沢木耕太郎作品を原作に、『ラーゲリより愛を込めて』『糸』などを手がけてきた瀬々敬久が脚本、監督を務める。映画化にあたっての原作者の沢木氏から与えられた制約は、作品のタイトル『春に散る』と主人公である「広岡」の名前を変えない、という2点だけだったという。

そんな条件のもと映画化にあたって、瀬々監督は原作の『春に散る』をどのように読み解き、どのようなテーマを据えたのか。その過程を踏まえながら話を聞いた。

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瀬々敬久(ぜぜ・たかひさ)監督
1960年生まれ、大分県出身。京都大学在学中から自主映画を製作。『課外授業 暴行』(89)でデビュー後、劇場映画からドキュメンタリー、テレビなど様々な作品を手掛ける。『ヘヴンズ ストーリー』(10)では、ベルリン国際映画祭の批評家連盟賞とNETPAC(最優秀アジア映画)賞を受賞。『アントキノイノチ』(11)では、モントリオール世界映画祭ワールド・コンペティション部門イノベーションアワードを受賞した。『64‐ロクヨン‐』2部作(16)では、前編で日本アカデミー賞優秀監督賞受賞。その後も、『8年越しの花嫁 奇跡の実話』(17)、『友罪』(18)、『楽園』(19)、『糸』(20)、『護られなかった者たちへ』(21)、『とんび』『ラーゲリより愛を込めて』(22)などを手掛ける。

「老いと若さ」が生む、一瞬のドラマ

―― 原作では、かつて四天王と呼ばれ広岡と同じジムでチャンピオンを目指した3人の仲間との再起の物語。そして翔吾と出会い再び世界チャンピオンを目指す物語、2つの軸に沿ったストーリーが描かれていました。本作では後者である「広岡」と「翔吾」の二人の物語に焦点を絞っていました。

瀬々:今回、沢木さんの小説を映画化するという話をいただいてから『春に散る』という作品を読んだときに「老いと若さ」がテーマになっていると思いました。

老人の方は死が近いじゃないですか。それに比べて若者にとって死はそこまで近いものとして考えていない。人生には必ず死が待っているんですけど、2つの異なる立場から捉えると全く別の距離にあります。そんな「老いと若さ」という対比のなかで、2つの時間が交差する際に、とんでもない化学反応が生まれたり、新しいものが生まれるようなことを沢木さんはこれまでの『春に散る』以外の作品でも描かれてきたと思うんですね。

そういった一瞬にしてぶつかって、物語が形成されるようなドラマ感というか、一瞬にかける今しかないというテーマがあるなと思いましたし、そこに全てを集約しようと思ったわけです。

©2023映画『春に散る』製作委員会

「今しかねえ、今しかねえんだよ」

―― 原作をもとにした映画作品と脚本を0から組み立てるオリジナル作品のどちらも手がけていらっしゃいますが、製作にあたっての姿勢として大きく異なる点はどういったところでしょうか。

瀬々:今回のように原作がある作品は、やはり原作者の思想や思考というのが根幹にあるのが、オリジナル企画の作品と大きく異なる部分だと思います。原作者の思想に対して賛成か否か、愛情を込められるか否かが、原作から映画を作るうえで重要になってきますね。賛同できると思ったので今回も引き受けましたし、そこに尊敬の念を持ちながらやっていくわけです。そこで初めて、こちらの作り手側の個性が化学反応し、小説とは違った映画ならではのものができていくと思います。

―― 瀬々監督は沢木作品で扱われる「若さと老い」というテーマに共感したのでしょうか?

瀬々:はい、10代の頃から沢木作品のファンで、なかでも『テロルの決算』という作品は印象的でした。「浅沼稲次郎暗殺事件」という1960年に17歳の右翼少年、山口二矢が日本社会党の委員長、浅沼稲次郎を刺殺した事件を題材にした有名なノンフィクション作品です。演説中に起きた事件だったので、壇上でナイフを持って刺す瞬間を全国生放送されてしまったという衝撃的な出来事で、当時、山口二矢は17歳。刺殺された浅沼稲次郎は61歳でした。

―― まさしくこの作品は、一見して政治的対立とも取れる事件について、17歳の青年と61歳の政治家、それぞれ個人の信念にまでフォーカスした「老いと若さ」がテーマとなったようなものです。

瀬々:次に読んだ作品が『一瞬の夏』。日本チャンピオンを数多く排出してきた名トレーナーのエディ・タウンゼントと若きボクサーがチャンピオンを目指す物語ですが、これも老トレーナーと若きボクサーの話。やはり沢木さんのなかにはテーマとして「老いと若さ」があったんですね。それを若いときに読んで、かなり影響を受けました。

映画の作中に「今しかねえ、今しかねえんだよ」という翔吾のセリフがあるんですが、実は『テロルの決算』の山口の“だが、いつかなどという時は永久に訪れないのではないか。立つなら今しかなく、いつだって今しかないのだ。今立てないなら永久に立てないということだ。”というセリフのオマージュになっています。『春に散る』の原作の中にはあのセリフは出てきませんが、山口と翔吾、二人の「若さ」、そして「一瞬」にかける姿勢に自分は共通点を感じずにはいられなかったのだと思います。

映像だからこそ感じる「一瞬」

―― 広岡と翔吾の二人の物語以外に、作品中で「老いと若さ」が描かれている部分はありますか?

瀬々:橋本環奈さんが演じている広岡佳菜子を原作とは違うキャラクターにしたことですね。原作では、不動産屋の会社員として四天王たちが共同生活をする家を探すときに登場しますが、映画では、「地方で父の介護に追われる若者」、いわゆるヤングケアラーとして描きました。

これも、これからの日本に重くのしかかってくる「老いと若さ」にまつわる大きな問題の一つです。つまり、広岡が日本を離れる40年前にはなかった「今の日本」を描くことで、同時に浦島太郎状態になっている広岡の状態を描きたかったんです。

©2023映画『春に散る』製作委員会

―― 超高齢化社会に突入する日本における、非常に現実的な問題ですね。

瀬々:僕は大分県生まれの地方出身者ですし、若者が根付かない地方の大変さに実感があります。そんな地方の抱える問題として考えたときにこういった問題は避けては通れないとも感じました。

―― 最後に、映画の見どころを教えてください。

瀬々:映像だからこそ、感じられる「一瞬」として横浜流星さんと窪田正孝さんが戦っているボクシングの試合も注目してほしいです。横浜さんはもともと極真空手の世界チャンピオンで格闘技経験がありましたし、撮影が終わった後、ボクシングのC級ライセンスを取得するだけあって、緊迫感や臨場感はすごいなと僕ら現場から見ていても思いました。一方、窪田さんはずっと以前からボクシングジムに通っている強者です。2人の姿から「今、この一瞬にかけて戦っている」ことを感じ、人生とはなにかということを考えるきっかけになればいいなと思いますね。ぜひ2人の男たちが一瞬にかけて戦う姿をスクリーンで味わっていただきたいです。

©2023映画『春に散る』製作委員会


『春に散る』 8月25日(金)全国公開