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デジタルデバイスやそこに紐づく製品やサービスを作る人間の思考は、つい「理系」的なだと思われがちだ。しかし、AppleやTwitterといったサービスはどうやら「理系」でも「文系」でもない視点が強く作用したという。いったいどんなものだったのか?
本記事は2015年1月25日に刊行された、渡邊恵太『融けるデザイン ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論』(ビー・エヌ・エヌ新社)の内容を一部抜粋・再編集したものだ。
渡邊恵太
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明治大学総合数理学部 先端メディアサイエンス学科 准教授。博士(政策・メディア)(慶應義塾大学)。シードルインタラクションデザイン株式会社代表取締役社長。知覚や身体性を活かしたインターフェイスデザインやネットを前提としたインタラクション手法の研究開発。近著に『融けるデザイン ハードxソフトxネットの時代の新たな設計論 』(BNN新社、2015)。
文系と理系
文系と理系という区分けがある。Wikipediaによれば、「文系とは、主に人間の活動を研究の対象とする学問の系統とされており、理系とは、主に自然界を研究の対象とする学問の系統とされている」とある。この定義の是非はあるにせよ、文系と理系という分け方によって自分の進路に悩んだ人も多いのではないだろうか。
筆者自身も高校時、この選択にひどく悩まされていた。日本では、大学へ進学しようとすると多くの場合に文系と理系に分かれる。大学受験を考えると、いずれを選ぶかで受験勉強の方針が決定する。そればかりか、この分岐は今後の人生をも決定しそうな感覚を持つ。
筆者はそんな中、当時通っていた塾の講師に「コンピュータに興味があるのだが、必ずしも理系に向いているのではない気がして悩んでいる」と相談していた。するとその塾講師は、「Macintoshの画面は心理学者が設計している。もしかしたらそういうことに興味あるんじゃないか」とアドバイスをくれた。
コンピュータやものづくりに関わるのに、理系ではなく、一般的には文系と思われている心理学によるアプローチがあるとは、高校時の筆者にとって大きな驚きであった。なによりも、モノの理解と人間の理解の両方が求められるものであることに強い関心を抱いた。それまで心理学といえばバラエティ番組での心理テストのイメージしかなく、あまり良い印象ではなかったが、後に認知心理学という分野の存在を知ることで、これをものづくりや、コンピュータやソフトウェアの設計に活かすことに心惹かれていった。
そうして筆者は、文系でも理系でもない、あるいはいずれでもある分野として「インターフェイスデザイン」という領域があることを知り、それを研究するために大学へと進学した。この時1998年、筆者はこれからのものづくりはインターフェイスが最重要課題になるという確信を持っていた。
実際、1998年以降の産業を見てみると、ウェブデザインの需要が高まり、人の操作を前提にするうえではグラフィックデザインでは対応できない状況が訪れ、インターフェイスのデザインが浸透し始めた。その他、携帯電話を代表とする多様で複雑な情報機器において、インターフェイスデザインの必要性や重要性が問われ始めた。さらに、インターフェイスデザインの歴史と密接な関わりのあるAppleにはスティーブ・ジョブズが復帰となり、iMacやiPodといった革新的な製品やサービスを発表していく時代となった。
そして2010年、ジョブズは「テクノロジーとリベラルアーツの交差点」としてAppleの思想を語る。それは筆者にとっては「Macintoshは心理学者が設計している」という塾講師の言葉に繋がった瞬間でもあった。すなわち、Appleが生み出すイノベーションは理系的なエンジニアリングだけから生まれるのではなく、リベラルアーツ(自然科学、人文科学、社会科学の統合的な知)を織り交ぜた発想によって誕生するということだ。
こういった視点でものづくりに取り組んでいるのはAppleだけではない。Twitterもまた、人間の重要性を示唆している。Twitter創業者の一人ビズ・ストーンは、「Twitterは技術ではなく、人間性の勝利」であると来日時のインタビューで答えている※1
※1 http://japan.cnet.com/interview/20401672/
さて、ではなぜAppleやTwitterは、テクノロジーのみならずこういったリベラルアーツや人間性を自社の製品やサービスの設計に取り入れるのだろうか?
それは、コンピュータが「メタメディア」という特徴を持っているために、それを扱うにはエンジニアだけの知識では太刀打ちできないということを彼らは知っているからだ。
本章では、こうした文系でも理系でもない知識が求められる背景について、人間にとってのコンピュータの本質、メタメディア性という点から紐解いていく。そして、そのメタメディアはこれまでどのように設計されてきたのかを振り返りながら、その可能性と限界を示し、なぜ今「体験」が重要視されるようになってきたのかについて説明していく。