日本最大のインターネットテクノロジーイベント「Interop Tokyo 2023」が、6月14日から16日にかけて、幕張メッセで開催される。1994年に日本でInteropが初めて開催されてから、今年で30回目を迎えるアニバーサリーイヤーとなる。
パソコンやスマートフォンといった私たちのビジネスや日常生活に欠かせないデバイスと、その上で動くさまざまなアプリやサービスは、もはやインターネットという基盤なしでは成立し得ない状況だ。 そしてInterop Tokyoの30回の歴史は、インターネットの発展・進化の歴史でもある。
1970年代後半からコンピュータ・ネットワークの研究に従事し、「日本のインターネットの父」とも呼ばれるInterop Tokyo 実行委員長の村井純・慶應義塾大学教授が、長年にわたり運営をサポートしてきた株式会社ナノオプト・メディアの大嶋康彰・代表取締役社長と共に振り返った。
大嶋康彰氏(左) 村井純氏(右)
文:安藤智彦 画像提供:ナノオプト・メディア
バークレー人脈から生まれたInterop
今年で30回目の節目を迎えるInterop Tokyo。発祥の地である米国では1988年に産声をあげていたInteropだが、村井氏はそこからさらに10年ほど遡る70年代後半からコンピュータ・ネットワークの研究を始めていた。とはいえ本人は、学部生だった当初「コンピュータが大嫌い」だったという。
「(メインフレーム全盛の時代で)コンピュータが偉い、高いと。真ん中にコンピュータがあって周りに人間がいるというのはおかしいと思っていた。逆だろって。真ん中に人がいて、周りにコンピュータという道具がいるんだろう、ってね」
「ただ、この道具がバラバラだと面倒だよね。たとえば5人秘書がいたとして、それぞれとやり取りするのは大変で、秘書同士がつながってくれないと困る。人間が真ん中で周りにコンピュータがあるというモデルでも、そのコンピュータをつないでいないと人間のことを支えられないよね、っていう。そんな考えから、コンピュータ・ネットワークに興味を持っていった」
そんな折の1979年、ベル研究所が発表した汎用OS、Version 7 Unixに搭載されていたあるプロトコルに村井氏は「確信」を得る。
「UUCP(UNIX to UNIX Copy Protocol、UNIX搭載マシンをつなぐためのプロトコル))というのが入っていて。ついにコンピュータが連結して人間のために動く時代が来たかなって思った」
これに前後して、現在の機器間接続プロトコルのデファクトスタンダードとなっているTCP/IPの開発も進んでいた。こうしたコンピュータ・ネットワーク開発において、世界の中心の1つとなっていたのがカリフォルニア大学バークレー校だった。一方の村井教授も、「道具」としての利便性を高めるべく、独自のUNIX用プロトコルを組み込むなど独自の動きを見せていた。
「勝手に作ったプロトコルで(笑)。バークレーにいたビル・ジョイ(UNIXの開発の第一人者、のちにサン・マイクロシステムズの創業期にかかわる)と喧嘩したのも覚えているけど、結局シンプルだったTCP/IPのほうがいいね、ということになった」
こうして頻繁にコンピュータ・ネットワーク開発の拠点を行き来していた村井氏が、日米の開発者や研究組織をつなぐ「ハブ」となるのは自然な流れだった。自身と近い世代に「才能」が集中していた面もある。村井教授も含め、ビル・ジョイ、エリック・シュミット、スティーブ・ジョブズなど、ITやネットワークの歴史を彩ってきたのは、1954〜56年生まれの世代が大半だ。
「バークレーに行けば、大体重要な人間には会える環境だった。ビル・ジョイもそうだけど、逆に言うと、そこで知り合った奴らがインターネットの世界、ITの世界、それからInteropの世界を作っていった」
1984年には、東京工業大学と慶應義塾大学を接続する日本初のネットワーク間接続「JUNET」を設立。1988年にはインターネット研究コンソーシアムWIDEプロジェクトを発足させ、インターネット網の整備・普及を進めるなど、日本のインターネットの礎をつくる動きを見せていた村井教授だったが、バークレーで培った人脈からInteropの理事会へ参画することとなる。
「最初はアメリカのInteropの企画を担当していたんだけど、Interopのファウンダーだったダン・リンチをはじめとしたメンバーが、太平洋の向こう側、アジアに進出したそうな空気があって。今なら呼べるんじゃないか、と東京でやろうという話になった」
こうしてInterop Tokyoの前身となる「NetWorld+Interop」が1994年、日本に上陸する。
インターネット「前夜」からドットコム・バブルへ
94年当時のインターネットは、「『前夜』だった」と、村井氏は振り返る。
JUNET誕生から10年、WIDE発足から6年ほどが経ち、運用の実績と経験はあった。92年には日本初の商用インターネットプロバイダIIJが設立され、商用利用も本格化してきていた。
「企業と大学はみんなインターネットが常識みたいになっていて。個人が参加できる『前夜』、それが94年だった。 Interopは個人が興味持ってきてくれるということと、出展社個人の興味が結びつくということが大事なんだけど、94年は個人が気軽にインターネットを手に入れられる状況ではなかった。TCP/IPのプロトコルスタックもWindowsには入っていなかったし、パソコンもモデムもまだまだ高かった。個人への普及が進むのは、翌年のWindows95登場からだね」
Interopが日本に上陸してからの90年代後半は、一転してネットワーク環境の整備が進み、「ネット企業」の創業も相次いだ。そして99年から2000年にかけていわゆるドットコム・バブルという節目が訪れる。
「ドットコム・バブルっていうのは経済の観点。俺たち(開発者、研究者)の観点から言うと、開発部隊がいなくなって全部ビジネスサイドに移っちゃった。ソフトウエアを書いていたはずのビル・ジョイもエリック・シュミットもストック、つまり金の話をするようになって。ビルやエリックがサン・マイクロシステムズでうまくいったのを見て、バークレーの連中もみなベンチャーに行ったり自ら起業したり」
村井氏もその道を行くべきか迷いがあったという。
「そういうの(ベンチャー企業等)にジョインするかすごい考えた。でも日本をインターネットにつなぐためには、どうもこういう体制じゃねえなと。大学のポジションで、WIDEみたいなやり方をしていかないと日本では難しいんじゃないかと思って。やっぱり俺は、ぶくぶく上がるバブルの方ではなく、そこに漂う沈殿物みたいな存在でいいや、って(笑)」
結局、村井氏が企業経営側に立つことはなかったが、2000年に政府の諮問機関として発足したIT戦略本部に招聘されて以来、20年以上にわたり国のIT政策に関わることとなった。内閣官房参与(デジタル政策)やデジタル庁顧問も務めるなど、重責を担い続けている。
「かれこれ23、4年やってるんだよ(笑)。2007年にスマホが出てきて、そこから先の無線を使うとかモバイルが台頭するといったあたりの世界を予測するのは難しかったけれど、この社会はこうなるべきであるという大枠はずらしていないし、ブレてないと思う」
宇宙に広がるインターネットの可能性
「この社会はこうなるべき」という志のもと、日本のインターネットやIT産業の進むべき道を切り開いてきた村井氏。いま強い関心を抱いている分野の1つが、「宇宙のインターネット」だ。今回のInterop Tokyo 2023でも、「Internet x Space Summit〜宇宙に広がるインターネット市場〜」と題した特別企画をIPNSIG(※惑星間ネットワーク構築を目指す研究組織)とWIDEプロジェクトの協力のもと実施する。
村井教授をモデレーターとする基調講演「The Interplanetary Internet-宇宙へ広がるインターネット市場-」を皮切りに、「宇宙通信事業にむけた安全安心な宇宙空間の確保に向けて」「宇宙インターネット通信がもたらす地上経済へのインパクト」といった国内外の企業や研究機関による20以上のセッションが会期中の3日間にわたり展開される予定だ。
「やはり日本の企業は、ロボットとかレーザーとかもそうだけど、宇宙開発にすごく貢献できる技術があるはず。なんだけど、その企業たち自身は今気が付いてないところがある。もうすぐにでも月へ行くというときに、『みんなで力を合わせない?』って言うとしたら、やっぱInteropだなと思い今回の企画を提案した。ある意味、このテーマの元年になっていくかもしれないし」
また、Interop Tokyo全体に目を向けても、2020年以降、3年ぶりにコロナ禍の影響を払拭できるようになるタイミングでもある。出展社から提供された1500台以上の製品・サービスと、約400名ものトップエンジニアが集結して会場内にネットワークを構築する「ShowNet」プロジェクトも充実する。
「今回、コロナが明けるからさ、 やっぱり人が来て、それでいろんな人と会えたり、モノを見れたりブースで説明受けたりやり取りも生まれる。これがものすごく大事だし、ShowNetもたくさんの日本の宝を育てている言わば、人材育成の場だよね。最高の場だと思うけどさ、このコロナ明けで復活する、ある意味、元に戻るっていうか。多分、元以上に戻ると思うんだけど、 そのことの意味はすごく大きい」
「それから、このコロナの間にわが国はDXとかそういうのが表舞台に出てきた。2000年の時は、それこそ“沈殿物”が裏方でやってた話が、今やDXで社会を良くしようみたいなことが政策になり、それからデジタル庁が出来て。 もう全く“沈殿物”とは俺たちも言っていられない。こうしたネットワークの環境がこの国の未来を担うという、本当の出発の年が2023年だと考えると、もうすごく楽しみだよね」
村井氏の見つめる、日本の未来を担うネットワーク環境の胎動と可能性を、きっとInterop Tokyo2023の会場で感じることができるはずだ。
なお今回のトークの模様も、YouTubeにて映像が公開されている。村井氏が振り返るInterop誕生の背景やInterop Tokyoが歩んできたコンピュータ・ネットワーク開発や成長にまつわるトピックについて、興味を持たれた方は是非ともご覧いただきたい。