日本最大のインターネットテクノロジーイベント「Interop Tokyo 2023」が、6月14日から16日にかけて、幕張メッセで開催される。1994年に日本でInteropが初めて開催されてから、今年で30回目を迎えるアニバーサリーイヤーとなる。
パソコンやスマートフォンといった私たちのビジネスや日常生活に欠かせないデバイスと、その上で動くさまざまなアプリやサービスは、もはやインターネットという基盤なしでは成立し得ない状況だ。
そしてInterop Tokyoの30回の歴史は、インターネットの発展・進化の歴史でもある。その30年の歩みを、Interop Tokyo 実行委員の中村修・慶應義塾大学環境情報学部教授が、長年にわたり運営をサポートしてきた株式会社ナノオプト・メディアの大嶋康彰・代表取締役社長と共に振り返った。
大嶋康彰氏(左) 中村修氏(右)
文:青山 祐輔 画像提供:ナノオプト・メディア
「相互接続性」はインターネットの大事な価値
そもそもInteropとはどのようなイベントなのか。その名前の由来は「Interoperability(相互接続性)」から来ていると、中村氏は話す。インターネットにおけるもっとも基本的なプロトコル(通信規格)である「TCP/IP」に対応したネットワークのハードウェアやソフトウェアをベンダーが持ち寄り、お互いに接続して正常な通信を行えることを確認するワークショップがそもそものきっかけだったのだという。
「1986年にカリフォルニアのモントレーで、いろんなベンダーやエンジニアが集まって、ライブでネットワークを作って検証するワークショップをやっていると聞いたんです。それが90年には、当時のノベル社と一緒になって『Networld+Interop』という名称で、ラスベガスにて大規模なイベントとして開催されるまでになった」(中村氏)
インターネットの特徴のひとつは「オープン」であり、それは単にインターネット上では自由にサービスを構築したり、コンテンツを公開したりできるというだけではなく、そもそもインターネットには自由に接続できるということでもある。
従って、ベンダーは公開されているTCP/IPなどのインターネットの技術標準に則って、自由にネットワーク機材を開発、販売することができる。ただし、技術標準に従っているとはいえ、実際に接続すると想定外の事態が発生する。そうしたトラブルに関する知見を集め、ノウハウとして共有し、そしてネットワークの相互接続性(Interoperability)を高めることは、インターネットにおいて非常に重要な意味を持つ。
現在のInteropは、ネットワークテクノロジーについてのさまざまな事業者が出展するトレードショーとしての側面が強くなっているが、当初のコンセプトであった「相互接続性」は、現在でも「ShowNet」という形で引き継がれている。
94年当時、インターネットに触れる貴重な場所だったInterop
中村氏を始めとしたインターネット黎明期の研究者達は、その当時のInteropに大いに関心を持った。その頃の中村氏はまだ修士課程を終えて、現在Interop Tokyo 2023実行委員長を務める村井純教授とともに、ネットワークの研究者としてのキャリアを本格的に歩み始めたばかりだった。
そうしたインターネットに関わる研究者などのコミュニティのなかから、日本でもInteropをやろう、という声があがったのだという。
「実際にInteropをやろうとなった92年に、山口英(故人、奈良先端科学技術大学院大学教授)とふたりでアメリカにいって、NOC(Network Operation Center)チームに入れてもらって一緒にネットワークの構築をやったんだよね」(中村氏)
NOCチームとは、Interopの最大の特徴かつ展示である、ShowNet(94~98年はINTEROP NETと呼ばれていた)を構築・運営するメンバーだ。ShowNetとは、Interopの会場からインターネットに接続するためのネットワークを構築するプロジェクトであり、同時に出展するベンダーから提供されたハードウェアやサービスを実際に接続する相互接続性の検証の場でもある。
中村氏は、アメリカのNOCチームに参加し、実際にラスベガスで会場のケーブルの設営を行うなどし、INTEROP NETの構築・運営について学んだ。こうしたさまざまな準備を経て、1994年に日本で最初のInteropが開催された。
当時からInteropの運営に関わってきた大嶋社長も「ガイドブックをバイリンガルで作るなど、日米合同と言うことでかなり大掛かりなプロジェクトだった」と振り返る。中村氏もNOCチームのメンバーとして、INTEROP NETの設営に関わった。当時、Interopはラスベガスと東京以外にも、パリなどでも開催されていたが、INTEROP NETのネットワークはラスベガスで機材を設定・構築したものを、開催地へ持ち回りで運んでいたという。
「ネットワーク」を視覚的に表現するために、当時はあえて大量のケーブルを天井に這わせていたんだとか
日本語版、英語版がそれぞれ制作されたガイドブック
「ラックに機材をマウントして作ったネットワークを木箱に入れて、空輸便で送っていたよね。壊れないように木箱にパッキンを詰めて、いつ成田空港に到着するのか、税関は問題ないのか、いろんな工夫をしていた」(中村氏)
会場には、当時としては高速だった1.5Mbpsの専用回線が2本、敷設され、ShowNetを通して展示会場の各ブースへと引き込まれ、それぞれの出展社のデモンストレーションに活用された。
また、会場内には「ターミナルクラスター」と呼ばれるコーナーが置かれ、インターネットにつながったPCが自由に触れるようになっていた。94年当時、まだインターネットの普及率は極わずかで、何しろ総務省による普及率調査も行われていなかった時代だ(最初の調査が1997年で当時の世帯普及率は6.4%だった)。そのため、インターネットを自由に使うことができ、なおかつ当時においては最速の通信速度だったこともあり、ターミナルクラスターは大きな集客力となった。
95年当時インターネットに触れる貴重な機会となっていた「ターミナルクラスター」
「当時はウェブサイトとかメールくらいしかできなかったけど、それでもやったことがないという方が多かったし、高速な環境で体験できることもなかなかなかった。当時から、インターネットの価値や可能性を、最先端のテクノロジーを持ってきて、ShowNetとしてネットワークを作って、来場者に使ってもらうというコンセプトは変わっていない」(中村氏)
「俺たち日本は『ShowNetは必要なんだ』と続けることにした」
94年の初開催から、Interopは順当に回数を重ねていった。その間には、数々のテクノロジーやトレンドが現れ、またその役目を終えていった。
「2000年にブロードバンドブームが訪れる直前に、InteropでもメイントピックとしてADSLを取りあげています。この後に、Yahoo!BBやイー・アクセスといったサービスが始まった」(大嶋社長)
「そのときADSLでブースに回線を引いたんだよね。そのADSLも、最後までやっていたNTTとYahoo!BBが、ついにサービスを止めることになった」(中村氏)
その他にも、音楽のストリーミングや、HD映像のリアルタイム伝送、IPアドレス枯渇への対策としてのIPv6といったさまざまな技術が、Interopではサービス開始や普及の前に取りあげられている。
「Interopはインターネットに関わる基本的な技術とプロトコルだけじゃなくて、その上で動くアプリとかビジネスの展開を予見しているんだよね」(中村さん)
こうした技術の変遷を振り返りながら、大嶋社長から「どうしてInteropは30年も続いたのか。他のイベントとは何が違うのか?」という問いかけがなされた。
「何十年も続くイベントはなかなかない。Interopはイベントではあるんだけど、やっぱりコミュニティというか社会を作っている気がするよね。30年やってきて、そこに集まってきたお客さん、カンファレンスを聞きに来る人、キーノートのスピーカー、そういった方々が単に聞くだけじゃなくて、ディスカッションする」
「そして一番、大きいのはShowNet。ライブでネットワークを作って見せるけど、作るということが大事。あるときにアメリカ側のInterop関係者が『これだけグローバルでインターネットがあるから、INTEROP NETは止めよう』と言い出して、アメリカではネットワークを会場全体に作ることを止めてラボという小さいブースにした。でも、俺たち日本は、98年にINTEROP NETの名前を日本独自のShowNetに変えて、それ以来ずっと『ShowNetは必要なんだ』と作り続けることにした」(中村氏)
ShowNetは、Interop開催の数ヶ月前から準備がはじまり、構築・運営するスタッフは、関連業界の若手エンジニアや学生などがボランティアで参加する。機材やサービスを提供する側も、それを預かり管理する側も、そして構築・運営する側にも大きな労力を必要とする。だが、相互接続性を大切にしているが故に、それを実際のネットワークとして構築・検証し、皆に使ってもらうことに価値を見出している。
「最先端の機材と技術とサービスで会場にネットワークを構築して、すべてのブースにコネクティビティを提供して使ってもらう。この世界観こそがInteropの面白さだと思うし、価値だと僕は思う」(中村氏)
日本のみならず、世界のインターネットの発展の歴史とともに歩んできたInterop Tokyoは今年で30回目を数える。1994年には3Mbps(1.5Mbps×2回線)だった外部回線は、2022年には1.2T(テラ)bpsにまで高速化している。そして、今年の会場にもおそらく、近い将来のインターネットにおける新たなトレンドの萌芽が存在しているはずだ。
なお、このトークの模様はYoutubeにて映像が公開されている。中村氏とInteropとの出会いが詳しく語られている他、過去の写真やエピソードにも触れられている。Interopとインターネットの歴史に興味を持った方は、是非ともご覧ください。