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EVENT | 2023/02/09

「富岳」用アプリをAWS上で動かす「バーチャル富岳」構想も発表。『「富岳」EXPANDS 』イベントレポート

文:神保勇揮(FINDERS編集部)
理化学研究所 計算科学研究センター(R-CCS)は2023年1月24日、スーパー...

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文:神保勇揮(FINDERS編集部)

理化学研究所 計算科学研究センター(R-CCS)は2023年1月24日、スーパーコンピュータ「富岳」を活用した研究成果や利活用に関する取り組みを紹介するシンポジウム『「富岳」EXPANDS ~可能性を拡張する~』をKDDI大手町ビルにて開催した。

今回のシンポジウムでは、シミュレーション・ビッグデータ・AIの融合による高度なデジタルツインの実現を目指す各分野の最先端研究や今後の展望を紹介するセッションやパネルディスカッションが行われ、「富岳」や今後のHPC(ハイパフォーマンスコンピューティング)が想像を超えたイノベーションを生み出し、日本社会を牽引していくために何が必要かを議論する内容となった。

日本のスーパーコンピュータと聞くと、「世界トップクラスの性能」「新型コロナウイルス研究における成果」といったイメージを持つ方も多いと思うが、スーパーコンピュータは明確な意図を持って活躍させる必要がある。そのため、単にすごいと思わせるだけでなく、「自分の分野でも『富岳』が使えるかも」と想像できる人を一人でも多く増やすことが重要なミッションのひとつとなっている。

近年はAIやメタバースなどソフトウェアの進化も日進月歩の勢いとなっており、「これをどう使いこなすか」という知見の重要性が高まっている。本イベントレポートを通じて、何かしらのヒントを得る方がいれば幸いだ。

デジタルツイン技術の進化により「産業用メタバース」が実現

大崎真孝氏

松岡聡氏(理化学研究所 計算科学研究センター長)、木村直人氏(文部科学省大臣官房審議官(研究振興局及び高等教育政策連携担当))の挨拶に続き、基調講演が行われた。スピーカーは米大手半導体メーカーNVIDIA(エヌビディア)日本代表兼米国本社副社長の大崎真孝氏。同社はGPU(画像処理装置)で有名だが、近年はHPCの開発、AI関連サービス、メタバース分野にも注力している。これまでにもフォトリアルな3D空間に工場や店舗などのデジタルツインを作成し、設計やシミュレーションなどを行える、いわば「産業用メタバース」とも言える開発プラットフォーム「NVIDIA Omniverse」や、インタラクティブな対話が可能なAIアバターなどを次々と発表している。

大崎氏はこれからスーパーコンピュータの活躍が期待される分野として、科学技術計算(シミュレーション)の進化、シミュレーションとAIの融合、エッジコンピューティングとのシステム化、量子コンピューティングの研究、デジタルツインの5つを挙げた。

以下、画像は各講演者のスライドから

この中でも特に同社の取り組みが進んでいるのがデジタルツインの分野だという。

例えば先述のOmniverseでのデジタルツイン構築としては、

・Amazonの物流倉庫の配置や配送オペレーションを最適化するためのレイアウト
・ベンツの製造工場設計
・英国原子力公社とマンチェスター大学による核融合反応のシミュレーション

さらに物理シミュレーションを行うためのAIフレームワーク「NVIDIA Modulus」との組み合わせとしては、

・独シーメンス社の風力発電所や工場の建設

といった事例もあり、現実と見紛うようなリアルな3D空間での作業環境や、不具合などを事前に発見し改善できるような環境を提供している。

大崎氏はこうした最先端事例を紹介し、「R-CCSをはじめ日本のアカデミアが培ってきた数々の科学技術とシミュレーションの資産が、デジタルツインによって産業界との協創関係を生み、新たな価値を生むことで、今後『富岳』を含めたHPCを拡張していくと確信しています」と語り講演を締めくくった。

「富岳」で何ができるのか。5人の研究者からの最前線レポート

続いて行われたのは、各分野の研究者たちが最新の研究成果を発表する「『富岳』NOW」

ここでは以下の5つの発表が行われた。それぞれ概要をお伝えする。

「富岳」の時代のHPCの産業応用と今後の展開
加藤千幸
東京大学生産技術研究所
革新的シミュレーション研究センター
センター長・教授

加藤千幸氏

流体工学などを専門とする加藤氏がHPCに期待するのは「試験の代替」の部分だと語る。具体的には自動車や船舶などを設計する際、ボディが風や海流などの影響をどのように受けるかを試作機や模型を作って実験を行うが、その度に膨大な費用と時間がかかっている。これをシミュレーションで実測に近い結果が出せれば、現実空間での実験をゼロにすることはなくとも、大幅な費用・時間コストの低減につながると期待しているという。

こうしたシミュレーションは、「京」の時代は計算完了まで数日かかっていたが、「富岳」の飛躍的な性能向上やアプリケーション、アルゴリズムの改良により数時間程度で済むケースも増えてきているという。

シミュレーションとデータの融合について
- 地震を例に -
市村強
東京大学地震研究所附属 計算地球科学研究センター センター長・教授

市村強氏

市村氏の研究テーマは地震。この分野では「過去に起きた地震や被害のデータ」は多数あるものの「今後起こりうる地震と被害の予測・シミュレーション」とを連携させるためには、シミュレーション時のパラメータをどう設定すべきかや、シミュレーションの精度を上げるために有限要素法を使いたいが昨今の計算機と親和性が低く時間がかかりすぎるなど、大きな課題が残っている。

しかし今後、HPCの発展によって実在の都市、あるいは地球全体のデジタルツインが実現すれば、こうした研究に役立てられるのではないかと期待しているという。

なお同氏は文科省が設置した「富岳」の成果創出プログラムにも参加しており、数多くの成果を上げている。

「富岳」が拓く創薬DXの未来
奥野恭史
理化学研究所計算科学研究センター HPC/AI 駆動型医薬プラットフォーム部門 部門長
京都大学 大学院医学研究科 教授

奥野恭史氏

奥野氏が取り組んでいるのは、創薬のためのAI技術やデータベース、医薬品開発プロセスから臨床試験までの各フェイズにおいて、「富岳」やAIを用いて開発を行う「HPC/AI駆動型医薬プラットフォーム」プロジェクト。

新しい医薬品が開発され、我々の手元に届くまでには10年以上の歳月と約1200億円もの投資が必要とされるが、(しかも成功確率は2.5万分の1以下)新型コロナウイルスによるパンデミックが発生してから、わずか1年でワクチンが開発され承認にまで至ったことは記憶に新しい。しかしながら、日本は自国製薬企業によるワクチン開発が間に合わず、膨大な税金が購入費として他国に流出することになってしまった。

日本の製薬企業は欧米の巨大製薬企業(メガファーマ)に本当に太刀打ちできないのか。スーパーコンピュータやAIを用いたDXを加速させ、研究期間を短縮させることはできないか。そのための研究・開発を行っているのが本プロジェクトである。

直近では「富岳」を用いた新型コロナウイルスの治療薬候補同定の研究(2020年)なども行いながら、「病気の原因タンパクは何なのか」「原因タンパクに効く薬物候補化合物は何なのか」といった主に創薬プロセスの前半部分を短縮させるべく、タンパク質の名前を入力するだけで、過去の実験データを学習したAIがタンパク質に結合する化合物を自動でデザインするシステムの開発も行っているという。

大規模サプライチェーンの
デジタルツイン実現への取り組み

井上寛康
兵庫県立大学大学院 情報科学研究科 教授 科学技術振興機構 さきがけ研究員

井上寛康氏

井上氏は2020年に「富岳」を活用し、新型コロナウイルスのパンデミック時に仮に東京都がロックダウンした場合、日本経済にどのような打撃を与えるかを予測、その結果はメディアでも話題となった。

パンデミック、自然災害、あるいは戦争などが起こると企業や工場が営業できずサプライチェーンが分断される。その被害は甚大となり、読者の皆さんの中にも多大な影響を被る人は少なくないだろう。

井上氏は、こうした被害を少しでも軽減すべく、複雑極まりないマクロなサプライチェーンの影響をシミュレーションできるデジタルツインの研究を行っている。具体的には

・時間・空間的に高精細なデータ取得
・逐次的にデータを取り込みながらモデルを更新するデータ同化技術

の進展が必要であると語った。

シミュレーションとインフォマティクスによる
新材料設計・探索

中嶋隆人
理化学研究所計算科学研究センター 量子系分子科学研究チーム チームリーダー

中嶋隆人氏

中嶋氏の研究テーマのひとつが、太陽電池材料や人工光合成材料のようなエネルギー材料の開発において、「富岳」を活用し実験に先行した新材料設計を実現することで、エネルギー・環境問題の解決に資することである。

スーパーコンピュータが進化し計算性能が上がるのに伴い、合成に先立って分子や材料の性能をシミュレーションで予測する技術の活用が有望視されるようになってきた。例えばさまざまな分子・材料に対して精度の高い量子化学シミュレーションに基づいた網羅的かつ、系統的なハイスループット・シミュレーションを実施することでデータベースを構築し、発現・動作原理に基づきスクリーニングすることで最適な分子・材料候補を提案できるのではないかとする。

一方、発現・動作原理が確立されていない場合は、シミュレーションだけで膨大な分子・材料の中から求める性質を与えうる化合物を見つけ出すことは未だ困難である。このような場合でも、実験による実測データと量子化学・分子動力学計算から得られた膨大なシミュレーションデータをインフォマティクス(情報科学)を使って分析すれば、未知の化合物の性質を予測することができ、より高性能・高機能な新しい分子・材料を発見することが可能となる。また求める性質に関連が高い物性が何かも見つけることが可能で、そこから発現・動作原理を確立することも可能になるという。

中嶋氏はこれまでにスーパーコンピュータを活用し、

・ハイスループット・シミュレーションを実施し、太陽電池の動作原理に基づいたスクリーニングにより、非鉛化のペロブスカイト太陽電池の新材料探索を実現
・シミュレーション、インフォマティクス、実験を三位一体として活用したバイオポリマー機能設計技術により短期間で高耐熱ポリマーを実証することに成功
・kMC(Kinetic Monte Carlo)法に基づき、高次構造やポリマー長,環境の影響をインフォマティクスにより考慮することで生分解性・海洋分解性プラの分解時間を予測する手法を開発

といった成果を上げてきた。今後も「富岳」の能力を最大限発揮できる理論とソフトウェアを開発していきたいとしている。

多くの人がHPCを使える環境を作らなければ「デジタル敗戦」が実現してしまう

次に行われたのは、パネルディスカッション「「富岳」EXPANDS」。登壇したのは以下の4名だ。

臼井宏典(プラナスソリューションズ株式会社 代表取締役社長)
松岡聡(理化学研究所 計算科学研究センター センター長)
村上敬亮(デジタル庁 統括官 国民向けサービスグループ グループ長)
モデレーター:クロサカタツヤ(株式会社 企 代表取締役)

松岡氏は「富岳」の開発責任者、臼井氏が率いるプラナスソリューションズはさくらインターネットの子会社で、民間企業としてスパコン導入ソリューションを提供する立場、そして村上氏はデジタル庁で国のDXを推進していく立場として登壇した。

本ディスカッションは副題に「将来の「ハイパフォーマンスコンピューティング(HPC)がインフラとなる社会」を見据えて」と付けられている。HPCがインフラとなる社会とは一体どのような状態を目指すのか。デジタル庁の村上氏が端的に説明する。

村上敬亮氏

「人口増加時代は、伸びる需要に対し供給側が強い立場にありましたが、人口減少時代にはそれが逆転します。バス停に乗客が並んで待つのでなく、乗客がいるところに車の方が迎えにいかなければビジネスが成り立ちません。しかも、人口減少に伴いエリア単位の需要密度はむしろ下がり、需要の嗜好性は多様化する。限られたドライバー、限られた車両台数で対応する供給側は大変です。これは製造や小売の現場も同じです。供給側の生産計画を需要が熱く見守るのではなく、ニューヨークの店舗で欠品が出たらすぐさま中国の工場に増産が始まるよう、供給側が需要に寄り添う努力をしなければ、売上も利益も伸びません。これからは、人が定める供給計画ではなく、需要がはじき出すデータが、生産活動、流通、販売のすべてを自動的にコントロールする時代になるでしょう。また、そのためには様々なプレーヤが保有する需要データを連携・活用するデータ連携基盤が必要になります。課題は、これを誰がお金を出して作るかがなかなか決められないことです。もし何もしなければGAFAを筆頭とする海外のテックジャイアントたちがデータも基盤も独占し、利益も産業構造決定権も独り占めをしてしまうでしょう。巷で言われる“デジタル敗戦”がますます深刻度を増してしまいます」

また、「我々の仕事や生活シーンの多くがインターネットとつながり、膨大なデータを生み出しています。そこで様々なデータがやり取りされ、ビッグデータを生み出していく。欧州はこれを「データスペース」と呼んでいますが、「データスペース」が供給側の事業活動を直接コントロールする経済、「データスペース・エコノミー」が始まります。そして、このデータスペースを支える最も重要な基盤技術の一つが、データの分析・活用を担うスーパーコンピュータでしょう」と語った。

HPCのインフラ化をさらに推進するためには何が必要なのか。モデレーターのクロサカ氏は「データリソースのオープン化だけではなく、『データを使って面白いことができそうだ』と思ってもらえるようにする、言い換えればHPCにつきまとう、ある種のとっつきにくさを減らす必要があるのではないかという課題がありますよね」と指摘する。

クロサカタツヤ氏

HPCへのとっつきにくさとは何か。その理由のひとつは企業が「富岳」を使おうと思っても申請と許可が必要であり、そのための枠も限られていることから「使いたくても使えない」という状況が生じてしまう。プラナスソリューションズの臼井氏も「そもそも実際に計算機実験ができる場所が限られすぎている、資金が潤沢な機関・企業しか使えないということもあります。また、扱える人間の育成という意味では大学生になっていきなり『スパコンが使えるよ』と言われても高校時代までに何も教育がない状態で使えるわけがない、という問題も大きいと思います」と語る。

理研の松岡氏も、高校生・高先生向けのスパコンコンテスト(Supercomputing Programing Contest)で「富岳」を使えるようにする、ASEANの学生向けプログラムを提供するなどと教育関連の取り組みも増やしてはいるとしつつも、臼井氏に同意する。

また、村上氏は「スーパーコンピュータを使うアイデアを思いつける人と、実際に動かせる技術者・研究者とのコラボレーションも増やしたいですね。省庁で最もスーパーコンピュータを活用しているのは気象庁で、自分たちで運用しています。ですが気象庁に計算機の理論に詳しい人材が多いのかといえばそういうわけではありません。つまり、スーパーコンピュータでも、わかりやすいユーザビリティがあればどんどん活用されていくということです」と語った。

ここでクロサカ氏が参加者からの質問を受け付けたところ、「スーパーコンピュータを誰でも使えるようにし、得られたデータもオープンに共有していくとなると、経済安全保障の観点から利用に腰が引けてしまう機関・企業も出てきてしまうのではないでしょうか」と声が上がった。

この質問に関して松岡氏は、「富岳」の利用は高さ(性能)と広さ(間口)を兼ね備えることが重要であると説く。もちろん経済安全保障的な側面を念頭に置くことは重要だが、しかしスーパーコンピュータを組み上げる部品調達も、サーバーやアプリケーションの利用も、日本単独でまかなうのは不可能と指摘し「価値観を共有できる友好国との連携も重要」と語る。

一方、村上氏も「敵対者にやられる心配をしていると何もできなくなってしまうので、“やられてしまった時にどう対応するか”を定めるしかないと思います。今はまだアクセルを踏み込む時期ではないでしょうか」と語る。

臼井宏典氏

「富岳」のクラウド化、クラウドの「富岳」化

では、「富岳」普及のために今後どんな手を打っていくのか。

松岡氏はその一例として、理化学研究所 計算科学研究センター内に2021年4月に設置した「富岳」Society5.0推進拠点を挙げる。これはノウハウを持つ各種機関や組織、民間企業と協働し大きなムーブメントを生み出すための取り組みだ。「こんなことに『富岳』が使えないか」というニーズの実現を手助けするだけでなく、必要であれば制度的課題をも解決するためのサポートも行うことが特徴だ。松岡氏は「そういったムーブメントを起こすためには「富岳」が1つあるだけでもダメで、社会的なプラットフォームとして広げる必要がある」と語る。

そしてこの日新たに、「富岳」で利用されるアプリケーションを米アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)のクラウド上で使えるようにする共同研究の取り組みも発表された。「富岳のクラウド化」「クラウドの富岳化」構想である。ハードとしての「富岳」を増やしていくのではなく、その機能やアプリケーションをより多くの場所で使えるようにしていく戦略だ。

「富岳」そのものが使えなくても、いわば「バーチャル富岳」として利用者が必要な機能だけを、より広く自由に使えるようにしていく取り組みである。

実現はもう少し先になるとはいえ、「HPCのインフラ化」に向けて一歩踏み出したと言えるこの状況を受け、今後さらに活用が広がるためには何が必要なのか。村上氏は「一言で言えば安さだと思います。SIベンダーはどうしてもこうした基盤の構築で利益を出そうと考えがちですが、そこが高ければ結局活用は広がらないと思います」と語る。

そして最後の参加者質問からの応答や、本シンポジウムのまとめとして松岡氏は「次世代の富岳(スーパーコンピュータ)のあり方」についても触れた。

「まだフィジビリティスタディも始まったばかりですしお話しできることは少ないですが、東京スカイツリーのような“高さ”ではなく、富士山のような“高さと幅”を目指すイメージです。富岳はかなり先進的な技術を多数投入していますが、『富岳NEXT』を作るにはさらに先進的な技術を使わなくてはいけないことも現時点でわかっていますし、かつプラットフォームにならなきゃいけない。日本発の技術として普及していくことも大事だと思っています」

松岡聡氏

「『富岳』NOW」で紹介されたように、「富岳」の稼働によって新たにできるようになったことは着実に増えつつあり、NVIDIAの大崎氏の講演にもあったように、その「できるようになったこと」が民間企業のサービスとして社会実装されつつある。

まだまだ乗り越えるべき課題は多いだろうが、少なくとも「この取り組みを進めていかなければいけない」という思いは登壇者たちの間で一致している。今後のさらなる発展に期待していきたい。