EVENT | 2021/08/13

日本政府は「デジタル監・伊藤穰一」に何を期待するのか【連載】高須正和の「テクノロジーから見える社会の変化」(14)

MITの生協で売られている「NERD PRIDE(オタクのプライド)」カップ。こうした既存の価値観への挑戦はMITの代名...

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デジタル庁は伊藤に何を創発させようとしているのだろう?

デジタル庁の仕事の内容は政府のDX推進、つまり各省庁のデジタル化を進めるためコンサルタント的に情報収集や提言を行うことであり、マイナンバーなどは自前でシステムを作って推進していく、と各種政府資料にある。

デジタル庁にはこれまで日本の省庁がやれなかったことの実現が期待されている。前例踏襲ではない。その意味での伊藤穰一、という起用は一部の合理性がある。

予測が難しいプロジェクトを、自分たちで概念実証(PoC)を繰り返し、そのときどきで多様な協力者と連携しながら進めるのは伊藤の得意分野かもしれない。彼の著書で掲げられるスローガンの一つ「地図よりコンパス」(はっきりした計画が建てられないようなプロジェクトでも、目的とする方向がしっかりしていれば、走りながら進めることができる)は、ひょっとしたら官公庁の中でも有効なのかもしれない。

一方でそうした氏のルール再定義や新しいやり方に、組織がちゃんとついていけるのかは要注目だ。

まず、MITメディアラボで伊藤の最大の役割だった資金調達は必要とされない。原資は日本の予算だ。だから、「ルール違反の金策」というまったく同じ不正が繰り返される心配はないとも言えるが、変革と不正の区別をちゃんとつけられるかは、もっとも気になるところだ。

個人やプロジェクト単位で挑戦した結果、ルールの枠を踏み越えることはしばしばある。そこは組織でバックアップして、ルール違反が常態化しないようにしたり、ルールそのものを見直したりすることが必要だろう。企業と監査役のような関係だ。

DXが進んでいないことだけでなく、情報公開やガバナンスにも不安のある日本政府は、その部分で健全さを示していけるだろうか。

MITは伊藤の後任になるメディアラボ所長として、もともとMIT教授の研究者でありNASAの副長官も勤めたデイヴァ・ニューマン教授を選出した。一度コンサバな人選に戻したと言う見方もできる。

デジタル庁が伊藤のまわりにどういうスタッフを配置して型破りの成果を再現するか。また、「これまでのルールに収まらないケース」と「不正」の区別をどのようにつけていくことで過ちを繰り返さないガバナンスを実現するのかは注目すべきだ。


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