印南敦史
作家、書評家
1962年東京生まれ。 広告代理店勤務時代に音楽ライターとなり、 音楽雑誌の編集長を経て独立。一般誌を中心に活動したのち、2012年8月より書評を書き始める。現在は「ライフハッカー[日本版]」「東洋経済オンライン」「ニューズウィーク日本版」「マイナビニュース」「サライ.JP」「WANI BOOKOUT」など複数のメディアに、月間40本以上の書評を寄稿。
大混乱の最中、一体何が起こっていたのかを語る貴重な証言
早いもので、中国の武漢で新型コロナウイルスが発生してから、早くも1年が経過してしまいました。世界全体の感染者が1億人を超え、多少の上限はあるものの、日本国内の感染が抑えられるかも見通しがつかないままです。
しかも現実問題として、医療の現場で奮闘している方々の姿はなかなか見えづらくもあります。だからこそ、無責任な主観や陰謀論などがあらぬ誤解を生み出したりもするのでしょう。
そんな中、現場での実体験を軸として「いま、なにが起きているのか?」をわかりやすく説明し続けてきた一人が、厚生労働省新型コロナウイルスクラスター対策班の中心メンバーだった西浦博氏(北海道大学教授、現・京都大学教授)。
ご存知のとおり、第一波が押し寄せていたころ、感染者数を確実に減らすためには人との接触を8割減らさなければならないと訴えたことから「8割おじさん」と呼ばれることになった人物です。
今回は、そんな西浦氏の著作『理論疫学者・西浦博の挑戦-新型コロナからいのちを守れ!』(西浦博 著、川端裕人 聞き手、中央公論新社)をご紹介したいと思います。
科学者としての立場から現実を直視し、最前線を走り抜けてきた氏の半年間を記録したノンフィクションです。
とはいっても、“科学者が書いたノンフィクション”であると単純にくくれるようなものではありません。なぜなら本人の中に、「新型コロナ研究が急速に進められる中、その状況を自分ひとりで書き切ることはできない」という思いがあったから。なにしろ刻一刻と状況が変化していくのですから、それは当然のことでしょう。
では、どのような手段を西浦氏は選んだのか?
ここが重要なポイントで、知人である作家の川端裕人氏(著作に伝染病パニック小説『エピデミック』があります)に聞き手を依頼し、Zoomを通じて状況を伝え続けたのです。そしてその内容を、川端氏がまとめたということ。
いかにも専門家然とした論文調の内容であったとしたら、読者はあっという間に置いてきぼりになってしまうでしょう。ところが西浦氏の語りを軸として、そこに川端氏が解説を加える話が形で進められていくため、あたかも会話が交わされているその場にいるようなリアリティを感じながら読み進めることができるのです。また、より詳細な補足として川端氏による19本ものコラムも収録されています。
具体的には、流行初期から第一波を乗り切るまで、2020年1月~6月ごろまでの体験が記されているわけですが、個人的には要所要所で「さすがは科学者だな」と感じました。
ただし、それは専門知識が豊富だというような当たり前すぎる話ではありません。そうではなく、西浦氏の話からは、専門家であるがゆえの精神的な余裕が伝わってくるのです。
予断を許さない状況下にあってもなお冷静さを失わず、(会話だからということもあるのでしょうけれど)スタッフの様子などについて、ときにはユーモアなどを交えながら話が進められるわけです。
したがって読者は、危機的な状況であることを認めつつも、冷静に読み進めることができるのです。そして読み終えたときには、現場でなにが行われてきたかについて、詳細を立体的に把握することができるーーそんな構造になっているということです。
とはいえもちろん、語られているのは専門的な医学の問題です。しかも西浦氏は意識的に、慌てることなく状況を判断することを読者に求めているようにも感じます。そのため(当然ではありますが)、サスペンスのような場面があるわけではありません。
むしろ、ただ刻々と、変化し続ける状況が描写され、そこに必要最低限の解説が加わるに過ぎないと表現することもできるでしょう。
ですから、もし「衝撃的な真実」などを求めて接したとしたら、物足りなさを感じることになるかもしれません。しかし、見逃すべきでない重要な点はまさにそこにあります。
そもそも、当時から現在に至るまで私たちを取り巻き続けている現実は、映画の類とは異なるということです。だからこそ、現実を落ち着いて受け入れなければならないのです。
そういう意味で、本書には価値があるということ。
余談ですが、少し前に「コロナは風邪だ」などと主張していた方々にこそ読んでいただきたいと思います。そうすれば、“風邪発言”がいかにナンセンスであるかということを実感できるはずですから。