猛暑を通り越して酷暑が続く8月某日、FINDERS編集長・米田が「全員でワーケーションしに行きます……!」と再び言い出した。
アウトドアと早起きにはめっぽう弱い、陰キャ揃いのFINDERS編集部員が静かにどよめく。向かう先は、東京都内で本土唯一の村・檜原村。
まだまだ残暑厳しく、アスファルトから照り返す熱気や湿気がしんどい季節に、都会で消耗しまくりの編集部員が、秘境・檜原村で感じたものとは?
取材・文:庄司真美 撮影:神保勇揮
新宿駅から約1時間弱の移動で、谷川のせせらぎと出会う
当日の集合は、朝9時にJR武蔵五日市駅。聞いたことも降りたこともない駅だが、JR新宿駅から8時少し前に中央線に乗って、途中、立川駅で乗り換えること約1時間。武蔵五日市駅前からバスで移動し、檜原村役場に到着したのは、大体9時20分くらいだった。
バスでの移動途中、かなり山道を上ってきたので、車窓からはいつの間にか山林や渓谷が見えてきた。これはもう仕事しに来たというより、すっかり遠足やドライブ気分。仕事気分が吹っ飛び、おやつでも持ってくればよかったなと後悔する始末。
本日お世話になる檜原村役場の職員を待つ間、役場併設のカフェから下を見下ろすと、なんと谷川のせせらぎが見えるではないか。一瞬、温泉旅館にでもやって来たような錯覚に陥った。
都心から約1時間半の移動で谷川を目の当たりにし、歓声が上がる編集部一同。
檜原村で唯一のゲストハウスは、元チームラボ社員が創設
そこから車で10分程度移動し、本日仕事の拠点としてお世話になる、檜原村初のイベントスペース併設のゲストハウス「へんぼり堂」へ。
へんぼり堂は、素泊まり1人3000円で宿泊でき、一軒丸ごと貸切っても3万円とリーズナブル。部屋は女性専用6名1室、男性専用4名1室の相部屋と2名個室があり、相部屋を貸し切ることも可能だ。
ということで、10時くらいからFINDERS編集部一同も仕事を開始。フリーWi-Fiやプロジェクターの貸し出しもあって、仕事や会議が快適に進められる環境が整っていた。
1階の玄関土間の上は吹き抜けになっていて、そこを見下ろす2階の廊下にもイスとテーブルがあり、個別の打ち合わせにも使えるスペースが。
東京唯一の村・檜原村に初めて作られたこちらの「へんぼり堂」だが、一体どんな人が運営しているのだろうか。ということで、運営者の鈴木健太郎さんに話を聞いた。
へんぼり堂を主宰する鈴木健太郎さん。
元はウルトラテクノロジスト集団としてグローバルに活躍する「チームラボ」の社員だった鈴木さん。チームラボにて“カタリスト”という肩書きで、さまざまな新規事業の立ち上げを経験した後、独立。最初に手がけたのが、檜原村でのゲストハウス「へんぼり堂」の立ち上げだったという。
「たまたまご縁があって、東京近郊で2万円くらいの家賃で借りられる古民家と出会ったのが、約6年前のこと。物件もロケーションもよかったし、東京で島をのぞけば唯一の村であるという点にも惹かれて即決で契約しました。へんぼり堂は宿の予約サイトなどにいっさい掲載していないため、利用者は、“檜原村に興味がある人”“へんぼり堂に興味がある人”“へんぼり堂の関係者とつながっている人”の3パターンしかありません。そもそも立ち上げ時に、檜原村の人とつながることで、ここを擬似的な故郷にしたいという思いがありました。そこで、村の人を主体とした地元の染物職人や大工さんによるイベントというよりは、村の人の暮らしの一部を切り取ったようなワークショップを開催してきました」(鈴木さん)
現在は都心からやって来るリピーターが増えて、ヘビーユーザーを中心としたイベントが増えているという。たとえば、あらゆる銘柄のビールを集めてみんなで楽しむ会、魚の卸業をする人が、あえて山村の檜原村に魚を持ち込んで、集落の人にふるまうといった趣旨で多目的に使われている。
都心近郊で、自然に囲まれたロケーションの「へんぼり堂」の可能性が広がっているようだ。さらに近年は、都内のIT企業やスタートアップの研修、ワーケーションとしての利用の問い合わせも増えているという。
都心では高級店でしか食べられない希少な鮎をランチでいただく
檜原村といえば、多摩川の支流である秋川上流に位置する。村の9割は森林で、澄んだ谷川が豊富のため、鮎の生育地としても知られている。檜原村では、村を上げて河川の活性・活用にも力を入れていて、鮎の放流も盛んだという。
訪れたのは、檜原村役場近くにある「たちばな家」。ということで、“清流の女王”ともいわれる鮎料理をいただくことに。
清流でとれた鮎は、くさみがなく淡白で滋味深い味わい。
年によっては雨量不足などで鮎が川を遡上できず、なかなか獲れないこともあるらしい。都心で鮎を食べたいとなると、高級和食店などでしか味わえないこともあり、かなり希少だ。レアな素材を身近で味わえるのも、ワーケーションならではの醍醐味だろう。
名物村長に直撃! 村の経済の起爆剤「ウッドスタート宣言」
檜原村役場では、この地で17年間村長として活躍する坂本義次村長にお話を聞く機会をいただいた。将来、全国の約半数の市町村が消滅する可能性があると言われているが、檜原村とて例外ではない。そうした背景もあって、出産・育児手当などを手厚くする対策を実施しているという。
5期連続で村長を務める檜原村の坂本義次村長。
「出産祝い金として、1人目は5万円、2人目は10万円、3人目が生まれたら20万円を支給しています。さらに、2年間はおむつ代、ミルク代の半分を村が負担しますし、保育料は2人目からは無料です。入学祝い金として、小・中学校入学時に3万円を支給するほか、通学用のバス運賃を全額、高校生の通学交通費は8割を村が負担します。それから、村独自の奨学金制度があって、条件付きですが返済不要です。他県に進学して卒業後、檜原村に戻り、たとえば1年住めば返済は1年間先送り、10年住めば10年間先送り。20年暮らせば返済不要というシステムです。ただし、上下水道費や保険料、税金などを滞納したら支給は取り消されます。檜原村は、まじめな村民をちゃんと大事にする村なのです」(坂本村長)
2014年からは村の93%を占める森林を有効活用し、経済効果を狙うための「ウッドスタート宣言」を発表。その具体的な取り組みについて聞いた。
「国産の木材加工は工程数が多くコストがかかるため、建設現場などではなかなか使われないのが現状。そこで、檜原産の木材をブランディングし、独自の付加価値をつけて発信できればと考えました。そうしないと、狭いシェアの中で全国の主要な林業地帯との競争には勝てません。その取り組みの一環として、今年の春には木材乾燥施設を創設しました。木材を乾燥させる工程に化石燃料を使わず、天然乾燥にこだわっています。それから現在、木でおもちゃを作る工房を建設中です。小さい頃から木のおもちゃに触れ、“木育”を通じて檜原ブランドの木材を発信していけたらと考えています」(坂本村長)
そのほか、東京・四谷のおもちゃ美術館に木のおもちゃを提供するコラボレーションをはじめ、ヒノキの軸と葉を加工したアロマオイルの販売、総ヒノキ造りのトイレなど、村長自ら積極的に檜原ブランドの木材をアピールして経済効果を狙っている。
檜原村に建てられた総ヒノキ造りのトイレ。建設費に6000万円かけたということでも話題に。東京23区の自治体からも問い合わせがあるという。
山村での新しい働き方を体現する「東京チェンソーズ」
村をあげて木育や森林の有効活用に注力する檜原村で、山仕事を請け負うベンチャー「東京チェンソーズ」代表取締役の青木亮輔さんにも話を聞くことができた。
檜原村木材産業協同組合代表理事。檜原村林業研究グループ「やまびこ会」役員で、「東京チェンソーズ」代表取締役の青木亮輔さん。
子どもの頃から自然と遊ぶのが好きだったという青木さんは、東京農業大学を卒業後、檜原村の森林組合で勤務し、理想の林業のあり方を求めて2006年に独立。檜原村で林業を営む意義やこれからのビジョンについて伺った。
「奥多摩、八王子、高尾などと比べると、檜原村は観光地化されていない分、素朴で全体的にきれいな村です。弊社では、“小さくて強い林業を作りたい”というビジョンがあって、最初にきっかけをいただいた檜原村でそれを実現したいという思いがありますね。その点、森林に恵まれた檜原村は、いろんな意味でまだまだ伸びしろがあります。村の人も移住者に対してオープンでウェルカムな雰囲気があって、近年は村営住宅がたくさん建てられています。もちろん、山の中なので決して便利とはいえませんが、都心は真夏の酷暑でも、檜原村では朝晩涼しくエアコンなしでも快適に過ごせます。今はアマゾンなどのECサイトもありますし、買い物の格差はほとんど感じません。
現在、働き方改革として、残業を減らそうとか、テレワークなどで通勤時間をなくそうといった議論がなされていますが、檜原村で暮らす身からすれば、仕事さえあれば通勤ラッシュもないし天国です。僕の場合、自然の中で遊ぶのが好きなので、玄関を開けたらそこには理想のアウトドアが広がっているわけです。震災時でも、ガソリンが手に入らず、一時的には困りましたが、水もあるし、冬になれば燃やす蒔もあるし、畑もあるので、暮らすためのインフラは整っていて、都心にいる時よりは不自由ではありませんでした」(青木さん)
ドイツを代表するおもちゃ村・ザイフェンのようなポジションを目指す
そもそも檜原村のウッドスタート宣言に関して、村長に働きかけたのが青木さんだった。
「檜原村では、これまで育林造林がメインだったところから、2014年くらいから木を利用するフェイズになってきました。とはいえ、木材市場では驚くほど安い値段でしか売れないのが現状です。もっと付加価値をつけて村の中で6次産業化するにあたり、今から家具や住宅業界に参入したり、木製の小物でおみやげを売ったりしても、シェアや単価を考えるとマネタイズは難しい。
そこで着目したのが、木のおもちゃでした。木のおもちゃの産地として有名なドイツ・ザイフェン村では、人口2000人中約半数の住民がおもちゃ作りに関わっていると言われています。おもちゃは、身内だけでなく友人などへのプレゼント需要もあるし、単価も高い。世界のおもちゃについて勉強すると、木のおもちゃの9割くらいは海外から輸入されている現状が見えてきました。
逆に言えば、日本は木のおもちゃに関してはたった数パーセントの自給率だからこそ、伸びしろがある。日本で木のおもちゃの産地を聞かれたとき、ドイツのザイフェン村のような場所が浮かばないということは、そのポジションが空いているということです。そこで、村長宛に93%の森林を生かすウッドスタート事業への取り組みについて手紙を書きました。西多摩のエリアではどこもやっていなかった新しい取り組みということもあって、興味を持っていただいた経緯があります」(青木さん)
村内にある檜原の木材を使った図書館。木の香りが充満する癒しの空間。
53名の児童が通う村で唯一の檜原小学校の内装は、壁、床、ロッカーの取手まで地元・檜原産の木材が使われている(写真は平成19年度施工の3年生教室)。
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今回も編集長の思いつきで始まった檜原村でのワーケーション。村を訪れ、現地でビジネスチャンスを探りながら奮闘する人たちの姿を見て、さまざまな刺激を受けた。
編集部員からは、「別の視点からライフスタイルを見つめなおしたくなった」「ビジネスチャンスの種はどんな条件、エリアにも転がっていることがわかった」「都会で思い詰めていた考えを一度リセットできた」といった感想が寄せられた。
檜原村には現状、村外から遊びに来た人がお金を落としていけるような商店や施設は少ない。ただそれだけに、さまざまなビジネスチャンスの伸びしろが感じられ、まだまだ発掘されていないともいえる。また、何に使われているかよくわからない税金と比べて、檜原村の村民思いの公共サービスの手厚さを思うと、なんだったら移住もまんざらでもないなんて思えてしまう。
9割は森林というエリアの特性上、行けば視界のほとんどは緑。わずか1時間半のトリップで、日頃はビルや道路などのグレーな空間に覆われて過ごすオフィスワーカーにとって新鮮なのは間違いない。仕事の片手間ではあったが、そんなさまざまな発見と気づき、リフレッシュ効果が得られたワーケーションであった。