神保慶政
映画監督
1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏や南アジアを担当。 海外と日本を往復する生活を送った後、映画製作を学び、2013年からフリーランスの映画監督として活動を開始。大阪市からの助成をもとに監督した初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」は2014年に劇場公開され、国内主要都市や海外の映画祭でも好評を得る。また、この映画がきっかけで2014年度第55回日本映画監督協会新人賞にノミネートされる。2016年、第一子の誕生を機に福岡に転居。アジアに活動の幅を広げ、2017年に韓国・釜山でオール韓国語、韓国人スタッフ・キャストで短編『憧れ』を監督。 現在、福岡と出身地の東京二カ所を拠点に、台湾・香港、イラン・シンガポールとの合作長編を準備中。
VRの未来を知るキーワードは「プレゼンス(実体感)」
新しい技術が導入されるとき常に問題となるのが、古きものが駆逐されていくことだ。VR(ヴァーチャル・リアリティ)が人間社会にもたらすインパクトも例外ではない。ピーター・ルービン『フューチャー・プレゼンス』(ハーパーコリンズ・ジャパン)は、VRがもたらす破壊と、その代わりに得られる未来像を描いている。
WIREDのライター兼エディターの著者は、本書の題名にも含まれているプレゼンス(実体感)というキーワードをもとにVRの様々な魅力を紹介していく。
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国際プレゼンス研究社会(妙な名前だ)は、3000語を費やしてプレゼンスとはなんぞやということを説明しているが、本当に大事なのはごく一部。それは「人間は自分がテクノロジーを利用していることをしっかり指摘できるが、あるレベルでは、もしくはある程度までは、人間の知覚はその情報を見過ごし、まるでテクノロジーを介した体験ではないように認識することがある」という部分だ。(P44)
プレゼンスは没入感と関わり深い。たとえば超高層ビル屋上のへりを歩いているVR映像を自宅のリビングで観ているとして、落ちそうになったとき思わずヒヤッとしてしまうくらい引き込まれる場合はプレゼンスがあるということで、そうしたVRは脳を騙して肉体的な反応を引き起こす力がある。
筆者は韓国の映画祭に参加した際に、医療用のVR(身体が不自由な人のために空を飛んでいるコンテンツをつくるなど)の企画説明を受けたことがあり、その用途に感心したが、そうしたVRをつくることは既に可能なところまで技術は発展しているという。VRがショールーム代わりに使われたり、手術など先端技術に使われたりしている一方で、VRのプレゼンスが持つパワーによって人と人との距離感・関係性が破壊されてしまうことも危惧されている。どんな技術にも一長一短があるが、VRの場合も例外にもれず既存の価値観との相克が普及の鍵となっている。
映画は感情移入、VRは感情受容
没入感は従来の映画(特にIMAXなどの大スクリーン映像や3D映像)でもある程度得ることができたし、共感をもとに登場人物の気持ちやストーリーの流れに寄り添うことは映画の鑑賞方法として一般的だ。これは俗に感情移入といわれるが、VRがもたらす新たな映像体験による感情移入はより深く多層的なものになるという。キーワードは「親密さ」だ。
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共感では、自分自身の体験は参考としていったん脇に置き、ほかの誰かの体験に自分自身を投影する。一方で親密さの土台にあるのは感じる行為だ。ほかの人やものとつながることはあっても、その行為の基盤は自分の(あるいは自分たちの)気持ちになる。(P116)
映画(映像)は1895年にフランスで初めて上映され、それから約120年をかけてゆっくりと進化し続けてきた。その歴史を礎にして、VRは急激に進化することが予測されているという。
従来の映画は、登場人物になったような気持ちになることが鑑賞の醍醐味だった。VRは「登場人物の気持ちになる」ことだけにとどまらず、その親密さによって「登場人物になる」ことを可能にしてしまうのだ。VR鑑賞体験の特徴は、ヨガのように環境・身体とのつながりを感じるようになることだという。
電車に乗りながらストリーミングで映画や動画を観ることがもはや当たり前となったいま、PCやスマホで映画を観るときに環境をコントロールしておかないとチャットやSNSの通知で邪魔が入る可能性が高い。そして、映画館の暗闇で約2時間座ったままでいることのハードルは高くなった。
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一生かかっても読みきれない、観きれない量の本や映画があるのに、それでもぼくたちはそのすべてを読んだり観たりしたがる。それなのに実際に読んだり観たりするときは“ながら”が多く、その世界に集中しきれない。(P127)
VRの親密さは、鑑賞者を「登場人物にする」ことで、そうした情報から自ずとシャットアウトし、違う次元の鑑賞体験を我々にもたらす。書中で、身体感覚を自覚する「内受容」という心理学用語が紹介されているが、映像体験において観客は感情を「移入」するのではなく「受容」するように今後なっていくのだろう。
将来的に、VRは鑑賞体験ではなく日常になる
本書はVRを最先端の技術として紹介するだけでなく、さらに深く、倫理的な点まで検証を行っている。そのひとつは、VRで観たり聞いたりしたことは自身の体験・記憶として扱ってよいのかという命題だ。
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ヴァーチャル空間で目に見えるもの、聞こえてくる音、場合によっては触れた感触までが、実際の体験と同じレベルのものとして記憶される。
VRでこうしたことが可能になったせいで、記憶に関する研究の根本的な考え方が覆され始めている。(P189)
VRの鑑賞体験は、現実世界での行動や人の考え方にどのような影響を与えるのか? 実験として、VRでスーパーヒーローとなって空を飛ぶ映像を鑑賞したあとに、実験スタッフが鉛筆をわざと落とすと、被験者がその鉛筆を拾う確率が高めになるという結果が観察されたそうだ。同様のことは2Dか3Dのヒーロー映画を観たあとでも起こりそうではあるが、たとえばVRで強烈な鑑賞体験をした後に、その影響が色濃くみられる夢を見るようなことがある場合、VRによって私たちの潜在意識や無意識下の脳活動に大きな変化がもたらされる可能性がある。
体験・記憶が変われば、当然行動が変わる。VRが人と人とのコミュニケーションに何かしらの影響を及ぼすことは、SNSがもたらした変化を考えると、非常に可能性が高いといえるだろう。本書によると、フェイスブック社は2016年にVRソーシャル・アプリを専門とするチームを作ったそうだ。
予想されることは、「日常」という言葉が示す範囲が変わる、つまりVRを観ている時間が多くの人にとって日常のものとしてとらえられる可能性が高いということだ。プラスと捉えるべきかマイナスと捉えるべきか感覚がわかれる例として愛・性についての事柄が本書では紹介されており、VR空間で会って現実では会わないという恋愛やVR結婚式の是非、既に日本でも普及しはじめているVRポルノによって「普通のセックス」が減少していくという懸念があるという。
最後に、訳者による「ヴァーチャル」という言葉の説明から、より発展したVRが広く世の中に普及した場合、その鑑賞体験は現実に限りなく近いものになる可能性が高いことを強調してお伝えしておきたい。
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英語の“virtual”の語義は「事実上の、実質的な」で、つまりVRとは「仮に現実だと想うもの」というよりは、「本質的に現実と同じもの」といったニュアンスだ。だからVRの訳としては「実質現実」あたりが本来はふさわしいはずだ。(P330)
ヘッドセットの中にもうひとつの現実がうまれる(ヘッドセットは将来的に不要になることも当然予想されており、その未来像も本書に紹介されている)。すこし怖いようで、やはりワクワクする新しい世界の可能性をぜひ確認してみてほしい。