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カミロボをご存知だろうか。造形師・安居智博さんが小学生の頃から作り続けてきたオリジナルの紙製ロボット「カミロボ」と、彼らがプロレスを通じ織りなすストーリーが2000年代に発表され、話題になった。
広告企画制作などを手がける「バタフライ・ストローク」青木克憲さんのディレクションもあり、イベント・展示会、グッズ販売など広く展開。MoMAでもカミロボが発売されるなど、そのクリエイティブは海外でも評価された。
カミロボは2012年で30周年を迎え、2014年にはそれを記念した展覧会も開かれた。今でもカミロボ作りのワークショップが行われるなど、人気は根強い。
元々は安居さんの一人遊びだったものが、多くの人の遊びとして広がっている。なかなかこんなことってないんじゃないだろうか?
最近、Twitterで安居さんの作品をまた見かけるようになった。菓子「ホワイトロリータ」の包み紙で作ったロボや、羊毛フェルトの特撮ヒーロー。その作品にはどこかカミロボ要素を感じる。安居さんが作るロボのフォルムはかっこよく、そのアイデアにワクワクさせられる。
これからのカミロボはどうなっていくのか。造形師の仕事はどう変化していっているのか。現在は京都で活動する安居さんに聞いた。
聞き手・文・構成:平田提 写真:黒川直樹
安居智博
造形師
滋賀県生まれ。京都市在住。大学卒業後、東京に上京しレインボー造型企画に入社。特撮ヒーローの造形などに関わる。その後フリーでフィギュアの原型製作や、マスク制作、キャラクターデザインなどを行う。2000年代に発表した個人制作の「カミロボ」が高い評価を得、 2006年には『ニューズウィーク』誌「世界が尊敬する日本人100」にも選出される。
自分ですべて動かしたくて、カミロボが生まれた
― ― 一人遊びって多くの人が経験することだと思います。僕も「ガン消し」や姉のお下がりの「シルバニアファミリー」でやってました……。安居さんがすごいのは、オリジナルのカミロボを作って遊んでいたことです。
安居:小学校の時、既に「自分で作ろう」って考え方をしてました。作ることが楽しかったからでしょうね。『ウルトラマン』や『ガンダム』のおもちゃでも遊びましたが、自分は初めから存在する設定に乗っかって遊ぶのが苦手で。自分でキャラクターを作れば、自分の思い通りに動かして遊べますから。
― ― これは初期のカミロボですか?
安居:右の2つが一番最初、小学2年生の時に作ったカミロボです。
― ― すごい! 始祖ですね。
安居:左のが3年生の時ので、一番最初に針金の締め方を編み出したやつです。
― ― 「ヤスイ締め(注1)」ですね。
安居:そうです。もっと動くようにしたい、ヒジが動くように……といじくるうちにこのやり方を発見しました。
― ― もうこれはガチのアクションフィギュアですね。
安居:紙製だから両手に持って戦わせた時にギュッ!って歪んだり、技を受けた時にバーン!って衝撃を吸収したり。戦いと修理を重ねるごとに紙がこなれて、動きがどんどん良くなって成長していく。「これはリアルな戦いだ!」と、自分が作り出した遊びの世界に没頭していきました。
注1:ヤスイ締め……安居さんがカミロボ制作の中で開発した、関節を動かしジョイントさせる針金の締め方。
ミクロマン、タイガーマスクのかっこよさ
― ― 安居さんはどういうカルチャーに影響を受けたんですか?
安居:ロボを動かす魅力や、オリジナルの世界観は『ミクロマン』や『ロボダッチ』ですね。テレビ番組も流れていない、オリジナルキャラクターの魅力がありました。デザインも垢抜けてましたしね。
安居:あとはやっぱり『機動戦士ガンダム』。ガンプラブーム直撃世代なんで。
― ― ですよね。『キン肉マン』はどうですか?
安居:よく聞かれるんですけど、どっぷりハマっていたのは僕らの1つ下の世代で、むしろ僕は実際のプロレスに夢中だったんです。最初はプロレスって怖い世界だったんですが、初代タイガーマスクが出てきた時に、大好きだった変身ヒーローの世界と重なったんですよね。その時、プロレスの仕組みの面白さにも気づいたんです。ヒーローと怪獣は戦ったら、怪獣はその回で死ぬことが多いですよね。
― ― 確かに。
安居:でもプロレスは勝敗をつけるだけなので、人物は死ぬことはなくストーリーは続いて行くんですよね。その魅力にやられました。
― ― 負けたら負けたで因縁を持ってリベンジマッチとか。
安居:カミロボ遊びをプロレスの設定にしたのが、長続きした理由だと思います。プロレスは明確に正義と悪に分かれるわけでもないんですよね。昨日敵対してたやつが次の日仲間になったりとか。そういうのもひっくるめて色んな方向に話が展開していく感じが好きでしたね。
世に出るカミロボ。内面を出す恐怖も
― ― 小2からずっとカミロボ遊びを一人でずっと続けられていたんですよね。バタフライ・ストロークの青木さんにお話したきっかけってなんだったんですか?
安居:子供の時から基本的に人には見せないようにしてたんです。恥ずかしいから。でも「この人には見せてもいいかな」っていう人は年代ごとに現れたんですね。そうすると、もう一段階仲良くなれたりして。
広く知られるきっかけになった、カミロボプロレスのファイターたち。中央右の赤いカミロボがバードマン。
安居:ある時、青木さんの企画の造形を、僕が担当することになったんです。広告写真や、ノベルティグッズの原型製作の仕事です。アートディレクターにお会いするのは青木さんが初めてで、「この人にカミロボを見せたらどんなリアクションが返ってくるかな?」と興味がありました。
― ― どんな反応だったんですか?
安居:その時は「へー」「へー」って感じで(笑)。でも後日「安居くんのアレ、本にしたり発表したりしてみない?」と連絡が来て。ただ、僕もお見せはしたけど売り込んだわけじゃなく、発表するのが良いか分からなくて、戸惑いはありました。
― ― それまでは一人遊びだったわけですもんね。
安居:すごく怖かったですね、内面を外に出していくことが。「気持ち悪がられるんじゃないか」が半分。あと半分は、もっとクールでスタイリッシュな作品で世に出るのをイメージしてたのに、こんな恥ずかしい物で出るのかという思い(笑)。でも、自分の作品を発表するのって、内面を見せる恥ずかしいことなんだなというのを教えられた感じでした。
― ― 初めてカミロボを知った時、オリジナルで全部作るなんて、一人遊びの極地だ!と感動しました。ヘンリー・ダーガー(注2)の作品は死後に発見されたわけで、安居さんの場合はカミロボのウェブサイトで子供たちが作り方を質問したり、ワークショップをやったり。一人遊びが他の人の遊びに伝播していく、その広がり方が面白いですよね。
注2:ヘンリー・ダーガー……半世紀以上人知れず描き続けた、ヴィヴィアン・ガールズという少女たちが戦う絵物語『非現実の王国で』が死後、世に出される。アウトサイダー・アートの巨匠とも言われる。
安居:そこはやっぱり青木さんが目をつけられたからでしょうね。カミロボを発表した直後は「自分もやってました」って人がワーッと出てきましたから。
― ― カミングアウトですね。
安居:(笑)。
カミロボ30周年で肩の荷が下りた
― ― カミロボのお話、現在は続いてないんですか?
安居:2014年にカミロボ30周年展覧会という、最終回みたいな、すごく大きな写真物語を作ったんです。
バードマン(赤)とマドロネックサン(黄色)。安居氏がこの後語るように、立場が明確に違うこの2人は戦いを繰り広げていく。
カミロボを発表して僕が思い悩んだことと、2体のカミロボの戦いとを同調させる話の作り方をしています。発表をよく思ってないカミロボのリーダー格「マドロネックサン」と、表側に立った広告塔のカミロボ「バードマン」、絶対に交わらなかった2人の話です。それを作り終えて、肩の荷が下りた感じがしたんです。
― ― これから新しいカミロボの展開はないんでしょうか?
安居:最終回があまりにも壮大すぎたので……ただ自分の中で、ここに来て新たなテーマが見え始めて来ているんです。
― ― それは知りたいですね!
安居:普段の造形の仕事ではデジタル造形など、パソコンでものを作る仕事も増えてきました。そんな中で、カミロボプロレス界に未知なるテクノロジーが押し寄せてくるのも面白いかもなと思ったんです。そういう存在と、選手としてピークを過ぎたバードマンたちが向き合ったときにどんな化学変化が起きるのか。
― ― それはアツいですね! コンビニプリント団体とか、3Dプリンタ軍とか……。
安居:そうですね。新しいものって年を重ねるとちょっとした嫌悪感とともにやって来るところがあるじゃないですか。この感じをカミロボプロレスの遊びの中でやってみたらどうなるかな、と(笑)。
SNSでの作品発表が仕事につながった
― ― 最近SNSに上げられている、お菓子の包み紙やトランプで作ったカミロボや異素材のカミロボはどういう流れで生まれたんですか?
ルマンド、ホワイトロリータ、高島屋のショッピングバッグ、ワレモノシール、トランプなどで出来たカミロボたち
安居:カミロボ30周年の仕事を終えたのと、SNSを始めたのがきっかけでした。
「Twitterをやった方がいい」と周りによく言われて、最初は躊躇してたんですけど、始めたら考え方が少し変わってきたんですね。その頃、カミロボの構造について改めて考えたんです。カミロボの半分は立体で、半分は絵。普通のプラモデルやフィギュアは立体の凹凸でそのデザインが構築されていますが、カミロボは最低限の部分だけ立体で、あとは絵でできているんです。
― ― なるほど! 初期のセガサターン、プレイステーションのゲームのような、カクカクのポリゴンモデルにテクスチャを載せたようなイメージですね。
安居:そうですね。着物みたいだな、とも思います。平面に絵が描いてあり、着たときに立体的な表情がつく。そんな感じで一つの造形物の中で平面の要素と立体の要素が明確に分かれているのであれば、表面に既存の絵や写真を入れることもできるんじゃないかと考えました。
― ― フランチャイズですね。
安居:そうですね(笑)。
― ― 初心者マークやサンダルなどでもカミロボを作られてましたよね。
安居:こいつらですね。
カミロボ異素材軍団。初心者マーク「ワカバー」、じょうろカミロボ「ミズヤリー」、便所サンダルカミロボ「ベンサンダー」、灯油ポンプカミロボ「シュポシュポン」、自転車タイヤカミロボ「ツール・ド・フランケン」、タレビンカミロボ「大醤(しょう)軍」。
― ― カッコいい! このフォルムと存在感がたまらないですね。そして全部「ヤスイ締め」なんですね!
安居:お菓子のパッケージなどの「プリント柄カミロボ」は立体/平面の発想から生まれましたが、「素材カミロボ」はヤスイ締めの可能性を広げた作品です。ヤスイ締めの関節可動は、接着できない素材を接合していくのにも使えるな、と気づいて。
― ― 紙以外でもカミロボができる。
安居:カミロボっていうのは材料の話じゃなくて、構造の話なんじゃないかと思ったんですね。
― ― 面白いですね。ブルボンのビスケット総選挙でカミロボを作られてましたね。
安居:そうなんです。最初は勝手に作ってSNSにアップしてたんですけど……こんな風に仕事が来ることあるのか、と驚きでしたね。
母が作ってくれた「勇者ライディーンの座布団」が原点
― ― 羊毛フェルトでの作品も発表されてますね。
安居:羊毛フェルトの作品を初めて見て、作り方を知った時、直感的に「使える!」と思ったんです。自分の好きなキャラクターを作れるんじゃないかと。
― ― 可愛らしいですよね。本来は出会わなさそうなテーマと素材をつなげられるんですね。
安居:カミロボも羊毛フェルトも、プラモデルに紙を貼ってみるとかも、そんなに違うことをやってるつもりはないんです。
― ― 素材感のギャップを持たせるってことですよね。
安居:それはずっと昔から気になってましたね。幼少の頃に母親が座布団に『勇者ライディ-ン』の刺繍をしてくれたんですけど……今手に持っているこれです。
― ―おお! これは可愛らしいですね。お母様、すごい!
安居:最近この座布団を思い出して「硬そうなデザインを柔らかい素材で表現する」原点はこれだな、と改めて思いました。柔らかい素材で表現した時の、ちょっとくたっとした人間味のようなものを、自分はかっこいいと感じるんだと思います。
カミロボと、これから
― ― カミロボの30周年の展覧会を終えられた時、「肩の荷が下りた」とおっしゃってましたね。一人遊びだった世界を、公に向けた物語として表現したからこそご自身のライフワークに良い区切りがつけられたんじゃないかなと思いました。
安居:そうですね。自分の中では、最初はカミロボが受け入れられていくことに対してどう自分は振る舞うべきなのかずっと戸惑いがありました。何となく自分は動物園の檻の中にいるような感覚があって。仕事にしたいと考えてやり始めたことじゃなくて、小学生が直感で始めたことですからね。でも、カミロボのおかげで他の仕事にもつながったので、今は本当に感謝してます。自分がカミロボを作ったんだけど、もう別人格というか、カミロボに助けられることが多々あるな、と思っています。
― ― ご自身が好きな形を突き詰めていったから、今があるんでしょうね。今後はどういう活動をされていきたいですか?
安居:カミロボに関しては、さっき言ったように新しく自分が知った知識やテクノロジーと、カミロボをつなげていきたいですね。個人制作については、料理の実験、新しいレシピを作くってる感覚なんです。「あれとこれを混ぜたらどうなるかな」と考えていじくるのが楽しい。それは仕事とは関係なく、ずっとやっていきたいと思います。奇をてらわずとも、自分の中にある要素をもっとうまく強く出すというか。
― ― 安居さんのされていることは編集に近いなと思いました。誰と誰を新しく対談で組むかなとか、異要素のかけ合わせ方が新しい。その新しさにみんな惹かれて、アイデアを触発されるんじゃないかなと。お話、ありがとうございました!