真ん中に小さく写っているのが著者の山出
『混浴温泉世界』『国東半島芸術祭』『in BEPPU』などアートフェスティバルの企画・運営や地域産品のプロデュース、企業へのコンサルタント業務など、アートやクリエイティブを軸にさまざまな活動を展開するBEPPU PROJECT。その発起人であり、代表理事の山出淳也が、アートと地域を接続する活動について語り、よりよい未来を考える連載。
第2回目は、地方の観光都市である別府市において、なぜBEPPU PROJECTの活動が生まれたのかをご紹介します。
構成:田島怜子(BEPPU PROJECT)
山出淳也
NPO法人 BEPPU PROJECT 代表理事 / アーティスト
国内外でのアーティストとしての活動を経て、2005年に地域や多様な団体との連携による国際展開催を目指しBEPPU PROJECTを立ち上げる。別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」総合プロデューサー(2009、2012、2015年)、「国東半島芸術祭」総合ディレクター(2014年)、「in BEPPU」総合プロデューサー(2016年~)、文化庁 第14期~16期文化政策部会 文化審議会委員、グッドデザイン賞審査員・フォーカスイシュー部門ディレクター(2019年~)。
平成20年度 芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞(芸術振興部門)。
世界中のホテルと美術館を往復するだけの毎日。そして9.11
僕は高校卒業と同時にアーティストとして活動を始めました。20代後半から海外で仕事する機会が増え、2000年から1年間、ニューヨークのPS1というギャラリーが主催する、インターナショナルスタジオプログラムに参加しました。
大分の片田舎からニューヨークに行った僕は「世界の中心はここなのか」と思うほどでした。いつも多くの客で溢れかえる著名な美術館やギャラリーが多いマンハッタンに住み、「ああ、この街にはアーティストが活躍できる場所がたくさんあるんだな、羨ましいな」と感じました。
当時はニューヨークに住んでいたとは言っても、アメリカ国内やヨーロッパ、南米、アジアなど、さまざまな国でのプロジェクトに参加し、1つずつこなすことで精一杯の日々でした。1年間の滞在期間が終わる頃、メキシコでのプロジェクトに関わっていた僕は、ニューヨークを経由して台湾に向かう飛行機に乗りました。それは2001年9月11日の午前8時のことでした。そのとき、機内から見たワールドトレードセンターの姿は、いまでも忘れることができません。飛行機はその後アラスカに着陸、僕は予定していなかったその町で3日ほど過ごすことになりました。避難です。つまり、アメリカ同時多発テロが起きた日だったのです。
その背景に何があったのか、僕にはよくわかりません。しかし、イデオロギーが衝突し合うこの世の中で、武器を持たず違いをそのままに認め合える新しい世界を実現することはできないのだろうかと、その時考えたことをたまに思い出します。
その後僕はベルリン滞在を経て、パリに引っ越しました。
しかし、相変わらず展覧会出品に追われ、世界中を飛び回りながらホテルと美術館を往復するだけの毎日では、訪れた街のことなど知ることはできません。そんな日々に疲れを感じていたのか、もっと地に足がついた活動がしたいと思うようになっていました。
見出し:「お客様が1人でもいらっしゃれば必ずツアーを催行するのでお気軽にご参加ください」
そんなある日、たまたまインターネットで新聞記事を読み、大分県別府市で市民がガイドとなり、まちあるきを実施しているということを知ったのです。
別府は源泉数2200本以上、毎分の湧出量が約8300ℓ、ともに全国一を誇る温泉観光地です。日本の近代化とともに発展したこの町には、たくさんの温泉施設があります。その代表とも言えるのが、竹瓦温泉です。別府駅からほど近い場所にあるレトロなこの建物は、観光客にも人気のスポットです。
1879年(明治12年)から続く竹瓦温泉。現在の建物は1938年(昭和13年)に完成したもので、2004年に登録有形文化財に、09年に近代化産業遺産に認定されている
阪神大震災以降、古い建物の耐震補強を見直すためのさまざまな政策がとられました。別府も例外ではなく、この竹瓦温泉も老朽化を理由にコンクリートの建物に建て替える計画が上がったそうです。
竹瓦温泉は観光客に人気の温泉施設ではありますが、地域住民も日常的に通う場所です。毎日の利用者にとっては、新しい建物に生まれ変わることはもしかしたら嬉しいことだったかもしれません。
しかし、観光客の声を直に聞くことができる観光関係者たちは、この建物の存続を強く望みました。彼らは一度作った建物を壊すことは簡単だけれど、再建するのはとても難しいということを知っていたのです。そんな状況の中、別府市で開催されたある勉強会で、彼らは当時イギリスで興っていた「トラスト運動」のことを知ります。
「市民自らが地域の歴史や価値について学び、多くの人たちとそれを共有することが大切」
「建物の価値が多くの人に知られれば、簡単には壊せなくなるだろう」
このような考えのもとに、市民有志で勉強会を継続し、路地裏散策や地域資源を活用したコミュニティ活動などまちづくり活動に発展していったのだそうです。
路地裏散策の様子
僕はその新聞記事を読んで、とても強く心が動かされました。なかでも印象的だったのは「お客様が1人でもいらっしゃれば必ずツアーを催行するのでお気軽にご参加ください」という一文です。
団体観光客ばかりの別府に1人でおとずれる人がいるのだろうか。1人へのサービスって非効率ではないのか。なぜこんなサービスが生まれたのだろうか。興味と少し意地悪ないたずら心で、僕はパリから別府市役所に電話しました。
電話口で対応してくれた担当者は「とにかく一度体験してほしい」と言いました。その口調に彼の熱意と真摯さを感じました。僕は、与えられるのではなく、自分たちが必要だと思うことを生み出すために、自ら学び、実践する彼らに会わなければ、日本に帰らなければと強く思いました。
すると同時に、今から数十年前に体験した、別府の町の記憶が蘇ってきました。
僕が子どもの頃、うちの家族は盆や正月に親戚と別府に集まるのが恒例でした。当時の別府は浴衣姿の観光客が町を闊歩し、まっすぐ歩けないほどたくさんの人で賑わっていました。僕ら子どもたちは宿で食事を終えると、商店街のおもちゃ屋に連れていってもらえるのが何よりも楽しみでした。
町の賑わいは当時とは変わってしまったかもしれないけれど、別府の魅力はずっと変わっていないはずです。僕がワクワクしたあの町の風景をアーティスト仲間に見せたい。きっと彼らは別府の風景からインスピレーションを得て創作意欲が湧くに違いない。そうして生まれた作品を市民や観光客に観てもらえば、それは別府にしかない、新しい魅力になる。芸術祭を開催すればそれが実現できるのではないか。そう考え、記事を読んでから1年後に僕は帰国しました。
クリエイティビティとは、何かを作り出す力ではなく見出す力
帰国してまず驚いたのが、外国人の多さでした。2000年に立命館アジア太平洋大学が開学し、多くの留学生が住む別府は、人口当たりの外国人居住率が国内でも上位です。
また、子どもの頃は気づかなかった特徴に路地の多さがあります。別府の町は空襲を受けなかったので、昔ながらの路地構造が残っているのです。
しかし最も驚いたのは、子どもの頃に憧れた商店街のシャッターが固く閉まっていたことでした。日中商店街を歩く人の姿はほとんど見られず、閑散としたシャッター通りへと変わっていたのです。子どもの頃毎年訪れるのを楽しみにしていたおもちゃ屋も姿を消していました。
また、アート関係の先輩方からは「芸術祭なら湯布院でするべきだ」「たくさん人が来ているところで始めるべきだ」「美術館やギャラリーがない町でどうやって展示を行うのか?」と助言してくれました。
別府には、ニューヨークやパリと違って美術館やギャラリーなどの、アーティストが発表するために用意された場所はありません。そのことに改めて気がつき、僕は途方に暮れました。
2004年秋に帰国し、2005年春にBEPPU PROJECTを立ち上げ、共に夢を見たいと願う仲間ができました。別府のまちづくりの先輩方からは町の歴史について教えていただき、書物には出てこない地域の魅力を紹介していただきました。本当に多くの方からさまざまなアドバイスを受け、学ぶ日々でした。
そんななか、皆さんから必ず出てくる質問がありました。それは「アートとは何か?」です。地域の方々や仲間たちと、毎日のようにその根源的な問いについて考え、おぼろげながらも自分たちなりの言葉が浮かんできました。それは「アートとは、今、目の前に広がる事象について別の見方があることに気がついたり、異なる考え方を知るための媒体である」ということです。
その媒介者である現代に生きるアーティストは、これまで自分たちが当たり前だと感じていたことを疑い、物事の本質を見出そうとします。美とは何か、世界とは何かについて日々考え、それを視覚化します。
どこから見るかによって物事の本質は変わる。
そう考えたら、この町の歴史も町並みもシャッター街の風景でさえも、この町の魅力となる可能性を持った資源なのではないかとすら思えてきました。
2005年ごろの商店街
ニューヨークやパリは大都会です。たくさんの店や施設があり、いろんなサービスや楽しみ方が提供されます。アーティストがホワイトキューブで発表することが必要であれば、その空間は豊富にあります。
一方この別府はどうだろうか。アーティストが作品発表する場所は、美術館じゃなければならないのだろうか?
アートとは何かを考える過程で、自分たちの視点や目的を変える、考え方次第で、別府は手つかずの資源が豊富にある町へと変わることに気がつきました。余白や、関わりしろがたくさん残されている町だったのです。
あらかじめ用意された場所ではなく、異なる視点やクリエイティビティによって空間を別の価値に転用することで、まだ見ぬ可能性を引き出すことができます。さらに言うならば、より場所性と結びついた、ここでしか実現し得ない強度のあるプロジェクトが生まれるかもしれない。
そう信じてBEPPU PROJECTの活動は始まりました。
別府にはたくさんの公共温泉があり、基本的にその2階は公民館として活用されています。地域住民・コミュニティの拠り所にもなっています。
地域の方も観光客も同じお湯を共有するように、外と内の関係性が緩やかに繋がっているのが温泉という場なのではないでしょうか。高度にシステム化されていき、他者との接触を減らしていく都市型の環境において、このような環境は、どんどん少なくなっていくでしょう。しかし、だからこそ生まれるプロジェクトもあると思うのです。
つまり僕は、この場所の「特異性」を条件とする在り方こそが何よりも大切であり、それはローカルの特権でもあると考えているのです。別府にはホワイトキューブはないけれど、超個性的な背景を持つ空間がたくさんあります。多くの人々や多様な文化が流入してきた港町であり、地方の観光地だからなのか、できることの限界ラインが緩やかです。
溢れるほどの人で賑わっていないからこそ、より直接的に町に関わることができます。このような特異性を活かせば、別府はきっとニューヨークやパリとは異なる光を放ち得るでしょう。
地方の行政の方々とお仕事をすると、よく「観光資源もないしコンビニもない。遊ぶところもない。都会の人はこんな町に興味を持ちませんよ」と言われることがあります。でも、町の灯がないということは、その土地には夜本来の暗さがあり、満天の星空がある。そのとき星を見ることに大きな価値を見出したならば、その場所は特別な意味を持つでしょう。すべては視点の持ち方次第なのです。
温泉は地域の人も観光客も、国籍や宗教に関係なく共有する空間です。そこにルールがあるとしたら、誰もが何も持たずに裸で湯に浸かるということだけです。こんなにもイデオロギーから解放され、多様な価値が共存できる場が日常の中にある町はそう多くはありません。
すべてはものの見方次第。僕はこれこそがクリエイティビティだと思います。
クリエイティビティとは、見出し、新たな価値を創り出す力。この町で、何かと何かをつなげ、新しい価値を創造するのが、僕たちBEPPU PROJECTの活動なのです。
【BEPPU PROJECTからのおしらせ】
『関口 光太郎 in BEPPU』開催決定!
関口 光太郎
『in BEPPU』は、毎年、国際的に活躍する1組のアーティストを別府に招聘し、地域性を活かしたアートプロジェクトを実現する個展形式の芸術祭です。
4回目を迎える本年は、これからが期待される若手作家・関口 光太郎を招聘します。
関口 光太郎は、特別支援学校で教員を務めるかたわら、新聞紙とガムテープで作品を制作するアーティストです。本展では、市民参加のワークショップによって、成長し続ける過去最大規模の作品を発表します。
【会 期】2019年9月21日(土)~11月10日(日)
【会 場】トキハ別府店(大分県別府市北浜2-9-1)
【参加費】無料
【主 催】混浴温泉世界実行委員会
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