インドでは12億以上の国民ID「Adhaar(アダール))が発行され、日々アップデートされている。
テクノロジーは、国ごとの違いをますます減らしている。国ごとの違いがなくなって、貧しい国の富裕層は豊かな国の貧困層よりも豊かになってきています。
インターネット以前は国境をまたいだ人々、たとえば日本人とタイ人とは全然違っていたのですが、今は「クラブDJ」「ハードウェアスタートアップ」などを取り巻く文化やエコシステムがどれだけ進化しているかどうかの違いが、国境よりも大きな違いになっている。そうした社会で得をしている人と損する人はどこで分かれているのか、考察してみた。
高須正和
Nico-Tech Shenzhen Co-Founder / スイッチサイエンス Global Business Development
テクノロジー愛好家を中心に中国広東省の深圳でNico-Tech Shenzhenコミュニティを立ち上げ(2014年)。以後、経済研究者・投資家・起業家、そして中国側のインキュベータなどが参加する、複数の専門性が共同して問題を解くコミュニティとして活動している。
早稲田ビジネススクール「深圳の産業集積とマスイノベーション」担当非常勤講師。
著書に「メイカーズのエコシステム」(2016年)訳書に「ハードウェアハッカー」(2018年)
共著に「東アジアのイノベーション」(2019年)など
Twitter:@tks
バンコクの電子部品は東京より高い
バンコク中心部のTCDC(Thai Design and Culture Center)。図書館、セレクトショップ、DIYセンターの複合施設。
僕はスイッチサイエンスというIoT開発ツールを扱うウェブショップで、海外の新規パートナー開拓を仕事にしています。IoT機器の開発は新興国を含む、いろいろな国で行われています。
自動車や飛行機のエンジンが作れる国になるには数十年におよぶ蓄積が必要ですが、IoT機器やAIなどの開発はそれらと違い、この数年で発展したものです。タイにはいくつもの開発ツールを売る会社があり、そこで売られているArduinoやRaspberry Piといった開発ツールは、僕らが日本で売っているより高い値段がつけられています。タイでIoT機器の開発ツールを買っている人たちは、日本のそういう層よりも豊かな人たちなのかもしれません。タイでの開発ツール市場なんて、2015年ごろには存在していなかったのに、今は何社も製造・販売会社が成り立つぐらいのボリュームがあります。
タイは経済発展を続けながらも、貧富の差を表すジニ係数がずっと高いままの国です。ですが、その富裕層は他人に仕事をさせて自分たちが何もしない、限られた人たちだけではなく、自分たちで新しいIoT機器を開発する人たちまで広がっています。
タイ政府はAIとコンピュータ教育に大きな投資をしていて、DIYのフェアでは、ラジコンカーを改造して自作した自動運転車が、標識やコースを読み取って走るコンテストが行われています。小学校ではプログラミング教育やAIを学ばせるための国産ボード「Kidbright」の普及も進んでいて、オープンソース化されているKidbrightは様々な互換ボードが作られています。
こうした新しい技術が一気に普及することで、新興国が中途半端な先進国を追い越していくリープフロッグは、世界の各所で起こっています。
タイ北部のチェンマイで行われたAIカーレースでの自動運転カー。スピードを落として標識を読み取り、その後一気に加速していく
インドの電子政府基盤は日本より進んでいる
またインドでは、政府が取り組んでいる「デジタルインディア政策」を通じて、さまざまなスタートアップが登場し始めています。
元々多くの貧困層を抱えるインドでは、生存の危機があるほどの貧困層に補助金を配ろうという計画が何度もありましたが、うまく機能しませんでした。機能しない理由の一つは、貧困層はIDを持たないため、誰に補助金を渡したかの管理が難しかったためです。過去の取り組みではIDの二重取りや転売なども横行していました。
それがこの10年ほどで、クラウド上のシステムを本体に、携帯電話番号と生体認証を組み合わせた国民総背番号制「Adhaar(アダール)」が導入され始めたことで、問題は解消されつつあります。今では12億のIDが発行され、インド国民の90%超が固有のIDを持っています。本体はクラウド上にあるので、譲渡や偽造はできません。インド政府は、運転免許などの資格や履歴もアダールに連携していくつもりです。
アダールが普及したことで、貧困層でも自分の電子銀行口座を持つことができるようになりました。それにより、国営のインド決済会社が作った「UPI」という電子送金のプラットフォームが機能しはじめています。
UPIでは$40以下は手数料無料、それ以上は0.3%の手数料で送金でき、即時着金します。有名なインドのキャッシュレスプラットフォームの「PayTM」も、Google Payのインド版も、この基盤の上にサービスを構築しています。手数料の安さも着金までの速さも、日本のクレジットカードや銀行送金より優れた仕組みです。ここでもリープフロッグが起きています。
アダール含めたこうした電子的なインフラは「インディアスタック」と呼ばれる一連のシステムです。2016年に大騒ぎされた高額紙幣の廃止/切り替えはこの電子決済プラットフォームの利用をさらに促進する試みです。このUPIによりあらゆる電子決済がスムーズに進むことで、インターネットを舞台にした新規事業を手がけるスタートアップが多く登場してきています。
日本のマイナンバーは番号を他人に見せた方がいいのか秘匿すべきかの話がまだ決着してないようで、利用も遅々として進みません。オンラインの決済では今もクレジットカードが中心の日本の電子システムに比べて、インドは普及率も用途も優れているように思えます。
イノベーションで得する人、損する人
コンピュータとインターネット、そしてクラウドでできるようになったビジネスは、既存のビジネスをものすごい勢いで置き換えています。Googleは古い広告産業を置き換えつつあるし、Amazonは流通業を置き換えつつあります。Alibabaは中国をそれまでとはまったく別の、起業家精神に満ちた国にしてしまいました。
そうした社会の変革をずっとリードしていた、アメリカの技術系出版社オライリーのCEO、ティム・オライリーは、著書『WTF経済』で世の中を一変させたイノベーションをまとめています。書籍タイトルのWTFは「What’s The Fuck?(なんだこのゴミは?)」と「What is The Future(未来はなんだ?)」のダブルミーニングで、それまで想像もできなかったような、理解しがたいものが世界を変えること、そうした大規模なイノベーションがますますたくさん起こっている事について述べています。
しかし、この本ではそうしたイノベーションの成果が労働者に分配されておらず、経営者に懐に入っていることについても触れられています。イノベーションは起業家を力づける一方で、雇われ人にはあまり恩恵がないのかもしれません。WTF経済では新しく生まれた職業についても触れていますが、代表的な例として紹介されているのは、Uberのドライバーなどのギグエコノミーです。自由な働き方ではあるけど、おそらくはほとんどの人が大企業の従業員を選ぶでしょう。
世界中で広がる「WTF経済」で得をする人の条件
ティム自身、オライリービジョンファンドを率いるテクノロジー投資家であり、「Foo camp」というコミュニティや技術書出版などを通じて変革の最先端におり、むしろリードする活動を続けています。
『WTF経済』の中で彼は、自らが変革をリードしてきた方法として、自分自身で手を動かすことの価値を語っています。
「共同創業者のデールと僕は、プログラミングを学ぶために、書式や用語を統一するプログラムを書き、それをUNIXテキスト処理という書籍にまとめた。のちに、それが出版社となった」
つまり、彼自身が自分でソフトウェアを書き、コミュニティをつくってきたことが、後にビジネスとなったのです。手を動かして試行錯誤しながら前に進むことでのみ、変化を味方にしていけるということなのかもしれません。
僕はそうしたテクノロジーの愛好家が集まるイベント「メイカーフェア」に、おそらく世界でいちばん多く参加しています。さまざまな国のイベントやパートナーを巡るために、年に100回ほど飛行機に乗って新しいものを発見し、時には一緒にそれを広める活動をしています。
この連載では、そうしたクリエイティブとビジネスがつながっていく社会について感じたことを書いていきます。