ITEM | 2019/05/13

医療の進歩で「死ななくなる」時代に、「生きたくない」とならないために【ブックレビュー】


神保慶政
映画監督
1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏...

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神保慶政

映画監督

1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏や南アジアを担当。 海外と日本を往復する生活を送った後、映画製作を学び、2013年からフリーランスの映画監督として活動を開始。大阪市からの助成をもとに監督した初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」は2014年に劇場公開され、国内主要都市や海外の映画祭でも好評を得る。また、この映画がきっかけで2014年度第55回日本映画監督協会新人賞にノミネートされる。2016年、第一子の誕生を機に福岡に転居。アジアに活動の幅を広げ、2017年に韓国・釜山でオール韓国語、韓国人スタッフ・キャストで短編『憧れ』を監督。 現在、福岡と出身地の東京二カ所を拠点に、台湾・香港、イラン・シンガポールとの合作長編を準備中。

完成間近の医療―残された課題点、新たな次元とは?

瀕死の主人公が「死なないで!」と泣きつかれる。あるいは、「死にたくない…」と最後の一息を振り絞るように親友が言って、息絶え、主人公が泣き崩れる。そんなシーンが描かれるドラマは、将来極めて稀なものになるかもしれない。奥真也『Die革命 医療完成時代の生き方』(大和書房)は、急激な医療の進歩に伴って変容する「死の受け止め方」を医師の立場から探っている。

いや、本書によると、死は「受け止める」ものですらなくなるかもしれない。創薬・新規医療ビジネスに造詣がある著者は、これからの死はむしろ遠くに投げ放つようなイメージのものになるべきだと語っている。

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死ぬことには心身ともにパワーが要ります。いったん後ろ向きの不死、あえて嫌な言葉を使うならば、「リビングデッド(living dead)」に陥ってしまうと、人生のストーリーが希望しない方向に変わるだけでなく、自らの命を終えることさえ困難になります。(P6)

死の脅威である病に打ち勝つことができる「医療の完成」まで、登山にたとえると9合目まで到達しているという。しかし、9合目というのは90%とは異なる。9合目からは急斜面で、天候もころころ変わり、一番の踏ん張りどころなのだ。「9合目の時代」に、死の脅威となるのはどのような要素なのだろうか。著者は、以下の3つに大別している。

1.発見・アプローチが難しい病気
2.症状が圧倒的に少ない病気
3.急死

どれも(やや失礼を承知ながら)最近の映画の題材にありそうなシチュエーションだ。医療がより発展し、死の捉え方がさらに変容するならば、こうした設定のドラマは将来少なくなるかもしれない。感情の新たなフェイズ、つまり人間が「新たな死」と対面した時に「まだ開けていなかった引き出し」を探索できるようになるかもしれないというのが、「医療完成時代」に対する、筆者のような映画製作者の立場からの期待である。

医療の一方通行解除で、いろんな渋滞が解消される?

風邪をひいた時、調子が悪い時は病院に行く。これは私たち日本人にとっては常識に思える。しかし、それは世界的に見るとそうでもないという。イギリス・ドイツ・オランダ・スウェーデン・アメリカなどではホームドクターが診察をして、大きな病院に行く機会はさほどないそうだ。国民皆保険制度、そして病院へはフリーアクセスという制度は、医師としては「来るもの拒まず」でなければならず、必ずしもプラスには働かないという。

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高度な医療技術を持った大きな病院は、風邪のような軽微な症状の患者も、MRIやCTなどで検査が必要なくらい重篤な症状の患者も、どちらにも対応することができます。でも全体としての効率を考えれば、軽微な症状の患者は街のクリニックにまかせて、大きな病院は高度な医療技術を要する患者に集中したほうがいい。(P74)

また、医療は一方的に施されるものではなく、電力やガスと同様に、選んでいくものとなると予測されている。ジェネリック医薬品を服用するかどうかを選ぶ程度にとどまらず、AIや技術の進歩の手助けによって個々人が高度な医療にもっとアクセスしやすくなるのだ。そのように個々人の選択を尊重する「セルフメディケーション」や「患者力」が今後より重要度を増していくと著者は断言している。

スマートフォンやIoTなど、世の中にどんどん技術が浸透していくように、医療も私たちの生活に(いい意味で)入り込んでくる時代がもう既にやってきている。AIによる診察が、スピード面で人間を凌駕するのは時間の問題ということだ。

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日常の食事の多くが自宅で済まされるのと同様に、健康をチェックする機会は家庭や職場などふだん訪れる日常的な場にどんどん取り込まれ、特別な機会にしか病院に出かけず、目的がはっきりせずに生身の医師と会うことは珍しくなってくるでしょう。 (P120-121)

これは人間の医師が不要になるということではなく、医師たちが今までカバーできなかった、より先進的なことに時間をかけられるようになる可能性が出てくるということだ。そうした振り分けがうまく行われると、大きな病院に行き、ボリウッド映画(だいたいが3時間前後ある)を1本見られるような壮大な時間待たされるというようなことは無くなるのだ。

「多病息災」時代を生きる―未来の健康体は、病気のかけ持ち当たり前

FINDERSでも『「睡眠の質」を計測、分析できる無料アラームアプリ「Somnus」』というアプリが紹介されているように、人間のバイオリズムを機械的に管理・改善していく試みは既に始まっており、不眠症治療アプリの「yawn」、生理日管理アプリ「ルナルナ」などは筆者のまわりでも話題となっている。

著者はそうしたバイオリズムを含め、日記のように私たちの行動がひとつひとつ「ライフログ」として記録されていき、テクノロジーが私たちをよりよい健康状態に導いてくれることを期待している。

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診察室で医師が患者にかける言葉によって劇的な心理的効果をもたらす例はいくらでもありますが、ようやくのところ、情報そのものが薬あるいは治療デバイスとして独立した製品になる段階になってきています。(P168-169)

情報を味方につけ、さらにアップルウォッチのようにそうした情報を記録・閲覧するデバイスがますますウェアラブル(装着可能)になれば、「病気になる」という状態も変わっていくだろう。現在はネガティブなイメージな病気が、プラスになることはないにしても、ニュートラルな、つまり当たり前に付き合っていくものとして捉えられるという。著者はその新しい考え方を、「無病息災」という言葉になぞらえて、「多病息災」と名付けている。

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多病息災時代においては、あなたは、常に自らのなかにいくつかの病的な状況があることを理解しなくてはいけません。
それこそが人間の普通の状態なのだから、何も気に「病む」こともないのです。ただただ自然にそれを受容していればよく、多病がゆえに死ぬことなどないのです。(P212)

「病む」必要がなくなり、私たちはその余力を何に注ぎ込むべきなのか。道楽・レジャー・自己満足だろうか。著者が理想としているのは利他である。死にたいけれど、どう死ねばいいのかわからない。そんな「リビングデッド」にならないように、豊かな時間を紡いで、「不死の時代」を共に生きる心構えを本書は教えてくれる。