CULTURE | 2019/03/04

歌舞伎町をオーガナイズする元売れっ子ホスト、手塚マキの現在地【連載】友清哲のローカル×クリエイティブ(1)

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地方創生という言葉が独り歩きするようになって久しいが、鍵を握るのは各地域の「素材」そのものよりも、それを活かすプレイヤーである。本連載では、クリエイティビティが地域に生み出すものにスポットをあて、展開と可能性をルポルタージュしていく。

第1回は、新宿・歌舞伎町の元売れっ子ホストにしてホストクラブやBAR、美容サロンなど十数軒を運営するSmappa! Group会長の手塚マキ氏を紹介する。同氏は近年、“本業”関連に留まらずさまざまな業態にも進出しており、「LOVE」をテーマにホストが接客を務める書店「歌舞伎町ブックセンター」、ロボットレストランの真向かいで開業した「人間レストラン」が話題になったほか、昨年12月にはなんとデイサービス(通所介護)施設「新宿デイサービス早稲田」をオープンしている。

一見これらの店舗は脈絡のない展開にもみえるが、同氏はすべてにおいて「歌舞伎町という街への恩返し」の想いが念頭にあったと語る。

聞き手・文・構成・写真:友清 哲

友清 哲

フリーライター

旅・酒・遺跡をメインにルポルタージュを展開中。主な著書に『この場所だけが知っている 消えた日本史の謎』(光文社知恵の森文庫)、『作家になる技術』(扶桑社文庫)、『一度は行きたい戦争遺跡』(PHP文庫)、『物語で知る日本酒と酒蔵』『日本クラフトビール紀行』(ともにイースト新書Q)、『怪しい噂 体験ルポ』『R25 カラダの都市伝説』(ともに宝島SUGOI文庫)ほか。

手塚マキ

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1977年、埼玉県生まれ。ホストクラブ経営者、JSA認定ソムリエ。97年から歌舞伎町で働き始める。売り上げNo.1ホストを経て、現在はホストクラブやBAR、美容サロンなど十数軒を運営するSmappa! Group会長を務める。また、歌舞伎町振興組合常任理事として街作りにも携わる。著書に『自分をあきらめるにはまだ早い 人生で大切なことはすべて歌舞伎町で学んだ』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)がある。

新たな地下空間を得て、手塚マキは次に何を創りだすのか?

手塚マキ。歌舞伎町商店街振興組合常任理事、ボランティア団体「夜鳥の界」リーダーなどさまざまな肩書きを持つ、歌舞伎町を代表する若手経営者

歌舞伎町の中心部。ド派手なショーで話題を振りまくロボットレストランの目と鼻の先に、地下に広がる40坪の空間がある。つい最近までビデオボックスとして使われていたそのフロアは、いったんスケルトン状態にリセットされ、まったく新しいスペースに生まれ変わろうとしている。

「ここにBARと寿司屋、そしてビアパブを置き、さらに音楽が聴ける客席を設けるんです。店舗というのはどうしても特定の色が付いてしまうものですが、ここはいろんなタイプの人間が交錯する、歌舞伎町らしい多様性のある空間にしたいですね」

そう語る手塚マキ氏は、もともと歌舞伎町を代表する売れっ子ホストのひとり。2003年に独立してからは経営者として実績を積み上げ、現在はホストクラブのほか、BARやヘアメイクサロン、ネイルサロンなど、十数店舗を展開する気鋭の実業家だ。2年ほど前、歌舞伎町に「LOVE」をテーマにした書店、「歌舞伎町ブックセンター」がオープンして話題を集めたが、その仕掛人もこの手塚氏である。

「歌舞伎町ブックセンターは、期せずしてすごく面白い空間になったんですよ。単にメディアを見て寄ってくれる本好きのお客さんもいれば、界隈のホストやキャバ嬢も集まってくる。そして彼らがお酒を飲んでいる傍らで、外国人観光客のカップルがイチャイチャしていたりもする。本来、1つの店舗にこれほど多彩な客層が集まることはあり得ないですからね」

その歌舞伎町ブックセンターは昨秋、入居していたビルが建て替えとなることから移転を余儀なくされた。好況に沸く歌舞伎町で新たなテナントを探すのは至難であったが、あらゆるツテを駆使して物件を渉猟した結果、縁あって繋がったのが件の地下フロアだった。

「ゴールデン街×歌舞伎町」で生まれる新しい“溜まり場”

夜通しネオンが煌めくことから「不夜城」の異名を取る歌舞伎町。多くの飲食店や風俗店が軒を連ね、近年では訪日外国人の姿も多い

歌舞伎町といえばアジア最大の繁華街と呼ばれて久しいが、海千山千、有象無象の商売人が跋扈する、「いかにも」な土地柄である。

水面下でアングラ勢力が凌ぎを削る不穏な街…というイメージが先行してしまうのはフィクションの悪しき余波だが、それでもこの特異な街に根を張る商売人たちがどのような人種なのか、興味は尽きない。そして、そんな疑問の一端を解消するために、手塚マキという人物の動向を知るのは有意義だ。

好立地に広めのスペースを得た手塚氏は、ここを拠点に何を企てているのか? 今回取材に訪れたのは改装工事の真っ最中で、彼が生み出そうとしているものを知るのに、うってつけのタイミングであった。

ビデオボックス「金太郎」の地下に、40坪の空間を得た手塚マキ氏。ここから新たな仕掛けが生まれる

「ここから何かを発信したいというよりも、いろんな人が集まる“溜まり場”をつくるイメージなんです。まず、今ゴールデン街でやっている『BRIAN BAR G』をここに移すことで、ゴールデン街のお客さんを歌舞伎町に誘客できます。新たにオープンする寿司屋は、外国人観光客を呼ぶでしょう。そこに板前としてホストを立たせることで、ホストクラブのお客さんも集まるはず。そして、入口から降りてくる階段の壁は一面本棚にするつもりで、それによって『歌舞伎町ブックセンター』の機能を引き継ぐことができます」

狙うのは、ゴールデン街と歌舞伎町の融合だ。古くからクリエイターたちの憩いの場であったゴールデン街と、多様性の歌舞伎町が合わさることで、きっと面白い化学反応が起こるに違いない。

「また、クラフトビールはこれまでの歌舞伎町にはなかった文化。ビアパブではウーロンハイばかり飲んでいた人たちに、世間で人気のクラフトビールの魅力を伝えられればいいですね。客席の奥にはピアノも置きます。ここで定期的に音楽イベントを催すことも考えているんですよ」

そこには、巡り合った空間を楽しげにオーガナイズする経営者の姿があった。40坪のスケルトン空間は一躍、食と文化にひもづく歌舞伎町の拠点となるのだろう。

きな臭さ漂う歌舞伎町で、経営者として生きるということ

ここで少し、手塚マキの半生を振り返る。埼玉県出身の彼は、県内随一の進学校を出た後、中央大学の理工学部に進んだインテリだ。しかし、19歳の時にホストクラブで働き始めると、ほどなく大学を中退。あるインタビューでは、「早く働きたかった」「社会の一員でないことにコンプレックスがあった」と語っているように、これは社会を俯瞰する視点を早くから持っていたがゆえかもしれない。

最初は「ちょっと覗いてみようと思った」程度で始めたホストの仕事であったが、これが思いのほか水の合う世界だった。入店からわずか1年で売り上げNo.1をマークしたばかりか、雑誌やテレビに引っ張りだこの人気ホストにのし上がる。この当時は、バラエティ番組『ロンドンハーツ』で、ドッキリ企画の仕掛け人「スティンガー」の役を務めたことでも話題を集めた。

ちなみに「手塚マキ」は源氏名で、好物である鉄火巻をもじったもの。この名前とこれほど長く付き合うことになろうとは、きっと本人も思っていなかったに違いない。では、経営者に転身したきっかけは何だったのか?

「何年かホストをやるうちに、売れるための法則みたいなものが、少しずつわかってきました。そして売り上げが一定額に達すると、あとは細かな改善点を見つけて、サービスの質を高めていく作業に移ります。ところが、こうなるとマンネリを感じ始めるものなんですよね。そこでそろそろホストをあがって、バックパッカーとして放浪の旅に出るか、あるいは出家して寺に入ろうと、俗世間から離れることを真剣に考えるようになりました。なぜなら、ふと自分自身を振り返ってみた時に、あまりにも浮世離れし過ぎていると感じたからです。先の人生を見据えると、とてもじゃないけど就職して会社員生活など送れるわけがないと、危機感を覚えました」

出家という突飛な発想に至ったのにはワケがある。2008年に暴対法が改正される以前の歌舞伎町はまだまだきな臭く、独立して自ら商売をやろうと思えば、反社会勢力と無縁でいるのは難しい時代であった。また、ホストクラブ業界には、安易な独立をよしとしない暗黙のルールがあった。つまり、次のステージを模索しようにも、八方塞がりの状況だったのだ。

結果的に良い筋からの誘いが舞い込み、穏便に独立のチャンスを得たことは、幸運であったというほかないだろう。本人いわく、「他に特別やりたいことがあったわけでもないので、せっかくだから」という軽い気持ちではあったものの、果たして手塚氏は、26歳で自身のホストクラブを構えることとなる。

すべての原動力は、寛容な歌舞伎町への感謝の念

一見、コワモテなイメージがあるホスト。しかし実態は、規律と上下関係が支配する厳しい世界である。とりわけ手塚氏は、すべてのスタッフに一般常識と礼節を求める

手塚氏が運営するホストクラブは現在6店舗。「Smappa! Group」として長らく人気を博してきた。他の業態も含めれば、擁する従業員は総勢250人にも及ぶ。

しかし、ここまでの道程は決して平坦ではなく、本当の意味で経営者としての自我が芽生えるまでには、一定の時間を要したという。

「僕はそもそも経営がやりたかったわけではないですし、最初に構えた店舗も決して順風満帆ではありませんでした。マネジメントの煩雑さに嫌気が差して、店を畳もうと考えたことも何度もあります。でも、10歳くらい下のスタッフたちが言うんです。『ここがなくなったら、行くところがありません』『もっと働かせてください』と。つまり、ホストというのは弱者なんです。特別なスキルも学歴もなく、ゼロから立ち上がろうとして歌舞伎町へやってきた奴が大勢いる。だったら、こうして経営に手を染めた以上は、彼らを一人前の社会人に育ててやるのが自分の責任なのかなと思うようになりました」

ホストという職業に対する、世間の偏見は強い。実際、素行の悪いホストも後を絶たないと手塚氏は語る。でも、だからこそ決意と覚悟を持ってこの世界に飛び込んできた人材には、深い思い入れがある。なぜなら、かつての自分もまた、何かを求めてこの街にやってきた1人だからだ。

手塚氏が、他のホストクラブと連携して清掃ボランティア団体「夜鳥の界」を立ち上げたのは、2005年のこと。ホストたちによる深夜のゴミ拾い活動は、ニュースでも大きく取り上げられた。また、ホストとして働くスタッフたちに、ソムリエの資格を取得するよう号令をかけたのも、独特の取り組みだ。こちらはサービスの質を高め、歌舞伎町にやってくる人たちに、本当に美味しいお酒を楽しませたいとの思いからだったが、いずれもスタッフたちの人材教育、人間形成が主目的であるのは言わずもがなだ。

「僕は経営者として、決してやる気があるタイプではないんです。向いているとも思いません。ただ、5年くらい前でしょうか、この街に対する感謝の念が湧いてくるようになりました。自分のような人間が、こうして今日までやってこられたのは、間違いなく多様な人々を受け入れてくれる歌舞伎町の寛容さのおかげ。それに気づいたとき、もう少しこの街に貢献したいと初めて思うようになったんです」

そうした感謝に基づく幾多の活動が認められてか、手塚氏は今、歌舞伎町商店街振興組合の常任理事という要職にある。41歳という若さを考えればこれは異例の人事だが、これもその手腕と心意気に対する、地域の期待の表れと言えるだろう。

遊び心と悪戯心でクリエイティブなビジネスを

黄色い立て看板に見える、「人間レストラン」の文字。ロボットレストランが牛耳る空間の中で、挑発的な出店が話題を呼んでいる

傍から見て、手塚氏のビジネスは実にクリエイティブである。歌舞伎町を中心に、BARやサロンを次々に企画し、実現していく。高円寺に最近開いたカレー屋は、早くもグルメ誌にフィーチャーされ、客足の絶えない人気店となっている。つい先日は、ホストをスタッフとして起用するデイサービス(通所介護)施設を立ち上げて、やはり世間の関心を呼んだばかり。趣味と閃きによるアイデアを、片っ端から具体化しているように見える。

その手腕はときに、悪戯心に満ちている。最近の“代表作”は、「ロボットレストラン」の真向かいにオープンさせた「人間レストラン」だろう。実態は何のことはない、人が営む普通の飲み屋で、ギャグとも挑発とも取れる企画だが、当人には意外と深い考えがある。

「そのうちロボットやAIが仕事の大半を担うようになり、タクシーやコンビニも自動化されると、人間がサービスを行なう店はマイノリティになるでしょう。ちょうど、ロボットレストランの看板に埋もれるようなテナントを見つけたので、ロボットの陰でひっそりと営まれる人間同士の交流の場になればと思いついたんです」

場所は「ロボットレストラン」のチケットカウンターが同居するビルの4階。おまけにエントランスにはでかでかと「18禁」の文字。その小脇に立てられた看板に、「人間レストラン」の文字を探すのは、この賑やか過ぎる街では容易なことではないだろう。こんな世の中から追いやられたような立地だからこその着想だったわけだが、これを実現してしまうあたりに経営者・手塚マキの本質がある。

昨今のインバウンドブームにより、商圏としての歌舞伎町は新たなフェースに入りつつある。手塚氏らこの街のプレイヤーには、斬新な“次の一手”が求められるタイミングだ

アーティストの妻を持ち、絵画やクラシック音楽の世界に精通する手塚氏は、暇さえあれば世界各地の美術館や博物館を巡る、文化レベルの高い人間だ。

そんな彼が、歌舞伎町という独特の文化圏で揉まれて育ち、遊び心あふれる発信者となった現在。40坪の地下フロアは、今春のうちにオープンする予定だが、これとてまだまだ道半ばに過ぎないはずだ。手塚マキは、今後も歌舞伎町からさまざまな話題を送り出すのだろう。

最後に、歌舞伎町で着目する次の可能性について聞いてみた。

「インバウンド需要もあって、歌舞伎町は今、とにかく景気がいいんです。おかげでこれほど多くのビルが密集しているのに、僕らのような飲食ビジネスはテナントを探すのに一苦労。だから今後は、ビルの屋上を有効活用できないかと、アイデアを膨らませています。歌舞伎町は看板ひとつに月額何十万という価値がつく街。それにも関わらず、屋上のスペースを遊ばせている物件がすごく多いんです。このスペースを使えるようになれば、さらに面白いことがやれるような気がするんですよね」

そう語る表情は、辣腕経営者というよりも、新たな遊びを見つけた少年に近い。手塚マキの次の一手を、楽しみに見守ろう。それはきっと、我々にとっても歌舞伎町にとっても、思いもよらないアイデアであるに違いないのだ。