もし、あなたが中学生の頃に「行きたい高校がない」「高校に行く意味がわからない」と思ったら、どんな行動をとっただろう。親に言われるままとりあえず高校に進学したはいいが、ドロップアウトし、フリーターもしくはニートになる。といったよくあるコースを辿るかもしれない。
それは、中学、高校、大学へと進み、就職するという定型のレールから脱線するのを恐れるあまり、視野が狭くなって多くの選択肢を持たないからだろう。
今回は、そんな定型のレールには乗らず、中学3年生で日本を飛び出し、自らの意思で道を切り拓いてきた型破りな19歳の冨樫真凜さんを紹介したい。
取材・文・構成:庄司真美 取材協力:Study Night Fever
冨樫真凜
Seabrook合同会社代表取締役 N高1期生卒業生
1999年新潟生まれ、大阪、東京育ち。中学2年生の頃、ドラッガーの本を読んで影響を受ける。14〜16歳まで、ニュージーランドに留学。帰国後、角川ドワンゴ学園が2016年に創立したオンライン校「N高等学校」に1期生として入学。コーチングに基づいたさまざまな教育やプログラムを経験。2018年8月、同校のカリキュラムとして、英オックスフォード大学のサマープログラムやアメリカへの留学を経験。卒業後は、理想と現実の剥離のない幼稚園の創設を目指して活動中。
現在、19歳のN高1期卒業生の冨樫真凛さん。第一回卒業式では在校生代表を務めた。
中学卒業を待たずにニュージーランド留学を決行!
冨樫さんは中学2年生の頃に進路指導が始まった時、行きたい高校が見つけられなかった。勉強自体、実生活のなんの役に立つのかわからず、興味が持てなかったという。そこで考えたのが、ニュージーランドに留学し、視野を広げながら英語を学ぶこと。留学を志す若者は多いが、冨樫さんがすごいのは、友人たちと気楽に過ごしていた学校生活を捨てて、中学卒業を待たずにそれを実行したことだ。親の仕事の都合で帰国子女となるケースはあっても、高校受験を控えた時期に、自分の意思で単身ニュージーランドに渡る中学生はおそらく少数派だろう。
今でこそ留学を経てネイティブ並みに英語を話せるようになった冨樫さんだが、中学生だった当時、英単語もろくにわからず、現地の人とのコミュニケーションがまったくとれないために、さまざまな問題が生じたという。
「ろくに英語も話せないのにいきなりニュージーランドに行き、授業内容が理解できないのはもちろん、ホストファミリーとのコミュニケーションもまるでとれないような状態でした。次第にホストファミリーが怒ってごはんを作ってくれなくなりました。それでも国際電話のかけ方もわからないし、学校の相談窓口に現状を訴えようとしても理解してもらえず、仕方ないので2カ月くらいパンの耳を少しずつ食べる生活をしていたほどです(笑)」(冨樫さん)。
中学卒業資格がもらえない!入学したN高で学んださまざまなこと
2年間の留学を経て、どうにか語学習得はできたものの、16歳で日本に帰国した時に問題が生じる。中学2年で海外に留学したことで、中学の卒業資格がもらえなかったのだ。そこで出会ったのが、角川ドワンゴが創設したオンライン高校、通称「N校」だった。
冨樫さんがN高時代に取り組んだ、実にバラエティに富んだおもなプログラムは下記の通りだ。
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<N高>
スタンフォード大学サマープログラム、保育園体験ツアー、ハフポスト高校生エディター、自民党若手議員と対談、九州/南牧村 政策立案ツアー、長島町ウェブページ作成体験
<自主活動>
前田塾インターン(企画・運営)、渋谷パパマママルシェ実行委員、スマスクインターン(英語、美術教師)
オックスフォード大学で鍛えられた「クリティカルシンキング」
2018年夏、N高のプログラムにおいて選抜メンバーの1人として、イギリスの名門オックスフォード大学のサマープログラムで学ぶ機会を得た冨樫さん。生徒2人あたり1人のメンターが付き、授業は少人数制。あくまで一方的ではなく、質問できる余白があるスタイルだったという。
日本にはなくて苦戦した授業は、「クリティカルシンキング」(批判的に物事を見る)だと振り返る冨樫さん。その時出されたテーマの一例を紹介してくれた。
「ニューレール社はザニア州の道路標識や橋など、道路に関わるものすべてを管理しています。この管理システムは150年続いていますが、今でも上手く機能しています。ザニア州の政府はニューレール社に新しく600km分の道路に管理システムを導入してほしいと依頼します。さらに、管理システム導入にはどのぐらいの期間とお金がかかるのか、政府宛に見積もりを出してほしいと依頼しました。ニューレール社は30カ月で$2.5bn(日本円で約2,500億円)かかると政府に見積もりを提出。ニューレール社が所持するマシンと人員数により、一晩で90パイロン±10%(管理システム導入のために配置する電柱のようなもの)を地面に埋めることが可能であるという見積もりを出しました。政府は喜んでその見積もりにOKを出し、工事が始まりました。工事が始まってすぐに、本来は75カ月と$10bn(日本円で約1兆円)かかることがわかりました。なぜ工事の前後で見積もりに大きな違いが出てしまったのでしょうか?」
これについて冨樫さんは、次のように説明する。
「要は、地盤の調査を事前に行っていなかったのが根本原因としてあって、それで見積もり金額が大きく変わってしまったわけです。それをしなかったのはニューレール社のミスですが、その点を確認しなかったのは政府のミスです。それが、私たちのクラスではまとまった答えになりました。でも、この答えは人によって違うので、答えがひとつというわけではありません。私はこの授業が本当に苦手で、不要な情報ばかり見てしまったり、想像力が足りなくて壁にぶつかったりすることが多々ありました」
苦戦した「クリティカルシンキング」の授業だったが、一緒に学ぶクラスメイトたちとディスカッションすることで、より理解が深まったと語る冨樫さん。
「私は教えてもらうことが多かったのですが、教える方も、100%理解していないと教えられません。だから、お互いの学びが深まるすごくいい機会でした。話し合いをするメンバー全員、せっかくのこの機会を最大限意味のある時間にしたいという意識が強くあって、自主的にこういう場が生まれたのです。それと、英語に敬語がないことがすごく大きかったです。私は18歳で、ほかのメンバーは15歳と16歳。このプログラムでは日本人同士もほとんど英語で喋るので、カジュアルに話し合うことができました。敬語は相手を敬う言葉なので、どうしても相手のミスを指摘しにくいし、自分が恥を晒すのも抵抗感が出てしまうものですよね」
この話で、日本企業のよくある会議風景を思い出した。日本の企業は縦社会が基本。会議中の発言にも役職が反映されがちな会議のあり方を思うと、冨樫さんの話は頷けるものがある。それ以外にも、「クリエイティブライティング」という授業が印象深かったと振り返る冨樫さん。文章作成の授業の一環としてポエムを書く機会があったという。
「私はそもそもTwitterで(日本語で)つぶやくのも気が進まないほど文章を書くのが苦手でした。ポエムなんて書いたことがないし、とてもハードルが高かったです。でも、書いたポエムを先生が褒めてくれたんです。日本だと、たとえ作文の授業があって先生に提出しても、レスポンスもなく終わりということがほとんどだったので嬉しかったです。授業では、先生が1人1人のポエムをじっくり読んで、なぜそれを書いたのかという背景もヒアリングした上で褒めるスタイル。文章に対する苦手意識が薄れ、楽しいからまたポエムを書いてみようかなと思えるほどモチベーションが上がったのが印象的でした」
苦手意識を「楽しい」に変える教師としての力量が先生にあったということだろう。「クリエイティブライティング」の授業の意図について、冨樫さんは次のように説明する
「おそらく英単語をたくさん使って文章作成の訓練をするのが狙いだと思いますが、文法を正しく身につけることもそのひとつ。ポエムを書く前提の指定ワードとして、たとえば“ジェシカ”、“ベビーシューズ”、“ガレッジセール”がありました。『クリエイティブライティング』というだけあって、単語1つからどれだけ想像力を膨らませられるかというところも授業の意図だったと思います」
米国留学中のホームステイ先で見た理想の夫婦と子育て
イギリスでのプログラムを経て、昨年秋には、アメリカの片田舎カンザスシティに1カ月間留学した冨樫さん。ホームステイ先には4人家族で、3歳と10カ月の男の子が2人いた。そこでベビーシッターをしながら現地の学校見学とボランティアを体験したという。
アメリカでは、日本でいう幼稚園が「プレスクール」と「キンダーガーデン」に分かれている。キンダーガーデンは5歳の1年間だけの教育機関で、プレスクールとキンダーガーデンは一緒になっているところが多いという。そこで目にした、日本にはないシステムや取り組みの数々を紹介してくれた。
IQテスト上位5~6%だけが入れる「ギフテッドクラス」がある
このギフテッドクラスの定義や仕組みは州によって違なり、IQテストで上位5~6%の子どもが入れるのは、ミズーリ州カンザスシティの制度だという。仮にその基準を満たしていても、親が特別扱いをせずに協調性を学ばせたい家庭ではあえて入れないケースもある。
「ミズーリ州のギフテッドクラスでは、専用の教材やPC、アプリを使って授業をしていました。州内の学校を地域ごとに3~4校に分けて、その中から5歳児のギフテッドクラスを担当する学校が割り当てられます」
個別教育が売りのモンテッソーリ系の私立幼稚園が人気
私立のモンテッソーリ系の幼稚園も見学したという冨樫さん。モンテッソーリ系の教育機関はアメリカでは主流で、普通の勉強とは別に、“お仕事”の時間が設けられているのが特徴だという。子どもの発達を促す専用の教材があり、子どもたちがやってみたいというあらゆる「お仕事」を先生がデモンストレーションし、子どもがそれを実践するスタイル。
「お仕事の時間になると、子どもたちは好きなものを取ってそれぞれ作業し始めます。1人1人違う作業をして楽しみながら過ごしているのが印象的でした。モンテッソーリは個別教育が売りで、子どもの個性を伸ばすために入れたがるご家庭が多いのです。ホームステイ先の3歳の男の子もモンテッソーリ系の幼稚園に通っていて『今日は何して遊んだの?』と聞くと、『遊んでない、お仕事だよ』と言われるくらい、仕事に責任を感じていたんでしょうね(笑)」
保護者が仕事や興味のある話を子どもたちの前で話す機会がある
「お昼寝の後に30分くらい、誰かの保護者が1人、スペシャルゲストとして登場する時間が週に1度はあるのが、日本にはない取り組みでした。登場する保護者は、今その人がしている仕事や興味のあることなどについて子どもたちに話し、最後に本を1冊読んであげる流れです。このように、外部との接点が多いのが特徴で、幼稚園を1つの世界で囲わず、広い世界を見せている印象でした。ほかにも、実習の中学生や外部からバラエティに富んだ講師陣を招くなど、オープンな点が特徴的でした」
子育て夫婦が当たり前のように週1で子どもを預けてデート
3歳と10カ月の男の子2人のベビーシッターをするという条件で、留学先のアメリカの知人宅にホームステイした冨樫さん。9時にモンテッソーリ系の幼稚園に子どもを預けて17時にお迎えに行くのがその家のサイクル。ホストファーザーは自営のため、比較的フレキシブルに動ける上、祖父母が近くに住んでいて、育児のサポートに協力的であるため、育児環境には恵まれた家庭だったという。
「いいなと思ったのは週に1回、祖父母もしくはベビーシッターに子どもの世話をお願いして、夫婦2人でデートに行っていたことです。特にスペシャルなデートではなくて、毎週水曜日は預けるくらいの感覚で日常的にしていました。日本の場合、夜に子どもを預けてまで夫婦の時間をとるということはあまり聞いたことがありませんが、夫婦でデートする時間が夫婦円満の秘訣であり、子どもの将来について考える貴重な時間として使われていました」
常に母親、父親である必要はない
子どもがいても、常に母親、父親である必要はないという話も非常に印象的だと語る冨樫さん。それは、常に親でいると、どうしても息苦しい場面が出てくるから。
「ホストマザーは現在、週に4日間会社で働いて、月曜日だけオープンにしていました。その日は子どもをベビーシッターに預けて好きなことをする自分時間を取っていました。ホストマザーは大学にも通う視野が広い人ですが、フルではなく、通信制でゆるやかに通うイメージです。子どもにまだまだ手がかかり、育児に行きづまることもあるけど、こうした自分時間をとることがすごく大事で、『子どもに優しく対処するためには自分に優しくできる時間がないと無理だよ。自分が満たされていないと子どもに愛は与えられない』という言葉に感銘を受けました。これは日本でも必要なことだと思います」
日本でも真似したい、理想的な子育て
ニュージーランドやアメリカ留学、N高でのさまざまな体験を経て、2018年に無事、N高を卒業した冨樫さん。今後の夢のひとつは、幼稚園を作ること、家庭を持つことだと語る。昨年11月からは那須塩原の幼稚園で保育アシスタントを経て、現在は育児支援のために合同会社Seabrooksを仲間と立ち上げている。
開設する幼稚園の教育方針は、冨樫さんがこれまで欧米で見てきたさまざまなものから刺激を受けて、まとまっていったという。
「現在、『渋谷パパマママルシェ実行委員』の活動などでリアルな子育て夫婦の意見を聞くこともありますが、その人たちのニーズや問題と乖離しない幼稚園を作りたいと思っています。私自身、日本の教育になじめず苦しかった思いがあり、海外に出ました。受験システムについても、私は留学できたからよかったものの、していなかったら今頃相当沈んでいたと思います(笑)。なにしろ、中2で留学して16歳で帰国したら中学卒業資格を得られず、いきなり学歴が“小卒”になってしまいましたから。“なぜ勉強しなければならないのか”というパラドックスに陥らないように、子どもにたくさんの選択肢を見せることで、主体性を持って自分で考える子どもを育成したいと強く願っています」
また、日本の教育に必要だと思うことについて、「日本の学校は閉ざされているので、高校受験を控えた中学生の頃は特に、同年代も含め、もっといろんなパターンの大人がいることを知りたかった」と後述する。
型にハマらない生き方を体現してきた19歳の冨樫さん。最後に、今後、自身が理想とする将来の子育てのビジョンについて、次のように語ってくれた。
「今付き合っている彼氏と将来結婚して、4人子どもを作りたいという話をしているのですが、できれば母も連れて日本中を巡って子育てしたいと思っています。ただ、私はこれから幼稚園を作るという夢があるので、その繁忙期と子育ての繁忙期をいかにずらすかをプランニングしています。とはいえ、0~5歳の子どもの育児中に創業で忙しくて子どもに十分な愛を与えられない状況は避けたい。そのためには、第一子と第二子の出産は6年間空けるのがベスト。そんなことをスライドにまとめて彼氏にプレゼンしました(笑)。この計算でいくと、35歳までに子どもが全員小学生になります。そうなるとだいぶ手が離れてくるので、夫と育児のバトンタッチがしやすくなるのです」
ここまで主体性を持って家族計画を立てる若い女性は珍しいと思うが、型にハマらず、海外の育児事情の一端を目の当たりにしてきた冨樫さんならではの建設的なビジョンである。一方で、時代や目の前のことに流され、なんとなく忙しくして婚期や出産時期を逃す人が多いとすれば、国の存続にも関わる問題となる。
いずれにせよ、近い将来、冨樫さんが最強のママとなり、身をもってこれまでにない“教育イノベーター”として活躍する日も近そうだ。