ITEM | 2018/12/17

「深入りすると、東京湾に浮きますよ?」日本中に出回りながらも知られざる密漁業界、決死の潜入録【ブックレビュー】


神保慶政
映画監督
1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏...

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神保慶政

映画監督

1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏や南アジアを担当。 海外と日本を往復する生活を送った後、映画製作を学び、2013年からフリーランスの映画監督として活動を開始。大阪市からの助成をもとに監督した初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」は2014年に劇場公開され、国内主要都市や海外の映画祭でも好評を得る。また、この映画がきっかけで2014年度第55回日本映画監督協会新人賞にノミネートされる。2016年、第一子の誕生を機に福岡に転居。アジアに活動の幅を広げ、2017年に韓国・釜山でオール韓国語、韓国人スタッフ・キャストで短編『憧れ』を監督。 現在、福岡と出身地の東京二カ所を拠点に、台湾・香港、イラン・シンガポールとの合作長編を準備中。

消費者の無知に容赦なくつけ込む密漁者たち

鈴木智彦『サカナとヤクザ』(小学館)は、日本の大事な文化の一つである魚文化と私たちの関わりについて、いくらかゴシップニュース的な要素をまじえつつ掘り下げたルポルタージュだ。

日本には現在も全国各地で大量の密漁魚が出回っており、ほとんどの日本人がスーパーや飲食店を経由して口にしている可能性が高い。警察・海上保安庁も密漁もしくは売買の現場や証拠を抑えなければ逮捕できないためその多くは検挙されず、どれだけの量が密漁されているかさえ定かではない。そして「魚を勝手に獲るだけ(短期的には誰も損をしない!)」であり罰則も軽いためヤクザの大きなシノギにもなっている。ヤクザ専門誌『実話時代』の編集部に在籍した経験もある著者だからこそ書けたテーマだっただろう。

日本の魚文化といえば何を差し置いても築地市場だ。場内市場は豊洲に移転したものの、場外市場は依然賑わっておりその文化は今後も続いていく。だが密漁された魚(裏の魚)はどのように表舞台に上がり込んでくるだろうのか。著者は「インサイダー」になるべく築地の軽子というポストでアルバイトをはじめ、4カ月ほど調査を実施した。軽子とは仲卸が雇う配送人で、場内で荷物を運ぶ仕事だ。

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昭和のままの価値観……働き始めて実感したのは、魚河岸がはみ出し者の受け皿になっている事実だった。長引く不景気のせいでずいぶん薄らいだとはいえ、魚河岸では客より売り手が偉い。買っていただくのではなく、売ってやるのだ。勤勉に体を動かし、真面目な仕事が出来れば、多少の難があっても見逃され、文句を言われず働ける。(P45)

少し補足したいのは「売ってやる」という表現は、とらえ方によっては誇りと自信を持って魚を売っていると言うこともでき、例えば2016年公開のドキュメンタリー映画『築地ワンダーランド』では本書とはまた違った切り口で築地場内を眺めている。

密漁される魚介類の中でも、著者が特に狙いを定めていたのがアワビだ。結論から言うと、密漁アワビは堂々と市場に出回っていた。しかしその事実よりも注目に値するのは、産地情報など目に見えやすい情報に消費者が左右されやすく、そこが密漁者につけこまれる隙となっている事実だ。なぜ密漁者がそうした動きをするのかというロジックを明らかにして、一般人の矛盾や欺瞞を暴いていくのが著者のアプローチなのだ。

日本独自の、そしてほとんど世界唯一の「漁業権」

本書を読みながら筆者は「そんな業界があるのか…」と幾度となく驚き、テレビ番組『マツコの知らない世界』を一人で演じているかのような読書体験をした。

例えばナマコ業界。中国の山東省や広東省ではナマコは「海参」といってハレの日の料理で、乾燥ナマコは非常に高値で取引されるという。20世紀後半にナマコバブルなるものがあり、アップダウンはあったものの依然として需要は高く、売りさばきの拠点となる香港には北海道、オーストラリア、アフリカ、中南米からナマコが大集合するのだという。

ナマコの産地である北海道では通称「黒いあまちゃん」と呼ばれる女性密漁者の貢献もあり、結果的に市場には表と裏のナマコが混ざり合っているという。ナマコが「裏」から押収された場合一体どうなるのか、海上保安庁の職員のインタビューも収録されている。

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生きていれば獲った海に放流します。駄目なら地元の組合に買い取ってもらう。市場価格でキロ4000円のヤツを、じゃあ密漁もんだから2500円とか。実は組合にとってはおいしいんですよね。(P115)

これを読んで「けっこう適当だな…」と筆者は思った。しかし、読み進めていくとすぐに自然を相手にする漁業という仕事の特性と、漁業権の歴史を知ることになった。

漁業権の起源をたどると、飛鳥時代に制定された大宝律令にまで遡るという。当時は「船の櫂が立つところ」という基準が用いられたそうだ。また、周辺住民が独占するという意味合いでの「漁業権」は世界的に見ても日本にしかない独自の法律で、第二次世界大戦後にGHQが農地改革に準じた改革を漁業にも適用しようとしたが、漁業権が慣習として定着していたためシステムを完全に撤廃できなかったという。「基本的に村の前の海は住人のもの」という漁業権がもう少し発展した形で整理されたのは1905年に漁業法が施行された時だ。

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歴代、漁業権は村の有力者に与えられ、網元や庄屋が独占していた。かつての鰊粕(にしんかす)のように、魚は田畑の肥料でもあり、漁業権は漁村のみならず、農村にとっても重要な資源だったため、たびたび争いが起きた。村の水争い同様、生存に直結する問題で、地引き網の場所争いが激化し、死人が出たこともある。(P143)

筆者は読み進めながら、イエス・キリストが起こした奇跡のひとつに、5つのパンと2匹の魚を5,000人に分け与えたというエピソードがあることを思い出した。「獲れたもの」を平等に分かち合うのはいつの時代も困難だった。2018年12月、漁業の抜本的改革を70年ぶりに図るべく漁業法改正案が可決された。主な内容は船ごとに漁獲量を割り当てる資源保護制度の導入と、漁業権の地元優先枠の撤廃(企業参入を促す狙いがある)だが、現行の密漁者や売買業者すらほとんど取り締まれていないにも関わらず、この法律で何が変わるのかは大いに疑問だ。

密漁した魚も、日本の魚文化の内?

本書を読むと「特攻船(死の危険もある貧弱な装備で密漁を行う船)」や「レポ船(北方領土の旧ソ連領海での密漁を黙認する代わりにソ連向けのスパイ行為をしていた船。もちろん冷戦時代は日本側も彼らを利用していた)」などどんどん驚きの新出単語が出てくるが、筆者がいくらか知識があって、それをさらに深めることができたのがウナギに関する情報だ。ウナギ養殖に使う稚魚・シラスウナギは「白いダイヤ」とも言われるほど値段が高騰していて、国内ではシラスウナギがほとんど捕れないため輸入に頼っている。ファストフード店での提供やスーパーの「土用の丑の日」のために、大量のウナギが必要とされる(ちなみに、そうしたウナギを筆者は「ユニクロ・ウナギ」と呼んでいる)。ここまでが筆者の知識だ。

本書ではその「シラスブローカー」の真相を追っている。まず重大な出来事として、2007年に台湾から日本へのシラスウナギ輸出が停止となった。台湾の養鰻業者は著者の取材にこう答えている。

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「日本と台湾で、シラスが必要な時期は完全に重なりません。日本の業者は土用の丑の日に間に合わない、遅い時期のシラスを買いません。日本は自分が欲しい時期だけシラスを輸入し、台湾にはシラスやクロコを輸出してくれない。台湾政府は仕方なくシラスを禁輸したんです」(P303)

だがその後も専門店が多少値上げをしたぐらいで、現在も日本ではウナギが流通し続けている。著者が統計品別国別税関一覧表で平成26年(2014年)のウナギ輸入量を調べたところ、以前台湾から輸入されていたのとほぼ同量のウナギが香港から入ってくるように変わっていた。しかし、ヤクザ業界誌の知り合いから著者は「台湾-香港ルートに深入りすると、東京湾に浮かびますよ」と注意されたという。

こうして見ていると、私たちの何気ない(そして悪気のない)行動の集積がこうした裏貿易ルートの醸成につながっていることに気付かされる。本書に収録されている東京海洋大学の勝川教授への取材で、こうした状況を改善するためには公的機関主導の法整備が欠かせないと話をしている。

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どこの国の漁師も最初は規制には反対するものです。だから公的機関がイニシアチブを取らなくてはいけないのに、変わる兆しがありません。いまの漁業の枠組みは戦後の食糧難の時代に出来ました。場当たり的に獲れるだけ獲る。市場に並べておけばみんなが奪い合ってくれる時代でした。(P316)

この壮大なルポルタージュを、きたる東京オリンピックでの対外的な日本像の見せ方に触れ、「密漁など大した問題ではない」と痛烈な皮肉をこめて著者は締めくくる。オリンピックでは、表向きは「持続可能で環境に配慮した」魚を提供するとしている。しかし実際は何度も言うように、漁業権をコントロールできておらず、ましてや不正をコントロールする段階には到底至っていない。魚を文化として真の意味で大切にする必要性を、予想外のアプローチで読者に突きつけてくれる一冊だ。