聞き手:米田智彦、木村美穂 文・構成:木村美穂 写真:立石愛香 デザイン:大嶋二郎
2018年1月に、法律相談窓口サイト「fashionlaw.tokyo」が設立された。立ち上げたのは弁護士の海老澤美幸氏だ。「ファッション・ロー」は主にファッションに関する知的財産権の保護を推進する動きだが、同氏はこれに加えて従業員の労働環境やハラスメントなどの対策に関しても注力している。
実は彼女、かなり異色なキャリアの持ち主。総務省の官僚として働いていたかと思えば、2年弱で退職しファッション誌編集者として大手出版社に就職。さらにその後、渡英して有名スタイリストのアシスタントとして2年ほど活動。帰国後はフリーのファッションエディターとして活躍。「ファッション業界は法律に関わる問題が多い」と感じていた彼女は、ファッション業界に知見のある法律家を探していたが見つからず、「なら、自分がなればいい」と弁護士に転身した。
異色の経歴だが、昔から変わらないのは「ファッションが大好き」だということ。現在は弁護士をメインにファッションエディターとしても活躍する海老澤弁護士に、キャリア転身の理由や、弁護士としてファッション業界の法的現状などについて聞いた。
海老澤美幸
弁護士/ファッションエディター
1998年慶應義塾大学法学部卒業。自治省(現:総務省)入省後、岐阜県庁に出向。99年宝島社入社、『SPRING」編集部へ。2003年渡英し、スタイリスト・エディターのマルコ・マティシックに師事。04年に帰国し、Gunn’s MANAGEMENTに所属し、07年にs-14(エス・フォーティーン)に所属。ファッションエディターとして『マリ・クレール』『ハーパーズ バザー』『GINZA』等に携わり、『エル・ジャポン』のコントリビューティング・エディターを務めた。11年に弁護士を目指し、16年最高裁判所司法研修所修了(第69期)、弁護士登録(第二東京弁護士会)。17年1月に(株)ココネにインハウスロイヤーとして入社し、11月に林総合法律事務所入所。
ちゃんと一人で生活ができる、自立した女性になりたかった
―― 官僚からファッション雑誌の編集者、そしてスタイリストになるために渡英、今では弁護士と、文字面だけ見ると飛躍がすごいようにも感じますが、どんな経緯でこうしたキャリアに辿り着いたのでしょうか?
海老澤:ファッションは中学生ぐらいの頃から大好きだったんです。『Olive』や『CUTIE』あたりを愛読していました。職業選択に関しては、公務員家系でわりと固い家だったことや、ひとりっ子だったのもあり、小さい頃から「女性でも自立してちゃんと一人で生活ができるようになりたい」と思っていたんですよね。
大学では法学部だったので、弁護士になることも頭によぎったんですが挫折してしまって。でも一般企業に就職するイメージもできなかったので、「国も動かせるし面白そうかも」と思って官僚の道を選びました。
―― ただ、ファッション業界への道も諦めきれなかったと。
海老澤:官僚時代の上司からも「趣味の活動として続ける道もあるんじゃないか」と強く引き止められたんですが、自分の性格からしてそれは無理だったので1年半ほどで辞めてしまいました。
自治省時代は岐阜県庁へと出向しており「知事から岐阜県内のすべての市町村をまわってレポートを書くよう宿題をいただきました」とのこと。写真は視察の際のショット。
―― そして、宝島社に入社されるわけですが、なぜ宝島社に?
海老澤:たまたま採用募集を見つけたんです。ファッション業界への入り方を知らなかったんですけれど、ファッション誌に入れば道が開けるかも、と思って入社しました。
3カ月は『CUTIE』で研修。まだ伊賀大介さんがスタイリングしていた頃でした。本配属は『SPRING」編集部。月に2回発売していた時期だったので、楽しかったけれど眠れない生活でしたね。夜中の3時までコーディネートチェックして、早朝5時からロケへ行くような。女子高の文化祭が毎日続いているような4年間でした。
スタイリストになるべく単身渡英
―― 渡英されたきっかけは?
海老澤:自分が思い描くスタイリングの意図がスタイリストさんに届かないことがあって。こちらの指示が悪かったり、感性の違いだったりが主な理由なので、スタイリストさんが悪いわけじゃないんですけれど。誌面においてスタイリングってすごく重要なキーになるのに、そこにズレがあるのが耐えられなくなって。そこで、海外ではエディターがスタイリングもすると知って「そうだ、両方できるようになればいいんだ」と思ったんです。
―― ロンドンではどんな生活だったんですか?
海老澤: ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションという、イギリスで唯一のファッション系専門大学に入りました。ただ実践で学びたかったので、友人のツテでデザイナーやスタイリングなど色んなことをやっているマルコ・マティシックさんのアシスタントになりました。
―― ロンドンのファッションシーンはどんな感じでしたか?
海老澤:やっぱりメジャーではないですよね。ロンドンファッションウィークに登場する世界的に有名なブランドは、ポール・スミスくらいで、王室御用達のプリングル オブ スコットランド、あとはイーリー・キシモト、ソフィア・ココサラキ、キム・ジョーンズあたりが注目を集めていた頃でした。他はみんな、ロンドンでメジャーになったらパリやミラノに行っちゃう、という感じでしたね。
でもアンダーグラウンドな感じで、そういう意味ではドロップアウト感があって面白かったですね。
海老澤氏のスタイリスト修行時代。「自治省時代から一転して、全身黒ずくめ、重めの黒髪ショートカットでモード一色でした(笑)」とのこと。
―― 結局ロンドンはどのくらいいたんですか?
海老澤:2年くらいですかね。ビザの関係で、あまり長くいられなくて。アシスタントも1年半やったので。日本のファッション界を盛り上げなければという気持ちも出てきて、帰国して独立しました。
―― フリーのファッションスタイリストとして、ですか?
海老澤:スタイリング込みのファッションエディターです。『流行通信』に席を置いていたり、『フィガロジャポン ヴォヤージュ』創刊時に1年くらいいたり。『マリ・クレール』や『ハーパーズ バザー』、『GINZA』などいろいろお仕事させていただき、最後は『エル・ジャポン』のコントリビューティング・エディターをしていました。
「なら、私が弁護士になればいいじゃん」
―― そんなにファッション業界で活躍されていたのに、なぜ弁護士を目指したんですか?
海老澤:フリーランスで活動していると特に顕著ですが、正当な権利や報酬がおろそかにされてしまう、という問題に自分も直面するんです。ファッションエディターの場合は「二次使用料問題」という壁に常にぶつかるんですよ。記事や写真が勝手にポスターや中吊り広告になっていて、二次使用料が支払われないということが多くて。当時は紙オンリーからデジタルへ移行する頃で、さらにデジタルになったらどうなるんだ、っていうのもありましたね。「出版社と協定を結んだ方がいいんじゃないか」という話も出たんですが、結局立ち消えになってしまったり。
業界にハリウッドのようなカルテルがあればいいんですけど、ないですし。業界事情に詳しい弁護士の先生というのもいないように感じていたので「なら、私がなればいいんじゃん」ということで、弁護士になりました。
―― 「私がなればいいじゃん」で実際に弁護士になれることがまずスゴいですよ(笑)。今はあらゆるジャンルのメディアがウェブを活用していますが、二次使用料に関する状況は変わってきているのでしょうか?
海老澤:残念ながら変わっていないですね。そもそも、著作権はカメラマンに、肖像権やパブリシティ権はモデルに帰属するのは確実なんですけど、それ以外のヘアメイクやエディター、ライターなどクリエイターに関しては法律も判例もありません。一律でカメラマンに著作権が行ってしまうのが現状です。
それらを考慮すると調整が大変になるのはわかるんですけれど、契約当初や二次使用がわかった段階で同意を取っておけばいいと思うんです。著作権に関わらず、業界として慣行をつくることもできると思うんですよね。裁判の判例ができるまでにはかなりの時間がかかるので、業界から先に動かして慣行をつくっていき、裁判があった時に判例に反映させていくのがいいかと思っています。
―― 口約束が多い業界じゃないですか。クリエイターはどうしていけばいいでしょうか?
海老澤:ファッション・ローの弁護士たちは「必ず書面を作りましょう」と動き出したところです。契約は口頭でも成立しているのですが、支払われない時などトラブルの際に書面があれば証拠になります。たとえメールやLINEでもいいので文字に残しておいてほしいですね。
―― 仕事の予定を長期キープされていたのにキャンセルされたり、入稿済みの記事があっても出版前にキャンセルされたりみたいなこともあったりしますよね。
海老澤:よくありますね。時間と労力がムダになるし、本当はやりたかった他の仕事を断らざるを得ないなどの点でもすごくダメージが大きいので、こうした事態は絶対に防がなくてはいけません。
1つの解決策は、キャンセル料や、入稿後のキャンセルについてきちんと決めておき、書面化しておくことです。確かに、書面化しても、守られなければ結局は法的手続によることにはなるのですが、手間はかかるものの裁判などで解決できる可能性があるという安心感があるのと、少なくとも媒体社側へのプレッシャーにはなります。
ただ、やはりクリエイターと出版社などのクライアント側では上下関係があるので、クリエイター側からキャンセル料を定めてほしいとはなかなか言い出せない現状があります。また、クリエイターはお金の話をしたがらない人がとても多い(笑)。美学というか、クリエイターがお金の話をするのはなんだかカッコ悪いという風潮があるのは事実ですね。今の若い世代はその感覚が少し薄まっているようには思うのですが、まだまだその意識が強いように思います。
―― 確かにそういう風潮は感じますね。
海老澤:事務所によっては、事務所がそのへんの話をきちんと交渉したりするのですが、事務所としてもクライアントにそこまで強くは言いづらいですよね。そこで、ギャランティなどの交渉をお願いできる、弁護士やそれに近い専門家チームの存在をつくるべきだと思います。ただクリエイター一人ひとりで頼むのはなかなか難しいと思うので、みんなでシェアできるパッケージがあるといいなと思っています。
ギャラについては出版社などのクライアント側がある程度、前払いしてくれたらいいと思うんですよね。業界慣習的に難しいとは思うんですけれど、報酬の何%を前払いするといったようなものが根付けばいいと思っています。上下関係があるし、システムとしてクライアント側から変わっていかないと難しいことですけど、私たちがクライアントに働きかけていくなど、実現に向けて動いていきたいです。「キャンセルされるかも」という不安を抱えた状態でいいモノができるわけはないので、クリエイティビティの質を上げるという点でも、前払いなどの対策を講じることはクライアント側にとってメリットなはずなんですよ。そうした認識を広げていきたいですね。
二足のわらじを履いてこそ見えるものも多い
―― 他にもファッション業界で問題だと感じていたことはありますか?
海老澤:エディターに限らない話ですが、深夜2、3時まで働かせるような労働環境ですね。特に女性はライフステージもありますし、身体的にも厳しいです。過労で生理不順になる子や精神的に参っちゃう子も見てきているので、労働環境の改善をしようと思いました。
―― 労働時間もさることながら、アパレル業界は他業界と比べて賃金の低さもよく指摘されています。働き方についていかがお考えですか?
海老澤:業界の社長さんに「残業や休日出勤はだめですよ」と話しても、「うちみたいなところは残業しないとやっていけないですよ」とおっしゃるんです。残業しなくちゃやっていけないこと自体が問題なのに。
残業や休日出勤など労働力を疲弊させるのは、クリエイションに悪影響だと思っているんです。クリエイティブは、いい環境からしか生まれないと思うので。吐き出すだけでは空っぽになるだけ。それに、ファッションって夢を与えるものですよね。長時間で低賃金という過酷な環境では、夢を持つこともできないし、誰かに夢を与えるなんてできるはずがありません。
法律ももちろん大事ですが、やはり業界全体の意識を変えることがとても重要だと思っています。まずはトップから変われるよう、伝え続けることが大事ですね。
―― 業界を変えるために海老澤さんが出版社に働きかけたりはしているんですか?
海老澤:まずは自分に近いクリエイター側からですね。ブログで発信したり、直接こまめにクリエイターに伝えたり。JRAA(Japan Rep Agency Association)を通して、「契約はちゃんとしてくださいね」って伝えてもらったりがメインです。ゆくゆくは、弁護士を集めて法的に働きかけるか、出版社側に働きかけていきたいと思っています。
そういえば、最近ファッションエディターとしての仕事も再開したんですよ。
―― そうなんですか! 弁護士もやりつつですか?
海老澤:はい。今でもページを作る、ビジュアルを作ることが大好きで、性格上エディター業に集中しちゃうので、ここ数年でいいバランスを見つけていきたいですね。これまではファッションエディターからしか見えなかったモノ作り・ページ作りが、弁護士の視点でも見ることができますし、何か問題があった時、自分が業界で現役のプレーヤーだからこそ見えてくるものもあると思います。
―― 最後に、中長期的な目標を教えて下さい。
海老澤:弁護士は始めたばかりなので、ファッションエディターとともにやっていきたいですね。長期的には、法律相談窓口として「fashionlaw.tokyo」を主宰していて、これを広げていきたいです。既存のファッション・ローに関する取り組みは知財関係がメインなので、労働関係やハラスメントを含めた、網羅性のあるものを作りたいです。産業界のバックアップをとったものができればいいなと思っています。