今回のインタビュー対象である脇田氏は、エアコンから流れる風が室内の空気の向きや温度をどう変化させるかをビジュアライズした「Visualization of Air Conditioner」や、歩行時に靴の圧力が空気中に伝播する様子をシミュレーションした映像音響インスタレーションで、小室哲哉とのコラボレーションも話題となった「Scalar Fields」など、サイエンス(科学)とアートがクロスオーバーする作品を数多く発表してきた。
同氏は、以前あるイベントで「アーティストとサイエンティストは、もっとお互いの領域のことを学んだ方がより良いアウトプットができる」と語っていたのだが、それは具体的にどういうことなのかが気になって、今回のインタビューを申し込んだ。
近年、新テクノロジー開発のスピードがますますアップする中で、その知見を活かしたメディアアートも増えてきたが、脇田氏はそうした水準の話をしているのではない。今この世界で起こっていることはどういうことであり、それが何を意味するのか、どれほど人間の幸福に寄与するのかという「解釈」こそがクリエイティブな行為であり、そのためにこそアート・サイエンス両方の知見が必要だったのだと語る。
聞き手・構成:神保勇揮 文・写真:立石愛香
脇田玲(わきた あきら)
慶應義塾大学環境情報学部教授
ヴィジュアライゼーションとシミュレーションを用いてこの世界を再解釈するための作品を制作している。特に近年は、流体力学や熱力学のモデルに基づく独自ソフトウェアを開発し、科学と美術を横断する映像表現に注力している。並行して、慶應義塾大学SFCやSCI-Arc Tokyo Programにて、国内外の若手のアーティスト、デザイナー、建築家の育成にも従事している。これまでに、Ars Electronica Center, WRO Art Center, 文化庁メディア芸術祭, SIGGRAPH、日本科学未来館などで作品を展示。主な作品に、日産LEAFと一体化した映像作品「NEW SYNERGETICS - NISSAN LEAF X AKIRA WAKITA」、スパコン「地球シミュレータ」を用いた海流映像「海流大循環シミュレーション」(日本科学未来館に常設)、エアコンから流れる空気をアートとサイエンスの視点から可視化した「Visualization of Air Conditioner」(ダイキン工業との共同研究)などがある。2016年より音楽家小室哲哉とのコラボレーションを開始し、アルス・エレクトロニカ 2016での8K+5.1chのヴィジュアル・オーディオ・インスタレーション、MUTEK / RedBull Music Festival 2017でのライブ・パフォーマンスが話題を集めた。
http://akirawakita.com
建築からCADへ、CADからアートへ
―― 脇田さんは慶應義塾大学の教授になる前にラティス・テクノロジーという会社で働いていらっしゃったんですよね。
脇田:はい。当時は三次元CADのソフトウェアそのものを、プログラミングで開発するエンジニアでした。その後デザイン、アートと対象は変わってきていますが、コンピュータを使って何かするという行為にはこだわりがあり、道具は変えずにアウトプットの目的や方向が変わっているという感じです。
―― そもそも、脇田さんはなぜエンジニアを目指したのでしょうか。あるいはそれがデザインやアートの方向に移っていったのは、何か転換期のきっかけのようなものがあるのでしょうか?
脇田:それは、憧れへの幻滅みたいなものが積み重なったからですね(笑)。
僕が学生として慶應のSFCに入った頃は、建築をやりたかったんです。キャンパスの設計も話題になっておりドキドキして行ってみたら、とても使いづらい場所で(笑)。バス停を降りて噴水を横にして階段を上がって行くんですけど、その階段の奥行きが変わっていて、次の足を上げる前に2歩、3歩ぐらい歩くんです。
―― 幅がかなり大きいと(笑)。
脇田:そうそう。階段で上げる足が交互に替わっていくんです。どうも上がりにくいなと思って、後で建築の雑誌を見てみたら、馬の歩幅に合わせてあると(笑)。今考えると面白いんですけど、当時18歳の少年が考える建築というのは、もっとデザイン寄りで人間工学的だったんです。
他にもいろんなことが積み重なり、だんだん建築への情熱が失せていって、他の面白そうなことを探しました。そうした中である日、コンピュータグラフィックスに出会うんですが、あのコンピュータディスプレイのドットの集積から生まれてくる独特の感じ、生成感みたいなものに惹かれたんです。
自分の力で人様に見せられるような作品を創ってみたいと思ったので、しっかりとプログラミングの勉強するために、3次元CADの研究室に入りました。そこで研究していくうちに徐々に没頭して、気付いたら博士課程まで在籍していたという経緯です。
―― そこからよりアート寄りに移ったのはなぜですか?
脇田:CADの知識や技術力をしっかりと身につけた後で、実際にコンピュータグラフィックスの作品をプログラミングしてみると、そこまで必要とされる技術も高くないし、想像よりも簡単に作れるんですよね。
―― 誰でも簡単に、さっと作れることに価値がある世界ですよね。
脇田:そうそう。エンジニアリングの場合は、時間をかけてカチッと一個正確なものを作る。でもデザインはその逆で、スピードを出してどんどん回していくんですよね。エンジニアリングからデザインの世界に移ったときに、重力が減った感じがするんです。映画『ジョン・カーター』の世界に似ているというか「すっげえ軽い。飛べるな」みたいな(笑)。
PCのファンが常にフル回転しているような作品を創り続けたい
―― 脇田さんのウェブサイトの作品一覧に掲載されている、「INFOTUBE」など初期の作品は学生時代に制作したものですか?
1999年の作品「INFOTUBE」。 横浜の元町商店街にまつわる作品だが、単に商店街そのものをウェブ上で複製するのではなく、「元町に関する情報」を用いて空間を表現し、現実の商店街では知覚・体験できない方法で情報を提示することによって、商店街とウェブとの新たな相互作用の発生を試みた。
脇田:「INFOTUBE」は大学院時代ですね。博士課程にいた頃は結構暇で(笑)、じゃあ何か作品を作ろうと。研究室は3次元CAD関連でしたが、それと並行してデザインのプロジェクトを部活のようにやっていたという感じですね。ある日、建築家の松本文夫さんから連絡をいただきました。松本さんは現在は東京大学の総合研究博物館に勤めていらっしゃいますが、当時は磯崎新さんのアトリエから独立して、ご自身の事務所を設立された直後でした。
当時、僕のウェブにお寺の中を三次元でフライスルーするような習作を上げていたんです。松本さんがそれをご覧になったのがきっかけで、現在のSFCの同僚でもある松川昌平さんと3人で一緒に建築のコンペに出したのがINFOTUBEです。
―― 卒業後はフリーランスで活動されていた時期もあったんですね。
脇田:ラティス・テクノロジーは博士号を取得した瞬間にスパっと辞めてしまって、ウェブデザインの事務所に飛び込みました。1年ぐらいその会社で働いたのかな。一人で営業も開発もやって、売り上げの半分をインセンティブでもらっていました。当時は有限会社の設立でも300万円の資本金が必要な時代だったので、ここで会社の資金を作って独立したという感じです。
そこで得た資金とノウハウを元に自分の会社をつくりました。「Ryukyu ALIVE」が最初の仕事で、松本文夫さんとはじめとした多くの方々と協力しながら苦労して仕上げた作品です。それ以外にも3次元のユーザーインターフェースを作って納品するような仕事をしばらくやっていました。
2002年の作品「RYUKYU ALIVE」。沖縄県が制作したデジタルアーカイブ「Wonder沖縄」の全コンテンツを3D空間にレンダリングし、銀河系のように配置している。一定時間ごとにアクセスログを分析し、アクセスの少ないページのアイコンは、銀河の中心に徐々に引き込まれ、最終的に吸収されて見えなくなるといった要素も実装されていた。
―― その時は、どういうものをデザインされていたんですか?
脇田:何でもやりましたよ。3次元のUIや、普通のウェブサイトもいっぱい作りましたし、それだけでは食べていけないのでサーバの保守・管理もしていました。
―― 2000年代のウェブサイト制作では「映像や音楽を入れるとよりリッチになって良い」という派閥と、「それをやると表示が重くなるからやめろ」という派閥の議論が真っ二つに割れていた印象があります。
脇田:僕はその時手に入る一番速いPCを使って、めちゃくちゃ負荷の高いことばかりやっていて、いつもクライアントに怒られていました(笑)。
でも、そうした挑戦が表現を次のところに持っていくんじゃないかという気がしていて。コンピュータは量が質を上げる世界だと思うんです。だから、計算をゴリゴリして、ファンが常に回り続けるようなものには、今でもこだわり続けています。一方で、矛盾するようではありますが、匠の世界のような、かっちりガイドラインを作って、誰も迷わないシンプルなデザインにも憧れていましたけどね(笑)。
知る、可視化するということがどれだけ人を豊かにするのか
脇田:最近は、コンピュータをペンや紙の代わりに使っている人が多いのでみんな忘れちゃっていると思うんですけど、 これは“計算機”なんです。
パソコンに関して言えば、GPUというグラフィック処理専門の装置が入って、今はかなり速くなりましたね。かつては、数百万とか、下手したら数千万したようなマシンと同じぐらいの処理が市販のラップトップでできる時代ですよ。言ってみれば、F1マシンなんです。でも、多くの人はそれをまったく使いこなせなくてSNSで「いいね!」ばかり押している。もはやF1マシンでコンビニに行っているようなものだと(笑)。
―― 確かに(笑)。
脇田:ただ、それができるということはすごい時代なんです。シミュレーションとかビジュアライゼーションは一番計算負荷の高いものの一つで、それを個人がする時代が来た時に何が起きるかを考えているんです。
例えば、主婦(主夫)がスマートフォンで家事をシミュレーションして、洗濯物の干し方、間取り、掃除の仕方が劇的に変わるような、サイエンスで家事をする時代が来るかもしれない。
エアコンから流れる風の流れをシミュレーションして視覚化した「Visualization of Air Conditioner」は、今はPCで表示していますが、ゆくゆくはスマホアプリになる可能性もあります。部屋の中のどの場所が快適なのか可視化できるようになるので「一番心地よいこの場所をそっとあなたにプレゼント」といったコミュニケーションにも使われる日が来るかもしれません。そうなるとエアコンのデザインは機能の問題からコミュニケーションやエモーションの問題へとシフトする可能性もあります。
慶應義塾大学SFC脇田研究室とダイキン工業が共同開発し2017年に発表した「Visualization of Air Conditioner」。アートとサイエンスの視点から、室内の風の流れを美しく可視化し、エアコンへの再解釈を引き出すことを目的としている。
いろんなことがどんどんインターネットで民主化して、一般の人に下りていくと思うんです。
今の社会は、ニュースもデータも他人が解釈して編集した情報なんですよね。何が本当か分からないし、どんどん世の中が見えにくくなってきます。本当は一人一人がデータを使って今の政治や経済の状況をしっかりと可視化して、自分で判断できるようになるのが理想ですよね。
「批評的なアートは消費文明を乗りこなすべきである」ということ
―― 一時期、データサイエンスはバズワード化してましたが、世の中の多くの人が「内容はよく知らないが、言葉は知っている」という状態に持っていくことはやはり重要ですか?
脇田:サイエンスの言葉や概念について、内容がわからなくてもその言葉を知っているという状態を第一段階だとすると、第二段階に進むために必要になるのがアートだと思っているんです。
多くの人にとって、サイエンスは「なんか難しいな」と思考停止しちゃうものになっています。だからその魅力に気づかせるために、サイエンスの知見を用いたアート作品をつくって、入口を広げるという流れが世界的なムーブメントになりつつあります。それらの多くはついインスタにアップしたくなるような視覚的に魅力的な作品ばかりです。
―― 脇田さんの作品は一貫して抽象的なイメージを扱うものが多い印象がありますが、それは一方で目に見えない空気の流れや、概念のようなものを可視化し、「それは確かにそこにあるのだ」と具体的に認識を更新させるものでもありますよね。
脇田:どちらかというと、直接的な表現よりは抽象的なものを作ることに意識を払っています。「ただキレイなだけだ」という批判も受けますが、これに反論するとすれば、作品の見え方そのもの以上に、鑑賞のされ方、つまりコンテクストに凝っている部分もあります。例えば、毎年六本木ヒルズ行われている、「Media Ambition Tokyo」 というイベントに2年続けて私は出展しているのですが、このイベントはインスタグラム時代のアートのあり方や企業とアーティストの関係性そのものにターゲットをあてています。それに対して「インスタ映えするだけの展示だ」とか「商業主義的メディアアートだ」とかといった批判も聞きます。
でも私は、あえてそこに出展して、作品をスマホで撮らせる文脈に、アートとしての意味を置いています。どういうことかというと、インスタグラムではブガッティの車のハンドルを高級な時計をつけて握っているような類の写真がたくさんアップされてますけど、それはつまり、インスタグラムは消費文明や物質文明を最も楽しむための道具だと思うんです。
しかし、目には見えないですけど、今この瞬間も、ものすごく美しいな風の流れとか、空気圧の伝播が目の前に確実に存在していて、それはナイアガラの滝のように荘厳で魅力的なものかもしれない。でも、そうした「隠れた絶景」を普段人々は意識しないで、くだらない人工物ばかりに夢中になっているわけです。
人々が物質文明をもっとも楽しむ道具で非物質的なものを撮影するという現象が私の作品の前で発生します。ただ「キレイな楽しいもの」を作りたいというよりは、消費文明に対する僕なりの批判が、抽象的ともいえる作品の鑑賞の仕方の中には含まれているんです。
―― 消費文明の恐ろしいところは、元々の出自が消費文明でないものや、反消費的なスタンスですら消費できてしまうということにあったりしますよね。エコ的な態度を“消費”したりだとか。
脇田:そうなんですよね。そこは消費文明が複製可能性と深く関係しているからだと思います。反消費的な態度すらも複製可能にする技術が一般化しつつあるわけです。いろんなものに今はコンピュータが入り込んでいるじゃないですか。コンピュータは、ある意味で複製可能なものを作る装置なんです。
100年前に言われていたのは、絵画や彫刻のようにに自分から作品世界に入り込んで鑑賞するものが高尚芸術であり、それに対して、作品から自分の側に近付いてくる映画などは消費芸術で、レベルが低いと思われていました。でも、今一番権威のある芸術の賞は映画賞だと思います。複製可能技術が普及し、それが一般化し、かつてのレガシーメディアと置き換えられていくという繰り返しの歴史が存在しています。
お台場の「チームラボ ボーダレス」が最近話題になっていますが、あれは映画が世に出始めた時と同じで、リュミエール兄弟が最初にターミナルに鉄道がぱーっと入ってくる風景を撮って上映したら、みんな走って逃げたという話とリンクしますよね。
―― 「鉄道がこっちに向かって走ってくる!」というやつですね。
脇田:そうそう。ものすごい没入感のある体験をした一方で、それが芸術かどうかは、その時はわからなかったわけです。その後に、メリエスなどが物語を乗せていき、どんどん映画がナラティブな方向にいくわけです。さらに、エイゼンシュテインによるモンタージュとかブニュエルによるシュールリアリズム的なものとか、いろいろな技法が生まれて、そこから映画が芸術化していったじゃないですか。
チームラボが作ったものはかつてのリュミエール兄弟のフェーズにあるものであって、これからさまざまな表現手法や物語性が入ってくるんじゃないかと思うんです。そうすると、僕らが生きている空間そのものがアート化していって、自分の側にアートを寄せ切った状態が生まれる。複製可能技術はそのような流れを推し進めるし、それにともなう大衆化の流れを止めることはできないとベンヤミンは指摘しています。
―― 今のVR、ARに加えて触角や嗅覚なども表現できるようになったら、それはもう現実ですよね。
脇田:芸術というものに自分から入り込んでいかなくても、身の周りがどんどん芸術作品になっていくことをコンピュータは推し進めるんです。そうすると、一つ前のフェーズのアートはますます権威化されていくことになります。かつて大衆芸術と言われていた映画が現在権威を持つに至ったのと同じ流れが、デジタル技術を用いた作品にも起こっていくことでしょう。
サイエンスは世界の本質を明らかにする「創作物」である
―― 以前、リアルテックファンドのイベントで、脇田さんが「アーティストと科学者が一緒に組んでやっていくと、もっと面白いことができる」とおっしゃっていたのが印象的でした。
参考記事:「そんなの常識でしょ」という知識にこそ潜むビジネスチャンス。リアルテックファンドの「Mitaxis Class vol.1」レポート
脇田:アートとサイエンスを語る時に忘れてはいけないのは、「サイエンス自体がクリエーションである」ということなんです。例えば圧力とか温度というものは人類の存在以前から元々この世界にあったわけではなく、自然を理解するために人間が作った概念なんですよね。何もなかったところから、彫刻や建築のようにコツコツと積み上げた思考の蓄積みたいなものがサイエンスだと思うんです。
サイエンスというのは、はじめは空想から始まったものが、検証の末に普遍性を持っただけであって、その本質はクリエーションしているんです。そういう意味で、アーティストもサイエンティストも実は非常に親和性のある関係です。
あと、これは昔から言われていますが、アーティストとサイエンティストは同じ目的を正反対の軸から追及してる存在と言えます。
―― 「理系VS文系論争」というか、「理系の人間にも人文的な素養が必要だ」という発言が文系側からなされると、「現実社会の役に立たない抽象的な観念のどこが重要なんだ」という感じで理系側が反発するという光景はよくありますよね。自戒を込めて言いますが、じゃあ一方で文系がサイエンスを学んでいるかというと、そうではない。
脇田:もう、そういう議論は不毛でしかないですね。サイエンティストはデータドリブンに、アーティストはエモーションドリブンに世の中の真理を追求しているという違いだけであって、両者は同じゴールに向かって突き進んでいるのに。制度と無関係にサイエンスとアートを見つめれば、そういう変な縦割りはないと思うんです。本当は、両方自由にできるんじゃないかという気がしていて、寺田寅彦は100年前からそのように主張していますし、最近であれば、ジョン・マエダもかなり近い指摘をしています。
別の視点の話をすれば、文明は今までに細分化と高度化を突き進めてきましたが、それで何が明らかになったかというと、本質的なことはあまり明らかになっていないんじゃないかなと。なぜ僕らは生きているのか、なぜ私は一人しかいないのか、なぜ人間には言葉があるのか、誰も答えられていないですよね。細分化と高度化をいくら推し進めていっても。
そうであれば細分化の歴史を逆流して逆流して、サイエンティストもアーティストも分かれる前のもっと根源的なところからそういう問いに向き合った方がいいんじゃないかと思うんです。
―― 今の時代、革新的なテクノロジーやデバイスが大量に開発されている一方、それがこれまでの歴史からみて具体的にどうスゴいのか、新たに何ができるようになるのかという“言語化”が圧倒的に足りていない気がします。
脇田:それはとても重要ですよね。日々新しくなるテクノロジーに脊髄反射的に反応しているだけで、それが何百年、何千年という人類の営みの中でどのような意味を持つのか、分野横断的な検証を加える作業が欠如しているように感じます。科学界って細分化された領域ごとに学会があって、その中の権威のある学会に論文を通すことが多くの学者には重要であって、自分がやってきた営みが、違うジャンルの人にとってどういう意味や価値を持つかに興味を持ったり深く考えたりする人はとても少ないように感じます。
―― 「ジャンルを越境していく」というのは口で言うには簡単ですけど、実行しようとなると結構な負荷がかかりますし、明確な意思がなければ難しいですよね。
脇田:発見した法則、開発した技術が数十年年後、100年後に、何らかのカタチで使われることが多いからそれでもいいんですけどね。例えば、伊藤積分がファイナンスに利用されたり、ラドン変換がCTスキャンに利用できたりと。でも一方で、一人の人間としての人生は短いじゃないですか。自分がやっていることの意味や意義に納得して、世界の在り方を自分なりに解釈して死んでいくことができないと虚しいんじゃないかと私は思うんです。
―― そうした取り組みを日本で誰かやっていたかなと考えると、『WIRED』だったんじゃないかと思っていて。「日本のWIREDはただのテックポエム雑誌だ」と揶揄する人もいますが、まさにそうしたようなことを発見し、言語化していったことがあの雑誌の大きな功績だったんじゃないかと思います。
脇田:まさにそうだと思います。『WIRED』の編集長は思想家が多くて、ケヴィン・ケリーにせよ若林恵さんにせよ、思想と哲学をしっかり持っていましたね。ケリーであれば『Whole Earth Catalog』の編集に関わっていたこともあって、個人というものががインターネットによってどうエンパワーメントされていくのかを人類学的に考えていました。
若林さんはイヴァン・イリイチに言及することが多くて、システムとか制度とか技術とか、そういったもの盲信しないで批評的な立場をとっていたように感じます。だからこそ多くの人が巻き込めたわけですし、そこに希望もあったわけです。
自分が納得して死ぬためには、サイエンスとアートの両方が必要だった
―― 脇田さんの作品の多くは、何らかの物理現象をビジュアライズするための独自プログラムが組まれていますが、コンセプトを考えてじゃあ早速描こう作ろう、という類のものではなく、「このパラメータをいくつに設定するのがベストか」を何度も探るような地道な作業の連続ですよね。
脇田:ソフトウェアを作る時はしっかり物理学の本や論文を読みこんで、3年ぐらいプログラミングと向き合うんです。そして、作品を作ってみるとそこで発見があって、例えばグラスを置いて風の流れを見える化するソフトウェアを作ると、当初想像していなかった風の流れがあることがわかるんです。予想しないところに渦ができて、それが剥離していって、また戻ってきてとか。
なので、制作過程では物理学に緻密に作っているんですけど、どこかで必ずドキドキする発見があるんです。そこが取り憑かれている理由かもしれないですね。
地道な作業と言えば、実はシュミレーションの裏には、それが成功した一枚の画像にたどり着くまでに、おびただしい数の失敗作があるんです。例えば、1万回やってもほとんど失敗で、その中の1回だけ絵がうまく作れたりする。そういう感じで僕は作っているんです。あとの9,999回は、コンピュータのメモリが足りなかったり、シミュレーションされる数値の変化に処理が追いつかなかったりということが多いです。
―― なるほど。
脇田:エンジニアや技術者は、「1万分の1でしかうまくいかないじゃん」と思っちゃうけれども、その成功した一例からまったく新しい世界が見えてきて、一気に世の中が変わることもあるんです。そこをサイエンティストは信じているんです。
ただ、ここまでサイエンスとアートが結びつくべきだという話をしてきたものの、両者がコラボして作品を作りましたとか、アーティスト・イン・レジデンスをNASAに行ってやりましたということ自体は、そこに参加しているアーティストとサイエンティストにとっては実りあるものですが、それだけでは社会にポジティブな影響は与えられないと思うんです。
そもそもアートとは何か、サイエンスとは何かということを、両者の比較とか越境を通してもう一回考えることが必要だと僕は思っていて、そもそもアートとは何だということを比較する対象として、一番いいのはサイエンスだと思うんです。
個人の特異性、つまりパティキュラリティ(particularity)から世界の普遍性、つまりユニバーサリティ(universality)を見るのがアートの本質であって、一方でユニバーサリティというところから出発して、個別のもの、つまりパティキュラリティを見ていくのがサイエンスの本質なんです。それを意識した上で両者をもう一回見返してみようということが、アートとサイエンスを一緒に並べる意味だと思うんです。そのようなアートとサイエンスの本質を再認識するための場作りがもっとも大切な気がしています。
―― 脇田さんご自身がそういった思想に至ったのは、何かきっかけがあったのですか?
脇田:実は、3年前に癌になって今も闘病中なんです。病院のベットの中で「自分なりに世界の姿に納得してから死にたい」と思いました。そう考えたら、これまで専門としてきたCADやCGとは違って、自然や宇宙といったサイエンスに興味が行くし、その中でも流体力学とか熱力学などの万物が流転しているという世界観、ある意味で宗教的でもある世界に興味が行くし、それを自分なりに表現しようと思うとアートしかないんです。自分が納得して死んでいくためには、サイエンスとアートの両方をやる必要があったんです。
―― そうだったんですね。
脇田:私が興味を持っているのはテクノロジーではなく、あくまでもサイエンスです。日本では科学と技術が区別されずに、「科学技術」という言葉が使われていますが、私はこれらはまったく別のものだと考えています。例えば、滑車を使えばモノが楽に運べますが、最初は技術者があれこれ試行錯誤して発見したモノを運ぶための1つのテクノロジーでした。そして、滑車が社会に普及しても、それを使うとなぜ楽に運べるのか、しばらくその理屈は分からないままでした。それから長い年月を経て、「なぜそうなるか」という理論を、科学者が証明するわけです。テクノロジーが機能するかどうかと、それがサイエンスとして普遍性をもって説明可能かは別の話なのです。多くの人が両者の区別や本質を理解しないまま、「科学技術」を使っていることの危うさを感じています。
では、なぜ日本に科学技術という言葉が普及したかと言うと、幕末にペリーが来て開国を迫ったじゃないですか。あれが日本にとって科学技術との出会いだと言われています。その時にペリーが幕府に持ってきた贈り物はモールス信号の発信機と蒸気機関の模型だったそうです。蒸気機関が熱力学で、モールス信号は電磁気学ですね。両者は理論のみならず、装置としても実装されていました。その恐ろしい科学力と技術力でもって開国させたわけです。それを全力で追い掛けないと日本もすぐに列強に飲み込まれると感じて、国を挙げて両者を研究するわけです。つまり、日本には科学と技術が一緒に入ってきた。だからそれらを未だに区別せずに使っているという訳です。
その辺りの歴史的な経緯は、山本義隆さんの『私の1960年代』(金曜日)に詳しく書かれています。科学とは技術とは何かということを日本人はもう一回ちゃんと咀嚼しないとなりません。それこそ3.11の震災・津波・原発事故があっても国は相変わらず経済最優先で、何かが大きく変わったわけじゃないですよね。それは、一国のを政策を担う人々が技術の本質と科学の本質を分かっていないからだと思うんです。度重なる技術の失敗と積み上げがまずあり、それを普遍的な知識として科学化してきた。しかし原子力は先に純粋は理論があり、それを元に技術が生まれた。つまりそこには技術の積み上げが欠如しており、どうすればうまくいくのか失敗の経験がない訳です。でも原子力はインパクトが大きすぎて失敗なんて積み上げることは許されません。原子力にしてもナノマシンにしても、理論から生まれる先端技術はそのような本質的な問題を抱えています。
やはり、サイエンスはテクノロジーよりもアートと結び付いたほうが個人レベルでは幸せになれると思っています。政策はつまるところ個人の幸せよりも国家が生き延びることを目的としているから、サイエンスをテクノロジーと結び付けたのではないでしょうか。しかし、個人の幸福を追求するのであれば、サイエンスはアートと結びつくべきでしょう。人類の営みというものは究極的には「一人一人が幸せに生きていくためにはどうしたらいいか」ということの追求に行き着くんだと思うんです。