神保慶政
映画監督
1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏や南アジアを担当。 海外と日本を往復する生活を送った後、映画製作を学び、2013年からフリーランスの映画監督として活動を開始。大阪市からの助成をもとに監督した初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」は2014年に劇場公開され、国内主要都市や海外の映画祭でも好評を得る。また、この映画がきっかけで2014年度第55回日本映画監督協会新人賞にノミネートされる。2016年、第一子の誕生を機に福岡に転居。アジアに活動の幅を広げ、2017年に韓国・釜山でオール韓国語、韓国人スタッフ・キャストで短編『憧れ』を監督。 現在、福岡と出身地の東京二カ所を拠点に、台湾・香港、イラン・シンガポールとの合作長編を準備中。
コレクターは「アートの歴史づくり」を担う自負があるのか
アートとは一体何なのか。小崎哲哉『現代アートとは何か』(河出書房新社)は、そこへさらに「現代」という限定を付け加えて題名にしている。現代アート(コンテンポラリーアート)は定義によって指し示す範囲が異なるが、本書は「20世紀美術」、そして「最近のアート」という広い意味でも、現代アートという言葉を用いている。
現代アートは誰の手によって支えられているのか。作り手の前に、本書はまずコレクターから紹介しはじめる。単に紹介するだけでなく、著者はそれぞれの人物の活動の是非を、懐疑的な評価とともに記している。
前カタール首長の娘・マサッヤ王女の例を見てみよう。マサッヤ王女は現代アートを支える主なコレクターの一人だ。カタールの国民のアイデンティティとして、アートを推進したいとTED WOMANで語ったという。しかし一方で、アートは巨額のお金をもたらすビジネスだとも発言している点に、著者は注目している。中東の国カタールが、アートの歴史に加担する。その流れと彼女の活動を、著者はこのように評している。
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「才能あるキュレーターを地球規模で発掘する」という企てのためにプラダ財団とともに創設した「CURATE AWARD」という賞も含め、あまりにも相手の土俵に乗りすぎではないか。しかも、収集した作品は、アート史がお墨付きを与えた傑作ばかり。そのアート史を編纂したのは西洋であり、カタールを含めた非西洋は一切「正史づくり」に関わっていない。(P46)
著者はただ否定するのではなく、マサッヤ王女の意志をある程度認めつつ、「本当にそれでいいのか」と疑問を投げかける。現代アートとてマーケット、つまりグローバル資本主義に支えられている。本音と建前が異なることも多くある。マサッヤ王女の場合、中東の一国がアート史を更新するような、もっと違う役割があるのではないかという提案がなされており、彼女の他に紹介されている人物に関しても、アートの未来を憂慮した考えが綴られている。
現代アートを構成する三大要素
アートがアートであること、そして現代的である(アートの文脈に沿っていて、それを更新するものである)ということはどのようにして決まるのか。これは鑑賞者だけの疑問でなく、アーティスト、コレクター(バイヤー)側も常に意識していることだろう。
著者は、現代アートの三大要素を下記のように紹介している。
1. インパクト(かつてなかったような視覚・感覚的な衝撃)
2. コンセプト(作家が訴えかけたい主張や思想、知的なメッセージ)
3. レイヤー(鑑賞者に様々なことを想像、想起、連想させる重層的に作品に組み込まれた感覚的・知的要素)
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鑑賞者が作品に接する。凡庸な作品でなければ、最初にインパクトがあるだろう。お笑いで言えばツカミである。次に鑑賞者は、作品を構成する要素から、何かを連想したり、想起したり、想像したりする。アート作品が「想像力を刺激する」とは、つまりこういうことであり、レイヤーとはひとことで言えば「連想した事柄」総体のことだ。(P360)
たとえば、日本の現代アート集団・Chim↑Pom(チンポム)の活動はどのようなインパクト・コンセプト・レイヤーがあるだろうか。チンポムは広島の空に軽飛行機で「ピカッ」という文字の飛行機雲をつくったり、渋谷駅に展示されている岡本太郎の壁画「明日の神話」の横に福島原子力発電所の原発事故を想起させる絵が描かれた板を貼ったりと、アート業界の枠を越えて世間から注目されることもしばしばだ。
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僕が評価したいのは、彼らの反射神経のよさとフットワークの軽さである。「明日の神話」は米軍の水爆実験で被爆した第五福竜丸の悲劇に取材したものだが、ベニヤ板を公衆の眼前で貼り付けたのは、前述したように福島原発事故のわずか50日後。(P317)
岡本太郎財団に「明らかにアートの文脈で行われた行為」と言わしめた一方で、いたずらだという「明日の神話」保全継承機構、そしてマスメディアの間では賛否両論が多く巻き起こった。しかし、上記の三大要素を勘案すると、チンポムの行動はまぎれもなく「現代」の「アート」ということになるだろう。
現代の「現代アート」はどうあるべきか
本書は作り手側、つまりアーティストの心理に関しても話は広がる。著者は、複数にまたがる場合、または重複する場合もあると前置きしつつ、現代社会においてアートが創作される動機を7つ挙げている。
1.新しい視覚・感覚の追求
2.メディウムと知覚の追求
3.制度への言及と異議
4.アクチュアリティと政治
5.思想・哲学・科学・世界認識
6.私と世界・記憶・歴史・共同体
7.エロス・タナトス・聖性
これらを知っておく必要があるのは、作り手や、アートを見せる側の人間だけではない。むしろ大切なのはアートの鑑賞者が能動的に作品に入り込むことだという。そのことを、マルセル・デュシャンの言葉を引用して著者は説明する。
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つまるところ、創造的行為はアーティストだけでは果たされません。鑑賞者が、作品の内なる特質を解読し、解釈することによって作品を外界に接触させ、かくして自らの貢献を創造的行為に加えるのです。このことは、後世が最終的な判断を下し、忘れられたアーティストを折々に復権させることによって、さらに明らかになることでしょう。(P266)
こうして作りあげられるアートは、当面インスタレーションが中心になっていくと著者は予測している。インスタレーションとは絵画のように額縁の中の絵だけでなく、展示空間そのものも含めて作品とする表現手法のことだ。
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それは、芸術家と鑑賞者が変容する一方、視覚情報が指数関数的に増大する時代に特徴的な志向である。時代が質的にして量的な要請を行っていると言ってもよい。優れた現代アートは今日、すべからくコンセプチュアルなインスタレーションであるべきなのだ。(P385)
より視覚的・体験的になったアート。鑑賞者はそこから何を持ち帰ることができるのだろうか。筆者は最近、福岡市科学館(2017年10月開館)に訪れた時に、美術館のインスタレーション展示が応用されたような、子どもと大人が一緒に楽しめる、インタラクティブな展示の数々を体験した。
現代アートというとわかりにくいイメージがあるかもしれないが、時にやや辛口な著者の筆致からは、アートがより一般に浸透し、より健全なサイクルが生み出され続けることを願う、アートへの愛情が感じられる。「現代アート」がわかりにくいと感じている方、ご自分の考えを既にお持ちの方、どちらにとっても読み応えのある一冊だ。