2018年4月、スーツのAOKIがビジネスファッションのサブスクリプションサービスを始めた。「suitsbox」というこのサービス、月額7,800円(税抜)から自分に合ったスタイリングのスーツ・シャツ・ネクタイのセットが毎月届くというもの。
スーツにはそれなりにお金をかけたいけど、自分に合う一品を探す手間やクリーニング・保管などの費用と手間を省きたいという人には非常に便利なサービスだ。
このsuitsboxのサービスデザインおよび開発に大きく寄与した開発パートナーがいる。CI&TというグローバルIT企業だ。Google Venturesが提唱しているデザインスプリント(5日間など短期間の締切を設け、一気に新規サービス開発や既存ビジネスのブラッシュアップや課題解決を行うワークショップ手法)を取り入れ、顧客もチームメンバーに加えてしまうという手法でプロジェクトの満足度アップを実現している。
世の中にはブレスト論や「○○思考」など、「生産性をアップするための方法論」に溢れているが、今回はsuitsboxという事例を通じて「方法論を実践にどう落とし込んだか」をみていきたい。
高見沢徳明
株式会社フレンバシーCTO
大学卒業後金融SEとして9年間勤めたあと、2005年にサイバーエージェントに入社。アメーバ事業部でエンジニアとして複数の案件に従事した後、ウエディングパークへ出向。システム部門のリーダとなりサイトリニューアル、海外ウエディングサイトの立ち上げ、Yahoo!などのアライアンスを担当。その後2012年SXSWに個人で参加。また複数のスタートアップ立ち上げにも参画し、2016年よりフリーランスとなる。現在は株式会社フレンバシーにてベジフードレストランガイドVegewel(ベジウェル)の開発担当。
ビジネスファッションをもっと自由に、もっと楽しくしたい
suitsboxの特長は、スーツ・シャツ・ネクタイがボックスで送られてきて、着たらクリーニングなどせずにそのまま返却するだけ。その後、新しいものがまた送られてくる。落ち着いた色柄を基調とした「ベーシック」、明るめな色やダブルなど特徴的なデザインを楽しむ「トレンド」、上下セパレートの「ジャケット」の3つのバリエーションが楽しめる。
コースは3種類から選ぶことができ、価格帯は7,800円(スーツ・シャツ・ネクタイが1つずつ。以下、価格は全て税抜)から2万4,800円(スーツ3セット・シャツ5枚・ネクタイ3本)まで。コースごとの違いはアイテムの点数だけだ。気になる品質だが、海外の有名ブランド生地を使ったスーツも入っていて、こだわりを持ったユーザーに評判がいい。スーツはAOKI店舗での販売価格にして、約6万円から8万円クラスのものを提供している。コースによる違いは着数の違いだけだ。
利用者のレビューによると「自分だったら普段セレクトしないというコーディネートだが、周りからの評判は上々。こういうのが似合うんだって発見があった」とのこと。
普段着ないダブルのスーツをセレクト。生地はイタリア製。
普通スーツを買うとなるとオールシーズンで着られる中間生地のものが多いが、このサブスクリプションでは季節に適したアイテムが入っていて着心地も良いようだ。
サイズの選択もいたってスムーズだ。身長とウエスト・股下を測って入力するだけでピッタリのスーツが届く。AOKIが持つサイズのビッグデータがあり、ほぼこの数値だけでサイズが特定できるという。仮にサイズが合わなかった場合でも初月であれば無料で交換可能とのこと。また、プラス5,000円を支払うと何度でもボックスを交換できる「借り放題オプション」もある。
こうした細部にこだわったサービスが受けて、初回リリース時のアンケートでは8割のユーザーが「満足」と答えている。
すべての始まりはAOKIの社内事業プランコンテストから
suitsboxのプロジェクトはAOKIの社内事業プランコンテストからスタートしている。
suitsboxは「普段AOKIを利用しない層」をターゲットにしている。この企画のために消費者インタビューを対面で行い、自宅のクローゼットまで見させてもらうという徹底したリサーチを重ねた。
「普段AOKIを利用しない層」はスーツにはこだわりを持っている人が多く、オーダーメイドのスーツを購入している。まずニーズとしてあったのは「人が持っていないスーツが着たい」というもの。そして「自分にピッタリのサイズのスーツが欲しい」という要望であった。加えて、金額、メンテナンス性(クリーニングの容易さなど)、収納などの問題があった。その結果、サブスクリプションであれば解決できるという結論に辿り着いた。
このサービスの仕掛け人の一人である、株式会社AOKI suitsbox事業部システムディレクターの谷澤雄一郎氏によれば、サブスクリプションビジネスに当初懐疑的な見方も社内にあったのでクラウドファンディングサービスのMakuakeを使ってテストマーケティングを行ったという。
サービス開発のパートナー、ブラジル発の「CI&T」とは
suitsboxのサービス開発にあたって大きな貢献を果たしたのが、1995年にブラジルで創業したグローバルIT企業のCI&T(シーアイアンドティー)だ。「大企業のデジタル変革を支援する」というスローガンでFortuneに掲載されている企業を中心にクライアントがおり、毎年30%の成長を続けている。主要なクライアントにはコカ・コーラやアステラス製薬があり、コカ・コーラではFIFAワールドカップ2014年に行われたプロモーション「Happiness Flag」を手がけている。
コカ・コーラの「Happiness Flag」。207カ国のサポーターの顔写真が1枚の大きな旗になるというモザイクアートだ。
今回、CI&Tの提案により、suitsboxの方針・概要要件を策定するにあたって「デザインスプリント」というワークショップ手法が用いられた。
CI&Tマーケティングリーダーの川渕洋明氏とAOKI suitsboxの 谷澤雄一郎氏
実践・デザインスプリント
デザインスプリントとは、「5日間など短期間の締切を設け、一気に新規サービス開発や既存ビジネスのブラッシュアップや課題解決を行うワークショップ手法」という説明を上で記した。加えてそれぞれの日に行うことが大まかに決まっている。例えば月曜から金曜の5日間とするとこうだ。
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月曜:問題提起・情報収集
火曜:解決方法をスケッチ
水曜:どれが一番よいか決める
木曜:プロトタイプ
金曜:検証
1日は8時間で、プロジェクトに関わる全員が参加するのが望ましい。今回のケースで言うとCI&Tのメンバーだけでなく、クライアントであるsuitsboxの担当者3名も参加して実行した。この間は完全にプロジェクトにフォーカスして他のことは行わないことを徹底する)。特にワークショップ作業中はパソコンも携帯電話も触れず、アナログですべてのプロセスを行うようにする(休憩時間のメール確認などはOK)。それでは、一つ一つのプロセスを簡単に説明しよう。
まず月曜の「問題提起」ではとにかくアナログに課題を付箋に書き出していく。この時、他の人の意見は一切否定せず、とにかくどんどんアイデアを出していくことが重要だ。「情報収集」ではパソコンやスマホを使うことはあってもよい。ただ、それも使用時間を決めて集中し短時間に行う。
火曜の「解決方法をスケッチ」では参加者全員が模造紙にラフに解決策のアイデアをスケッチし、壁に貼りだしていく。ここでもアナログを徹底する。
水曜にはどのアイデアが良いかを投票で決めていく。ここでは全員がフラットな立場で上下関係は関係なしに決めるのがポイントだが、人数や責任の大きさ等を考慮してひとりの票数を増減して調整するのも良い。
木曜はプロトタイプを作成するが、実際のプログラムを作るのではなく、模造紙に書き出していくのである。そして、金曜の「検証」では作ったプロトタイプが効果的なのかを想定ユーザーなどに触ってもらうことで確認する。
このような流れが一般的なデザインスプリントだが、suitsboxの場合は時間の制約もあり2日に短縮し凝縮した形で実施した。
2日間ですべてを出し切ったsuitsbox版デザインスプリント
では、実際に今回のケースでデザインスプリントがどのように進められていったのかをみていこう。
最初に、プロジェクトで成し遂げたいミッション・ステートメントを全員で決める。それぞれにアイデアを出してもらって、その中で調整して決めていく。そして前提となるビジネス条件も書き出していく。これを踏まえて話さないと、脱線したり無駄な議論になってしまうからだ。
大事なミッション・ステートメントを決める
ミッションの達成にあたっての課題・障害は何か。全員が付箋に書き出して、投票して決めていく。今回はスーツの配送やメンテナンス、課金フローの設計といったものが挙がった。
次は、各課題に対して2人ずつのチームを作って解決策のアイデアを書き出していく。今回のケースではそのまま活用しているわけではないが、こうした際には例えば「Crazy 8(クレイジーエイト)」といった手法を用いる。Crazy 8とは紙を用意して8つに折り。その1マスに1アイデアを8分で書いていくというもの。つまり1アイデアにつき1分で書かなくてはいけない。絵の描き方にはコツがあるとのことで、それを体得すればどんな人も簡単なイメージ画像が描けるという。
スケッチされた解決案に投票していく
ここまででようやく1日が終わる。続く2日目は課題の解決方法に投票を行う。
投票に先立ち、課題解決策に関して一人ひとり自分のアイデアの説明を行う。質疑応答も随時行う。そうすることで自身のアイデアへの理解がより深まるからだ。投票はどんな小さな、部分的なアイデアに対しても良いと思えば付箋やシールを付けていいとのこと。
こうして絞り込まれた解決策を盛り込んで、プロトタイプを作成する。プロトタイプは実際に動くプログラムではなく、模造紙に実際のアプリや画面の絵を書いていく。文言も含めて実際の製品・サービスを想定したものを書いていくのが望ましい。手を抜いてhogehogeなどの仮置き文言を書くのは好ましくない。
このようにして完成したプロトタイプが効果的かどうかを想定ユーザー等に触ってもらい検証するのが金曜日にやることであるが、都合上今回は省略された。
デザインスプリントの実行には、ファシリテーションが非常に重要である。どのアイデアを拾ってどのアイデアを捨てるのか。ある程度の時間で議論をまとめ上げる必要もある。今回は過去に実施実績のあるCI&Tのオペレーションディレクター 古賀和幸氏が担当した。
とにかく、通常なら5日で行うものを2日で凝縮し、なおかつ紙上とはいえプロトタイプまで作り込むこの作業。参加者にとっては大変ではあったが充実した時間であり、一体感も醸成されるという効果もあったという。
最も重要なのは「意思決定権者を巻き込むこと」
CI&T オペレーションディレクターの古賀和幸氏
デザインスプリントの実行において何よりも大事なのはステークホルダーから権限移譲された「意思決定権者をメンバーとして巻き込むこと」である。全てのプロセスをきちんと共有および理解しているので齟齬が生じない。顧客と開発パートナーが協力関係にあるので、探り合いや行ったり来たりのやり取りも少なく、コミュニケーションが非常にスムーズである。
デザインスプリントの方法論は様々なものに応用が効く。新オフィスのデザインや組織改編など、ソフトウェア開発でないものにも使える。だからこそ採用する企業も増えており、LEGO社では年間150件のデザインスプリントを回しているようだ。CI&Tの川渕氏が過去に受講したワークショップでは、「ランチで頼むピザの具材をどうするか」という題材でデザインスプリントを練習したらしい。
まだまだ進化するsuitsbox
suitsboxで届いたダブルのスーツでキメるCI&Tマーケティングリーダーの川渕氏
すでにsuitsboxを利用しているユーザーからのフィードバックも入ってきている。80%が満足と答えているとのこと。好調な滑り出しだ。オーダメードスーツを購入していたユーザーも試してくれているようだ。現状は身長が160cmから180cmと限定されているが、徐々に拡大されていくだろう。
suitsboxは今夏にもこのサブスクリプションでしか手に入らないオリジナルスーツも投入していく予定だ。ぜひ期待したい。