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渡辺由佳里 Yukari Watanabe Scott
エッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家、マーケティング・ストラテジー会社共同経営者
兵庫県生まれ。多くの職を体験し、東京で外資系医療用装具会社勤務後、香港を経て1995年よりアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』で小説新潮長篇新人賞受賞。翌年『神たちの誤算』(共に新潮社刊)を発表。他の著書に『ゆるく、自由に、そして有意義に』(朝日出版社)、 『ジャンル別 洋書ベスト500』(コスモピア)、『どうせなら、楽しく生きよう』(飛鳥新社)など。最新刊『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)。ニューズウィーク日本版とケイクスで連載。翻訳には、糸井重里氏監修の訳書『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社)、『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)など。
連載:Cakes(ケイクス)|ニューズウィーク日本版
洋書を紹介するブログ『洋書ファンクラブ』主催者。
アメリカの報道や出版業界まで広がる#MeTooの余波
ビル・オライリー氏
ハリウッドの映画界で大きなインパクトを与えた#MeTooムーブメントは、勢いを弱めるどころか、アメリカの報道や出版業界にまで広まっている。
著名な政治アナリストやニュース司会者が次々と職場でのセクシャルハラスメントや性的暴行で告発され、アメリカ社会に大きな衝撃を与えた。初期に名前が上がった大物は、16年間視聴率トップを誇った保守系政治番組『オライリー・ファクター』の司会ビル・オライリーだった。引き続き、元ABCテレビ政治局長でMSNBCとブルームバーグ・テレビのシニア政治アナリストであるマーク・ハルペリンも告発された。どちらも同業の多くの女性に性的暴行や仕事上のハラスメントを行ったことが判明し、人気番組の仕事を失った。
だが、オライリーとハルペリンが失ったのはテレビの仕事だけではない。彼らはどちらもベストセラー作家としての側面を持つ。セクハラ事件は、作家としての彼らの仕事にも影響を与えた。
保守派に絶大なるファンを持つオライリーの著作は、出せば必ずAmazonのランキングでトップに躍り出る。オライリーによる歴史ノンフィクションの「キリング」シリーズは、セクハラ事件が問題化した当時1,700万部流通しているほどの人気作品だった。
ハルペリンは2008年大統領選挙の裏舞台を描いて超ベストセラーになった『Game Change(邦題:大統領オバマは、こうしてつくられた)』の共著者で、セクハラ事件が明るみになったときには、新刊の発売を目前に控えていた。
セクハラ事件が問題化した後、オライリーを担当していた文芸エージェントのウイリアム・モリスは彼をクライアントから外したことを発表した。そして、ハルペリンが共著した新刊の発売は中止になった。
出版業界にとってはインパクトが大きいセクハラ/性的暴行事件は、まだ収まる様子はない。
指導するふりで性的な関係に持ち込もうとする作家たち
2018年に入って児童書作家によるセクハラ/性的不品行が問題になった。
まずは絵本のイラストレーターとして大きな賞も受賞した大物のディヴィッド・ディアスだ。彼は数年前にも問題を起こしたのだが、それにもかかわらず再びセクシャルハラスメントを行って訴えられ、出版の準備ができていた新刊の出版が停止された。
ディアスに関する「School Library Journal(学校図書館雑誌)」の記事をきっかけにして浮上してきたのがティーン対象のヤングアダルト(YA)部門の作家たちのセクシャルハラスメント/性的不品行疑惑だ。
コメント欄でセクシャルハラスメントの加害者として何度も名前が出てきたのが『The Absolutely True Diary of a Part-Time Indian(邦題:はみだしインディアンのホントにホントの物語)』の作者シャーマン・アレクシー、『Thirteen Reason Why(13の理由)』の作者ジェイ・アッシャー、『Maze Runner(メイズ・ランナー)』のジェイムズ・ダシュナーだ。この後、複数の被害者が実際に名乗り出て、これらの作家たちをセクシャルハラスメントと性的不品行で告発した。
当時既婚者だったこれらの作家は、アマチュアや新人作家が集まる場所で、若い女性をターゲットにして「君の作品を読ませて」、「君には才能があると思う」といったアプローチをし、指導するふりで性的な関係に持ち込もうとした。
事件が明らかになった後、アレクシーは新刊の発売を遅らせただけだが、ダシュナーによる大人向けの小説を出版する予定だったランダムハウスは契約をキャンセルした。そして、アッシャーの文芸エージェントは彼をクライアントから外した。いずれの作家も、何百万冊も売っている超売れっ子だったが、それでも出版社や文芸エージェントは彼らを切り捨てたのだ。
『13の理由』は、ネットフリックスで配信され始めたドラマが大人気になっていたところだった。
出版業界にとって、#MeTooはモラルの問題だけではなく、経済的な問題になっている。
#Metooが与える経済的損失
たとえば映画化もされたダシュナーのヒット作『メイズ・ランナー』のボックス・セットだが、4月23日発行のパブリッシャーズウィークリー誌によると、セクハラ疑惑が発覚した月の売上はその前の月から55%も減少している。
その理由は容易に想像できる。
児童書を読者や親に薦めるのは、女性が圧倒的に多い図書館員や小学校の教師だ。そして、わが子への本の購入を決めるのはたいていの場合は母親だ。選択の決定権を持つ女性たちが、セクハラを行った男性作家の本を買わなくなるのは当然のことだ。
既存の作品の売上が落ちるだけならダメージは少ないが、アメリカの場合には、発売の準備ができていた本がキャンセルされた場合のダメージは甚大だ。とくにベストセラーが期待される本の場合には。
アメリカの出版業界では時間をかけて本を作る。超ベストセラーが期待される本の場合には動く金額も大きい。たとえば契約時に前もって支払われる「アドバンス」の金額もだが、作者によっては何億円以上にもなる。また、出版社は製本の単価が高いレビューやプロモーション用のARC(アドバンス・リーダー・コピー)を発売の数カ月も前から配布して宣伝に力を入れる。発売が目前に迫った本の場合には、販売用の本がすでに何万部も出来上がっており、配本の手続きも済んでいる。それらが、スキャンダルのために一瞬にして台無しになるのだ。
2017年3月に発売予定だったマイロ・ヤノプルスの『Dangerous(デンジャラス)』という回顧録のケースも出版社のサイモン&シュースターにとっては痛い経験だった。
ヤノプルスは、トランプの大統領選勝利に貢献したといわれるオルタナ右翼メディア「ブライトバート・ニュース」の編集長だった。
32歳で同性愛者というデモグラフィックデータではリベラルなグループに属しながらも、ヤノプルスは著しく右寄りの論客だった。そのギャップが注目を集め、ヤノプルスは右翼のアイドル的な存在になった。それに目をつけたサイモン&シュースターが、大統領選直後の2016年12月にヤノプルスと25万ドル(約2,500万円)のアドバンスで出版契約を結んだのだった。
ヤノプルスと契約したサイモン&シュースターは、業界内部からの激しい批判にさらされた。シカゴレビューはヤノプルスの本のレビューを拒否すると公言し、サイモン&シュースターと契約している作家たちは出版社と手を切ると脅し、ボイコットを呼びかけた。なぜなら、ヤノプルスは「白人優越主義者」であることを隠そうともせず、黒人女優のレズリー・ジョーンズを攻撃してツイッターのアカウント停止をくらうほど、マイノリティへの差別やヘイトを堂々と推奨していたからだ。
それでもサイモン&シュースターは、「言論と表現の自由」を理由にヤノプルスの本を擁護した。
モラルより利益を重視して出版の決定を下す出版社
それが一転したのが、2017年2月に公開された右翼系のインタビューでのヤノプルスの発言だった。
ヤノプルスは、「13歳の少年と大人の男性」を例に出して児童性愛を肯定したのである。そのビデオは全米に広まり、それまでヤノプルスを支援していたオルタナ右翼までもが彼を批判するようになった。その結果、サイモン&シュースターは翌月に迫っていた本の出版をキャンセルした。
しかし、これらの作家の不品行で経済的打撃を受けた出版社が一方的な被害者かというとそうではない。
ヤノプルスの過激で差別的な言動は誰もが知っていたし、YA作家たちのセクハラ行動も業界内ではよく知られていたようだ。出版社は彼らの不品行を知ったうえで、モラルより利益を重視して出版の決定をしたのだ。
アメリカの出版業界は女性が8 割近くを占めるというのに、このような環境にあることを不思議に感じるかもしれない。しかし、インターンや大学卒業直後の「エントリーレベル」の女性は多いのだが、管理職のレベルになると男性が4割に増え、トップに近づくにつれ男性が多くなる。つまり、女性が多い世界にもかかわらず、決定権を持つのは男性が多いのだ。
こういった歪のせいか、若い女性が男性上司や作家からのセクハラを報告しても上部でもみ消されてしまうようだ。セクハラが蔓延する出版業界の様相を、17年10月のパブリッシャーズウィークリーの記事が報告している。
こういった環境では、作家に多少悪い噂があっても、彼らの作品が売れる限り出版社は見て見ぬふりをする。表層的にはリベラルな出版業界も、ハリウッドの映画産業と同様にモラルより利益を重視したのだ。
だが、男性作家のセクハラや性的不品行による経済的な打撃が連続して起こったことで、出版業界も対応を変えなければならなくなった。これも、モラルというより経済的な視点からだ。
悪質な男性作家たちはハイリスクを抱えることに
#MeTooムーブメントのおかげで、これまで見過ごされてきた男性作家たちの悪行が表沙汰になる可能性が高くなった。これらの作家は、投資としてハイリターンだが、リスクのほうが大きくなってきている。ハイリスクの作家は大きな損失をもたらすことがある。
ハイリスクの作家が損失をもたらすことがわかったとき、出版社はさっさと損切りをしたくなる。だが、契約社会のアメリカではそれも簡単に行かない。
アメリカでは作家は文芸エージェントを通して出版社とネゴシエーションして契約を取り交わす。作家であれ、出版社であれ、その契約に違反すると違約金として大金を払わなければならないことがある。だから、問題が発生しても、出版社はなかなか出版の中止ができないし、作家と縁を切るのもむずかしいのだ。
サイモン&シュースターは、出版したら四面楚歌になることが判明した時点でヤノプルスの本をキャンセルした。公の理由は「本の内容が気に入らない」というものだった。しかし、3月に出版する本はすでに準備ができていたはずだから、これは単なる言い訳だ。この言い訳を使わざるを得なかったのは、契約書の中で解約に利用できる項目がこれしかなかったからだ。
そこでヤノプルスは契約違反でサイモン&シュースターを控訴したが、後にそれを取り下げた。
こういった面倒な体験から出版社が護身のために考慮しはじめたのが、「moral turpitude(不道徳行為)」の項目を契約書に入れることだ。この項目を入れておけば、作家が性に関する問題を起こしたときに一方的に契約を解除できるというわけだ。
もちろん文芸エージェントや作家はそれに反対している。そもそも出版業界は「言論の自由」の賛同者であるべきだし、「不道徳」の定義を決めるのが出版社だというのも理に適っていない。これが進むと「言論の抑圧」になる恐れがある。
これらの理由で出版社が「不道徳行為」の項目を契約書に入れることはむずかしいだろう。だが、それが実行されなくても、これからの出版社はハイリスクの作家に対して慎重になるだろう。セクハラは、出版社にとって経済的に大きなリスクになったのだ。
#MeTooムーブメントがこれまで多くあったセクハラ告発と異なるのは、ハリウッドの映画産業でも、報道でも、出版業界でも、大物を次々と倒して経済的な打撃を与えたことだ。
モラルよりも利益が優先されるビジネスの世界では、「コスト」という急所を狙うほうが効果的だ。だからこそ、このムーブメントは権力を持つ者を脅かし、非力だった者にかつてないパワーを与えている。