CULTURE | 2019/03/14

「未来の記憶」は、どんな「建築の未来」をつくるのだろう? 建築家・田根剛【連載】ビジョナリーズ(2)

photo: Yoshiaki Tsutsui
田根剛は、この時代におけるマレビトではないか、と思うことがある。
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photo: Yoshiaki Tsutsui

田根剛は、この時代におけるマレビトではないか、と思うことがある。

マレビトとは古代において、集落の境界を超えて到来する、異種の価値をもらたす者のことだ。

彼は、建築界に彗星のように現れた。北海道からスウェーデンに建築修行に出た青年は、2006年26歳の時にエストニア国立博物館のコンペに勝ってしまう。そして勝ったがゆえに、仲間とパリで建築事務所DGT.をつくり、建築家として本格的な活動に入る。

しかし、この時点では、ほとんど日本ではまだ知られていない。なぜなら田根は日本のどの学閥にも属していないからだ。その彼が突如脚光を浴びたのは、2020年東京オリンピック招致への新国立競技場基本構想国際デザインコンペの11人のファイナリストとして選ばれた時であった。

2012年、まだ田根は33歳である。安藤忠雄を委員長とする審査会はザハ・ハディド氏の案を決定したが、これが大きな世論の逆風の中で破棄されるという前代未聞の「事件」となった。しかしコンぺに「Kofun Stadium」を提出していた田根は、加速する「東京」シーンの中に、にわかに巻き込まれることになる。シチズンのミラノサローネでのインスタレーションは大成功。パリの北斎展や六本木のフランク・ゲーリー展も話題となり、仕事が殺到。そんな最中、2016年に、コンペ勝利から10年を経たエストニア国立博物館がオープン。フランス国外建築賞や芸術選奨文部科学大臣新人賞などを受賞し、国内外から高い評価を得て、自らの事務所をパリに開設する。

こう書いてくると、いかに田根剛が、時代が待望する星として出現したかがよくわかるだろう。そんな最中、2018年の年末にかけて、はやくも田根剛の建築をめぐる初の大規模個展「田根 剛|未来の記憶 Archaeology of the Future ― Digging & Building」が、東京オペラシティ アートギャラリーで、また同時にTOTOギャラリー・間でも「田根 剛|未来の記憶 Archaeology of the Future ― Search & Research」が開催された。

突如現れた建築のマレビト田根剛が考える「建築の記憶」そして「未来」について後藤繁雄が訊く。

田根剛(たね・つよし)

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建築家。1979年東京生まれ。Atelier Tsuyoshi Tane Architects 代表、フランス・パリを拠点に活動。代表作『エストニア国立博物館』(2016)、『新国立競技場・古墳スタジアム(案)』(2012)、『Todoroki House in Valley』(2018)、『LIGHT is TIME』(2014)など国際的な注目を集める。 フランス文化庁新進建築家賞、第67回芸術選奨文部科学大臣新人賞、アーキテクト・オブ・ザ・イヤー2019など多数受賞 。2012年よりコロンビア大学GSAPPで教鞭をとる。
http://at-ta.fr

後藤繁雄(ごとう・しげお)

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1954年、大阪府出身の編集者、クリエイティブディレクター、アートプロデューサー、京都造形芸術大学教授。数々のアーティストブック、写真集を編集。また『エスクァイア日本版』『ハイファッション』『花椿』などの媒体でのアーティストインタビューは1,000人に及ぶ。現在、来春出版予定の名和晃平の作品集『metamorphosis』の編集も手がけている。

大学時代、ヨーロッパ旅行をして初めて建築を体験

image: courtesy of DGT
新国立競技場基本構想国際デザイン競技案『古墳スタジアム』

後藤:今回東京オペラシティ アートギャラリーでの個展のタイトルは「未来の記憶」でしたね。今日のテーマは、改めて「記憶」がキーになると思うんですが、まず、田根さんにとっての「建築の記憶」あるいは「建築と記憶」についてのお話から入りましょう。

田根:僕は東京に生まれ育ったので、大自然に憧れて、北海道の大学に行こうというところから始まります。そこで「建築」に出会い、やればやるほど面白いものなんだと目覚めていったんですね。日本の学校の教育は、答えがあることを教えられて、それをもう1回思い出して答えるみたいな過程です。ところが、建築を学び始めたら、課題設定があっても、そこからはもう自由にどんどん想像していっていい世界だった。

後藤:多くの建築家たちは、例えば安藤忠雄さんは典型ですが、彼の場合だと建築行脚をして、スケッチしインスピレーションのトレーニングをしています。理論や原理からスタートするより、手と頭で建築を体感させていく。田根さんの場合はどうでしたか?

田根:体育会系でしたが、スケッチはあまりしません。頭の中で考え、手はあとで動かします。北海道の大学に行った時、先生で建築家として名前を知っている人は1人もいませんでした。だから図書館で本を見て、これらの建築物をちゃんと見たいと思った。それで大学時代にヨーロッパ旅行をして初めて「建築」を体験します。19歳の時ですね。図書館で見て、一番衝撃を受けたのはガウディだったんですよ。サグラダファミリアとか。「建築とはもしかしたら、こういうものなんだろうか」とワクワクした。その出会いが大きいです。ガウディの建築は外から見ると彫刻的であったり、装飾性に目がいきます。でも内側を見るとわかるのですが、合理的であり、構築的な理論に基づいています。彼はものすごい合理主義者であり、かつ宗教学者なわけです。

建築は重力との戦いであり、建築を成り立たせるために構造が重視されます。でも「構造イコール建築」というのは、モダニズム以降に成立した考えだと僕は疑っています。それはモダニズムが突き詰めた1つの形式に過ぎず、もっと古代や前近代には建築を支える色々なものがあったのです。

後藤:ヨーロッパを巡って「見たもの」は何だったんでしょう?

田根:「歴史の圧力」というか、まず歴史が大前提として先にあり、「歴史が積層されていく」感じです。今我々が感じている、10年とか100年とかの時代ではなく、中世ぐらいから現代まで途絶えず、積層され、複雑に絡み合った時間です。さらに重要なのは、それを今も日常的に使って、生活に溶け込んでいることです。そのことはすごく衝撃でした。

後藤:「記憶」とは時間にまつわるものですが、それを捕まえるには、歴史や物語、図像的資料、そして物質の中にある時間ということになるでしょうか。田根さんが「時間」「記憶」と言う時の、切り口というか、接合点は何でしょう?

田根:それは旅の時ではなくて、自分が建築家として独立して建物をつくらなきゃいけないときに向き合って出てきたことです。建築のモダニズムにおける「新しさ」に限界を感じたとき、1つの建築に様々な時間軸のものを持ち込まないと、豊かさが生まれないという意味では「物質が持っている時間」というのは重要です。素材というのは大きな時間を持ち込みます。

後藤:「Search & Research」というのは田根さんの基本となるものですね。

田根:何をつくりたいか、伝えたいかを考えるときに見出した方法だと思います。エストニアのコンペの時には、3週間の中で、提案しなくちゃならなくて「軍用滑走路が民族の記憶と繋がる」というコンセプトに意味を見出し、案を提出したんです。デザインの新しさとかではない建築への向き合い方があるんじゃないかと気づいた。それをその後、独立してから3、4年して、自分たちのやり方を模索し手探りでいる時に、デンマークの自然科学博物館のコンペで、現在やっているような、コトバからイメージを蓄積し、コトバとイメージの間で思考を巡らすチームとしての作業を見つけたんです。本当に「発掘現場」のように今立ち上がってきた思考がヴィジュアル化され、発見と共にまたどんどん動いていく。それらが総体となって目の前に現れ、自分たちが何をやろうとしているか、目的が見えてくる。「名もなきもの」があらわれて、形をなしていく過程です。

重要なのは「場所が持っている記憶」

後藤:建築家も多くは「建築の原理」みたいなことから入る人もいますが、それについてはどう考えますか?

田根:建築における原理主義みたいなものは、歴史の中で何度も繰り返されていくものでした。でも、今のように個人のスタイルや、個人の考え方、関係・情報など、様々な方法すらが飛び交っているデジタルな時代の中で何をつくることが可能か、と問われた時に、原理ではなくて、場所の起源に向き合う「記憶」の統合として建築を捉えよう、「記憶」に集約していくことを選んだんです。

後藤:Search & Researchにより「記憶」を集約していき、それを建築に再提出していく。

田根:そうですね。僕らの中にある記憶は「物質的記憶」とナラティブな「非物質的記憶」です。そしてその2つが融合したものが「間(あいだ)」としてあります。その3つが揺れ動きながら、存在する。しかし、重要なのは「人が持っている記憶」ではなくて、「場所が持っている記憶」なのではないか。そこを掘り下げてゆく。集合記憶のような記憶の力。

後藤:僕から見たら田根さんは「イタコ」のようです(笑)。

田根:(笑)。なるほど。遠からずそんな感じかもしれません。場所に自分のアイデアを持ち込んではめ込むというよりは、その土地に行き、その場所でしか生まれない建築にこそ、建築の本質があると思います。原理的なものを世界に広めるのではなく、その場所にたった1つしかない建築をつくること。時空を超えて、人がそこに見にいくのが建築の旅じゃないか。「固有性の建築」こそが建築なんだと思う。

後藤:固有性になると「身体知」が重要になりますね。単純なロジックではなく。

田根:頭で考えながらも、空間のつくり方は自分の体でシミュレーションしないとぴんと来ません。考えは頭でやっても、判断はかなり身体的に動物的にやっているから、現場でどんどん変わってしまうんです(笑)。ものをつくる立場で言うと、やっぱり現場が全てです。

後藤:展覧会でも「Digging & Building」と強調されていました。

田根:掘って、建てる。それは論理を飛躍させることでもあるんです。論理構築だけでは面白くない。やっぱり驚きがあって、それが次の未来をつくるんじゃないか。それは建築家としてのチャレンジです。だから構築ではなく、発想を未来へと飛躍させたい。その自由が唯一と言ってよい創造的行為です。コストや工期はあっても、建築とはやはり、建物をつくる以上の価値をつくることです。思考の飛躍をどこまで未来に飛ばせるか。

後藤:でも理想/ユートピアではないと。

田根:そうです。だからDigging & Building。今ここの場所を掘ることですね。エストニアの場合では、時代からも疎まれて、忘却したいという旧ソ連時代の軍用滑走路を掘るわけです。完成したときに館長が「これによってわれわれは本当に、旧ソ連という時代を乗り越えることができたんじゃないか」ということをスピーチで言いました。

後藤:でも、失礼な言い方に聞こえるかもしれないけれど、田根さんはエストニアの歴史の重さ、負の情念に対して「空っぽ」だからできたんじゃないですか? 掘るんだけれど、田根さんは空っぽの立場にいる。

田根:そうです。

後藤:よく知っていたら、引き受けられないと思うんです。

田根:無知であるからこそ、掘り下げ、それが飛躍に繋がる。代々木の新国立競技場のコンペでは「古墳」を出しました。「競技場のコンペなのに、何で古墳を提案するんだよ」と言われましたが、この時代にしか生まれることのない鎮魂の場としてのスタジアムは、大きな意味を持つんじゃないか。

建築の醍醐味は、人類が文化的に世界遺産のように認めた残すべきもの

photo: Propapanda / image courtesy of DGT.
『エストニア国立博物館』

後藤:なるほど。今のお話を聞いて思ったんですが、田根さんって「記憶」と言って背負うんだけれど、同時に中心は空っぽなんじゃないか。競技場案も、その古墳の案はDiggingによってジャンプをやっているんだけれど、モダンな建築が使うようなロジック、ナラティブを使っていない。連続させようとしていない。いや、連続しないものを連結させている。

田根:そういう意味では、連続していません。まったく違う。まったく違う意味あるものが、同時に接続し、同居し、一体となることによって、そこに新しい概念や意味が生まれる。

後藤:「記憶装置」であって、記憶を再編して提出しようとしているのではないということですね。さっき「イタコ」と言いましたが、イタコは口をついてコトバが出てくるだけで、コトバの意味がわかっていないんです。イタコも「記憶生成装置」です。

田根:僕は「建物」と「建築」は違うものだと思っています。「建物」は物質だし、壊れる。消滅する。でも「建築」の思想や精神というものは強い。それを「永遠」や「普遍」だと言う人もいるけれど、僕にとってそれは「記憶」なんです。法隆寺は最古の木造建築ですが、建物は朽ちて、直し続けて現在に至っている。でも今もガイドさんが、当時の棟梁の話など建築を通して、社会や時代を語り継ぐ。僕はやはり「建築」とは「記憶装置」だと思う。モダニズムの存続が厳しいところは、建築の原理が1つだったり、建築家の名前だったりすることです。「記憶」というものを排除してきたがゆえに、かえって建築の厳しさに直面しています。

後藤:モダンとは記憶喪失し続けることだったわけですからね。

田根:当時のモダニズムの原理の1つは、宗教や社会、政治からも自由に建築家が家をつくることだった。しかし今や世界中がコンクリートや鉄のビルだらけになって、本当に良かったのかと問われている。それに、それらの建物が急に明日なくなっても誰も不思議に思わない。僕はそれを罪だと思っているんですね。

特にポストモダン期の建築は、装飾的で、現在の住宅では寿命は27年くらい。他にも公団だったり、ビルは40~50年。もう建物の寿命は人間の寿命より圧倒的に短くなっているのが現実です。ホテルオークラの解体は、僕にとっては大きくて、あれを取り壊すことで、次の世代や、その次の世代では、あの空間を体験できなくなる。それって、この時代の罪じゃないかと思うのです。文化的愚かさだし、本当にまずい。

後藤:田根さんは、未来の法隆寺になるような建物をつくりたいと思っていますか?

田根:はい(笑)。大きな声で言ったら叩かれるかもしれないけれど、建築の1つの醍醐味というのは、人類が文化的に世界遺産のように認めた、これは残すべきというものです。モニュメンタルなものであっても、一方で、住宅のようなものでも、遺産として認めた、語れるべきもの。僕の場合は、展示や舞台芸術みたいなものと、本質的に人類に残すべきものとしての建築の双方に携われたらいいなと思います。

ピラミッドしかり、古墳しかり、ガウディしかり。古代から人間がつくってきたものを、自分のモチベーションとして「建築」と呼びたい。そのようなものが向き合う対象です。

後藤:そうやって向き合うことから「未来の建築」「未来の記憶」ということが出てきているわけですね。

田根:あと大切なのは「テクスチャー」ですね。テクスチャーは手と深く関係しているし、素材を選ぶ時も、模型をつくるのも手です。そして空間という内なるものに関して言うと、「音」と「光」が空間をつくっていると思っていて、音と光を包み込んでいる物質的なテクスチャー。その反響であったり、その質であったりが、僕の建築の決め手になりますね。

例えば洞窟。あの粗さ、もしくは森の中とか。森のサクサクした感じ。あれは消音材のようになっていて、その快適性、静けさも、やはりテクスチャーなんですよ。空間をつくるテクスチャーが1つあり、物質が持ってきた時間の軸、そこに手の仕事が折り重なってくることで、全然オリジナリティが変わってくる。そんな意味でテクスチャーに対するこだわりが強いのです。

後藤:「大磯の家」の場合だと、その場所の土を掘って使っていたから、物質とそこに住む人の身体知の交換、交流が出てくるけれど、エストニアの場合はどうだったんでしょう。固有の身体知をどのように交換したのですか?

田根:幸いスウェーデン、デンマークに20代前半にいたので、北国のメンタリティはよくわかっていたんです。想像の範囲内でした。

後藤:近代建築はマテリアルもユニバーサルに同じで、だから固有の解を出すとは考えない。だから田根さんとはそれとは逆で、毎回違う解を出す。

田根:解は当然違います。やはり、その土地の言語なので。ただ、ローカリズムには陥りたくないので抽象度が問題になります。

後藤:抽象度というと、モダイニズムのようですが。

田根:ユニバーサルではないけれど、やっぱり1つの世界の言語になりうるか。その言語を持って、そのローカルな土地を考えうるか、ですね。建築のユニバーサルな単語は使うんだけれど、その場所でしかつくりえない建築の力は残す。色々な「名もなき」地方の「名もなき」建物。ただのローカルな掘っ建て小屋のような民家もあれば、今でもグッとくる「記憶の積層」を持っている民家もある。その建物はユニバーサルたりうると思う。

後藤:例えば、ブランクーシの彫刻なんかは、ローカルな木でつくられているけれど、宇宙的な普遍性、抽象性がありますからね。

田根:イサム・ノグチしかり。その強度があるかどうか。最初の「時間軸」の話に戻りますが、僕はスタートにおいて舞台芸術から始まったと言うのは、とても大きいことでした。大学を出て1、2年くらい、24歳の時に初仕事でやったのが、建物ではなくて、舞台の装置をつくることだった。

後藤:Noismの『SHIKAKU』ですか?

田根:あれが最初です。

後藤:あれが最初ですか? あの現場にいましたよ。見ていました。観客でした。新宿でしたね。

田根:おお、すごい!

後藤:縁ですね。ダンサーが踊っていると、上から壁というか、建物が降りてくるんです。10何年前です。あのとき、篠山紀信さんがNoismを撮り始めていて、結局僕がその写真集の編集を10年後にやりました。不思議です(笑)。

田根:あのとき、ダンサーたちが視覚や聴覚を使いながら動き回る。

後藤:空間に穴が空いていて、向こうとつながっていたり。

田根:同時多発的で、ダンサーたちが動くことで空間の意味がどんどん変わっていく。単純に「空間の永遠性」というよりも、時間は空間をつくっているし、空間と時間が分けられない。

後藤:とても説得力のあるエピソードです。動き続けている身体があって、それが時間と空間を生み出す。その生成装置を舞台芸術の装置としてつくる。そのトレーニングがのちの建築に対する決定的なものを与えているということですよね。これは実にユニークな方法論の起点です。

田根:そこが特性だと思っています。原点です。単純に空間を追求しているだけではなくて、時間の観念も入っている。

舞台も時間のスケールを伸ばすと建築になる

photo: Kishin Shinoyama
Noism『SHIKAKU』

後藤:Noismの他の舞台でも田根さんがやる時は、それも1つの事件性があって、別の舞台ですが、例えば移動式の鏡面を使ったものがありましたよね。あれも時空や見えるもの/見えないものの生成装置でした。

田根:舞台という象徴的な場所で「見えるもの/見えないもの」とか「存在/不在」への挑戦ですね。それに、どれだけ素晴らしい舞台空間をつくっても、1時間それを見続けることはできないんですよ。だからこそ、光や間を含めて1つの「出来事」を生み出さなければならない。

後藤:記憶として語り継がれる空間ということですね。事実僕は田根さんの最初の舞台のすごさを語り継いでいますよ(笑)。

田根:「記憶」と「建築」と言った場合、テクスチャーや光とかが、空間の密度みたいなことの意識なんですが。舞台の場合は、1時間のものもあるし、展示・インスタレーションだと1週間のものもある。やっぱり時間のスケールを伸ばすと、建築のようなものになるんじゃないかと思う。ドラマチックなものは、何十年と、長い時間をかけて引き延ばすと、静寂のほうが意味が出てくるかもしれない。そうやって、建築の価値に挑戦しているところがあります。もし、あの舞台の体験がなかったら、1つの建物に全部詰め込んでドカンとなって、まずかったんじゃないかと思うんです。

後藤:大切な原点だったわけですね(笑)。今回の展覧会は、どのような建築的挑戦でしたか?

田根:東京ミッドタウン21_21 DESIGN SIGHTのフランク・ゲーリー展のような場合だと、彼のものすごく素晴らしいもの、ぜひ伝えたいものをオブザーベーションというか、観察し、コアなところを掘り下げてやるんですが、自分の展示はちょっと大変でした。

後藤:準備されている時に、パリのアトリエで途中の状態を拝見しました。Search & Researchのスタディがありました。

田根:模型もありますが、思考の過程や何か発掘現場のように、エストニアのような代表作から、現在進行中のプロジェクトまでの7の島が、関係あるかもしれないし/ないかもしれない形で並置されている。

後藤:自分の作品を「遺跡」のように扱うということですか?

田根:出来上がったもの、完成したものを解説しても、僕は面白いと思わない。もう1度これらを抽象的に「ここに物事の何が意味を持つのだろうか?」とか考え直す。そこから派生するさまざまなこと。もちろんスタディ模型もあるけれど、名もなき、意味もないガラクタ、ガレキのようなもの、金づちとか。それらの未来があるかもしれない。そんなことを考古学的に発掘してもらえるようなことをやってみようということなので、うまくいったかはわからない。それが「Building」であり、もうひとつがリサーチとしての「Digging」。

後藤:パリのアトリエでも徹底的にやっていましたね。「Digging」というと、過去に向かっているように見えるけれど、未来に向かって掘っていくわけでしょう。

田根:もちろんそうです。掘り下げていきながら、つくり上げてゆく。連動しているんです。それを見てもらおうというのが、このセクションでした。

今回の展覧会を通して、大きく自分の中で変わったのは、なぜ「記憶」というものが気になり、これまで「場所の記憶」とか「建築は記憶じゃないか」と考えていた先には、記憶というものは過去に属するものではなくて、記憶していること自体、未来をつくる原動力なんだということだったんです。原動力には強度がある、それを見つけようとしている、ということなんです。

後藤:それはもちろん個人の記憶とかいうレベルではないですね。

田根:ええ、自分の記憶でもなれければ、誰かが伝えてきた物語だけでもない。集合的に見るときに浮かび上がってくるもの。記憶の力が未来をつくる。それから「地層」みたいな考え方もある。人の記憶は捏造されたり、忘却がある。信用できない。歴史も信用できない。でも場所の記憶は嘘をつかない。物質の力、それを検証する科学の力。分析することによって見える真実みたいな。

場所の地層はやっぱり嘘をつかない。それらはやっぱり信用していいんじゃないか。さっきの「イタコ」の話じゃないけれど、どんなものが口をついてでてきて、われわれはそこに未来を見出すのか。

建築家の役割は「未来をつくること」

photo: Takuji Shimmura / image courtesy of DGT.
『エストニア国立博物館』

後藤:なるほど。もう一つ全くべつの角度からの質問をしたいのですが。今、時代としては、続いてきたポストモダニズムのエステティックスをどうやって乗り越えるかというのが問題だと思うんです。美意識や形態について、どのように考えていますか? 形の次なるルールのことです。モダンでもなく、ポストモダンでもなく。田根さんは直感的に、古墳やピラミッドのような、ある種のアルカイックに引かれているでしょう?

田根:最近では「古代の力」みたいなものには非常に魅力を感じています。古代から中世ぐらいまでです。中世には、カオスのような集合的なものを統率する力があったと思います。古代の場合はもっと象徴的であるとか、形態のシンボリズムです。建築においては、「精神が美学を超える」ところがあるんじゃないかと思います。

後藤:もう少し詳しく話していただけますか?

田根:エステティックスよりも、スピリチュアリティというか、場所の精神性です。バロックよりロマネスクの空間になぜ惹かれるかというと、その祈りの場のありようです。視覚的なごちゃごちゃではなくて、祈りの場や精神の場所。

後藤:威圧的じゃない。

田根:吸い込まれて、一体感を持つ空間。優しさであったり。祈りの場は、精神の繋がり場だし、場所と繋がるポイントです。そこでは美学は超えられてしまいます。美学ではない。

後藤:すると建築家の機能というものも変わりませんか?

田根:僕はやはり、建築家の役割は「未来をつくること」であると一貫して思います。この時代、その次、さらにその次まで自分を引っ張っていってくれるもの。モダニズムは可能性を開き自由を得ることで未来像をつくりました。しかし、古代からあったものをもう一度掘り出して、この時代に持ってきた時に、単なる美学的な新しさではない「深遠なるもの」がちゃんと出てくる。もっと遠い未来に繋げられるんじゃないかと。それこそ記憶を通して伝え続けられる「建築の記憶装置」を、語り継がれることによって「建物」は変化しても、「場所の精神」は語り継がれていくだろうと。そんな「建築の力」をもう一度蘇らせたい。

後藤:かつて、磯崎新さんと篠山さんがやっていた『建築巡礼』みたいなことを田根さんにやってもらいたいですね。

田根:確かに。それはやりたいですね。

後藤:建築じゃないけれど、以前田根さんがアイスランドの写真をフェイスブックにあげていましたね。

田根:すごくよかった。あの体験と同じものを「建築の体験」にも求めたいですね。アイスランドって、もう僕らが考えている地球じゃないですよ(笑)。他の惑星と地球の間くらいですね(笑)。

後藤:オラファー・エリアソンやビョークが出てくる理由がわかります。

田根:溶岩でできている島なので、土がないんですね。土がないっていうことは生命が生まれないので、シーンとしている。バクテリアぐらいはいるけれど。ちょっと次元が1ステージ違うところです。自分はときどきそういうところへ行って「建築」のことを考えているんだと思います。

後藤:象徴的だと思ったのは、東京オペラシティ アートギャラリーの展示で、展示用の柱の上にレンガとか木片が並んでいたでしょう。いわゆるモダニズムが生み出した素材や機械じゃない。ましてやモバイルフォンなんかじゃないですよね。モダンの建築って「記憶」とは合いませんね。でも今の人たちもそうだけれど、AIとかロボットというものにも未来を期待しているでしょう?

田根:あるでしょうね。

記憶の力が人類の最も強い力

© Nacása & Partners Inc.
TOTOギャラリー・間『田根 剛|未来の記憶 Archaeology of the Future―Search & Research』

後藤:Googleみたいなものが、人々の記憶をどんどんアーカイブしていき、そして、同時にAIがトレーニングされていく。時代の無意識は高速で、そちらにシフトしていますよね。でも田根さんが出している「未来」と「記憶」も正反対に見えます。

田根:シンギュラリティのその先で人類がいるとすれば、やっぱり「記憶」の方が強いんじゃないか。今回の展覧会でチャンスをもらえたのは、「この時代をどう語るのか?」「この時代に何をしたらいいのか?」という「時代表現」が自分に課せられたのだと思ったんですね。それで「記憶」ということをテーマにした。だから、TOTOギャラリー・間の方は、思考とスタディの考古学研究所みたいなことがありましたが、東京オペラシティ アートギャラリーの方は、「この時代に何が起ころうとして」「どこに向かうのか」。プロジェクトを見せるのではなく、次にやりたいことのビジョンを出したかったわけです。

後藤:建築家の人たちは東京オペラシティ アートギャラリーでの展示を見て戸惑ったでしょうし、発想のソースが出力されてインスタレーションされている。仕事のソースと模型が並んでいると。でも実はそれは、田根さんの「建築についての未来予感的なもの」のアーティスティックを表出したと思うんですね。ヴィジョナリーな行為です。だから資料についても、ロジカルではなく、もっと別の触知を観客の側にも要請してくる。

田根:重要なのは、立ち位置をもう一度自由にすることなんです。

後藤:「セレンディピティ」という認知の方法がありますよね。例えば、写真というアートを考えた時に、ある写真が未来を予言している力を帯びることがある。単なる記録・記憶ではなく、人に予感を与える力です。港千尋さんなんかは、それは人間が狩猟していた時の感覚がモダンな写真行為の中で蘇ったのだと指摘しています。ここを獣が通るはずだ、そういう瞬間を捕まえる。そんな力を感じさせる写真です。そのとき、古代の人間の力とテクノロジーを別の角度で捉え直す視点が「セレンディピティ」にはあるわけです。

田根:同じですね。だから古代的なものが意味を持つ。記憶というものが過去に属していなくて、未来に属しているというのが今回の展覧会の発見であり、確認でした。

後藤:現在の人間が一番恐れていることは、携帯を失ったり、データが全部飛んでしまうことでしょう。古代の人たちは、なんと情報を読み取って伝承する力に自信があったんでしょう。

田根:すべての物質や情報を失っても記憶だけが自分を突き動かしてくれる力じゃないか。記憶の力が人類の最も強い力じゃないか。日本でも、伊勢神宮のようにナラティブが伝承されていて、サイクルが継続されていく。祭りとかによってです。

後藤:人間的な意味での「死」も超えていくわけですね。死なんてあんまり恐れない。「建物」が失われることも。

田根:そうそう。だから逆に「死」は大きな意味を持っているとも言えます。例えば、弥生時代にはリーダーが出てくる。でも、彼が死んだ後も自分たちを守ってくれる象徴として、古墳という形での鎮魂の場が生み出される。人間は短い時間しか生きていないわけですから。

後藤:だから、古代では、人間の生きている以上のものを建築は帯びることになる。

田根:人間の時間は、他愛もない時間だと。アーキオロジカルなものというのは、出来事のスケールを変えることでもあります。やっぱりAIに未来を持っていかれちゃいけないんじゃないか。

後藤:普通、展覧会を見に行くのはみんな「答え」を期待しているじゃないですか。でも田根さんは今回「問い」を出しましたね。

田根:そうですね。コトバも極力少なくして、記憶の断片と向き合ったときに、想像力の実験として成立するかが課題でした。

後藤:田根さんの「場の力」の実践記録でもあるんですね。

田根:面白かったのは、何回もレイアウトをやり直していくうちに、展覧会の入口のところに残骸のようなものが寄せ集まった展示が出来上がっていった。僕はそれに「記憶会議」という名前をひそかにつけていたんです。

後藤:色んなプロジェクトからセレクトされてきた断片ですね。

田根:廃材として捨てられるはずだったものたちが、「俺たちこれからどうなるんだろう?」って相談しているんです。キャンプファイヤーをやっているみたいですね(笑)。やっている間に出てきたんです。断片たちが未来のことを相談し合っているんですよ(笑)。