LIFE STYLE | 2018/09/07

アフリカに「新しい物語」をつくる、たったひとつのモチベーション|合田真(日本植物燃料)

2016年8月、FINDERS編集長の米田はアフリカ・ナイロビで開催されたTICAD6(アフリカ開発会議)を視察した後、...

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2016年8月、FINDERS編集長の米田はアフリカ・ナイロビで開催されたTICAD6(アフリカ開発会議)を視察した後、モザンビークにいた。それは、ケニアを中心に爆発的に普及をみせていた電子マネー「M-PESA(エムペサ)」の実態を取材するため。そして、モザンビークの地に新しい経済圏をつくろうと尽力するひとりの日本人の姿を見るためだった。

それから2年後、米田は再びその日本人と面会を果たす。その人の名は、合田真。20世紀の世紀末に日本植物燃料株式会社なるバイオ燃料生産を計画するベンチャーを立ち上げた人物だ。

2018年6月には『20億人の未来銀行』(日経BP)を上梓した合田に訊く、アフリカで彼が見てきた10年以上にのぼるの苦闘の日々と、その戦いを支えたモチベーションの根源とは。

聞き手:米田智彦 文・構成:年吉聡太 写真:神保勇揮  デザイン:大嶋二郎

合田真

日本植物燃料株式会社 CEO

1975年長崎生まれ。京都大学法学部を中退したのち、2000年に日本植物燃料株式会社を設立、アジア・アフリカを主なフィールドとして事業を展開している。2003年にはバイオ燃料の生産を開始。2012年モザンビークに現地法人ADMを設立、無電化村で「地産地消型の再生可能エネルギー、食糧生産およびICTを活用した金融サービス」を行う。2018年6月には『20億人の未来銀行 ニッポンの起業家、電気のないアフリカの村で「電子マネー経済圏」を作る』(日経BP)を上梓。

常識外れのモザンビーク

── 2016年、TICADに合田さんと一緒に参加した後、合田さんの会社があるモザンビークへ行った時、車で走っていたら、村の近く林で火事が起こってたんです。覚えてます?

合田:林はね、結構、燃やすんですよ。

── で、林から逃げ出してくる動物を狙っているハンターがいて。声をかけたら、僕らを警察だと勘違いして逃げて行ったという(笑)。

合田:乾燥しているから、風でも吹けば火がどんどん燃え広がるんです。どこからか火の粉が飛んできたら、みんなで家の屋根にバケツを持ってのぼる。それで、一生懸命消すわけです。

モザンビークでの合田氏

── 最近、モザンビークの治安がすごく悪化しているというニュースを目にします(インタビューは2018年6月22日に実施)。いわゆる内戦状態なんですか?

合田:それとは少し違うかもしれません。イスラム原理主義の存在が取り沙汰されているけれど、誰も事態を正確には把握できていないんじゃないかな。ここ最近はほぼ毎日、どこかの村で焼き討ちが起きて、誰かが殺されています。もともと住んでいたイスラム教徒たちが村々を襲っているともいわれていますが、この国には根深い宗教対立があるわけでもない。彼らの目的が何なのか、よく分かっていないんです。

── そうした国で合田さんは活動されているわけですが、改めてどんなことをされているか、教えてください。

合田:2000年に「日本植物燃料」という会社を設立したわけですが、社名の通り植物燃料の製造・販売からスタートしています。ただこれについては2000年代後半までにかけてグローバル大企業の参入による原料価格の高騰や競争の激化などがあり、この事業単体でいちスタートアップが対抗するにはかなり厳しい状況になっていました。

一方で同時期に、別のビジネスとして農林水産省の仕事を受託し、政府開発援助の一環としてモザンビークで現地の人を雇い、キュウリやトマトなど10種類ぐらいの作物を作って市場に売るということなどもしていました。これがモザンビークとの出会いですが、最初は「ここでバイオ燃料の原料となるヤトロファを育て、生産拠点をつくればビジネスになるのではないか」と考えていました。

ヤトロファの実

ヤトロファの実から搾り取った油がバイオディーゼル燃料の原料となる

── 起業してからもかなりの紆余曲折があったんですね。

合田:はい。ただ、ヤトロファを育てても海外に売るには膨大な生産量が必要で、現実的ではありませんでした。ならばモザンビークは現在でも無電化地域がほとんどだから、国内で燃料として消費してもらえば石油よりも安く供給できるし良いだろうということで、住民たちが作物を作って現金収入を得る、そのお金で車や電化製品を買えるようにする、それができるインフラを整えるといった、ゼロから村づくりを支援するような方面へと転換を計ったんです。

かなり駆け足ですが、ざっと説明するとこんな流れです。

── ご著書の中では、友人に預けていた70万円がいつの間にかなくなっていた、なんてエピソードも紹介されていました。パソコンのカメラで録画してみたら犯人はお手伝いさんだったというオチには笑いましたが、アフリカでは、僕らの常識とはまったく違いますね。

合田:彼らからすると「盗られたヤツが悪い」なんでしょうね。お金を盗んだお手伝いさんとは、留置場から釈放されてしばらくして顔を見合わせたことがあるのですが、向こうからニコッと笑って手を振ってくれて。「あの時は助かったよ」というお礼だったんだと思います。日本人だとそれはできないでしょう。

── できないですよ(笑)。

合田:そのお手伝いさんも、盗んだ後のお金の使い方が賢くなかったんですよね。10年分の年収に近い金額を2、3カ月のうちに全部使ってしまっていたみたいで、それはさすがにどうかと思う(笑)。日本人の感覚からすると、たまたま手に入れた1億円を2、3カ月で使っちゃうような話じゃないですか。

── 高級車を買ったりとかね。

合田:この感覚の違いはなかなか面白いところで、つまりは「時間に対する感覚」や「何が大事か」という根本の部分が違うんです。彼らにとってはその日生きていること、その日の食べ物を確保すること、目の前のお金を握ることが、感覚的にいちばん大事。だから「1年後の約束だなんて、何を言っているの?」みたいな話にもなる。

それは経済的な部分も含む、自分たちの生きてきた環境で培われたものなのでしょうね。日本人を相手に取引していると、請求書が来たら翌月とか決まった時期に払うのが普通じゃないですか。でも、ここでは一人ひとりがその感覚を持ち合わせていないので、仕事がなかなか成立しない。そこが難しいんです。

でもそうした感覚って、日本でだって時間をかけて社会で培われてきたわけじゃないですか。なので僕は現在、電子マネーの仕組みと、その過程で溜まった利用者のデータ(信用情報)でもって、安全な貯蓄と融資を受けられる機能、つまり銀行機能を構築できないかと考えているわけです

現地で日用品などを販売するキオスク(日本植物燃料が設置)で使用している電子マネーシステム。タブレットにPOSアプリケーションを入れたのみの簡素なつくりだが、ネット回線が不安定になりがちな場合はこれぐらいの方が便利だという。

電子マネー決済用のカード

モザンビークから日本に「巻き戻す」

── 合田さんはアフリカの村に電子マネー経済圏をつくろうとされているわけですが、例えば、ケニアではM-PESA(エムペサ)がGDPの6割を占めるまでに電子決済が普及しています。モザンビークではいかがですか?

合田:大きな違いはないと思います。ただ、農村部では M-PESAを利用するための電話通信網の普及が遅かったので、使える場所はまだ広くはありません。もっとも、それも時間の問題でしょうね。

農作物を買い取り、売上金をその場でカードにチャージしている様子。

── 啓蒙も必要になりそうです。銀行口座や貯蓄といった概念がない現地の人たちに、口座を開いて貯蓄すること、あるいはお金を借りることそのものを、どう教えているのですか?

合田:村の中に、そういった概念を理解できる人がいないわけでもないんですよ。だから、その人たちに説明するところから始めるんです。すると、彼らは貯めたお金で自分の小屋を増やしたり鳥を飼い始めたり、家がトタン屋根になってテレビやスマホを持ち出すようになる。他の人たちは、目に見える変化が起きて初めて「自分もやってみたい」となる。口で言うだけでは大半の人は動かないです。

── 自分もそうなりたい、そのためにはどうしたらいいか、ということですね。

合田:彼らにとっては見たこともない概念の世界、「ものがたり」の世界ですからね。ものがたりから生み出されるリアルなものが目に見えて、実感して初めて、みんながそれを信じられるようになるんです

合田氏の著書『20億人の未来銀行』でも、「ものがたり」≒「現地での常識」をより良く変えることの重要性について、1章を割いて説いている。

── ただ、合田さんの事業は何十年とかかるようなものですよね。合田さんにとってのモチベーションは?

合田:僕自身、楽しいと思っているからやってるんですよね。

── でも、モザンビークに電子マネー経済圏をつくるのなんて、一朝一夕にはできませんよね。

合田:だから、まず身近なところとして、関わってくれている人たち、具体的には現地で雇った社員たちが変わっていくのがすごくうれしいんです。今日のことしか考えられなかった彼らが1年先、あるいは次のステップに行くために努力するようになっていくんですよね。村の人も、具体的なことをいろいろ言ってくれるようになる。変化が生まれていくのは面白いですよ。

── 変化に対して自分が貢献できる喜びがありますね。

合田:一歩一歩、の世界です。今はアフリカの村で起きていることだけれど、同じような価値観の変化は、僕らが生きている時代の日本においても刺さるはずです。

どこにいたって、新しいことを持ち込んで動かしていこうとするといろいろな軋轢が生まれます。足の引っ張り合いも当然ある。もちろんアフリカの村でも1、2年はかかるんですが、現実社会に落とし込めます。僕にとっては、アフリカの、自分が関わっている村でこそ、思い描く世界を実現しやすいんです。

── 社会実装するということですね。

合田:この村で実際に動いている世界を、こちら側にまた巻き戻せるのが、楽しいのかな。

── 「巻き戻す」って、どういうことですか? 別の土地で再現するということ?

合田:それは、今の日本でも。例えば地方の町では、車で10〜20分走ればコンビニがあってそこで現金を下ろせるという世界がありますよね。そこではもちろん電子マネーはほとんど使われていません。そういう地域に目を向けると、バブル以降与信を取り戻せず、でも、ちゃんと潰れず事業を継続している企業がいっぱいあるんです。

そこで、我々がやっているように電子マネーを導入して彼らの収入や何にお金を使っているかが一つひとつデータになっていくと、「クレジット」が生まれるわけです。日々の取引や生活が見える化されることによって、凍結されていた与信を再び復活させられる可能性があると思っていて、そういうことを日本でも仕掛けたいと思っているんです

「最先端」よりも現地のリアリティ

── 合田さんの事業は、フィンテックの文脈の中で語られることも多いですよね。

合田:ファイナンスの在り方を、テクノロジーを使って変える。今までファイナンシャルサービスに手が届かなかった人たちに届くようにするという意味合いにおいては、フィンテックと言ってもいいんでしょうけれども…。

── ただ、ブロックチェーンを使っているわけでもないし。

合田:「フィンテック」といえば、テクノロジー・ドリブンものが多いですよね。そういう意味では違う。僕は全然テクノロジーのことが分からないし(笑)。

── ビットコインでうんぬんという話とはまったく違う話ですね。

合田:ビットコインも、確かにアフリカでもそれはそれでパワーを発揮している部分はあるんです。ただ、ブロックチェーン関係の仕事をされている方が、そういうものを使ってやりませんかとはおっしゃってくださるんですけれども、僕らのフィールドは「チェーンがつながらない」んです。

── どういうことですか?

合田:大雨が降って電波塔が2週間復旧しません、なんてことはよくあります。その間、ここでの取引をどうするかって話になるんですよね。僕らが使っているNFC(近距離無線通信規格の1つ)とかタブレットの仕組みならスタンドアローンでトランザクションのレコードが残るので、2週間後に復旧してからデータをアップデートすれば済みます。ですが、各ブロックのチェーンがつながっていないとなると、この2週間の切れている間は何もできないんです。だから現場のリアリティからすると、そこまでする必要性がまだ乏しいんですね

UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は、シリアの難民キャンプなどでブロックチェーンを使ったりしています。そこだけはネットワークが切れないようにできるけれども、アフリカ全土でネットワークが切れないようにするのは、現実感がまだありません。

例えば農地を増やそうとした時、トラクターだと壊れることもあります。今はみんな手で耕していて。いきなりトラクターじゃなくても馬を使えば手でやるより5倍広く耕せるわけだから、それが次のステップじゃないかなと。

国連食糧農業機関(FAO)との共同プロジェクトで使用している電子マネーシステム。農民に支援金を配り、質の良い趣旨や化学肥料の購入費に充ててもらうことで生産性を高めることを目的にしているが、支援金の受け渡しを紙のバウチャーではなく電子マネーに置き換えている。

常に現地のリアリティを考えなきゃいけない。スマホがあればスマホでいいけど、ガラケーならガラケーの世界で物事を考えるんです。最先端が現場で本当に意味を成すかどうかは別。トラクターよりは馬じゃねえかなと思ったり、ブロックチェーンよりはSuicaみたいなICカードのほうがまだいいんじゃないかと

1日1個のチキンラーメン生活でも構わなかった

── これまでにアフリカでは、日本人も含む現地スタッフが3人、お亡くなりになったんですよね。

合田:はい。

── アフリカでは日本の常識が通じないだけでなくアクシデントも多いわけで、落ち込まないはずがない。

合田:そうですね。

── お金が盗まれるようなことはほんの一端で、合田さんはむちゃくちゃ苦労しているわけじゃないですか。合田さんは元々メンタルがタフなんですか?

合田:しんどいから辞めますなんて、許される立場ではないですからね。

── 以前、ナイロビで飲みながら話している時、合田さんが「1日1個のチキンラーメンでもいいから、自分の好きなことで自分の人生を全うしたい」と仰っていたのを強烈に覚えてますよ。

合田:他のことにモチベーションが湧かないんですよね。

── 合田さんが目指すのは、何もアフリカに銀行をつくったり電子マネーを普及させることだけじゃないですよね。そのさらに先の、アフリカの発展や貧困や格差みたいなもの、あるいは世界中の格差みたいなものを是正するという大きいビジョンがあるわけじゃないですか。そのビジョンをどう描いて、いかに具現化していったんでしょうか? 京都大学を中退された時まで遡って教えていただけますか。

合田:そもそもエネルギーというものに、漠然とした関心はあったんです。ビジネスとしても面白いだろうし、かつて起きた戦争の要因のひとつが石油をめぐる、資源をめぐる争いだったのも理由です。限られたパイを分配しようとすると、最後は殴り合いの話になるわけです。

── あるいは脅し合いにもなりますね。

合田:それに対して再生可能エネルギーは、ゼロだったものを“プラス10”にするものです。“100”しかないものをちょっとずつ削っていく話とは違う。争いが起きないような新しい分配が成り立ちうるのではないかと考えたのが、バイオ燃料や再生可能エネルギーに入っていく入口です。それによって将来の紛争が起きる可能性を減らせるとしたら、そこには価値があるだろうと思ったんですね。

── その「可能性」に夢を感じたわけですね。

合田:いわゆる起業家、ビジネスマンとしては間違っているのかもしれないけれど、でもいいやと思って(笑)、そういうことに自分の次の10年間なり20年間なりの時間を使おうと決めたんです。当時、お金はなかったけどあまり心配というものをしたことがないくらい、少し頭が緩いんです(笑)。

── 儲けるためにやっているわけじゃない、と?

合田:その時点では、儲ける道を見つけきれなかったんですよね。今でこそこういう世界は現実のものとして立ち現れてきているけれども、当時、普通に考えたら「ビジネスにならないし、やらない」が正解だったんでしょうね。そういう意味では、起業してビジネスをやるぜ、というノリとは違うところから始まっているんです

これは「ソーシャルビジネス」ではない

── 合田さんのモチベーションの先は、いわゆる「ソーシャルビジネスを実現させること」とも違うような気がします。

合田:違うと思う。

── その違いは何でしょうか。

合田:何でしょうね。環境系の人たちは、ある種の厚かましさのようなものがあるでしょう? 私たちは当然世の中のためにこれだけいいことをしているんだから、あなたも協力しなさいよ、みたいな。

── そう、ビジネスにおいてある種の甘えを感じることがありますね。

合田:目をキラキラさせて言われても、ね(笑)。今、そのテーマが評価されやすいからやっているだけで、世の中の流れがちょっと変わるとすぐに乗り換えるんだろうな、と。

── 2000年以降の流行り、でもありますよね。

合田:もちろん社会への貢献に興味がないわけではないんですけれどね。

── では、何に興味があるのでしょう?

合田:自分が生きている時代が時代の変わり目だと感じるのは、誰にとっても自然なこと。その点で、今の資本主義は、限られたパイを奪って発展したのちにパイが縮んでいく世界になるシステムです。もちろん、技術的なブレークスルーがあればそうはならないかもしれないけれども、今のところ、資源制約の時代に変わるのではないかと思っています。

そこで、資源拡張型の社会制度や生き方そのものを一つひとつ転換していかなければいけないと思っていて。これをソフトランディングで実現させるために、どういうモデルを提示していくためにどうしていけばいいかということに、今一番関心があるんです

── 2030年にはアフリカは20億人を超えているという予想もありますが、その時、合田さんは、どんな未来をアフリカに対して描いているのでしょう?

合田:僕の経験は、モザンビークでの経験のみ。他に50カ国以上があるアフリカを一括りでは語れなくて、状況はそれぞれまったく異なるはずです。ただ、今年はこのエリアに井戸を掘って来年はそっちのエリアでやってという具合に、村の共同体同士が信頼関係を持って強く結び付いていける社会になってほしいと思っています。

現状を客観的にみれば、個人が今日生き残るためにどうするかがすべて。でも、食べることで精一杯な状況から脱する必要があるし、余裕が出てくれば約束事も貸し借りもできるようになるんだと思います。

── 確かに。

合田:価値観を変えると同時に、リアルサイドできちんと生産性を上げたのち、彼らがどういう世界を描くのかは彼ら自身が決めること。僕らは、そこに至る土台を一緒につくっていきたいんです。