CULTURE | 2023/02/07

大麻取締法が改正目前。でも多くの人が知らない…「日本一の大麻産地」の歴史・文化・未来を柏村祐司さんに訊く

柏村祐司さん
【連載】大麻で町おこし?大麻博物館のとちぎ創生奮闘記(7)
この連載でも度々書いていますが、大麻取締法...

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柏村祐司さん

【連載】大麻で町おこし?大麻博物館のとちぎ創生奮闘記(7)

この連載でも度々書いていますが、大麻取締法の改正が目前に迫っています。報道では改正の中身として、「医師が管理する大麻由来医薬品の解禁」、「これまでなかった使用罪の創設」が主なものとされていますが、私たちにとって大きいのは、縄文時代からほんの70年ほど前まで、日本人の衣食住を支え、身近な存在だった「大麻という農作物」に関する規制緩和を前向きに検討しているという点です。

明るい兆しが少し見え始めた昨今ですが、この伝統的な農作物は「大麻」という名称からくる社会の忌避感から、不当な扱いを受け続けてきました。需要の減少なども重なり、厚生労働省がHPに掲載している資料「大麻栽培者数の推移」によれば、昭和29年(1954年)の時点では約3万7000人いた栽培者が現在では30人以下となっています。

逆風の中、今なお国内の大麻生産量の90%を占めているのが栃木県です。そんな背景もあり、栃木県立博物館は企画展を開催するなど、大麻に関するさまざまなプロジェクトを行ってきました。公的な施設として、初めて「農作物としての大麻」を真正面から取り上げ、忘れ去られる寸前だった存在を再び表舞台に引っ張り出してくれたと言えます。その中心的な役割を担ってきたのが、私たち大麻博物館の大先輩とも言える、栃木県立博物館名誉学芸員の柏村祐司さんです。

法改正を機にはたして、大麻農業は復活できるのか?栃木県にとって、日本人にとってそもそも「大麻という農作物」はどういった存在なのか?といった話を伺いました。

柏村祐司

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1944年、宇都宮市生まれ。宇都宮大学教育学部卒業後、栃木県立博物館の学芸部などに勤務。現在は栃木くらし文化研究所代表、栃木県立博物館名誉学芸員、とちぎ未来大使、栃木県歴史文化研究会顧問、下野民俗研究会顧問などを務める。著書に『下野の雷さまをめぐる民俗』など。

大麻博物館

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日本人の衣食住を支えてきた「農作物としての大麻」に関する私設の小さな博物館。2001年栃木県那須に開館し、2020年一般社団法人化。資料や遺物の収集、様々な形での情報発信を行うほか、各地で講演、麻糸産み後継者養成講座などのワークショップを開催している。著作に「日本人のための大麻の教科書」(イーストプレス)「大麻という農作物 日本人の営みを支えてきた植物とその危機」「麻の葉模様 なぜ、このデザインは、八〇〇年もの間、日本人の感性に訴え続けているのか?」。日本民俗学会員。
https://twitter.com/taimahak
https://www.facebook.com/taimamuseum/
https://www.instagram.com/taima_cannabis_museum

「栃木の大麻づくり文化」はごく少数の人間による熱意で記録されていた

大麻博物館:大麻という「農作物」と関わるようになったきっかけを教えてください。

柏村:私は栃木県立博物館が昭和57年(1982年)に開館する前、栃木県立郷土資料館という施設で9年間ほど学芸員をしていました。展示などを行う上で、栃木県の特色が出やすい農作物は何かと考えると、麻、大麻だと。他にも葉タバコ、かんぴょうなどがありますが。個人的には鹿沼市(※)に親戚がいて、子供の頃から麻、大麻の存在が身近にありました。郷土資料館で働いていた時代は農家さんも今よりは多く残っていましたし、すでに衣服や漁網といった用途ではあまり使われなくなっていましたが、綱(つな)の類や下駄、蚊帳などにはまだまだ用いられていました。そのため、当時から生産道具の収集を行ったり、大麻に関する展示を行ったりしていました。

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※鹿沼市:足尾山麓の南側に広がる栃木県鹿沼市は古くから大麻の産地として知られており、現在も日本全国の栽培面積のおよそ80%以上を占めている。

栃木県立博物館が開館すると、勤めていた郷土資料館は吸収合併というかたちで閉館となり、職員は県立博物館の民俗部門へと移籍になりました。私は学芸部に所属することとなり、さまざまな業務を行いました。大麻に関することでいえば、例えば16mmの記録映画をつくりました。当時、私たちは県の教育委員会と県指定の郷土芸能である藁や益子焼といったテーマを選び、栃木に関する記録映像をつくっていたのですが、その中の一本に『麻づくりの民俗(※)』という作品があります。あちこちの農家と交渉したりしながら、苦労してつくった覚えがあります。

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※麻づくりの民俗:昭和63年(1988年)制作。土作りから始まり、精麻(大麻の繊維)を出荷するまでの大麻農家の一連の作業を記録した作品。麻作りに関わる祭礼の様子なども描いている。

大麻博物館:いま「麻」と「大麻」(※)という言葉が出てきました。この言葉の違いで、現在の日本では伝わり方が大きく異なると思います。どのように使い分けていますか?

柏村:私は言葉の使い分けをあまり意識していなかったかもしれません。農家の方もどちらも使いますし、無意識に変わっている感じです。気を遣うのは、事件などが起こり、世間が騒いでいる時くらいでしょうか。

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※「麻」と「大麻」:かつての日本において、「麻」は日本人の衣食住を支えてきた「大麻」を指した。古い文献などに書かれた「麻」は「大麻」を意味する。しかし、昭和37年(1962年)に制定された家庭用品品質表示法において、「麻」はリネン(亜麻)、ラミー(苧麻)に限ると定義された。つまり、かつての「麻」は、現在の「麻」は異なったものとなっている。

「栃木の大麻づくり文化」はごく少数の人間による熱意で記録されていた

「麻:大いなる繊維」の図録より

大麻博物館:栃木県立博物館での大麻に関する大きなトピックでいえば、大規模な企画展を二度開催されています。まずは1999年に開催された「麻:大いなる繊維」について教えてください。

柏村:「麻:大いなる繊維」は学芸部長として、一から企画に関わりました。単に麻、大麻ではなく、質量ともに日本一の「野州麻」について、栽培の様子や生産用具、製品などさまざまなものを展示しました。大麻の表皮を剥いで得られる繊維、精麻は他の繊維に比べて強靭で、肌触りがよく、木綿や羊毛、化学繊維が登場するまで、衣服や漁網、下駄の鼻緒や芯縄、各種綱などに用いられてきました。また、特別な儀礼や信仰の用具としても用いられ、現在でも結納の品や神社の神事には欠かせない存在であり、まさに「大いなる繊維」です。農作業の現場を撮影したものはとても思い出深いですね。

いわゆるヒッピーのような格好をされたお客さんも、展示には多く来ていましたね(笑)。ちなみに日本において、大麻が社会問題となってきたのはベトナム戦争以降です。当時は栃木でも、農家から大麻が盗まれることが多々あり大変だったのですが、理由が全くわかりませんでした。辿っていくと、米兵がマリファナとして喫煙するカルチャーと、それに影響を受けた日本人がいるということが分かりましたが、そこから「とちぎしろ」という酩酊成分の少ない品種を開発したという経緯があります。

大麻博物館:二度目となる企画展「野州麻:道具がかたる麻づくり」についても教えてください。こちらは同年に大麻の生産用具が国指定の重要有形民俗文化財に指定された記念として、開催されました。

柏村:こちらの企画展ですが、実は当時の栃木県に国指定の重要文化財がなかった、ということが大きな動機となっています。近くの群馬県などにはあったのに、栃木県にはなかったことが問題視されていました。私は民俗担当だったのですが、栃木県らしさは何かと考え出すと、やはり「麻、大麻」だと思い、麻づくりに関する道具を集めましょうということになりました。

お隣の福島県にも大麻農家さんはいたのですが、基本的に大麻は「自分の家で使うための農作物」という傾向が強く、専用の道具はほとんどありませんでした。しかし、栃木県では商品作物として流通させることを前提として大麻を栽培していました。そのため大量に栽培し、より良質なものを目指す必要があり、独自の道具が発達してきたという歴史があります。例えば、大麻の葉を落とすための道具である、麻きり包丁などは栃木特有の道具です。

国指定の重要文化財に指定されるためにはどうしたらいいか、文化庁の友人に何度も相談したりしながら、生産工程をもう一度きちんと調べ直したり、県内の栽培地域をしらみつぶしに聞き取り調査したりして、生産に関わる道具を収集しました。結局、道具は400点くらい集まったでしょうか。生活の匂いを残しながらキレイにしたり、実測したり、と膨大な作業を行いました。

私が栃木県立博物館を退職したのは2005年で、あれから18年が経ちます。本当は退職までにこの仕事を終わらせたかったのですが、退職から少し経って、ありがたいことに長く収集してきた道具たちが重要有形民俗文化財に指定されました。そのお披露目として2008年「野州麻:道具が語る麻づくり」という企画展を大々的に開催したという格好です。中には長く播種機(種を撒く道具)を作っていた方がいるのですが非常にお喜びになり、自分の庭に記念碑を造られたと聞きました。それほどまでに、思い入れが強かったんでしょう。

SDGs、サステイナブルの文脈と結びつけ、新たな活路を

大麻博物館:大麻は近年、海外では嗜好品や代替医療としての利用が合法になる国が増えつつあり、また日本でも大麻取締法が制定以来70年以上の時間を経て、大幅に改正される見込みです。もちろん、海外のような嗜好品や代替医療としての利用は違法なままですが、伝統文化用途や産業用途の規制は緩和されていくと思います。長く栽培を続けてきた栃木県は、今後どうしていくべきだと思いますか?

柏村:栃木県は今、完全に「いちごの県」となっています。いちごと大麻はどちらも、一反あたりの収入が非常に高い点で共通していますね。もちろん、いちごも結構なのですが、一つの品目に絞るのはリスクがあるとも感じます。そういった意味で、大麻の現代的な利用というのもぜひ検討したらいいと思います。その基軸はSDGs、サステイナブルです。世界中で環境意識が高まり、石油化学製品を減らしていかないといけないということは皆が分かっています。思い切って大麻の力を見直すことも必要だと感じます。

例えば、環境負荷を減らしながら、大量に生産できる強靭な繊維は何かといえば大麻です。現代の衣服は化学繊維ばかりになっていますが、大麻の繊維も利用すればいい。他には紙をつくったりするのも非常に興味深い取り組みです。パルプの原料となる木材の育成には非常に時間がかかりますが、大麻なら毎年収穫できます。

また、海外では大麻は医療用途にも用いることが話題になっていますが、日本でも有効な成分を抽出したりして活用すればいい。そもそも日本人は、捨てる部位がないくらいに大麻を多様に使っていた歴史があるのです。それらをSDGs、サステイナブルの文脈とどのように結びつけていくか。

一方で、大麻農家の仕事とは非常に地味で重労働です。生産性を高めるための機械化は必須でしょうし、新しい価値観として、見直したりする必要があると感じます。古いものをただただ単純にそのまま継承するのが伝統ではないと思います。人々の生活様式の変化に対応することが必要でしょう。県として長期的な視野を持ちながら、他に先駆けた取り組みを行っていくことも選択肢の一つだと思います。


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