ITEM | 2022/06/02

トランプ支持者と真摯にやり合う。ユニクロ、アマゾンをも相手にした「潜入のプロ」、アメリカへ【横田増生『「トランプ信者」潜入一年』】


神保慶政
映画監督
東京出身、福岡在住。二児の父。秘境専門旅行会社に勤めた後、昆虫少年の成長を描いた長編『僕はも...

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神保慶政

映画監督

東京出身、福岡在住。二児の父。秘境専門旅行会社に勤めた後、昆虫少年の成長を描いた長編『僕はもうすぐ十一歳になる。』を監督。国内外で好評を博し、日本映画監督協会新人賞にノミネート。第一子の誕生を機に、福岡に拠点を移してアジア各国へネットワークを広げる。2021年にはベルリン国際映画祭主催の人材育成事業ベルリナーレ・タレンツに参加。企業と連携して子ども映画ワークショップを開催するなど、分野を横断して活動中。最新作はイラン・シンガポールとの合作、5カ国ロケの長編『On the Zero Line』(公開準備中)。
https://y-jimbo.com/

「トランプ信者」たちの物語は、なぜ語られる必要があるのか

ユニクロ、アマゾン、ヤマト運輸、佐川急便などに、ジャーナリストであることがバレないようにしつつ「潜入」するスタイルでノンフィクション作品を執筆し続けてきた横田増生氏。最新作の潜入先はアメリカです。

横田増生『「トランプ信者」潜入一年』(小学館)は、ドナルド・トランプを支持する人々の懐に飛び込み、民主主義の国・アメリカが現在どのような立脚地に存在しているのかを見出そうと試みるルポルタージュ。

本作のレビューを書くことになった際、真っ先に思い出したのが2021年3月のweb記事「カズオ・イシグロ語る「感情優先社会」の危うさ」です。「トランプの熱烈な支持者たちは架空の人物ではなく、実際紛れもなく存在するので、支持者たちが何を思い何を望んでいるのかは世に伝えられる権利がある」という趣旨でした。

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このカズオ・イシグロ氏の見解のように「トランプ支持者の世界観」に触れられることを期待して、私は本書のページをめくり始めました。

「複数の自分」を持ち、中指を立てられても耐え抜く

著者は世界がコロナ禍に突入する直前の2019年12月から、アメリカ中西部のミシガン州を拠点に「潜入」をはじめました。ミシガン州を選んだのは、翌年の選挙で最重要地区の一つになるという予測からだったといいます。

トランプの2020年は、イランのソレイマニ司令官殺害という極端な選択をし、「強いリーダー像」をアピールすることから始まりました。そんな前後に、著者はまず何より「入口」が大事ということで、支援者集会に参加したり、冬明けの3月に再開するという共和党の戸別訪問ボランティアに登録したりしますが、コロナ禍によって計画が狂います。トランプはコロナ対策の失敗や人種差別抗議運動・BLM(Black Lives Matter)の拡大によって、支持者の信用を失っていきました。

非常事態宣言下でも自分の仕事を「必要不可欠(エッセンシャル)」なものと自己判断して可能な限りの取材を重ねてきた著者は、実際、2020年5月にミネソタ州の州都・セントポールで行われた「自宅待機命令反対デモ」で出会ったトランプ支持者から不満の声を拾っています。

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「全体なら95点を付けるけれど、新型コロナに関しては75点。点が辛くなるのは、トランプが科学者たちの意見を聞きすぎたから。決断を彼らに任せた点が20点のマイナス理由。間違えるのが怖かったのだろうけれど、トランプは自分の本能を信じて行動した方がいい結果が出るんだ。11月にトランプに投票するかって? もちろん投票するよ」(P155)

この発言をした当時59歳の男性は「99.2%は安全」というプラカードを掲げて州議事堂の前に立っていたといいますが、本当にそう言えるかどうかの根拠を著者は懐疑的に観察していて、デモの雰囲気が支援者集会に似ている(トランプ支持者が多い)ことを男性本人に指摘しています。

「これは“対岸の火事”ではない」という文言が本書の帯に書かれていますが、著者がトランプ信者たちとコミュニケーションを行ってきたスタンスは、日本人が日本で暮らしていく上でぜひ応用してほしいというのが書き手の願いではないかと思います。特殊なことではなく、むしろマネをしたり、洞察のしかたを盗んでほしいと著者は望んでいるはずだということです。

著者がしている「潜入」というのは、いくらか「フリ」をしなければならない局面があります。たとえば前著執筆の際、著者は戸籍上の名前を変え、パスポート、免許なども作り変えたといいます。もちろんそこまでマネをされることは望んでいないと思いますが、読者がマネできるのは「複数の自分を持つ」ということで、実際、前著執筆の際は手帳を横田姓と改名姓のものの計二冊を使い分けていたといいます。

共和党のボランティアをするということは、外から見れば「支持している」という挙動を期待され、そう見られると当然痛烈な批判を浴びる場面も出てきます。トランプの再選が本格的に危ぶまれはじめた2020年7月、著者が戸別訪問ボランティアをおこなっているとき、一般市民に中指を立てられて侮辱される場面は「外から見える自分」と「内なる自分」の葛藤にあふれています。

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今回の取材を含め合計4年暮らしたアメリカで、中指を立てられた2回とも、トランプの赤い帽子を被っていた時であったのは偶然ではないはずだ。それは、見ず知らずの訪問者である私にではなく、トランプの帽子を被ったボランティアに対する嫌悪だったのだろう。(P313-314)

一方で、「内なる自分」が持つ疑りの目線を、包み隠さず支持者に表出する場面もしばしばあります。

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冒頭に紹介したカズオ・イシグロ氏のインタビュー記事のサブタイトルは「事実より「何を感じるか」が大事だとどうなるか」でしたが、まさにトランプのスタンスは「感情優先」です。それが「信者」に流布され、民主主義を侵食しているのだというのが「内なる著者」の立ち位置となっています。

「オバマケア」撤廃と「中絶する自由」剥奪で集まった支持と、社会の歪み

もちろん、トランプやトランプ信者を批判するばかりが著者の芸当ではありません。「ゆらぎ」、つまり好感・興味も含まれています。トランプの前代に大統領を務めたのはバラク・オバマですが、オバマとトランプの健康保険施策を比較する場面で、トランプ支持者の意見に著者は強い関心を持ちます。前立腺がんの治療費が「会社の保険に入っていたため7000ドルだった、保険がなければ40万ドルかかっただろう」と語る当時53歳のインタビュー対象者が、医療保険制度改革法・通称「オバマケア」反対の立場を語ると、著者は「信者」たちがトランプの何を好きなのかをインプットします。

別の場面では「オバマは大統領になるのが時期尚早で、その反動がトランプという形になって表れた」という、選挙でトランプではなくジョー・バイデンに投票した人の見解に関心する場面も描かれていますが、こうした興味・関心対象の行き来もまた、「複数の自分」を醸成する上で大いに参考になる点ではないかと思います。

本書の冒頭で保険施策のトピックとあわせていち早く紹介されているのが、人工中絶の賛否です。トランプはわかりやすい形で一貫してNOを唱え、支持を集めました。そして、2013年にノースダコタ州で成立した通称「ハートビート法」(胎児の心音が聞こえた以降の人工妊娠中絶を禁じる法案)は、トランプ政権下で可決する州が相次ぎました。

本書では言及されていませんが、ひとつ関連する映画を紹介できればと思います。昨年日本でも公開されて話題となった映画『17歳の瞳に映る世界』です。

主人公の少女2人がペンシルバニア州の田舎町からニューヨークまで、中絶をするために旅する作品です。ペンシルバニア州では、両親の同意がなければ未成年者が中絶手術を受けることはできず、そのため主人公たちはわざわざニューヨークまで行くことになり、様々なトラブルや苦難が生じます。登場人物たちの中に、実に悪気なく少女たちを加虐する男たちが出てくるのですが、トランプ政権下のアメリカにおいて「中絶する自由」がねじ伏せられてきたことによる社会の歪みが、人物描写で巧みに表現されていました。

ちなみに『17歳の瞳に映る世界』の原題は“Never, Rarely, Sometimes, Al-ways”で、訳すと「一度も、めったにない、時々、いつも」という意味ですが、これは被虐待者のカウンセリングで使われることがある段階評価のフレーズです。

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本書で著者は「複数の自分」を持っているのとあわせて、先述したカウンセリングの「段階評価」のように、コミュニケーションをとる他者に対しても「複数の自己」を見込んでいて、その狭間に狙いを定めています。

いつも信じる「信者たち」、一度もトランプを信じないリベラリストたち。そのように紋切り型に他者を見ることも可能ですが、著者はリベラル派がときどき「トランプも時にはまともなことを言うのだな」と興味を持つなどのめったにない展開や、「信者たち」が「さすがに選挙結果捏造と言いがかりをつけるのは引いた」とちらほら輪から抜けていく姿など、「狭間の瞬間」を狙いながらルポルタージュが書き進められているように思いました。

支持率が一度も50%を超えたことがなく、2021年3月のワシントン・ポスト紙では「虚偽や誤解を与える主張3万回超」と報じられたトランプ。そして、その「信者」たち。彼らを蔑み反面教師にするという勧善懲悪的用途は全くなく、彼らを眺める著者の立ち位置や立ち回りを日常に応用できるというレシピ本的用途が、本書には秘められていると思います。


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