BUSINESS | 2022/03/25

「首都圏大停電の危機」は誰の責任か。皆が誤解する「日本のエネルギー政策」の本当の課題

【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(31)

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3月22日は初の電力逼迫警報が東京電力と東北電力管内に出され、朝から夕方にかけて緊迫した時間が流れていました。

結局、節電要請への国民の自主的な取り組みが功を奏して大停電の危機は脱することができました。

しかし、「お願い」に応じて国民が頑張ってしまうので根本的課題が先送りになってしまうという「日本あるある」に陥ってしまう懸念を抱く人も多いでしょう。

巷では「原発再稼働を拒んだ反原発派が悪い」「再生可能エネルギーを導入しすぎたからだ」「いや自民党政府がちゃんと舵取りをしてないからだ」と犯人探しが行われています。

ただ今回の危機は単純な「犯人探し」だけでは解決できない課題でもあります。

昨今の電力不安定化の根本的な原因は、日本のエネルギー政策が「政治闘争のためのオモチャ」として扱われて、誰も安定供給のための責任を取らずに漂流してきてしまったことにあります。

脱炭素だけでなくウクライナ紛争による世界のエネルギー市場の大激変のような荒波を乗り越え、日本の電力政策を常に現実に即したものにしていくために、どうすれば「政治闘争のためのオモチャ」扱いをやめることができるか、それを考えてみましょう。

倉本圭造

経営コンサルタント・経済思想家

1978年生まれ。京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感。その探求のため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、カルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働く、社会の「上から下まで全部見る」フィールドワークの後、船井総研を経て独立。企業単位のコンサルティングで『10年で150万円平均給与を上げる』などの成果をだす一方、文通を通じた「個人の人生戦略コンサルティング」の中で幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。著書に『日本人のための議論と対話の教科書(ワニブックスPLUS新書)』『みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか(アマゾンKDP)』など多数。

1:本当の意味で「ドイツに学ぶべき時」

電力逼迫警報が出た当日に、こういうツイートが大量に「いいね」されて出回っていて思わず笑ってしまったのですが、これはよくある

「欧米人を登場させて、いかに日本が遅れているかを嘆かせる」

というSNSの定番の語り方を茶化したものです。

もちろん、他国の良い事例を持ってきて日本に活かすことが大事なのは言うまでもありません。

しかし日本の場合、あまりにも現実と違うレベルに理想化した欧米の事例を持ってきて、日本の現状への理解も一切なしにただ「今の政権」をディスる(侮辱し批判する)ために利用されていることが多いのが問題です。

冷静に考えるとこういうのが持て囃されること自体が「欧米人は優れているが日本人は全然ダメ」という一種の差別だと言えます。

たとえばコロナ禍でも、渦中には「いかに欧米の対策が最高で、日本政府は無能なクズか」みたいな投稿が嵐のようにSNSを席巻していましたが、結果として見れば欧米諸国は日本の10倍から50倍もの死者を出していましたね。

持て囃される「他国の例」が現実と全然違う理想化されたものであるなら取り入れることはできません。むしろそういう妄想は冷静な議論を崩壊させるノイズにしかなりません。

エネルギー政策における「ドイツ」も同じような扱いが多々ありました。

・ドイツは意識が高いから脱原発を決めて再エネ導入に積極的だが、日本の自民党政府はクズだからまだ原発にこだわり再エネ導入を邪魔している

こういった論調があまりにSNSを席巻しているので、ある種の過激派活動家の人以外でもこういうイメージを持ってしまっている人が多いのではないでしょうか。

しかし、実際は以下のようになっています。

え?SNSで言われているイメージと全然違うじゃん!と思いませんか。

資源エネルギー庁の資料「日本のエネルギー エネルギーの今を知る10の質問(2021年度版)」によると、以下の図のようにドイツは原子力が11.9%(2018年)ですが、日本は6.2%(2018〜19年)です。また、電力が足りない時に原子力比率が高いフランスなどから電力を購入している分も入れるとさらに大きくなるでしょう。

資源エネルギー庁「日本のエネルギー エネルギーの今を知る10の質問(2021年度版)」より

また、以下の図のように、日本の再エネ発電導入容量は世界的にもなかなか頑張っている方です。

資源エネルギー庁「日本のエネルギー エネルギーの今を知る10の質問(2021年度版)」より

太陽光発電だけに限ってみれば世界で3位、あのドイツも抜きます。

資源エネルギー庁「日本のエネルギー エネルギーの今を知る10の質問(2021年度版)」より

ここまでの事実を踏まえた上で、私たちがドイツに学ぶべき点が3つあります。

ドイツに見習うべき点その1:実質的にはそれほど差がないのに「ドイツは先進的でステキ!自民党の日本政府はクズ!」と思わせる圧倒的なイメージ戦略

これは本当に見習いたいと同時に、こういう扱いの差を放置しておくのは今後ちゃんと対処すべきある種の差別だと私は考えています。

ドイツに見習うべき点その2:ウクライナ紛争などの大きな変化があればそれを直視し、脱原発政策の転換も含めた検討をすぐさま開始する「現実への責任感」

日本における政策論争は、ちょっと調べればわかる事実関係すら把握せずに、

「やっぱ欧米人は高潔だけどさぁ、自民党はクズだから、ほんとあらゆることがダメなんだよね。もうこんな国に生きてるの恥ずかしくてたまらないよ」

…みたいな酒場の放言レベルの言説を有名な論客さんや大新聞の社説が堂々と流通させている現状があります。

しかし、ここまで見たように日本政府なりにかなり頑張って再エネの導入を進めていて、現状前に進めていない部分には「それなりの具体的な理由」があるわけです。

だからこそ、さらに前に進むには

・「現状どの程度できているかの正確な把握」

・「次の一歩へ進めない現実的なボトルネックがどこにあるのかの精査」

が必要ですが、上記の「酒場の放言」みたいなのが溢れているとその大声で必要な具体的議論がかきけされてしまいます。つまりそういうのは「役に立たない」だけでなく「有害」ですらあるわけですね。

そして以下の3つ目が最も重要です。

ドイツに見習うべき点その3:流行りに流されず、状況に合わせて自分たちに合った電源を最適なミックスで利用する

上で引用した資源エネルギー庁資料の3つの図を見ると不思議に思いませんか?

「再エネ発電導入容量」でドイツとの差は小さく、「太陽光発電導入容量」では日本が勝ってすらいるのに、なぜ総発電量における再エネの比率がドイツ32.5%、日本10.3%と差がついているのか?

その大きな原因は、ドイツが太陽光だけに頼らず、陸上・海上風力、そしてバイオマス発電など、幅広い電源を活用していることです。

特に再エネ発電量の2割程度を占めるバイオマス発電は、地方の農家に収入をもたらす自律分散型かつ安定的な電源として大きな成功事例となっているようです。

電源構成がドイツのようにバラバラであれば、太陽が照っていなくても風は吹いていることもあるでしょうし、逆に風はやんでも太陽が照っている時もあるでしょう。そしてバイオマスは一種の火力発電なので、安定した発電が常に見込める。

日本の場合、再エネ導入といっても、とにかく「太陽光を増やす」ことに特化してしまい、日が照っている時には場所によっては電気が余ってしかたないぐらいだし、日が陰ると急激に電気が足りなくなる。さらには太陽光パネルの設置が急速に進んだことによる環境破壊も問題となりつつあります。

こうなってしまったのは、日本全体の再エネ普及ではなく「再エネを名目に楽に儲けてやろう」という業者がのさばるような制度設計にしてしまったからだと言えるかもしれません。

日本の場合、特に平成時代に顕著な傾向として、とにかく「古い日本のやり方じゃダメだ」と騒ぎさえすれば発言の中身がスカスカでも一定の支持が得られてしまう不健全な状況にありました。

結果として、再エネの本当の普及のために最適な制度でなく、一部の業者が安易に儲けやすい仕組みがゴリ押しされてしまい、結局東電のような会社が尻拭いをさせられる構造になってしまいがちでした。

「日が照っている時だけやる気を出す電源」が優遇される一方、気分屋の太陽光パネルが発電してくれない時のバックアップする余力は、東電のような企業がいつでも抱えておいてくださいね…という制度になってしまっている。

実はこの「制度の歪み」こそが、今回の停電危機の原因となっているのです。

2:結局のところ安定供給が崩れた原因は何なのか

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SNSでは、原発の再稼働が遅れていることや、再エネの導入が今回の電力逼迫の原因だと名指しされがちですが、それは最大の原因とは言えません(ただし回り回って影響を与えてはいます)。

一言でいうと「電力自由化」の制度上の歪みが元凶だと言えます。

2021年5月に書かれた朝日新聞デジタルのこの記事がコンパクトにまとめてくれています。

重要な部分が有料会員限定になっているので要約に留めますが、同記事では、新電力に顧客を奪われた大手電力がコスト削減のために古い火力発電所を相次いで休廃止しており、今後も脱炭素のため減少が見込まれること、そして背景にある日本の電力市場における利害対立を丁寧に整理しており、ご興味があれば元記事をお読みいただければと思います。

多くの電力小売事業者は発電設備を持っていません。ただ電力卸売市場から調達して「売る」ことだけをやっています。

さらに再エネ発電事業者がFIT(固定価格買取制度)を利用して発電した電力を売っています。しかし彼らは安定供給の責任を負っているわけではありません。

結果として、電力需要が最も高まった時の“余力”を用意しておくコストは、すべて東電などのいわゆる「旧一電(=旧一般電気事業者)」に「ツケを押し付ける」状態になっていたのです。

たとえば今回の電力逼迫状況下でギリギリのところで大停電を救った「揚水発電所」などが非常にわかりやすい例だと言えます。

今回のような危機的状況にならないと本領が発揮されない設備ではありますが、その維持コストは東電が払っています。

環境ジャーナリストの知人の話では、東電のような「旧一電」の社員からは

「新電力は全然責任を負う気がない一方でなんで俺たちだけ不利な競争をさせられなくちゃいけないんだ」

…という不満を聞くことがよくあるそうです。

逆に電力自由化推進派からは、旧一電の持つ発電所は独占企業として守られていた時期に国民からの付託を受けて作ったもので、それを自分たちの利益が合わないからと廃棄するべきではないという指摘もされています。しかし実際それを維持できない状況に追い込んでしまう制度を作っておいてそんなことを言われても彼らも困るでしょう。

昨年や今年冬、そして今回の電力逼迫を受けて、この「電力自由化自体が間違いだったのではないか」という声も高まっています。

確かにそれは一つの選択肢としてあるかもしれません。しかし、「旧一電」だけが全てを支配する構造の問題も一方ではあります。

また今後予想される多種多様な自律分散型電源を協調的に利用するイノベーションのための布石でもあり、以前のように完全な「一社独占状態」に戻す事も現実的ではないようです。

では結局どうするかというと、その「東電のような企業にツケを押し付ける」状態を解消するために、2020年から「容量市場」という仕組みがはじまっています。

2020年に開催された、内閣府による「再生可能エネルギー等に関する規制等の総点検タスクフォース 」の第1回資料に以下の図があります。

「自由化前」は東電などが安定供給の責任を全て負っていたが自由化後は誰も責任を取らなくなったので、「安定供給をするコスト」を全体で負担する市場を作るわけですね。

内閣府「第1回 再生可能エネルギー等に関する規制等の総点検タスクフォース 会議資料」より、資料4-2「容量市場に対する意見」(構成員 提出資料)https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kisei/conference/energy/20201201/201201energy05.pdf

この「容量市場」がうまく機能するのかどうかは、まだ始まったばかりなのでわかりません。

専門家の論調も割れているようです。ただ、また不都合があれば微調整をしつつ、だんだん安定的に運用できるようにしていくしかないのではないかと思います。

私はこういう制度を色々調べるたびに思うんですが、日本の官僚はそれなりに頑張って対処していると思います。“対処の方向性”は非常に信頼できると感じます。

ただ何しろ遅い!本当に遅いです。問題が発覚してギリギリの危機になってから、やっと「4年後をめどに開始」みたいなレベルの話が動き出すような感じです。 そして、混乱する世論の中でなんとか少しずつ共通了解を作って制度を調整していくのに精一杯で、次々と生まれる新しい技術などを柔軟に取り入れる事も非常に苦手です。

ではどうすればいいのでしょうか?

今日本に必要なのは「犯人探し」ではなくて、こういう「今の制度の歪み」を具体的に分析して、ちゃんと現実に合わせた微調整の繰り返しを、丁寧にやりきることなのです。 そしてそういう動きを皆で邪魔しないでバックアップしてあげられるようになれば、新しい環境変化への対応や新しい技術ももっとスムーズかつ柔軟に取り入れることができるようになっていくでしょう。

しかし、この「丁寧な議論」が、単に「敵と味方」に別れた罵り合いや、マスメディアも巻き込んだ「犯人探しの大騒動」にかき消されてしまうために、過去数十年の日本の政策は迷走し続けてきたのです。

3:すべてが政治闘争に見えるビョーキの世代から権力を取り戻せ!

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ここまで書いてきた「安定供給電源を維持する責任を誰に負わせるのか」という制度設計を解決しないと、単に原発を再稼働させるだけでは、安定供給の課題は解消されないと思われます。

「容量市場」の導入はそういう意味で非常に合理的な仕組みだと私には思えますが、導入には再エネ業者や再エネ議連などが反対し続けていたそうです。

こういう時に日本では、「再エネ推進派VS頭の古い守旧派」みたいな構図にしてしまい、「古いやつらをぶっ壊せ」的な論調を安易に立てて余計に物事が混乱して進まなくなってしまいがちです。

私は日本の言論やメディアで最も課題だと思うのは、こういうところの冷静な議論がなかなかできないことです。この記事前半で書いた「ドイツの例」と比べて日本の最もダメなところはそこです。

再エネをドイツのようにちゃんと普及させていくには、太陽光ばかり大量にあっても困るわけです。水素エコシステムとか全く新しい大規模蓄電技術とかそういったイノベーションが完成するまでは、変動する再エネをバックアップする火力発電も当然必要なので、それを維持する「責任」を誰が受け持つのか、そのコストを現実的な形で回収する仕組みをどうすればいいのか…といった議論は当然必要です。

ウクライナ紛争を見てすぐに脱原発の見直しも選択肢に入れ、真剣に考え始めたドイツ政府の動きやそれを支えるドイツのメディアにおける活発で具体的な議論に対して、日本のメディアでなされる議論はいかにも現実的な変化に鈍すぎるのではないでしょうか。 これはSNSでの論争に限らずメディアに出てくる論客さんについても同じで、とにかく日本では「日本政府がけしからん」と吠えていればいいと思っているレベルの人が多すぎるのではないでしょうか。

たとえばまさに停電危機の3月22日に掲載された朝日新聞の社説などが、本当に「全てが政治権力闘争に見えるビョーキ」のご老体の文章という感じで怒りを覚えました。

パネルを設置する戸建て住宅は現在は1割だが、2割になれば1300万キロワット、荒廃農地を半分転用できれば9500万キロワットが見込める。1基100万キロワットの原発数十基分になる。

この文章のように、日本のマスコミがよく使う「原発何基分」という言い方は、よく指摘されていることですが「キロワット(kW)」と「キロワットアワー(kWh)」をあえて区別しないことで、原発や火力の性能を低く見せ、再エネの性能を高く見せようとする表現です。 同じキロワットの「定格出力」でも、太陽光は火力や原子力のように常時発電できるわけではありません。だから「設備利用率」をかけた一定期間における総発電量で考えると、「原発何基分になるか」という数字は設備利用率によって大きく違ってきます。

もちろん、好意的に見れば「再エネの可能性の大きさ」を主張したいがための勇み足なのだという理解はできます。

私も“最終的にすべてがうまく行った先”での再エネの可能性の大きさは確信しています。しかしだからこそ余計に移行プロセスを丁寧にやる必要があるのです。

考えてほしいのですが、そもそも太陽光だけが突出して大きくなっても現状では電力網全体を安定供給できないことが問題になっている今、こうやって 「全てが理想どおりうまく行った遥か先の未来における再エネの最大瞬間風速的な発電可能量」

…を吹聴するだけで、

「今年や来年のピーク需要をいかにしのぎ切るかに必死になっている人たち」

…を納得させることが可能でしょうか?

そういう問答無用に高圧的な主張の仕方が、「安定電源」のための仕組みをコスト的に可能な範囲に収めようとする無数の現場の人々の努力を侮辱する結果をもたらし、余計に「再エネなど胡散臭いもの」だという拒否反応を生んでいるのではないでしょうか。

こういうタイプの言論は、再エネの普及のためにも有害なので転換していかねばなりません。

一方で、先程引用した朝日新聞のこの記事は、今の日本のエネルギー市場に起きている問題をフェアに描いており、同じ新聞の記事とは思えません。

前者の社説は高齢世代の「論説委員」が書いたもので、後者は現役世代の記者が書いたものなのだと思われます。

この「“政治闘争”世代が書く社説」と「現役世代の記者が書く記事」のトーンの大きな差!!!

ここにこそ、今後の日本の課題を打開していく希望の端緒があります。

もし本当に「脱原発」したいのなら、前者の「社説」のような高圧的なお説教ではなく、後者の記事のように「今何が問題になっているのか」を冷静に把握しようとする議論をさらにもっと徹底的にやることが必要です。

実態以上に理想化した欧米の事例を持ってきて単に「政府がけしからん」と吠えて溜飲を下げるのではなく、日本の現状のどこに課題があって、どうすれば解決できるのかについてもっと真剣に掘り下げる記事を書かないと。

容量市場の創設などによる構造的課題の解決には時間がかかるので、弥縫策としては原発再稼働ができれば安定供給的には一息つける因果関係は一応あります。

だから保守派の人たちは、今後強烈に原発再稼働をプッシュしてくるでしょう。ちなみに私も、将来的に水素エコシステムなどが完成して、再エネの変動を他の発電でバックアップする必要がなくなるまでの移行期間において、安全確認された既存原発を活用することは再エネ普及のためにも非常に合理的な選択だと考えています。

それに対して、日本が誇る“クオリティーペーパー”が大停電の危機当日に出す「社説」が、上記のように「数字の使い方が間違っている」「情緒的な嘆き節で論破したつもりになる」みたいな自己満足のご高説をぶっていたりするのは、本当に「脱原発」する気があるのか?と問われても仕方がないと思います。

超長期の「すべてが完全にうまく行った時の理想」をぶつけて論破したつもりになることなく、短期的な安定性の確保や漸進的な移行プロセスへの目配りなどまで考える論調を作っていってこそ、「脱原発」は可能になるのではないでしょうか。

「社説」を書いているような世代から、「リアルな議論ができる世代」が権力を奪い取ってしまいましょう。そして、日本の国土特性にあった、リアルな工夫の積み上げを、滞りなく一歩ずつやっていきましょう。

(お知らせ)
私の普段の仕事は経営コンサルタントなのですが、ちゃんと「自分たちの場合の事情」を深く考えることをせずに、「流行り物」に次々と手を出しては中途半端に終わるようなことを続けている会社の業績が上向くことはありません。

「他の事例を持ってきて自社のボスがダメだという」のに使っているエネルギーを、「自分たちの事情」をしっかり深堀りして、最適な戦略を独自に考える動きを辛抱強くバックアップすることによってのみ、物事は好転していくのです。

過去30年の平成時代の日本は、「議論という名に値しない単なる罵り合い」だけを延々と続けて、具体的な課題はほったらかしのまま徐々に衰退してきてしまったのではないでしょうか。

そんな状況を打開するための本『日本人のための議論と対話の教科書』を先月出しました。

私のクライアント企業で、10年で150万円も給料を上げられた成功例などから説き起こし、徐々に今回記事で扱ったような大きな社会課題においても「罵り合いでなく問題解決へ」向かわせる方法についてまとめています。

「序文(はじめに)」を無料公開しているので、この記事に共感された方はぜひお読みください。

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