LIFE STYLE | 2018/07/25

アメリカで静かに影響力を拡大しつつあるアマゾンの出版社【連載】幻想と創造の大国、アメリカ(4)

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渡辺由佳里 Yukari Watanabe Scott
エッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家...

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渡辺由佳里 Yukari Watanabe Scott

エッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家、マーケティング・ストラテジー会社共同経営者

兵庫県生まれ。多くの職を体験し、東京で外資系医療用装具会社勤務後、香港を経て1995年よりアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』で小説新潮長篇新人賞受賞。翌年『神たちの誤算』(共に新潮社刊)を発表。他の著書に『ゆるく、自由に、そして有意義に』(朝日出版社)、 『ジャンル別 洋書ベスト500』(コスモピア)、『どうせなら、楽しく生きよう』(飛鳥新社)など。最新刊『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)。ニューズウィーク日本版とケイクスで連載。翻訳には、糸井重里氏監修の訳書『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社)、『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)など。
連載:Cakes(ケイクス)|ニューズウィーク日本版
洋書を紹介するブログ『洋書ファンクラブ』主催者。

アメリカで静かに影響力を拡大しつつあるアマゾンの出版社

アメリカでも周囲の人々から「お薦めの新刊」を尋ねられることが多いのだが、こちらもその機会を利用して彼らから「最近のお気に入り」の情報を得るようにしている。読者の率直な意見からは、情報誌や専門職からは得られない貴重な市場の動向を知ることができるからだ。

先日、夫の母から「『Beneath a Scarlet Sky(緋色の空の下で)』という本を読んだのだけれど、とても良かった。作者が私の町の図書館に講演に来てくれた」とウキウキした電話があった。Beneath a Scarlet Skyは、第二次世界大戦下でユダヤ人がナチスドイツから逃れることを助けた実在のイタリア人をモデルにした歴史小説である。

「作者のマーク・サリバンとは、本が発売になる1年くらい前に会って、この本について結構長い間話をしたことがある」と言ったところ、義母がまるで私が映画スターに会ったかのように歓喜したので、2人一緒に撮った写真をメールで送ると約束した。

「とても感じが良いジェントルマンだったわ。これまで馴染みがない名前だけれど、ほかにも本を書いているのかしら? 私が読んで気に入ると思う?」と義母がさらに尋ねてきたので、「この本は、彼のこれまでの作品とはまったく異なるジャンル。彼は、アクションが多いミステリやサスペンスのジャンルでは名前が知られている作家なのだけれど、あなたの好みじゃないと思う」と正直に答えた。義母はジャンルの好き嫌いが激しいのだが、サリバンに興味を抱いたようなので少し説明をした。

義母が驚いたのは、『Beneath A Scarlet Sky』を出版したLake Union Publishingが、アマゾン出版社のインプリント(ブランド)のひとつだということだ。「アマゾンに出版社があるの?」と信じられない様子だった。

アマゾンがアパレルや日用品などで自社ブランド品を静かに売っていることが話題になっているが、本業である出版業でも2009年から自社ブランド「amazon publishing」をスタートさせている。

現在では、フィクションとノンフィクション全般を扱う「Amazon Publishing」のほかに、翻訳書専門の「AmazonCrossing」、SFとファンタジー専門の「47North」、ロマンス小説専門の「Montlake Romance」、YA(ヤングアダルト)専門の「Skyscape」、ミステリ、スリラー、犯罪ノンフィクション専門の「Thomas & Mercer」、古典や廃刊本を復刻する「AmazonEncore」、短いフィクションとノンフィクション専門の「Amazon Original Stories」、文芸書とノンフィクション専門の「Little A」、自己啓発的なメッセージに絞った「Grand Harbor Press」、著名な女性監督で劇作家のジル・ソロウェイが選択する「Topple Books」、児童書の「Two Lions」、キリスト教フィクションの「Waterfall Press」、コミックやグラフィックノベル専門の「Jet City Comics」、そして、商業的な小説を扱う「Lake Union Publishing」の合計15のブランドがある。

アマゾン出版社から本を出すことには明らかな利点と欠点がある。

最大の利点は、ネットでの露出が増え、読者数が多くなることだ。

アマゾン出版社から刊行された本の多くは、Kindle Unlimited(Amazonによる電子書籍読み放題サービス)にリストアップされる。また、編集者が厳選した数冊の中からプライム会員が毎月無料で1冊入手できる「first reads」というシステムもある。『Beneath A Scarlet Sky』もそのひとつだった。

「タダで多くの人に読ませても、商売にはならない」と思うだろう。

だが、上記の無料の方法で『Beneath A Scarlet Sky』を読んだ読者は、「面白い!」「素晴らしい作品だ」とアマゾンや書評サイトのGoodreadsで5つ星の評価や感想を書き込んだ。アマゾンが購入したGoodreadsは、読者が本選びの参考にする重要なサイトだ。2018年7月現在までに10万人以上が評価を与え、平均4.42(最高5点)という高い評価を得ている。

ネットでの読者の反応が影響してか、『Beneath A Scarlet Sky』はアマゾンのランキングでまたたく間にトップに躍り出た。そして、40週もの間、読まれた数のランキングと販売数でトップリストに入り続けた。

だが、アマゾンから出版することには、大きな欠点もある。

それは、多くの書店がアマゾン出版社の本を売らないことだ。また、公共図書館の多くもアマゾン出版社の本は購入しない。

ゆえに、『Beneath A Scarlet Sky』がアマゾン全体の4位だったときにも、紙媒体では週に1169冊しか売れていなかった。

しかし、『Beneath A Scarlet Sky』はそれまでのアマゾン出版社刊行のベストセラーとは異なり、そのまま姿を消すことはなかった。トム・ホランド主演で映画化が決まり、2018年1月には『ワシントン・ポスト』紙と『USA Today』紙のベストセラーリストで、それぞれ3位と5位に上った。これらのベストセラーリストに入ったということは、紙媒体が通常ルートで売れるようになったことを示している。

そして、今年になってからは、義母が住む町のようにサリバンを招く図書館も出てきた。また、フランクフルト・ブックフェアでは10カ国語への翻訳権が売れたという。

これまでにも、サリバンのように知名度がある作家が大手出版社からアマゾン出版社に乗り換えることはあった。『「週4時間」だけ働く。 』のベストセラー作家ティモシー・フェリスや、O.J.シンプソンの裁判で検事のキャリアを失ってミステリ作家に転向したマルシア・クラークもそうだ。しかし、大手出版社からアマゾン出版社に移ってこれほどの成功を収めた作家は、私が知る限りサリバンが初めてだ。

2016年の夏に会ったときのサリバンは、取材で回答を避けたクラークとは異なり、アマゾン出版社での体験についてオープンだった。

ジャーナリストとしてキャリアを始めたサリバンは、40代後半までにミステリーをすでに数冊出していたが、経済的に安定するほどの成功ではなかった。落ち込んでいたときに知ったのが、『Beneath A Scarlet Sky』の主人公のモデルになったイタリア人のピノ・レラだった。サリバンはレラに会うためにイタリアに行き、この出会いが人生そのものを変えたという。レラから話を聞いたのだが、本人ですら詳細を忘れているところがある。そこで、サリバンはノンフィクションではなく「実話に基づいたフィクション」として書くことに決めた。なんと、出会いから出版までに10年もかかったという作品である。

その間に、サリバンはジェイムズ・パタースンと共著でスリラーを出すようになった。パタースンは、電子書籍の売上でギネスブックにも登録されているほどで、英語圏では発行部数が最も多い作家として知られている。最近では、ビル・クリントン元大統領と共著した政治スリラーが発売後連続でベストセラーのトップになっている。

サリバンがジェイムズと共著したスリラーも、すべてベストセラーになっている。パタースンは、どちらかというと、実際に文章を書く「作家」というよりも指導を与えて書かせるブレイン兼編集者であり、「パタースン」のブランドを率いるCEOのような存在ではないかと推察されている。これだけの数の本を自分で書くのは、どんな天才にも無理だからだ。

サリバンはそういった内情についてはまったく語らなかったが、「パタースンから教わったことは多い。彼には非常に感謝している」と熱意を込めて語った。

サリバンの謙虚さは、アマゾン出版社に対する評価からも伝わってくる。

アマゾン出版社についても、「これまで出版社からこんなに親身になって指導してもらったことはない」と絶賛するのだ。アマゾンの編集者が特に指導したのは、文学的な描写よりも読者の感情に訴えかける文章に徹底するという内容だった。

たしかにサリバンの小説はプロット中心であり、文芸的な描写というのものはない。シンプルだが、喜怒哀楽の感情には直接訴えかける。サリバンの話からは、「私が書くものは文芸小説ではない。事実に忠実に即したノンフィクションでもない。読んで、胸を揺すぶられるような感動的な商業作品に徹する」という決意が伝わってくるが、アマゾン出版社の出す本が一般読者に好かれる理由はここにあるのだろう。

つまり、アマゾン出版社は文学賞を取る作品など目指していない。「売れる作品」を作ることに徹しているのだ。

サリバンは、これからも大手出版社からジェイムズ・パタースンとの共著を出し続けるが、歴史小説など別ジャンルはアマゾン出版社から出していくという。

サリバンの成功により、アマゾン出版社の本を取り扱うようになる書店も出てくるだろう。

一般読者が知らないところで、アマゾンはじわじわと影響力を拡大しているようだ。

(次回の「幻想と創造の大国、アメリカ」は8月25日頃公開です)


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