CULTURE | 2021/04/06

橋下徹、石原慎太郎、猪瀬直樹と渡り合う芸能界イチのメモ魔。水道橋博士がここまで「記録」に取り憑かれるワケ

ノンフィクションの名手、沢木耕太郎は、「ノンフィクションを書くには、運を味方につけなければいけない」とエッセイで語ってい...

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ノンフィクションの名手、沢木耕太郎は、「ノンフィクションを書くには、運を味方につけなければいけない」とエッセイで語っている。水道橋博士がスパイとなって芸能界に潜り込み、魑魅魍魎の芸能人たちを潜入取材、独特の押韻と言葉遊びを駆使した筆致で書き上げた人物ノンフィクション『藝人春秋2』『同3』がこのたび文庫で発売された(ハードカバー版『藝人春秋2(上・下)』の文庫化)。

博士ならこう言うだろう。「ノンフィクションを書くには、運命を受け入れなければならない」と。彼の言葉で言うなら、運命は星座と置き換えることもできる。運と運命。偶然と必然。ノンフィクション(物語)の果てに、博士が到達した美学とは。未公開エピソード満載の発売記念インタビューをお届けする。

聞き手:米田智彦 構成・文:神田桂一 写真:神保勇揮

大量の日記や記録が武器

―― 博士がブログの前の時代からネットで日記を書いていたのを読んでいた長年のファンとして、今日は初めてインタビューすることができて光栄です。 

水道橋博士(以下、博士):仕事場でちょっと狭いけど。そこのケースに入っているのが昔からつけている日記なんです。

―― (大量の日記を前に)凄い量! これで裏取りをしているわけですね。人間には記憶と記録があって、例えば「記憶の長嶋と記録の王」なんてよく言ますけど、記憶は都合のいいように上書き保存されていくことがあって、それを大量の記録という武器でひっくり返していくのが博士の戦法だと思うんです。

博士:それをボクが実感したのが、17歳の時(1979年)に2万2000円の旅費をわざわざ使って、映画『時計じかけのオレンジ』を岡山の倉敷から東京の新宿京王地下まで友人と観に行っているんです。この記憶、実家から日記を送ってもらうまでは、「受験の下見を兼ねて母親と一緒に観に行った」という記憶がずっと残っていた。なんでそういう記憶になったのか分析したら、この映画を観た後に当時、渋谷パルコにある輸入ビデオ屋さんに行って、そこで『時計じかけのオレンジ』と『ダークスター』の2本を買って、それを倉敷に持ち帰っていたからなんです。

博士が『時計じかけのオレンジ』を観た日の日記

それをお茶の間で、ずっと観続けた。でも母親は世の中に『時計じかけのオレンジ』みたいな映画があることも知らないし、輸入版だからノーカットなんで、陰毛もボカシなしだし、レイプシーンも全部あるわけじゃないですか。普通の母親からみたら気が狂った表現の映画をずっと観続けるボクを見て、母親は「自分の子供は頭がおかしくなったんだ」ぐらいの哀れみの目で毎日、ボクのことを見ていたんですね。その目線が今でも自分の中に残っている。母親と一緒に観たというのは、家で自分がビデオを観ている記憶が「一緒に観た」という記憶にすり替わっている。ボクはそれを知った時に、「全く違う記憶そのものがあるわけだから、人間の記憶って凄く怖い」と思った。だって、これだけ詳細な記録を日記に書いていて、しかも、高校時代に田舎から東京までリバイバル上映を観に行くなんて、一生忘れられない冒険じゃない? それでも記憶がすり替わるんだから。人間はこうやって都合よく記憶をすり替えて、生きていくものなんだというのがボクの人間の記憶に対する恐怖なんです。

政治家は嘘をついちゃいけないけれど、特にプロレスラーや芸人、小説家もそうだけど、嘘をつくことによって職業が成り立っている、嘘をついて良い職業なんです。だから芸人の記憶に対して咎めたことは一回もありません。公人と言われる政治家の人にしか、これは間違っていますよと言ったことはないです。ただジャーナリストによる嘘は別問題かな。職業上の倫理に関して、ボクは芸人とは思えないほどに、うるさい方だと思う。自分も記憶を間違うことを知っているから、自分が間違った場合は素直に謝るし、実際、今までも何回も謝っているんです。

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