LIFE STYLE | 2018/07/10

知らないうちに世界の子どもたちを救っていた話。広告から始まった医療機器「オクルパッド」 【連載】旅する技術屋 (3)

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清水幹太
BASSDRUM / PARTY NY
東京大学法学部中退。バーテンダー・トロン...

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清水幹太

BASSDRUM / PARTY NY

東京大学法学部中退。バーテンダー・トロンボーン吹き・DTPオペレーター・デザイナーなどを経て、独学でプログラムを学んでプログラマーに。2005年12月より株式会社イメージソース/ノングリッドに参加し、本格的にインタラクティブ制作に転身、クリエイティブ・ディレクター / テクニカル・ディレクターとしてウェブサイトからデジタルサイネージまでさまざまなフィールドに渡るコンテンツ企画・制作に関わる。2011年4月より株式会社PARTYチーフ・テクノロジー・オフィサーに就任。2013年9月、PARTY NYを設立。2018年、テクニカルディレクター・コレクティブ「BASSDRUM」を設立。

生まれ変わったら看護師になりたい

筆者は表題の通り技術屋だが、技術屋にもいろいろある。私はこの十数年、主に広告やエンターテインメントという「チャラい」領域でテクニカルの仕事をやってきた。

そういったチャラいフィールドで技術に求められるのは、「新しさ」とか「驚き」みたいなキーワードだ。「最新技術を使って今までにない体験をつくります」みたいな言葉が企画書に踊り、技術をフックにして興味を喚起し、ソーシャルメディアでバズをつくる。もちろんそれだけではないのだが、私はそういった領域で、そういった用途で技術を扱うことが多かった。

そういう中では1つのプロジェクトについて開発期間が4カ月もあれば長い方。何年もかけて1つのシステムやゲームに取り組んでいる人たちがいる一方で、私たちは3〜4カ月という短いスパンでまるでインスタントラーメンのように何かを出力していく。

流行り廃りのある世界だから、そのくらいのスピードでやっていかないと時代についていけない、ということもある。技術もどんどんアップデートされるから、「新しげな技術」を節操なく取り込んで利用していく必要もある。「広く浅く」なりがちなのだ。

そういった仕事は大概世の中にとって必須なものではない。贅沢品だ。別にARで世の中を拡張しなくっても人は死なないし、何百もののドローンを飛ばしてパフォーマンスをさせても、多くの人の生活とは関係ない。

筆者の嫁は看護師だ。看護師は、世の中に必ず必要な職業で、看護師がいなければ人が死んでしまう場合があるし、彼女自身多くの人を救ってきた。

それに較べて私は何なのか。新しい技術で人を驚かせることが何の腹の足しになるのか。私がやっていることなんて、余裕を手に入れた人類が余剰エネルギーでやっているお遊びではないか。だから嫁が言っていることはすべて正しく聞こえるし、自分が言っていることは余剰生産物の戯言のような気がしてくる。生まれ変わったら、看護師になろう。看護師になって嫁と対等に会話できるようになりたい。

インスタントラーメンのような仕事ばかりしていると、そんな感じでなんだか自己肯定感が下がっていく。

こんなことでいいのか。もっと人の役に立たなくて良いのか。

ところが、筆者は、自分の知らないところで、いつのまにか世界中の子どもたちを救っていたのだ。

ホワイトスクリーンとの出会い

筆者は、いろんなものに手を出していかなければならないがゆえに、個々の案件で今までに出会ったことがないような専門家の方と一緒にお仕事をさせて頂くことがある。

筆者がたまに企画の中で提案する要素技術に、「ホワイトスクリーン」というものがある。一般のLEDディスプレイの表示面に入っている偏光フィルムを取り除くと、画面には真っ白な光以外何も映らなくなる。ところがその真っ白な画面を、たとえば透明な下敷きのような偏光フィルムを通して覗き込むと、真っ白なはずの画面に何かが映っているように見える、という仕組みだ。

実はこれは、液晶パネルの原理そのものがそうなっているから起こる、そもそも当たり前の現象だ。

いわゆる液晶パネルというのは色んな方向に向けて光っている液晶分子の方向を電気で変えることでいろんな映像を画面上に再現する。しかし、そのまんまだと液晶分子がいろんな方向に向いていても全部白く見えてしまう。だから、「一定の方向の光以外は遮断するフィルム」である偏光フィルムを画面に貼りつけることで、「見える分子」と「見えない分子」をつくり出し、そうすることでやっと人間の目にも映像や画像が画面上に表示されているのがはっきり見える。そもそも液晶パネルである限り、偏光フィルムがくっついているものなのだ。

この「ホワイトスクリーン」は液晶パネルに必ずくっついている偏光フィルムを剥がして、外から偏光フィルムを通して見る、という形にすることで、「裸眼では真っ白なのにフィルムを通すと何か見える! 不思議!」という驚きを作り出すものだ。同じ要素技術がたとえば、3Dテレビ用のメガネでも使われている。この技術を使って、左目と右目で見えている映像に微妙な角度の差をつけることで映っているものが立体的に見えるのだ。

この「ホワイトスクリーン」の専門家が、ヤグチ電子工業のCTO(チーフ・テクノロジー・オフィサー)である石垣陽さんだ。5年ほど前、そのとき企画段階にあったプロジェクトのアイデアとして、このホワイトスクリーンのようなことをプロジェクターで実現できないか、という話になり、どうやらこのホワイトスクリーンという製品(?)を扱っているらしいヤグチ電子工業さんに私が連絡をしたのが付き合いの始まりだった。

このときの企画は、石垣さんの協力のもと実現し、うまいことこの仕組みをエンターテインメントに利用し、広告系技術屋として「新しさ」とか「驚き」とかを演出することができた。このプロジェクトについては改めて後述する。

「いまインドで臨床試験をやっているんですよ!」

ヤグチ電子工業CTOの石垣陽氏

石垣さんはかなり不思議な人物だ。寡黙な人も多い技術系の人物の中にあって、なんかかなりしゃべる、1を聞くと10くらいの情報を教えてくれて助かるのだが、なんていうか、楽しそうにしゃべる。

東京で仕事をしながら、ヤグチ電子工業という仙台の老舗工場のCTOをやっている。そういう工場の人というと、高度成長期からものをつくってきた前の世代の人たちのイメージが強いが、石垣さんは若くしてそういうところで重責を担っている。いわゆる「デジタルクリエイター」的なポジションとは全然違う。そのわりに、「デジタルクリエイター」ぶっているこちらの言うことを理解してくれる。

そんな固そうな工場の仕事をやっているにもかかわらず、ニューヨーク在住の筆者がニューヨークのMaker Faire(世界中で展開する電気系のものづくりイベント)に出掛けたら、石垣さんがお店を出してデジタルガジェットを売りさばいているのに突然出くわしたりする。

研究もする、開発もする、展示もすれば広告もやる、いろんな領域にガンガン首を突っ込む神出鬼没の謎の技術者、それが石垣さんだ。

以前使ったホワイトスクリーン・プロジェクションの技術を新しい案件の企画で使うことにしたため、久々に石垣さんに連絡を取ってみた。

すると、
「清水さんと一緒にやっていたプロジェクトから派生した仕事で、いまインドで臨床試験をやっているんですよ!」
と言う。

インド? 臨床試験? とりあえず出てくるフレーズが斜め上すぎる。しかし、面白そうな匂いしかしない。とっさに「なんだかよくわからないけど記事にしたいので、取材させてください」と伝えて、仕事とは別にお話を伺うことになった。

そもそも自分にとっては謎の人物だ。せっかくだから石垣さんの人となりを理解すべく、石垣さんがそもそもどういう経緯で、ヤグチ電子工業に入っていき、ホワイトスクリーンという非常にニッチな領域を中心に活動するようになったのかを聞いた。

「石垣さん」のこれまで

石垣さんは筆者と同じ1976年生まれ。小学生の頃からパソコンを触り、高校に入ってからは『WIRED』に影響され、理系の道を選んで電気通信大学に進学する、という濃ゆい理系人生を送った。その後は警備会社のセコムに研究職として就職し、「電子政府」や「遠隔医療」といった領域の仕事をしていた。

中でも、電子政府、つまり行政機能のセキュリティ整備などの仕事をしていた際は、昔ながらの頑固なセキュリティ技術者から、最近の新セキュリティ領域のチャラい技術者(ブロックチェーンにもつながるようなモダンなセキュリティ技術)からハッカーまで、様々な畑の技術者と仕事をして、その間をコミュニケーションでつなぐようなこともやっていたという。

考え方が違う技術者の間で概念などの「翻訳」を行って、一緒に働いてもらう。つまり、人をどんどん巻き込む技術コミュニケーターとしての石垣さんはそこで育ち、それが今、石垣さんがいろんな領域に首を突っ込んで活動できる基盤になっている。

そんな「堅い」仕事をやりながらも、石垣さんの好奇心はとどまらず、いろんなものに手を出す。セコムに勤務しながらアートを学ぼうと多摩美術大学の夜学に通ってみたり、思いついてもあまり行動には移せないようなことをやって、世界を広げていった。12年間セコムで働いた。

石垣さんにとっての大きなターニングポイントは、2011年3月11日。東日本大震災だ。津波が東北の町々を襲った。原発はメルトダウンした。

石垣さんは、そんな状況の中で、技術者として自分ができることを考えた。そして、PINフォトダイオードというありふれた電子部品を使った安価な放射線の線量計「ポケットガイガー」をつくって発表した。

この状況の中では、誰でもスマホにデバイスを接続して放射線量を知ることができるべきだ。そんな思いから出発したプロジェクトは、2011年の7月にはKickstarterで資金を集めることに成功し、それが話題を呼ぶことで、工学系の大学教授やオランダ国防省の人物など、様々な協力者が集まってきた。

石垣さん持ち前の「つなぎ込み」能力で、そういった協力者とコラボレーションし、どんどんプロジェクトが大きくなっていく。

スマートフォンにデバイスを接続して、各地の放射線量を地図にマッピングしてシェアすることもできる。「IoT(Internet of Things)」という言葉が存在しなかった時代に、当たり前のようにインターネットとハードウェアを連携させていた。

当初、石垣さんはそれをセコムの新規事業として進めようとしたものの、大企業であるがゆえの腰の重さもあって実現には至らず、思い切ってこれをきっかけにセコムを飛び出して、東北の電子製品工場に持ち込むことに。

もともとソニーの主力製品のOEM(委託生産)を請け負ってきたその工場、それがいま石垣さんがCTOを務めるヤグチ電子工業だった。ウォークマンなどを手がけてきた工場というだけあって、初期のソニーからチャレンジングな開発姿勢を受け継いできたこの工場は、石垣さんという切り込み隊長を得て、それ以降自社開発のプロジェクトをどんどん立ち上げ、KickstarterやMakuake等で次々にクラウドファンディングを成功させる。

そんな中で、もう1つ東日本大震災がきっかけになった商品がある。それが前述の「ホワイトスクリーン」だ。

被災地に落ちていた、液晶が破損して真っ白になってしまったディスプレイ。これを何かに使うことはできないか、というところからプロジェクトが出発した。

裸眼では何も見えないけど、フィルムを通すと見えるスクリーン。驚きの仕掛けにはなるが、当初はなかなか使い途を見い出せず、メディアアート的な展示で利用される程度だった。

そして、ほぼ初めて広告の領域でこの技術を使ったのが、筆者が石垣さんと出会ったプロジェクトである。

ルイ・ヴィトンのイベントに、医療関係者や大学教授が反応する

東京駅のステーションホテルで行われたルイ・ヴィトンの招待制イベント。仮面舞踏会的なコンセプトで、イベント会場に入ると偏光レンズが入ったマスクが配布される。

会場にはホワイトスクリーンと同様の偏光フィルム除去加工を光源に施されたプロジェクターを設置。そこから投射された真っ白な映像をマスクを通してみると、ルイ・ヴィトンのブランディングアニメーションを観ることができるという仕掛けだ。

何はともあれ多様な人々の目に触れる広告作品を通して、このちょっと変わった技術が衆目にさらされることとなった。そして筆者も、初期の要件定義に関わったくらいではあったが、そのお手伝いをすることができた。

イベントは多くのゲストを集め、プロジェクトは成功した。

しかしこのイベントが開催される中で、実はとんでもないことが起こっていた。

最初は、ホワイトスクリーンの技術を知った医療機器メーカー「ジャパン・フォーカス」の橘川氏という開発者がルイ・ヴィトンのイベントに訪れたのが始まりだった。技術を目の当たりにして驚いた関係者がすぐ連絡したのが、北里大学で視覚機能療法学を研究している半田知也教授だ。

半田教授と橘川氏らは、この仕掛けを目にするなり、「この技術は小児弱視の治療を変える!」と確信して、スタッフクレジットに記載されていたヤグチ電子工業に連絡を取ったらしい。教授らは、かねてからこんな仕組みを探していたのだ。

小児弱視というのは、元来ほぼ治る病気だ。個人差はあるが、6~8歳頃までに適切な治療をできれば治すことができるとされている。

弱視という症状がなぜ起こるのかというと、幼少時に目が適切な「視覚刺激」を受け取らなかったことによって起こる。つまり、脳が「視る」ことに慣れていないから視力が上がらない。

だから、片目が弱視の場合はそれが悪化しやすい。つまり、視える目と視えない目があったら、視える方の目でものを視るので、視える目の方にどんどん「視覚刺激」が来てしまう。視えない方の目には刺激が来ないから全然良くならない。

そんなわけだから、小児弱視のスタンダードな治療法は、「アイパッチ」だった。眼帯みたいなシールである。このアイパッチをどこに貼るのかというと、視える方の目だ。視えない方の目に視覚刺激を与えないと、視えない目が視ることに慣れない=脳が発達しない。ゆえに、わざわざ視える方の目を封じて、視えない目で世の中を視るようにしてもらうのだ。

Photo By Shutterstock

しかし、この方法は問題も多い。視えている目を封じるのはそもそも目が視えづらくなるわけだからそれはストレスだ。すぐに嫌になって取り外してしまう子も多いらしい。かぶれも出てしまう。立体感覚も失ってしまう。アイパッチをしているだけでいじめられることだってある。それを強いる親にもストレスになる。

この方法で弱視の目の視力を1.0まで上げるためには平均で1年以上かかるようだ。そんな中、アイパッチ治療を途中であきらめてしまう子供が多いというのが実情だ(文献によると、4カ月たった時点で、医師の処方通りに治療を継続できているのは全体の30%程度といわれている)。

オクルパッド+ゲームで「楽しみながら治療」!?

石垣さんと半田教授、そして医療機器メーカーの橘川氏がそれに替わる新しい治療器具として開発したのが、ホワイトスクリーン技術を使った弱視訓練装置「オクルパッド」だ。

いや、実は「オクルパッド」はホワイトスクリーンそのものだ。偏光フィルムを除去したタブレットデバイスを、片目部分だけ偏光フィルムが入っている専用メガネで視る。偏光フィルムが入っているのは、視力が弱い側の目だ。

つまり、このメガネをかけると、タブレットの画面は、視力が弱い側の目でしか視ることができない。ただし、タブレット画面の外の世界は両目で視えているから立体感覚を失うこともない。このバランスが弱視の治療にはとても良いらしい。

その上で、弱視の回復のためには脳を刺激する必要があるわけだから、集中力が重要だ。

石垣さんたちは、このタブレットで、子どもたちにゲームをさせることにした。

8種類のゲームを用意して、目の動きの訓練に最適化された順番で、「おそうじゲーム」や「もぐらたたき」等のゲームをカリキュラムに沿って遊んでもらう。これによって、子どもたちは適切な順序を辿って視力訓練をすることができる。

何より子どもたちが大好きなゲームだ。子どもたちは、視えない方の目で夢中になってゲームを楽しむ。結果、アイパッチで得られるよりも効果的な視覚刺激を脳に与えることができる。

しかも、ずっと両目を開けたままの状態で訓練できるところが凄い。石垣さんによると、オクルパッドはタブレットを使った「世界初」の両眼開放型弱視訓練装置なのだという。

これは、今まで子どもたちを悩ませてきた弱視治療に革命を起こしているということなのではないだろうか。

実際そういうことらしい。すでにヤグチ電子工業は医療機器の製造ライセンスを取って、この「オクルパッド」はれっきとした医療機器(クラス1)として、全国の病院・眼科クリニックで何百台も弱視治療に活用されている。こういうのを本当の「イノベーション」というのだろう。

「チャラい仕事」が世の中に貢献できること

そしていま石垣さんが取り組んでいるのが、前述の「インドでの臨床実験」だ。

日本には、弱視の患者が毎年3万人程度、インドにはいま、毎年83万人もの患者がいる。インドの医療機関と連携して、オクルパッドでの治療が世界に広がろうとしている。このデバイスは、世界中の子どもたちを救っているのだ。

広告とは、「広く告げる」ものである。

特に、インタラクティブな広告においては、商品の魅力やブランドの価値を多くの人に伝えていく中で、そのために使われている新しいテクノロジーや体験を一緒に広げていくことにもなる。いろいろなものを、世の中に伝播させていくことが広告の宿命だ。チャラい仕事なりに、そういう役割を担っている。

そういったものが多くの人に届くとき、思いもよらない誰かに思いもよらない化学反応をつくることがある。

どんな技術が、何の役に立つかわからない。風が吹けば桶屋が儲かる。あのとき筆者が石垣さんに連絡を取って仕事を実現しなければ、石垣さんと半田教授、橘川氏が出会うことはなかった。

広告という、多様な人に情報が届く形で世の中に出したゆえに、大きな結果に結びつくところまでそれが届いたとも言える。

だからといってこんなことを言っても自己満足でしかないのだが、私は、知らないうちに間接的に世界の子どもたちを救っていたのだ。

余剰生産物なりにがんばってものをつくり続けていけば、まれに、こんなこともある。「伝える」という仕事は、当たるとデカい。たまにこんなことが起こるからやめられない。

広告にせよ医療にせよ、あらゆる業界に知識や技術があり、そして新しいものへの需要がある。今の時代、そんな業界間の需要と供給をもっと効率的にマッチングしていけば、こんな素敵な事例がもっともっと生まれていくはずだ。

石垣さんのように、どんどん新しい領域に首を突っ込む「神出鬼没」型の技術者が、そういった新しい組み合わせを紡ぎ出していくのだ。