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中川淳一郎
ウェブ編集者、PRプランナー
1997年に博報堂に入社し、CC局(コーポレートコミュニケーション局=現PR戦略局)に配属され企業のPR業務を担当。2001年に退社した後、無職、フリーライターや『TV Bros.』のフリー編集者、企業のPR業務下請け業などを経てウェブ編集者に。『NEWSポストセブン』などをはじめ、さまざまなネットニュースサイトの編集に携わる。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)、『ネットのバカ』(新潮新書)など。
ネット上で加速するリア充コンプレックス
なぜ人は他人に「ラベル」を貼るのだろうか。自分が子どもの頃聞いてきたものは多数ある。「ガリ勉」「根暗」「オタク」「ハンサム」「ブ男」「オールドミス」(独身女)「チョンガー」(独身男)「ド近眼」「ガリガリ」「豚」「デブ」「メガネ」などなど。そして、小学生では、学年でもっとも早く陰毛が生えた男子生徒は「チン毛」と呼ばれるのが定番だった。
ネット時代になってからよく言われるようになったのが「リア充」「非リア」「非モテ」「陰キャ」「陽キャ」「ぼっち」である。要するに、人気者か不人気か、活発か否かということが、重要視されているのである。だからこそ「便所飯」という言葉が生まれた。
大学生がキャンパス内で昼飯を食べるにあたり、友達がいないため便所で「ぼっち飯」をすることを意味する。これについては「都市伝説である」という意見はあったものの、私が当時雇っていた大学生のライターは「ぼっち飯は都市伝説ではない! 〇〇大学キャンパスの便所個室からコンビニ弁当発見 本人直撃」という記事を書いてきたこともある。
「クリスマス粉砕デモ」や「バレンタインデー粉砕デモ」を行ってきた革命的非モテ同盟は、毎度「リア充爆発しろ!」と主張してきた。同団体もネットでの情報発信を武器に参加者を増やしてきただけに、2007年の第一回デモにあたっても当時のネットの空気感をよく表した主張といえよう。ちなみに2020年もクリスマス粉砕デモは行っている。
1990年代後半から2000年代前半のネットは「オタク」「非リア」が多く使っていた。いや、実際は違うのかもしれないが、2ちゃんねるや「はてな」「ニコ動」界隈ではそうした人間のように振る舞うことがあたかも作法のようになっていた。私も当時なんらかのコミュニティのオフ会に参加したことはあるが、リア充的な人も少なからずいた。そのため、「ネットヘビーユーザー=非リア」というわけではないことは分かっていたものの、少なくともネット上では非リアを演じることが共感される空気感は避けられない。
その後、前略プロフなど中高生が積極的なコミュニケーションのためにネットを活用し始め、さらには当初ギークのたまり場だったツイッターにも芸能人の参戦とともに一般層が大量に入ってくる。ネットユーザーはリア充と非リアが混在する状況になっていったが、リア充コンプレックスは加速化していった。
理由は、リア充の皆様が次々とネットで自身の華やかな生活を公開し、各種SNSでは多くの人と交流している様を見せつける。音声SNSのClubhouseでは、著名人同士がRoomを立ち上げ、そこに意識の高い人々が聴衆として参加し、これまたリア充同士の交流を見ることができる。
「非リア」が自虐的にならなければならなかった訳
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ここからが本題になるのだが、なぜ人は「非リア」であることに対してここまで自虐的にならなくてはいけなかったのだろうか。「自宅警備員」という言葉はその最たるもので、冗談めかしてはいるものの、やはり非リアはリア充よりも劣っている、といった思想が根底には込められている。
根底には小さな頃聞いた「友達100人できるかな♪」という歌が影響しているのではなかろうか。とにかく友達は多ければ多いほど良い、という考えにより、友達が少ない人間は小さな頃から劣等感を抱いていた。そんな中出会ったのがインターネットである。
ちょっとちょっと、コレ、顔を合わせないでもつながれるじゃない! しかも、ここに集っている人々、決して昔から友達が多かった人でもなさそう。いいね、この一体感! こうしたところから生まれたのが2ちゃんねる発の『電車男』である。2ちゃんねるでは「吉野家オフ」や「テレビが海岸掃除をする企画を開始する前に我々で掃除してしまおうぜ」など、特に現場で積極的にコミュニケーションを取るでもないものの、丁度よい距離感の関係性を保つ。
そこに大量にやってきたのがリア充の皆様である。外来魚に穏やかな湖を荒らされたように感じた彼らは「リア充爆発しろ!」と吠え、ネット上で自虐合戦を展開する。
これがネットの風景の一部だったわけだが、ここからは「非リアでもいいじゃないか」という話に移っていきたい。というのも、私自身、学生時代は非リアだったと思う。時々飲みに行くことはあったものの、そこまで熱心にサークル活動をやるわけでもなければ、恋人もいなかった。途中からプロレス研究会に入り、若干リア充への道を歩むも、所詮は男だらけでしかも学内では蔑みの目で見られる集団だった。そりゃそうだ。下品なリングネームと下品な実況・ネタのオンパレードの我々が敬遠されるのは当然である。ちなみに私のリングネームは「スカトロング山田」で千葉商科大学准教授の常見陽平氏は「ピンクロータリオ」や「ブルセラ大帝レオ」というリングネームを当時の会長からつけられた。本人はイヤだったのだろう、会長になった後はうじきつよしに似ている、ということで「うじきよわし」という上品な名前に自ら変更した。
そしてリア充になったのは2002年頃からだと思う。1997年に博報堂というリア充の巣窟のような会社に入ったのだが、私はキラキラした彼らの中ではまったく目立たず「オタク」といった扱いを受けていた。しかし、2002年から雑誌『テレビブロス』の編集者としての仕事を本格化させてからは会う人が増え、ついに28歳にしてリア充人生を送るようになったのである。
以後、知り合いは増え続け、2020年8月31日のセミリタイアまでは昨年の自粛期間を除き、毎晩飲み歩くようなリア充生活に入った。だが、このリア充生活については「もう充分かな……」と思うようになった。
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