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不確かな未来社会をナビゲートする“ソーシャル・イノベーター”の育成機関・独Hasso Platnner Institute留学記
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  • 2018.05.31
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不確かな未来社会をナビゲートする“ソーシャル・イノベーター”の育成機関・独Hasso Platnner Institute留学記

昨今、産業界、社会問題、教育界、行政組織などさまざまな領域に対して”イノベーション”が求められている。しかし、イノベーションが必要だと言われつつも、産業界、教育界、行政組織においても、突破口が見つからないと感じている人は多いのではないだろうか?

ドイツ・ポツダムにある「Hasso Platnner Institute School of Design Thinking」は、インターナショナルな企業、教育・研究機関、NGO団体などとともに、イノーベーションを誘発し、不確かな未来社会をナビゲートできる”ソーシャル・イノベーター”を育てる研究機関だ。

ここでは、アート、デザイン、サイエンス、社会学、エンジニアリング、文化人類学、ビジネス、心理学、哲学、建築など実にさまざまなバックグラウンドを持ち、年齢も国籍もバラバラな人々が集まり、”イノベーティブなアイデア、クリエーション”を社会に対して実装する実験が行われている。

筆者は2017年から18年にかけて、ここでBasic, Advanced Trackを修了した。今回は、HPIでの学びの経験とその背景にあるドイツ・ベルリン社会についてレポートする。

日比野紗希

ディレクター・プロジェクトマネージャー / エクスペリエンスデザイナー / ライター

Hasso-Plattner-Institut Design Thinking修了。デザイン・IT業界を経て、LINEにてディレクター・エクペリエンスデザイナーとして勤務後、2017年に渡独。現在は、企画・ディレクション、プロジェクトマネージメント・執筆・コーディネーターなどとして、国境・領域を超え、様々なプロジェクトに携わる。愛する分野は、アート・音楽・身体表現などのカルチャー領域、デザイン、イノベーション領域。テクノロジーを掛け合わせた文化や都市形成に関心あり。プロの手相観としての顔も持つ。

なぜベルリンの、HPIに惹かれたのか

私は、2017年にドイツ・ベルリンに拠点を移し、17年から18年にかけて、HPIのBasic, Advanced Trackを修了した。現在は、プロジェクトの企画・ディレクション・マネージメント、執筆などを軸に、国境・領域を超え、様々なプロジェクトに携わっている。

現在所属している、アート・サイエンス・テクノロジーを領域とするアーティストが集まるLacuna Lab

ベルリンに拠点を移すまでは、アート・カルチャー分野でライター、デザイン・IT業界でUXデザイナー、ディレクターとして働いていた。日本で最後に勤めていたLINEでは、LINEの新機能にまつわる企画をはじめ、グローバルな環境下で様々なサービスの立ち上げや企画などを担当していた。

20代の終わりに差し掛かると自分の人生を考える時期がくるというが、振り返ればそれは本当だなぁと思う。日本にいた時の生活も仕事も楽しかった。けれども、いつだって人は夢を描いている。

幼い頃から描いた国境を超えて仕事をするという夢。今まで携わってきたアートやデザイン、科学技術の領域を掛け合わせ、文化や都市、教育などの創造に領域を広げたいという思い。自分の人生をどう生きよう?と考えた時に、「限りある時間の中を生きるなら、今の自分の欲望・情熱に対し、素直に生きたい」と思った。

そして紆余曲折して行き着いたのが、自分が一番興味のあった都市ベルリン・HPIで学ぶという選択であった。ベルリンという都市は、自分が好きなアーティストやクリエイターが過去に関わっていたり、現在も積極的に関わっている都市であり、興味を惹かれていた。また海外で働きながら経験を積みたいと考えていたこともあり、仕事との両立ができる環境を探していた。週2回、企業やNGO団体、研究・教育機関とコラボレーションして進めるHPIのプロジェクトは、学んだスキルを仕事にも活かしやすく、かつ仕事との両立を考えたときにも非常にバランスがよかった。

教材は全てグローバル企業やNGOからの「依頼」

ベルリンから電車に揺られ約1時間。森や湖が広がるポツダム近郊のエリアに「Hasso Platnner Institute School of Design Thinking」の施設はある。

©Kay Herschelmann/HPI School of Design Thinking

HPI School of Design Thinking

Hasso Platnner Instituteと言えば、スタンフォード大学の中に、アメリカのデザインファームIDEOの創業者ケリー兄弟が設立したD.Schoolが元祖。2017年、10周年を迎えたポツダムのHPIもスタンフォード大学のD.Schoolと同様、世界的ソフトウェア企業SAP AGの創設者の1人、ハッソ・プラットナー教授が設立した官民共同の研究施設である。SAP AGの研究開発施設、SAPイノベーション・センターと同じくポツダム大学の敷地内にあり、工科大学も備えている。

HPIは、Design Thinkingを基礎として、人間中心主義に囚われないPost Design Thinkingとして提唱されるSpeculative Design, Art Thinkingなど様々なイノベーションを生み出すための思想を学び、実践を行っている。カリキュラムは、BasicとAdovancedの2セメスターで構成されている。基本的に週2回のスケジュールでプロジェクトが進んでいくため、様々なバックグラウンドを持ったメンバーが集いやすい環境でもある。

各プロジェクトにはコーチが複数名付き、アドバイスを行う。指導に当たるコーチ陣の専門領域も多様で、デザイナー、建築家、生物学者、心理学者、アーティスト、俳優、エンジニア、哲学者、映像監督など各種業界のエキスパートが関わることで、複合性が重視されている。

©Kay Herschelmann/HPI School of Design Thinking

ドイツのHPIの特徴としては、イノベーションを生み出すための思想を学ぶ材料がビジネスやソーシャルイノベーション業界からの依頼である点だ。具体的には、Nestle、SAP、BMW、DHLなどといった大企業から中小企業、地方自治体、教育機関、官庁、NGO団体などから多様なテーマでプロジェクトの依頼を受ける。

学生達は、指導を受けながら、現実の社会課題に取り組むことで、良質なトレーニングを積むことができる。一方、依頼者側には、自分達の業界の常識や、既存のビジネス・社会の枠組みに囚われない新鮮なアイデアを手に入れられる、というメリットがある。

©Kay Herschelmann/HPI School of Design Thinking

チームダイナミクス・Co-Creation(共創)を育てる学びのプラットフォーム

私はHPIに通い、さまざまなイノベーションを創発するための思想を学んできた。しかし、その中で最も印象的だったことは、さまざまな専門領域、文化、言語を持つメンバーが入り混じり、クライアントとともに常に学び、実験し続ける有機的な組織作りのプロセスの中に自分がダイブできたことである。

仕事の現場、学校などを問わず、組織には自分と180度異なる価値観を持つ人々が集っている。物事に対する思考の基準も、コンセプト重視の人、プロセス重視の人、成果重視の人がいたり、自由な発想を好む人もいれば、現実的な考え方を好む人もいる。そのようなカオスな状況の中で、”イノベーティブなアイデア、クリエーション”を生み出すには、自分自身が無意識に持っている既存の枠組みに囚われるのではなく、異なる思考や専門領域に興味を持ち、そうした複数の思考・領域を行ったり来たりしながら考え、アウトプットする力を鍛えていくことが大切になってくる。

©HPI School of Design Thinking

HPIでは、ドイツ国内のクライアントと短期プロジェクトを3つ行うBasic Track, グローバル規模なクライアントとセメスターをかけて長期プロジェクトを行うAdvanced Trackという2つのコースを設けている。Basic Trackを修了した生徒はAdvancedTrackへの応募資格を得ることができ、さらに深度の深いプロジェクトを異なる領域のクライアント・多種多様な専門領域・文化背景を持つチームメイトとともに行う。

例えば、私がAdvanced Trackで関わったプロジェクトを例に挙げてみよう。

Advanced Trackはグローバルに展開する企業や団体からのプロジェクトを6カ月かけて行う。私は、ドイツのとある精密機械を開発する会社からの依頼で、新しいコーヒープロダクトの開発とコーヒーを取り巻くライフスタイルのデザインプロジェクトを担当した。

この時のチームメイトは、チリ人の地質学者、宇宙工学を専門とし、ロケットのデザインエンジニアリングを行うインド人技術者、ドイツ人プロダクトデザイナー、経営学を学んだのちに芸術大学で身体表現・音楽を学ぶロシア人アーティスト、コーチにはサウンドアーティスト、ドイツを代表する企業BOSHで働くデータサイエンティストとまさに異種混合な顔ぶれ。

多種多様な人種、思考、文化を持つ人たちの中でのクリエーションは、ただでさえ自分が予期できないことが日々当たり前のように起こる、カオスな状況。思考法も専門性も異なる上に、ディスカッションやリサーチ、クライアントへのプレゼンテーションなど、すべてのコミュニケーションが英語(ドイツ語)で行われるということも忘れてはならない。

自分が言語・文化を理解できている日本でさえ、こういったプロジェクトを推進していくことはチャレンジングでもあるが、英語圏になると、自分の考えを述べ、プラス議論を発展させていくことが一気に難しくなり、精神的にも身体的にもハードな状況を強いられることになる。議論一つとっても対話の仕方が日本人と西洋人、南米、中東、アフリカ人では異なってくる。グローバルな組織になればなるほど、様々な意味での多様性が絡みあうシチュエーションが生まれ、それを超えていかなければならない。

Advanced Trackで一緒にプロジェクトに取り組んだチームメイト達。

プロジェクトは基本的に、ユーザー・マーケットリサーチ、仮説検証、プロトタイプ制作・思考実験、実証テストのサイクルで進行する。このサイクルの中でチーム全員が、自己の経験や思考に対して未知のもの、異なるものに対しても好奇心と関心そして疑問を持ち、議論・実証を重ねていく訓練が行われる。

このオープンで柔軟な創造に対するマインドは、チームダイナミクスの力を発揮する起爆剤になる。また、クライアントにもこのマインドは伝播する。私たちはプロジェクトの中で、クライアント自身のヴィジョンや情熱を掘り起こし、多角的にビジネスを考え、新しい発想をインスパイアできる状況を生み出すために、Co-Creation(共創)という形態で進行していく。チームダイナミクスの力が強ければ強いほど、クライアントとのCo-Creation(共創)もより熱量が高い状態で進んでいく。

例に挙げたAdvanced Trackのコーヒープロダクトのプロジェクトは、このチームダイナミクス・Co-Creation(共創)の状態が非常に良く、新しい課題や発想が誘発された。結果、修了後も継続して、クライアントと一緒にプロダクトの開発を進める協議が行われている。

©HPI School of Design Thinking

このような経験を通じて、私は変化や不確実性、複雑性に対応する組織、学びの場とはどういうものかを考えるようになった。HPIは、チームダイナミクス・Co-creation(共創)を生み出す有機的な組織を育てる学びのプラットフォームとして機能している。つまり、イノベーションそのものの創出ではなく、イノベーションを起こす人材としての”ソーシャル・イノベーター”をつくり出すことに焦点を当てているのだ。

チームが多様化している中ではそれぞれが持っているスキルや思考性も違えば、発揮の仕方だって違う。従来の分野や担当などの領域に縛られた「檻の中で活躍できる人材」を育てる教育や組織ではなく、多様な人がその場で交わって、対話をすることで新しい知、発想を創造するラウンドテーブルをつくる環境が、これからの組織や教育、社会にとって非常に重要なことになってくるのではないのだろうか。

©HPI School of Design Thinking

有機的なサーキュラーシステムが根付く先進都市・ベルリン

資本主義経済から離れてアイデアや問題を探求する、日常生活の再考をするという意味では、ベルリンという環境で学ぶことはある意味、面白いのかもしれない。

HPIのプロジェクトの中で、アイデアを探求する議論の際に、頻繁に出てきたワードがある。それは、”サスティナブル”というワードだ。この言葉は、未来に対して持続が可能な産業・文明・経済システムを表す概念として用いられている。

資本主義経済に対し、「サステイナブルな未来のビジョン」をテーマに、欧州発祥の概念として注目される「サーキュラー・エコノミー(循環型経済) 」などにもいち早くイニシアティブを取っている国の一つがドイツである。

アートや音楽のイベントが行われる、歴史的建造物としても貴重な元発電所跡 Kraftwerk

私は仕事柄、音楽やアートのイベント・フェスティバルに足を運ぶことが多いのだが、歴史的建造物の巨大廃墟やわずか数人しか入れないような秘密の地下室まで驚くべき場所で、アーティストやそれを享受するオーディエンスたちは実験的に、ムーブメントをつくり出している。

彼らは、自分たちが過去のカルチャーから受けている恩恵を忘れない。歴代のパイオニアたちが築きあげたラディカルなカルチャーをリスペクトし、創作につなげている。実験精神への寛容さ、いわばカルチャーへの愛自体が商業主義に囚われないサステイナブルな文化の創造に対する一つのスパイスになっていると感じる。

BIO野菜を扱うマーケットは生活に欠かせない。

ベルリンでの生活を振り返ると、私の周りの友人の6割強はベジタリアンおよびヴィーガンである。ベルリンでは、今や10人に1人がベジタリアンとも言われているほど、この思想は浸透している。現在のフラットメイトと共同で使う食品や生活用品は全てBIO製品(有機農産物、有機加工食品)。アメリカや日本とは違い、どんなに厳格な基準を持つクオリティの高いBIOスーパーに行ったとしても、環境に配慮された食材や製品が手頃な値段で手に入る。生活に欠かせない電力などのエネルギー源に関しては、ドイツでは電気の35パーセントが再生可能エネルギーによって供給されている(2017年度のデータ)。

街を見れば、廃墟や空き地がゴロゴロしている。新しいビルや商業施設を建てるという選択肢は、必要な理由がなければ市民は選ばない。テクノロジーを駆使した最新の設備が整っているわけではないので、東京に比べたら不便な面も非常に多い。仕事が終わったあとや休日など天気がいい日には、家族や友人たちとカフェ、公園や川べりでビール片手に日光浴を楽しむ人の姿を目にする。ベルリンの市民性をみると、自分たちの暮らしに対し、これが価値だと思うものに個人個人が素直に従い、生活をデザインしていく自律的な思想を感じる。

伝説のクラブ「Bar25」の跡地に生まれた文化施設Holzmarkt。再開発の立ち退きに対し、市民の反対デモや企業が投資をし、文化的施設を守り、育てている。

先進都市なのにも関わらず、有機的なエコシステムが形成されていく土壌が育つベルリンの社会は、非常に興味深いサンプルである。

未来の社会を創造する上で、こうした循環を意識した生態系を大事にする思想・文化が根付く都市で暮らし、学んでみるのは、見慣れている日常に疑問を抱き、別の日常の形に気づくいいきっかけになる。

デザインする、の先にあるもの

HPIで扱うプロジェクトのテーマは、新しいサービス、プロダクトの開発、組織開発、社会問題の解決、教育のデザイン、政治・経済の問題解決、都市開発、コミュニティデザインまで多岐に渡る。

一例を挙げると、高齢化が進むドイツで”高齢者のデート・セックスライフのデザイン”、大学とともに”未来の教育のプログラム開発”、NGO団体と共に”絶滅危惧種の生物をどのように絶滅から救うか”、世界的大企業とともに”多拠点・グローバルな組織の未来の働き方のデザイン”、過疎化で悩む地方自治体とともに”使われていない工場地帯を利用した地域開発”など実にさまざまだ。

©HPI School of Design Thinking

これらのプロジェクトでは、デザインがゴールではなく、ポジティブな社会変革を生み出すことが求められている。

今までの仕事での経験を通じて、ビジネスの世界でデザインやアートの話をする際に、求められるものがあまりにも産業界の泥沼にはまり込み、クライアント自体が資本主義社会の中で夢をみることに慣れてしまっているケースを目にすることがないだろうか。その結果、自分自身の夢を見ることも、ましてや社会的な夢を見ることも叶わなくなってしまっている現状が生まれている。

このような実情に対し、私たちは、アートやデザイン、科学技術、ビジネスなどの言語を用いた様々なタイプのイノベーションを生み出すための思想を学び、必要な状況によってそれらを組み合わせ、クライアントの持つヴィジョンや情熱を引き出したり、未来に対する問題提起、予想もしなかった問題を見つけ出し、発想を誘発することに注力している。

©HPI School of Design Thinking

私たちが行う思考実験の一つに“What if?シナリオ”というものがある。日本語に訳すと「もしも〇〇なら?」という問いをもとに、現実から抜け出し、非現実的なアイディアを思い描くことで発想を誘発するシンプルなメソッドである。想像の限界を超え、新しい視点を広げることは、巡り巡って現実を揺さぶり、未来社会の可能性を思索する。

”夢を具現化する力”を呼び起こすこと、そしてそれが私たち一人一人の望みを同時に叶え、社会が変容していくと行った循環を生み出す。

現在は、変化が激しくあらゆるものが複雑化し先が見えない時代と言われている。HPIは、そうした不確実な未来社会のナビゲートができる”ソーシャル・イノベーター”を育て、ポジティブな社会変革を促す“Brave world(勇敢な環境)”の一つであろう。


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