CULTURE | 2020/06/10

生徒を「社会」から切り離すな。オンライン授業が進む中でも忘れてはいけないこと|矢野利裕

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首都圏でも緊急事態宣言が解除され、学校も再開され始めています。ということで...

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首都圏でも緊急事態宣言が解除され、学校も再開され始めています。ということで、4月に書いた記事「大混乱を招いた「一斉休校」から1カ月半、現役中高教員はどう対応しているか」の続きのようなつもりで書きます。どのような必然をもって緊急事態宣言や「全国一斉休校」がアナウンスされたのか、正直わからない部分が多いので、当然のことながら、学校再開の必然性もあまり感じないまま、今に至ります。学校再開のタイミングやその仕方については、思ったことがあれば意見はめいっぱい言いますが、組織の人間としては、最終的な決断を信頼して個々の対応をするまでです。

その中で、私自身は後述するような考えもあって、分散登校が始まることには必ずしも反対ではありませんが、教員・保護者ともども、このタイミングでの学校再開に対しては、さまざまな意見が飛び交っています。分散登校では、例えば、余裕のある空間を確保するために、午前/午後に分けて、同じ授業を2回転するようなことが行われます。それだけならまだ理解できるが、休み時間や食事の時間、登下校においても、触れちゃダメ、近寄っちゃダメ、物の貸し借りもダメ、大声で話すのもダメ、とあっては、もはや「学校空間としては破綻しているのでは?」「とても生徒の安全性が確保できるとは言えないのでは?」と考えることはまったく自然なことであり、これまた理解できるところです。

加えて、毎時間の消毒? 消毒はどこからどこまで? 安全確保とは言え私語をいちいち取り締まるのか? などなど、教員サイドも果てしなき対応の可能性に戸惑いがあるように見えます。教員が大声を出さないようにマイク完備が必須だとか、さまざまな議論も出ています。一体、なにが正解なのか。

矢野利裕

批評家/ライター/DJ

1983年、東京都生まれ。批評家、DJ。著書に『SMAPは終わらない』(垣内出版)『ジャニーズと日本』(講談社)、共著に大谷能生・速水健朗・矢野利裕『ジャニ研!』(原書房)、宇佐美毅・千田洋幸編『村上春樹と二十一世紀年代』(おうふう)など。
blog:矢野利裕のEdutainment

「オンライン中心」の学校生活はかなり厳しい

振り返ると、3月、あまりにも唐突に訪れた休校要請により、それぞれの学校ではオンライン授業の可能性が模索されました。各学校は状況が異なる中で情報交換などもしつつ、それぞれに対応していたと思います。結果的に、それなりに上手くいった学校もあれば、ほとんど生徒放置のまま再開を迎えた学校もあると聞きます。前回記事でも指摘したように、各家庭の微細なネット環境の違いを考慮したまま教育機会の平等性を担保することが、それなりに苦労されている印象です。

例えば、スマホを持っておらず、自宅にパソコンが1台しかないとなれば、そのパソコンでテレワークやオンライン会議をする親との関係から、生徒のオンライン学習の時間はかなり制限されます。さらに、その家に兄弟姉妹がいればますます制限はキツくなります。私自身は、そのような事情からリアルタイムの対面授業は行わず/行えず、もっぱら動画や音声の配信で授業を行うことにしています。対面式のやりとりでは、ネット回線の不安定性にもけっこう悩まされました。

このような状況の中、「教育機会の平等性」の理念が悪く作用して、横並びの対応に終始し、初歩的なネット活用にすら踏み出せない例もあったようです。主に公立の学校に対して、「ネット上で課題だけが投げ出され、あとは放置」といった対応を批判する保護者の声もしばしば聞きます。「教育の平等性」に配慮することは重要ですが、その横並び対応が全体的な学習機会の喪失を生み出すのであれば、それは本末転倒なことで、保護者の批判の声も当然と言えます。結局のところ、「一斉休校」の「要請」はなされたものの政府レベルで必要な対策はできていない、という問題に帰着するように思います。

自分のオンライン授業の取り組みが成功しているかどうかは棚上げさせてもらうのですが(トータル及第点だと自己評価していますが、反省点もかなりあります)、さしあたり、中間報告的に感想を書こうと思います。以下は、私の性格や問題意識が色濃い意見だと自覚しているので、どこまで一般化できるかはわかりません。同じ職場でも異なる意見が出ているし、もしかしたら、極端な意見に属するのかもしれません。ただ、そのような意見を表明すること自体に意義があると考え、現時点での率直な実感を書こうと思います。

結論から言うと、従来の形態と比べたとき、オンライン中心の学校生活はかなり厳しいものがあると感じています。その意味では、早く学校が完全再開されてほしい。なぜか。それは、生徒が〈社会〉から切り離されることを強く危惧するからです。

もちろん、従来の学校のありかたにも問題は山積みです。個別の事情で言うと、このオンラインの期間は、学校以外の仕事(こうした執筆活動など)に費やす時間、趣味に費やす時間、睡眠時間、このいずれもが格段に増えました。時間的余裕に関して言えば、部活動が停止したことが大きいですね。逆に言うと、いままでどれだけ学校仕事に拘束されていたのか、ということでもあり、これは、教員の労働問題として引き続き考えるべきものでしょう。

次ページ:改めて問い直される「同じ空間を共有する、同じ時間を過ごす」ことの重要性

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