BUSINESS | 2020/04/24

なぜ日本でPCR検査数が増えないのか。論点と解決策をわかりやすく整理する

【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(2)

SHARE

  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • line

Photo by Shutterstock

過去の連載はこちら

私は経営コンサルタントなのですが、普段の仕事の中で、製造業とかで「日本らしさ」的なものがちゃんと世界的に見てもちゃんと優秀性として発揮されていて、無内容な「日本スゴイ!」的な話じゃなくて「ほんとうにスゴイ」分野と普段触れることがあります。

そういう分野の経営者の人とかはみんなそろって一様に、日本において新型コロナ対策が問題になりはじめた2月下旬や3月上旬のころ、伝え聞く日本の対策のありかたについて、

「誰なのかわからないが日本の対策のリーダーにはものすごい優秀な人がいるっぽい」

と言っていました。

私も同感で、当時世間で「日本は何も対策してないのになぜかうまくいっているようだ」みたいなことが言われているのが謎で、「いやいやめっちゃ的を射たスゴイ対策が絶賛進行中じゃないですか!」と思っていました。

よく、ITのセキュリティ対策チームが優秀なら優秀なほど、使い手からは「まるで何もしていない」ように感じられる…という話がありますが、限られた資源・限られた期間の中で今あるリソースを最大限活用して成果を出した日本の対策は超凄かったと今でも思っています。

のちのち3月中旬ぐらいになって、どうやら専門家会議ってのがあるらしいとか、西浦博氏(北海道大学大学院教授。通称「8割おじさん」)や尾身茂氏(地域医療機能推進機構理事長)、そして押谷仁氏(東北大学大学院教授)といった「顔」が認知されるようになって、彼らが出す資料などについて、「日本政府から出される資料からこんなに感銘を受けたのははじめてだ」みたいな話をチラホラとネットで見ました。

しかし一方で、3月中旬の三連休以降、だんだんと暗雲が立ち込めてきて、最終的に全国的な緊急事態宣言にまで追い込まれ、その後も混沌として未来が見通せない状況に陥ってしまっています。

私が普段の仕事の経験から感じることは、この「3月中旬までの成功」と「それ以降の失敗」は表裏一体で、単純に「失敗」部分だけを見て「バカだねえ」というだけでは改善できない課題があるということです。

今後も新型コロナ対策は長期戦が続きますし、私たち日本人はこの問題に立ち向かうときにどういうことを気をつけるべきなのか?について考える記事を書きます。

その議論の中で、巷を騒がせているPCR検査数を増やす増やさない…というような「課題」を日本の中でうまく処理するにはどういう考え方が必要なのか?という話もします。

同時にこれは、「古い社会」を敵視せずその隠れた深い合理性に着目しつつ、時代に合わせて変えるべきところを変えていく「あたらしい意識高い系」をはじめよう…という連載の第2回でもあります。

倉本圭造

経営コンサルタント・経済思想家

1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。企業単位のコンサルティングプロジェクトのかたわら、「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元小学校教員がはじめた塾がキャンセル待ちが続出する大盛況となるなど、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。アマゾンKDPより「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」、星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』、晶文社より『日本がアメリカに勝つ方法』発売中。

1:3月上旬までの日本の健闘と、それ以降の苦戦は表裏一体

3月上旬までの対策において「誰か知らないが物凄い優秀な人がやってる感じがする」と「現場系」の経営者たちが口を揃えて言っていたのは、だいたい以下のような決断をかなり初期から一貫した見通しを持って策定し、実行していたところにあります。

A:中国における武漢とそれ以外の地域の致死率の差に着目し、「医療機関への負荷を低減し、医療崩壊を避けること」を最重視して戦略をつくる

B:急にはキャパシティを増やせないPCR検査ではなく、国民皆保険でコンビニ診療的に医者にかかることが定着している全国の医療機関を“探知網”として使い、他国に比べて異様に多く配備されているCTを活用して症状者を探しだし、そこからの芋づる式に接触者を追って感染者を発見していく作戦の全体設計

C:一瞬のうちに制御不能なレベルに蔓延してしまった欧米ではできなかった視点として、ダイヤモンド・プリンセス号や初期の武漢からの帰国者からの感染を丁寧に追って、「三密」といった「感染させやすい状況の定性的な把握」や、感染させまくる人とそうでない人の差が激しいことからの「クラスター対策」方針によって、「できるだけ経済を止めない」形での封じ込めを模索する姿勢

…これらのどこがスゴイかというと、

「今持ってるリソース」を徹底的に活用し「最大の効果を得る」ためにどうするか?

という視点が貫かれていることです。

「本当に効果が高い施策だけ」を、「社会・経済への影響を最小限」にしながら行うことで、まるで「何もやってない」かのように見えるほど鮮やかな仕事だった。結果的に、欧米諸国とは桁が違う死者数の少なさに、少なくとも「第一波」の時点ではシノギきれたといえるでしょう。

たとえると、今日のお昼ごはんをつくらなきゃ、ってなった時に炊飯器がたとえなくても土鍋があるからそれを使おう!レシピに書いてある材料と違うけど冷蔵庫にあるモノを炒めておかずにしよう!…みたいな感じですね。

逆に言うとこの「長所」の裏返しの「短所」は、「今持ってるリソース」で足りなくなった時どうするか?という時、特に「今の組織構造」を超えるような広域の連携が必要なことが超絶苦手なところです。

ただ、これは「長所の裏返しの短所」なので、その「短所」だけを捉えてバカだねえ…って言ってても解決しないんですよね。

「長所と短所」を全体として捉えた上で、議論を交通整理する必要がある。そこで必要なのが、私が「あたらしい意識高い系」と呼んでいる行動指針なんですよ。

2:ローカルな事情にちゃんと適合した戦略であるほど、見た目は他の国と違っていて当然

世界の国々はそれぞれ国情も持っている医療リソースの種類も全然違うので、「全世界共通」に同じ手法でやらなくちゃ…となると、自分たちが持っている武器の種類と合わなくなってしまうんですね。さっきの例で言えば、「炊飯器がないとご飯が炊けません」的な話では、今まさに襲いかかってきている課題にちゃんと最大の効果を発揮する対策はできません。

だから、「本当に現場レベルで優秀」であるほど、その対策は「オリジナル」で、他とは違ったものになってくる可能性が高い。

これは、「誰が言ってるかでなく何を言ってるかを見るべき」的な話で、ちゃんと物事自体を深く知って、「なるほど、見かけは随分違うけどスジは通ってますね」という判断ができる人ならいいんですが、世の中あまりそういう感じではないですよね?

「●●なんて言ってるのは日本だけだぞ!」みたいな感じで、「日本の当局が言っている内容」自体を自分のアタマで読み解くのではなく、「ニューヨーク・タイムズにはこう載っていたぞ!」的な権威主義でしか判断できない人が世の中には多いので、「ちゃんと現場レベルで適合したオリジナルの戦略を持っているほど孤立無援になってしまう」んですよ。

「ローカルな事情にちゃんと適合したオリジナルな対策をしている担当部署」が孤立無援になっていくとき、日本では特有の意固地さ…のような振る舞いになってしまうことがよくあります。

それが、事情がわからない世間一般から見ると非常に排他的で自分の考えだけに固執しているように見えてしまい、余計に相互コミュニケーションが困難になり、担当部署はさらに自分たちが今持っているリソースの範囲内だけで全てを解決しようとして混迷してしまうことになる。

その範囲で成功すればいいけれども、その範囲を超えるような大問題になると…

3月中旬以降、感染爆発した欧米諸国から大量の帰国者が市中に放たれ、対策班の接触者追跡能力が足りなくなってきて……あとは皆さんご存知の通りです。

そんな時私たちはどうすれば良かったのでしょうか?

3:PCR検査数を増やす・増やさない…という課題について考えてみる

たとえばPCR検査を増やす・増やさない…というような課題について考えてみます。

この問題がなぜ紛糾しているかというと、「PCR検査を増やすべき」という意見を言う人の中に、

・「ちゃんと日本の対策班の考え方がわかった上で改善点を指摘している声」

・「日本の現状は全然わかってないけど、他国がやってるんだからやれとか、検査しないとわかるわけないじゃんとかいった単純な視点で批判している人」

がゴチャゴチャに混じってしまっているからなんですね。

日本の対策の考え方についてのよくある誤解として

・PCR検査数が少ないから、全体像がわかっているはずがない

・無症状者・軽症者を検査していないから、そういうヤツが市中でウロウロして感染しているのを止められるはずがない

というものがあります。

しかし、日本ではまず

・どこかで感染者が出たら全国の病院網とそこに配備されたCTで探知できるはず

・そこで見つけた患者から芋づる式に逆算して接触者に検査していく

…という方針で、その「芋づる式」に追っていく過程では症状があろうとなかろうと検査をしているわけです。

たとえば韓国はめっちゃ検査をしてる…というイメージがあるけれども、それでも結局国民全体の1%程度しか検査していません。

それぐらい現状はどこの国でもPCR検査というのは貴重な資源なので、ある程度「対象者を厳選して使う」ようにしないと無駄撃ちになってしまうんですね。その「厳選」のやり方が日本は自分たちが今持っている武器の種類に合わせたオリジナルな手法を取っていて、そうすることで少なくとも3月上旬までは、“無症状な人も含めて”多くの感染者を捕捉して隔離することができていた。

この「接触者追跡」に使うPCR検査能力を、別のところで浪費してしまいたくないために、一時期は医師が必要と認めてもなかなか検査してもらえないといった問題が発生しており、一般の人から見ると「よほどの重傷者以外は一切検査をしていないのではないか」という誤解が広がっているんですね。

しかし、専門家会議の人たちは最初から「検査能力を増やせるものなら増やしてほしい。特に医者が必要と認めたのに検査できない事例が出てきているのは良くない。しかし戦略的に重要な接触者追跡に使う資源が、“安心のための検査”で使い潰されるのは避けたい」というような趣旨の発言を繰り返していました。

自宅待機中に亡くなった事例などが出てきたことで、どこまでが「安心のための検査」で、どこからが「医療者が必要と認める検査」なのかの線引きをやりなおす流れになりそうですが、少なくとも後者に関してはスムーズに検査まで行ける体制にしようという合意は、既にできつつあると言えるでしょう。

つまりここまでの話をスライドにまとめると…

よく、検査を増やすと医療崩壊するとかしないとか議論されていますが、正しくは

“ちゃんと配慮した上でやれば”医療崩壊させずにPCR検査を増やすことはできる

なんですよね。

スライドでは多少単純化して話していますが、「PCR検査資源の優先順位が崩壊する」以外にもいろんな「医療崩壊」につながる可能性はあるわけです。

“そのあたりをちゃんと配慮した上で”動かせるかどうかが重要なんです。

しかし、これだけいろんな「誤解」が世間に溢れ、デマや陰謀論が花盛りの状態で、この「ちゃんと配慮をした上でやれば」を実現できるでしょうか?

「とにかく検査を増やしさえすればいいんだ!」という熱狂が暴走して、ある程度うまく行っていた戦略が全部台無しになってしまう可能性だってあります。

日本は総理大臣にすら強い権限はほとんどないコンセンサス重視国家なので、いざ「今ある組織の縦割り」を離れたところでの広域の協力関係を必要とする方針を立ててしまうと、いろんな人のヨコヤリで果てしなく混乱して、大事な作戦の一貫性が崩壊してしまいがちなんですよね。

そういう状況では、「今まさに前線で戦っている部署」にいる人は警戒心を持って当然ですよね?できるだけ自分たちが確実にコントロールできる範囲だけでなんとかしよう…と思ってしまってもおかしくない。

だから、日本において「広域的な連携」が必要な時には、以下にお話しするような「あたらしい意識高い系」のモードで「議論の交通整理」をしっかりやる必要があるんですよ。

4:日本において「組織の縦割り」を超えた連携が必要な時には「あたらしい意識高い系」のモードで対処するべき

「あたらしい意識高い系」については、こないだ私のインタビュー記事が公開されたんですが、そこでした話が非常にイメージしやすいので以下のスライドで紹介すると…

私のクライアントのマニア向け小売店で、スタンプカードをアプリにするって話があったんですが、今どきスタンプカード?って思う人は使わなきゃいいだけな一方で、スタンプカード集めてる(通販の時はシール同封してるんでそれを綺麗に貼ってる)人ってすごく大事な顧客なんで、そういう人がアプリ化で離れてしまうんじゃないかっていうのは「正当な懸念」ですよね。

そういう時に「いまだにスタンプカードとか昭和かよ!」とか言っててもダメで、ちゃんと溜まってるスタンプとアプリのポイントの交換比率を考えるとか、それを発表する時にハートフルに顧客との関係が深まるようなメッセージを考えるとか、そういうことをやれば誰も反対しないし、スルスルと進むわけですよね。

つまり、日本においてちゃんと「現場」と「理屈」が適切な形で協業していくには、

「医療現場の人がPCR検査の安易な拡大に慎重になる理由」まで深堀りして、その解決策の方向性のコンセンサスを作っていくところまで、「現場以外」がやらないといけない

わけです。

「現場が反対する理由」がわかれば、ただそれを解きほぐしていけばいい。たとえば…

・保健所のキャパが問題なら、保健所とは別の検査センターを用意すればいいですね?

・医療機関に集まること自体が感染拡大のリスクなら、ドライブスルー方式や訪問型の移動検診ならどうでしょう?

・検体を集めることは効率化できても「検査」自体はどうしてもキャパが限られるというのなら、そのことをちゃんと世の中に伝えて協力を要請するメッセージを発するべきでは?

・「安心」自体が目的なら、PCR検査よりも、そもそも電話相談の時にちゃんと心理的な「安心」を与えるようなフォローをして、「無意味に放り出された」と感じさせない配慮を作り込むことが大事なのでは?(この部分かなり重要だと思っています)

・保健所の人が今やっている作業のうち、こういう部分は外注したり、専門家でなくてもサポートできるはずでは???


このように、議論をちゃんと交通整理するところまで「外野」がやれば、「医療現場の最前線で戦っている人」をサポートできる。現場の人も安心して検査拡大に同意できる。それが「あたらしい意識高い系」の考え方なんですね。

特に、今ときどきネットで話題になる感染者の体験談の、

・「症状が出たかもしれない時に電話しても全然つながらない」
・「あっちこっちたらいまわしにされて、ものすごく不安になった」

とか、そういうレベルの「不安」を医療関係者は結構軽視しがちなんですが(明らかに彼らの責任範囲ではないとはいえ)、そのあたりの細部でちゃんと「不安自体をケア」することができれば、この幸薄い論争も随分落ち着いてくるのではないかと思います。

5:これからの展望

当初は経済その他の活動との共存を目指していた日本の専門家会議ですが、3月中旬以降あまりに孤立無援で状況が悪化してしまったために、今はかなりアグレッシブに「一度経済を止める」方針に出ています。

ただこれは、いわゆる「ハンマーアンドダンス」戦略の一環であり、一度ハンマーでぶっ叩いて感染者数をコントロール可能なレベルまで落としたら、そこからは爆発的拡大を抑止しつつ「ダンスwithコロナ」の時代がはじまります。

今のアグレッシブに経済を止める方針に反対(なので専門家会議を攻撃している)人も、専門家会議の人たちも、最終的にはこの「ダンスwithコロナ」を目指している点は同じであることに留意しましょう。

3月上旬程度の感染者数なら、クラスター対策と「三密に気をつける」程度の持続的介入で、ある程度経済を回しながらでも感染爆発は回避できていたはずです。

今はシンドいですし、5月上旬になったら嘘のようにコロナが消えてなくなったりはしないでしょうけど、「3月上旬程度のコントロールで、経済を回していく」ゴールなら、あらゆる立場の日本人が共有できる未来像になるのではないかと思います。

ここからは連載の次回でもっと詳しく話したいことを先取りして言いますが、「ダンスwithコロナ」時代を乗り切るために大事なのは「接触者追跡能力」の大幅増強だと私は考えています。

ニューヨークのクオモ知事も、「巨大な接触者追跡能力集団」が必要だ…みたいなことを最近言っていました。山本芳幸さんという方のnote記事「4月22日 - クオモNY州知事の会見」がわかりやすくまとめてくれていますが、ニューヨークだけで3万5000人もの医学関係の学生を動員した巨大追跡集団を作るらしい。

PCR検査の話ばかり話題になっていて忘れ去られていますが、この「接触者追跡能力」を徹底的に増強することが、来るべき「ダンスwithコロナ」の時代にちゃんと経済を止めずに回すためには最重要なことのはずです。

ドイツは韓国以上に検査をしまくっていますが、東アジア諸国ほど成功していません。「検査を増やしさえすればいい」と思っている人は、ちゃんと状況を冷静に見れていないのではないかと思います。

次回予告的なスライドを三枚掲示しますが…

みんな「前工程」のPCR検査の話ばかりしているけれども、大事なのは「後工程」の接触者追跡をもっと徹底できるようにすることでは???

3月ぐらいからずっと思っているんですが、韓国が出てくると冷静さを失うのは、日本の右翼さんだけじゃなくて、左の人も相当ヤバいです。このPCR検査の話も、冷静に問題自体を解きほぐしていけばいいのに、やたら感情的に相手を全否定してやる!みたいなムーブメントが両側から荒れ狂っているために対処ができなくなってしまっています。

で、韓国以上に検査しているドイツがそれほど成功してないところを見ると、東アジア諸国で成功している国はこの「接触者追跡」をメチャクチャ徹底的にやってるところが鍵なのではないでしょうか。

上記のスライドで、韓国がやってる接触者追跡能力と日本の対策班の比較をしていますが…ハッキリ言って話にならないほどの差がある。

今後日本のPCR検査はどんどん増やしていく流れにはなっているものの、「CTが過剰配備されている日本の医療網をレーダーに使う」戦略があるぶん、PCR検査の数は”少なくとも一般に思われているほどの”差になってないというのは、多くの専門家が言っていることです(例の岩田健太郎医師も言っている)

しかしこの「接触者追跡」能力はもう天地ほど違う。

韓国が「プライバシーってなんですか」ぐらいの感じでバシバシ強権的に追跡しているのに対して、日本では保健所が「若い人は電話しても出てもらえなくて…」みたいなレベル(笑)ですぐ「感染経路不明」になってしまう。

そういう「プライバシーに関する法律問題」でかなりビハインドがある上に、それに使える人員もITツールも全然違います。

中国が非常に強権的な住民監視システムを持っているのは有名でしたけど、今回の韓国と台湾の事例は、「え?それOKなの?」って結構私は衝撃を受けました。特に韓国の、携帯のGPS情報やクレジットカード決済情報、さらには監視カメラ情報まで駆使して感染者を監視してるのは…。

今日本が考えるべきことは、「どこまで」なら許容できるのか?ということです。おそらく、中華文明圏(および韓国)で見られるレベルの「監視」体制は、プライバシー大好き日本人は受け入れがたいのではないかと思います。彼らとは「お上」的なものに関する感覚が全然違うんだな…と思ったりしました。

最近一番アタマおかしいんじゃないか?と思うのは、日本政府がマイナンバーカードを導入しようとした時には「国が個人を管理しようとしている!」と反対しておいて、同じ人が台湾のマスク配給制を聞いたら「これは凄い!やはり日本政府は無能だ!」と騒ぐ…みたいな話です。

もう、誰かのせいにするのはやめにしよう(ぺこぱ風)

6:あたらしい意識高い系をはじめよう

最後に、こういうのって「アベ」が考えてやるべきことで、俺たちはそれに文句をつけるのが仕事なんじゃないの?って思う人もいるかもしれない。

まあ確かに、日本に超絶賢いリーダーがいて、こういう議論の交通整理を全部やって、バシーン!と流麗なプレゼンテーションをやって全国民の意識統一をしてくれたら言うことはないわけですけど!!!

でもね、じゃあ過去にいたリベラル派のリーダーならそういう人がいたかっていうと、そうでもないわけじゃないですか。有史以来日本のリーダーにはあまりそういう人はいなかったレベルのことを求めて「日本はダメだ…」って言っててもしょうがないですよね。

できないことを求めるのもやめにしよう(ふたたびぺこぱ風)

そういうリーダーをみんなで引きずり下ろして、現場レベルの優秀さを実現している「短所と長所が表裏一体」の日本っていう国があるんだから、ないものねだりしてても仕方がない。

私は個人相手に「文通」しながらコーチング的に人生相談をするみたいな仕事もやっていて、その中にはアベ嫌いのフェミニストみたいな女性もいるんですが、その人は最近「永田町のアホどもに怒りが溜まりすぎてどこかで焼き討ちとかのテロ行為をしたいくらいの気分」とか言ってました(笑)。

その怒りはわからんでもないですが、だからこそあと一歩、連載第1回で書いたように、果てしなく美化された欧米の幻想を持ってきてローカルな存在を叩きまくるだけでなく、ちゃんと「ローカルな事情を普遍的な論理ですくいあげる」ことができるようになりましょう。

過去1カ月かちょっと、PCR検査問題について紛糾している中でのいろんな「日本政府批判派」の人たち(メディアや論客さん)には、ちゃんとこの記事で書いたような事情がわかった上で主張している人も多かったように記憶しています。

あと一歩の意識づけで、全然違う世界が見えてくるはず!

「あたらしい意識高い系」っていうのは、日本人の悪癖である「足して二で割る妥協策」ではありません。

あと一歩、あと一歩ちゃんと「ローカルの事情」を汲み上げる能力を手に入れれば、日本は縦横無尽に「まともな論理」が通る風通しのよい国になれますよ。

日本の中の知識人のコミュニティが、今回の危機においてこういう「あたらしい意識高い系」の配慮まで実現できるようになれば、その時日本ははじめて「自民党的なもの」以外で国を統治することが可能になる。

…そういう未来がもう目の前まで来てる!(みたびぺこぱ風)

今、韓国の事例や台湾の事例を持ってきて考えるべきことは、日本で取り入れられることはどの部分なのか?できないとしたらそれはなぜなのか?どこを変えればいいのか?という論点をちゃんと詰めていくことです。

おそらく、日本は韓国レベルの(ましてや中国レベルの)国民監視はできません。アレルギーが強すぎる(そうはいってもマイナンバーカードのもう少し強化した運用ぐらいはやってほしいと思っているのですが)。

じゃあそういう「武器」がないぶん、人員レベルでの接触者追跡能力は、韓国の何倍とかいうレベルで用意しないと、「ダンスwithコロナ」の時代に戻れないはずでは?あるいは、日本人も受け入れ可能なレベルのIT的な接触者追跡ツールはどういうものでしょうか?

連載の次回ではそのあたりの、「経済再開」にあたって何を考えるべきなのか、その時に、「武漢でいきなり爆発した中国、カルト宗教でいきなり爆発した韓国、早めに水際で封じ込めた台湾、知らないうちにいきなり爆発した欧米」にはできていない、「感染者数が少ないうちにその動態をきっちり調べることができた」日本の対策班の知見をどう活かしていけばいいのか?という話をします。

連載は不定期なので、更新情報は私のツイッターをフォローいただければと思います。

この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。

この記事への感想など、聞かせていただければと思います。私のウェブサイトのメール投稿フォームからか、私のツイッターに話しかけていただければと。


過去の連載はこちら