CULTURE | 2020/02/04

ファイトマネー未払いの格闘技団体がまさかの逆ギレ!何も持たない者の「開き直り」の戦術【連載】青木真也の物語の作り方〜ライフ・イズ・コンテンツ(3)

15年以上もの間、世界トップクラスの総合格闘家として、国内外のリングに上り続けてきた青木真也。現在はアジア最大の「ONE...

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15年以上もの間、世界トップクラスの総合格闘家として、国内外のリングに上り続けてきた青木真也。現在はアジア最大の「ONE」を主戦場とし、ライト級の最前線で活躍。さらに単なる格闘家としての枠を超え、自ら会社を立ち上げるなど独自の活動を行う。

そんな青木は、自らの人生を「物語」としてコンテンツ化していると明かす。その真相はいかに? 唯一無二の価値観を貫く異能の格闘家の連載がFINDERSでついに始まる。

“群れる”ことが見失わせる自分だけの物差し【連載】青木真也の物語の作り方〜ライフ・イズ・コンテンツ(2)

聞き手:米田智彦 構成:友清哲 写真:有高唯之

青木真也

総合格闘家

1983年5月9日生まれ。静岡県出身。小学生の頃から柔道を始め、2002年に全日本ジュニア強化選手に選抜される。早稲田大学在学中に、柔道から総合格闘技に転身。「修斗」ミドル級世界王座を獲得。大学卒業後に静岡県警に就職するが、二カ月で退職して再び総合格闘家へ。「DREAM」「ONE FC」の2団体で世界ライト級王者に輝く。著書に『空気を読んではいけない』(幻冬舎)、『ストロング本能 人生を後悔しない「自分だけのものさし」』(KADOKAWA)がある。

「ファンの癖にゴチャゴチャ言ってんじゃねえっ!」

ご存じのように、僕にはファンの方と同じくらい、あるいはそれ以上にアンチファンがいる。これまで自分の言動をきっかけに炎上することが何度もあったが、批判や中傷のコメントを向けられるたびに、僕は「なんだお前ら、馬鹿野郎!」と反発してきた。

実はこれは大切なスタンスだと思っている。炎上するたびに身を低くしてやり過ごしていれば、批判はほどなく収束するかもしれない。反論せずおとなしくしていれば、きっとこれほどアンチを生むこともなかっただろう。

しかし、自分が命を賭けて表現していることに対し、「単なるファンの癖に、横からゴチャゴチャ言ってんじゃねえっ!」という気持ちは常に持っているべきというのが僕の考えなのだ。

これはあらゆる芸事に通ずる、僕の矜持である。自分の中の想いを身をもって体現し、それで食べていこうと腹を括った人間が、他者からの声に耳をそばだて、簡単に意見を変えるべきではない。その代わり、僕の試合に対する批評に対してファンに指図することもしない。創る側と批評する側、それぞれが誇りを持って自分の立場をまっとうすればそれでいいのだ。

ところが、たいていの人は叩かれることに不慣れだ。そのせいか、何かの拍子に炎上し、周囲から猛批判を浴びた際、それを黙って受け続けてしまう人は決して少なくない。でも、これは非常に危険なことだと僕は思う。

結果は変えられなくても、解釈は変えられる

表現とは、1+1が必ずしも2にはならないものだ。格闘技も同様で、日々のトレーニングにおいて、ベンチプレスで何キロを上げられるようになったから勝てる、こうした技術を習得したから勝てる、というものではない。僕がよく格闘技をアートに例えて語るのは、ここに理由がある。

格闘技やスポーツの世界では、1+1が時に、100にも200にもなることがある。お客さんもまた、それを見たくて会場へ足を運んでいるはずだ。

そして僕の場合、そうして生み出してきた“作品”は、自分が生きていくために必要な自己肯定感を育むために必要なものだった。

多くの格闘家は、1つの敗戦に打ちひしがれ、挫折感を味わうことになる。でも、それはその瞬間だけを切り取って考えるからヘコむのであって、敗戦から這い上がり、劇的なリベンジを果たす物語にだって、大きな感動はあるはずだ。

つまり、敗戦という結果を後から変えることはできないが、その解釈を変えることはできる。負けた。失敗した。損をした。これらをネガティブな結果のまま放置するか、それとも有意義な糧に昇華するかは本人次第。これは仕事でも恋愛でも同じだろう。

その意味で、人生とは基本的に死ぬまでずっと頑張り続けなければならないものかもしれない。救いのない言葉に聞こえるかもしれないが、そこで観念して前を向き続けられるかどうかが重要なのだ。

何も持ってない人間の強さとは

結果に対する解釈を変えるために、人生は頑張り続けなければならないもの。しかし、誰もがその原動力を保ち続けられるわけではないだろう。やることなすことがうまくいかず、時には炎上し、猛烈な批判に晒されることだってあるかもしれない。そこで追い詰められ過ぎると、人は心身を病んだり、自暴自棄に陥ってしまったりする。

だからこそ、自己肯定感の養成は大切で、僕の場合は自分がとにかく必死に努力を積んできた自負があるからこそ、「ここまでやったんだから、結果がどうなると知らねえよ」と思える境地に達した節がある。開き直りと言ってもいいだろう。試合という作品を全身全霊を賭して創り上げたのだから、あとはもうどうにでもしてくれ、という思いである。

僕がこの境地に達したのは、“何もないヤツは強い”ということを、体験的に理解しているからかもしれない。

かつて格闘技シーンが不況に喘いでいた頃、試合を終えてもファイトマネーが支払われなかったことが何度もあった。具体的にはDREAMに出場していた時期の終盤、2010年前後の頃である。

お金がもらえなければこちらも困ってしまうから、興行主催者に何度も催促をしに行くことになる。すると最初のうちは、「申し訳ない」「近いうちにどうにかするから」と低姿勢に対応されていたものが、最後のほうは「払ってくださいよ」とお願いするこちらに対し、「こっちもお金がないんだよ」「払いたくても払えないんだ!」と立場が逆転。見事な開き直りぶりに、なすすべもなく引き返さざるを得ないことがたびたびあった。

こうなると、ないものを無理やり引っ剥がすことはできないから、こちらも打つ手はない。だから「せめて1万円でも2万円でも」と、一部だけでもいいから払ってほしいと言うと、「1万円か……。しょうがねえな、ほら」となけなしの札を手渡されたりする。

この時、僕は憤慨や呆れを通り越して痛感したものだ。「何も持ってないヤツって、もしかすると最強なんじゃないか――」と。

そう考えると、お金でも立場でも、すべてを失うことなどたいして恐れる必要はないのかもしれない。

それが本当に必要な搾取であるかを見極めよ

もちろん、だからといって、されるがままでいいわけではない。問題なのは、思考停止状態に陥ることだ。

ともすれば人は、搾取される側になりがちだ。格闘家であればファイトマネーから何割かをマネジメント側に持っていかれるし、派遣社員の人なら派遣会社にいくらかを持っていかれる。これはビジネスの論理として、間違ったことではない。

しかし、本当にそれがお金を払ってまで他人に任せるべきことなのかどうかは、自分の頭でよく考えなければならないはずだ。

仕事を見つけること、あるいは人材を手配して派遣することは、工夫次第で自分にだってできるかもしれない。格闘家だって、自分で自分をマネジメントして試合を組むことは、決して不可能ではないだろう。その可能性を考えもせずに引っ込めてしまうのは、思考停止と言わざるを得ない。

僕がそうした考えを深めることになったのは、テレビ番組やイベントの出演がきっかけだった。事前の打ち合わせで、構成や演出面についていろんな意見を出したのに、もらえるのが出演料だけである現実に、疑問を感じるようになったのだ。多くの人はそこに疑問を感じることはないようだが、少なくとも僕には正当な対価が支払われていないようには思えなかった。

自分のマインドを残すために、僕は会社を作った

もちろん、日頃トレーニングにばかり打ち込んでいる格闘家に、そこまで頭を回せというのは酷だろう。だからこそ、自分が行動を起こすことで、格闘家たちが搾取され続けている現状に一石を投じたい。そんな思いから、僕は昨年10月に株式会社青木ファミリーという会社を設立した。

これは格闘家を中心とするアスリートのマネジメントのほか、コンテンツ企画、メディア運営、アスリート教育を主軸とする事業体だ。僕自身の100%出資による会社ではなく、複数の協力者の出資とサポートを得て設立したものである。

現状に対して思考停止することなく、自分が目指す世界をさらに深堀りしていくために、青木ファミリー設立は1つの重要な選択肢だった。

こうした組織を求めたのは、何よりも僕自身が青木真也として表現を続けていく上で、コンテンツやプロモーションにより大きな力が必要であるという理由もあった。今のまま格闘家として孤軍奮闘していても、僕が表現してきたこと、主義主張やマインドを未来に残すのは難しいだろう。

そこで、淡々と試合をこなしていくのではなく、自分が提供する作品をよりエモーショナルなものにし、それを発信していくために、同じ志を持つ人たちとの運命共同体を持つべきだと考えたのだ。

まだまだ、僕の試行錯誤は終わらない。目の前の現状に対し、何ができるかを常に思考し続け、行動していくつもりだ。

行動にはリスクが伴うのも事実だが、それで何かを失うことになったとしても、そこは自己肯定感と開き直りの思考法で乗り越えるしかないだろう。最も恐れるべきは、考えるのを辞めてしまうことなのだ。