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渡辺由佳里 Yukari Watanabe Scott
エッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家、マーケティング・ストラテジー会社共同経営者
兵庫県生まれ。多くの職を体験し、東京で外資系医療用装具会社勤務後、香港を経て1995年よりアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』で小説新潮長篇新人賞受賞。翌年『神たちの誤算』(共に新潮社刊)を発表。他の著書に『ゆるく、自由に、そして有意義に』(朝日出版社)、 『ジャンル別 洋書ベスト500』(コスモピア)、『どうせなら、楽しく生きよう』(飛鳥新社)など。最新刊『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)。ニューズウィーク日本版とケイクスで連載。翻訳には、糸井重里氏監修の訳書『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社)、『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)など。
連載:Cakes(ケイクス)|ニューズウィーク日本版
洋書を紹介するブログ『洋書ファンクラブ』主催者。
図書館は出版社の敵かどうかという議論はアメリカでは起こらない。
図書館での文庫本の貸出が市場縮小の要因のひとつになっているとして、大手出版社の社長が「文庫本の図書館での貸し出し中止」を要請するというニュースを目にした。図書館で貸出が増えても、出版社や作家の収入にはつながらない。しかし、図書館はそれ以上の貢献をしているという意見もある。
日本のネットでは「図書館は出版社の敵かどうか」という議論が目につくが、アメリカではそういった意見はほとんど聞かない。
その理由は、図書館が出版社の直接の客である以上に、読者を啓蒙し、口コミのベストセラー生み出してくれる無料マーケティングの機関になっているからだろう。
北米最大のブックフェア「BookExpo America(BEA)」
毎年5月末から6月上旬にかけての数日間、北米最大のブックフェア「BookExpo America(BEA)」が開催される。世界中の出版社や版権エージェント、文芸エージェント、全米の書店なども参加するが、世界有数の本の国際見本市であるフランクフルト・ブックフェアやロンドン・ブックフェアとは異なり、BEAは版権やライセンスの取引がメインではない。どちらかというと、これは全米の図書館員を盛り上げるためのお祭りである。
BEAで展示が始まる前日には図書館員を対象にした会があり、出版社がよりすぐった数冊の「注目本」をベテラン編集者が紹介する。この集会が終わるやいなや、会議場の後部で紹介されたばかりの本のARC(アドバンス・リーダー・コピー)が配布される。それを受け取ろうとする参加者の間で押し合いへし合いの混乱状態になるのも毎年のことだ。
ARCとは刊行前のレビュー用に特別に印刷された本のことで、ペーパーバックのような形態で表紙も美しく、新刊のハードカバーより1冊あたりのコストがかかる。その希少価値もさることながら、参加者にとっては普通の読者より何ヶ月も先に話題の本を読む「インサイダー」としての特権が魅力なのだ。
また、BEAには著名な作家が数多く参加する。まだ発売されていないARCへのサイン会や、パネルディスカッション、トークイベントなどで直接有名作家と触れ合う機会が多いのもBEAの特徴だ。
出版社にとって特に重要な図書館員は、有名作家と一緒のディナーやカクテルパーティなどに招かれる。その親密な雰囲気で、「これから発売される注目の作品」について話を聞くのだ。
アメリカの図書館の書籍購入の流れ
ジェン・デイトンさんは出版社が優遇するアルファ図書館員のひとり。デイトンさんの肩書はコネチカット州ダリエン図書館のコレクション・デベロップメント・コーディネーターだ。アメリカの裕福な図書館は、けっこうな数の書籍を購入する。全米でトップレベルの公共図書館として知られるダリエン図書館で新刊書籍を選ぶ責任者を務めるデイトンさんは、それだけでも出版社にとっては無視できない存在である。
アメリカの図書館がどのように書籍を購入し、どれだけの価格を払うのかデイトンさんに尋ねてみた。
紙媒体の場合、図書館はBaker and TaylorやIngramといったディストリビューター(問屋)を通じて本を購入するという。価格は定価より安く、通常は半額くらいだ。アメリカでは主要な書籍の新刊はほぼハードカバーだが、その場合は15〜20ドル、ソフトカバーやマスマーケットの形態だと4〜7ドル程度になる。リクエストが多いことが予想されるベストセラーの場合には通常より多めに注文する。大きな図書館では1つのタイトルで30冊以上購入することも珍しくはない。ディストリビューターは販売するだけでなく図書館で棚にすぐに置けるようにカタログ処理もしてくれる。アマゾンから購入する場合もあるが、それは希望の本が通常のルートで購入できない場合に限るという。
ボストン公共図書館でデジタル媒体を借りるときの選択肢
では、電子書籍やオーディオブックといったデジタル媒体の本はどうなのだろう?
初代キンドルが発売されてから10年経つが、この間にアメリカの図書館でのデジタル媒体の貸出方法は画期的に改善した。初期のデジタル版は使いにくすぎて借りる人が少なかったが、現在では高齢者も簡単に利用できるようになっている。
全米の図書館が電子書籍とオーディオブックでよく利用しているシステムは、OverDriveとHooplaである。どちらもコンピュータ、タブレット、スマートフォンなど多くのデバイスで読んだり聴いたりすることが可能であり、楽天が2015年に買収したOverDriveのシステムではキンドルへのダウンロードも容易にできる。
ボストン市図書館のHP
まず電子書籍の価格だが、「電子書籍はワイルドウエストみたいだ」と、デイトンさんは無法地帯だったアメリカ開拓時代の西部にたとえる。
電子書籍の場合は、それぞれの出版社が価格や貸出モデルを決める。1冊あたりの電子書籍のライセンス代はたとえばランダムハウスは65ドルで、アシェット社は85〜120ドル。高いようだが、この場合には図書館は永久にこの本を貸す権利を持つ。
ハーパーコリンズの場合は1冊につき25ドルで安いようだが、これは1年のライセンスであり、翌年また買い直さなければならない。
通常、デイトンさんは紙媒体と電子書籍の両方で需要と供給のバランスを保つようにしているが、電子書籍のライセンスに85ドル払う価値がないと感じるベストセラーの場合には紙媒体だけにしているという。
オーディオブックも安くはない。
OverDriveの場合のライセンス代は100ドル前後だ。Hooplaの場合は、プラットフォーム代に加え、図書館の利用者がオーディオブックをダウンロードするたびに約2.5ドル支払う契約になっている。図書館は、予算により、利用者が1ヶ月にダウンロードできるオーディオブックの数を制限する。たとえば、わが町の図書館ネットワークからHooplaを利用すると月に3冊しか借りられないが、ボストン公共図書館からHooplaを利用すると10冊まで借りられる。ダリエン図書館では7冊だ。Hooplaが好まれる理由のひとつは、話題になっている新刊が豊富で、しかも他の人が返却するまで待たずにすむことだ。
とはいえ、図書館が購入する本の数には限りがある。自宅から離れず簡単にデジタル版を借りられるようになった現在では、ますます図書館から本を借りる人が増え、購入する人が少なくなりそうだ。そこだけに注目すると「図書館は出版社の敵」という発想になりがちだ。
だが、デイトンさんがアメリカの大手出版社から優遇されているのには、ほかにも理由がある。
デイトンさんはダリアン図書館のウェブサイトを通じて「You Are What You Read」という無料メルマガを希望者に送っている。ユーモアあふれるデイトンさんの文芸ニュースレターを読んで次に読む本を決めるのは、ダリアン図書館の利用者だけでなく、全米のファンなのだ。
デイトンさん以外にも、人気の文芸ニュースレターや文芸ブログを書いている図書館員は多い。彼らの多くは、刊行前に出版社からARCを受け取る。そして、気に入った作品についてブログやニュースレターを通じて情熱的に語る。それが口コミで広まり、本の発売前にすでに人気と期待が高まっていることが多いのだ。
また、ベストセラーを生み出すことで知られる児童書の文学賞「ニューベリー賞」は、アメリカ図書館協会(ALA)の下部組織である児童図書館サービス協会(ALSC)が与える賞だ。絵本の「コールデコット賞」、ヤングアダルト(ティーン)向けの「マイケル・L.プリンツ賞」や「アレックス賞」などALAの下部組織が賞を与えた作品は、必ずといっていいほど売れる。
大人向けの小説やノンフィクションでは、全米のパワフルな図書館員が推薦本を厳選してリストアップする「ライブラリー・リーズ」という組織がある。ここで選ばれた本は図書館で借りることができるが、希望者が多いので待ち時間も長い。そこで、経済的に余裕がある読書家は自分で本を購入する。結果的に、ここで選ばれた本はベストセラーになる。
こういったことが明らかになってきたので、大手の出版社には図書館のみを対象にしたマーケティング部門がある。それらのマーケット部門が、デイトンさんなどの図書館員に「これから発売される注目の本」をPRする。デイトンさんによるとペンギン・ランダムハウスは特に図書館へのPRに熱心であり、大きな箱に詰めたARCを毎月図書館に送ってくるという。
子どもたちに「本を読む癖」を身に着けさせる図書館の役割
図書館は、こうして「ベストセラー」を作り出す機動力にもなっているが、それ以前に子どもたちに「本を読む癖」を身に着けさせる役割も果たしている。
人が読書をしなくなり、本を買わなくなっている最大の原因は、ソーシャルメディアやゲームに時間を大量の時間を奪われているからだ。つまり、最大の敵はインターネットなのだ。だが、こんな現代でもいったん読書習慣を身につけた人は本を読み続けている。その「本を読む癖」を人生の初期に与えてくれるのに貢献しているのがアメリカの図書館なのだ。出版社にとって図書館はインターネットという敵に対抗する強い味方なのである。
多くの公共図書館では、夏休み前に児童書部門の図書館員が年齢に応じた「夏休みに読むおすすめ本」のリストを作り、夏休み中には子どもたちが本に親しめるイベントを毎日のように企画する。子どもを連れて行ける無料の場所が存在するのは、親にとっても助かることだ。結果的に、娯楽として図書館に行く癖が子どもにつく。
また、図書館が所有する本には限りがあるので、経済的に余裕がある親はリストだけを図書館で入手して書店でそれらの本を購入する。
デイトンさんが勤務するダリアン図書館を含む裕福な公共図書館は、税金だけでは存続できない。裕福な住民が寄付金という形で図書館を支えている。それらのパトロンは、読書が現在の自分を作り上げたと信じるからこそ、ほかの人たちに同じ機会を与えるために多額の寄付をするのだ。
アメリカの出版界、図書館、読者の間には、このように互いを支え合うエコシステムがある。
だが、出版社が図書館のこういった価値に気付いたのは最近のことだとデイトンさんはいう。出版業界が苦戦し始めた2000年代初期のBEAでは、出版社がコスト削減のために参加者を冷たくあしらい、要求されてもARCをなかなか手渡さなかった。そのために図書館員たちの参加が激減したという歴史がある。当時は、BEAも出版業界も元気がなかった。
その過ちからアメリカの出版業界が学んだのが、「生き残るためには、読者を育て、読者層を広げる必要がある」という大きな視点のようだ。その後数年、出版社は書籍ブロガー優遇などあれこれ試した上で、最も力を持つプロの図書館員に焦点を当てることにした様子だ。
本に関わるすべての者が忘れてはならないのは、読者のパイを大きくすることの重要性だ。小さなパイの中身の取り合いに気をとられてエゴイスティックな行動を取るとエコシステムを壊し、結果的に読者そのものを減らしてしまう。冒頭の「文庫本の図書館での貸し出し中止」というのは、その典型的な例ではないだろうか。
パイを大きくするためには、一見ライバルの者たちも協働し、共存しなければならない。苦悩の末にアメリカの出版社がたどり着いた視点は日本でも参考になるだろう。