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日本初の「忍者部」を創設。知られざる津軽の忍びで観光開発にチャレンジ。【連載】友清哲のローカル×クリエイティブ(4)
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  • 2019.06.03
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日本初の「忍者部」を創設。知られざる津軽の忍びで観光開発にチャレンジ。【連載】友清哲のローカル×クリエイティブ(4)

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忍者といえば伊賀(三重県)や甲賀(滋賀県)のイメージが根強い。しかし今、忍者に関する随一のホットスポットは津軽であるといえば、皆さんは驚かれるだろうか。今回は、かつて弘前藩に仕えた忍者の痕跡を探究する、青森大学の清川繁人教授にご登場願った。忍者研究の最前線と、清川教授が創設した「忍者部」の活動について追っていこう。

聞き手・文・構成・写真:友清 哲

友清 哲

フリーライター

旅・酒・遺跡をメインにルポルタージュを展開中。主な著書に『この場所だけが知っている 消えた日本史の謎』(光文社知恵の森文庫)、『作家になる技術』(扶桑社文庫)、『一度は行きたい戦争遺跡』(PHP文庫)、『物語で知る日本酒と酒蔵』『日本クラフトビール紀行』(ともにイースト新書Q)、『怪しい噂 体験ルポ』『R25 カラダの都市伝説』(ともに宝島SUGOI文庫)ほか。

清川繁人

1960年、青森県八戸市生まれ。青森大学薬学部教授。弘前藩の忍者が組織的に長期活動を行なっていたことを知り、独自に研究をスタート。2016年には日本で初めて「忍者部」を創設。学生と共に忍者の調査を行なう傍ら、イベントでの忍者ショーを手掛けている。国際忍者学会会員。

津軽の忍者集団「早道之者」とは?

忍者といえばこんなイメージ。……だが、実際の忍者は黒装束に身を包むことはほとんどなく、手裏剣を投げることもなかったことがわかっている

「弘前市内に所有している家が、かつて忍者屋敷だったと聞いている。ぜひ調べてほしい――」

青森大学薬学部・清川繁人教授の元にそんな依頼が寄せられたのは、2016年秋のことだった。場所は観光名所として賑わう弘前城から徒歩数分の市街地。長く使われずにいたその空き家は、一見しただけでは年季の入った普通の平屋にしか見えない。ところが、いざ室内を検めてみると、これが歴史的遺物であることが判明したのである。

「所有者の方から連絡をいただいて、すぐに実地調査に出向きました。すると、確かに客間や寝室の床の間などに隠し空間が認められるほか、鶯張りの床も確認できました。さらに、このエリアの古地図と照らし合わせてみたところ、明治時代の所有者の姓が、かつて弘前藩に仕えていた『早道之者(はやみちのもの)』と呼ばれる組織の忍者と同姓であることがわかったのです」

また、明治期にこの屋敷を所有していた人物からは、当時は室内に薬草の匂いが強く残っていたとの証言も得られた。甲賀忍者は薬学に長けていたことで知られており、諸々の材料から清川教授はこの家屋を、甲賀の流れを汲む「早道之者」ゆかりの屋敷であると断定したのだった。

弘前市内で発見された忍者屋敷。おそらくは江戸時代に建てられたもので、「実際には住居ではなく、『早道之者』の集会所として使われていた可能性が高い」と清川教授

忍者といえば伊賀(三重県)や甲賀(滋賀県)のイメージが強いだけに、青森県内での忍者屋敷発見の報は、驚きをもって広く一般に受け止められた。では、弘前藩に仕えたこの「早道之者」とは、一体何者なのか?

「『早道之者』は江戸中期から明治3年まで活動した忍者集団です。結成のきっかけは1669年、アイヌの首長が松前藩に対して蜂起した『シャクシャインの戦い』でした。この反乱以降、蝦夷地(現在の北海道)でアイヌと松前藩の動きを監視するために雇われた甲賀忍者が、後に『早道之者』の頭領になったのです。明治期まで活動した忍者は全国でも稀で、弘前藩が残した『分限元帳』には、約60名分の名簿も確認できます」

隠密行動を行う忍者なのに名簿があるというのは意外な気もするが、これは活動が近代にまで及んでいたことと、多くの忍者が他に本業を持つ“パートタイマー”であるのに対し、彼らは弘前藩に召し抱えられた“正規雇用”の身分であったことが大きいと清川教授は語る。

なお、「早道之者」という呼称には、北海道から津軽海峡を越えて弘前城へ、さらには江戸屋敷へと、迅速に情報を伝える者たちという意味が込められている。

イルカの生態研究から観光開発にアプローチ

清川繁人教授。もともとは遺伝子工学が専門だが、今では全国有数の忍者研究者としても知られるようになった

ところで、清川教授の専門は本来、遺伝子工学である。それがなぜ、こうして忍者研究に手を染めることになったのか?

「私は筑波大学の出身で、卒業後はしばらく東京の製薬会社に勤務していました。ただ、一人っ子なのでいつか青森に戻ろうという思いがずっとあり、そのタイミングを探していたんです。34歳の時、たまたま青森大学が生物工学科を新設するにあたって人を募集しているのを知り、これが青森に戻るきっかけになりました」

青森にUターンしてからは主に、縄文人から現代人に受け継がれている遺伝子を調べ、青森県民のルーツを探る研究に邁進してきた清川教授。そんな中、忍者よりも先に新たな研究対象となったのは、イルカだった。

「青森県の陸奥湾には、毎年4月下旬から6月下旬にかけて、たくさんのイルカがやって来ます。九州の対馬沖からやって来たこのイルカたちは、一定期間を陸奥湾で過ごし、7月になると北海道へ向かうのですが、なぜそのような行動を取るのかという疑問が、学者としての最初の関心でした。そこでイルカの観察に励むうちに、これを観光資源として活用しない手はないと考えるようになったんです」

清川教授が撮影したイルカの姿。陸奥湾では4月下旬からの約2カ月、このダイナミックな光景を間近で見ることができるのだ

生態を解き明かしながらイルカを観光資源としてPRできれば、まさしく一石二鳥。うまく運べば、桜の時期とねぶた祭りの間のオフシーズンを、イルカで盛り上げることができるかもしれない。

そう考えた清川教授は、今も春から夏にかけては頻繁に陸奥湾沖へ出て、イルカの生態観察に明け暮れている。そして最近では、津軽半島と下北半島を結ぶ「むつ湾フェリー」や自治体などと連携しながら、イルカによる地域起こしも少しずつ形になってきた。すべては故郷青森をどうにか活性化させたいという一心からのことである。

東日本大震災を機に、本格的な忍者研究をスタート

今春、八戸市で開催された「第16 回フレンドシップ2019PEEWEE国際アイスホッケー八戸記念大会」の歓迎交流会で、オープニングアトラクションを務めた青森大の忍者部

そんな清川教授が忍者に注目することになったのは、2011年に発生した東日本大震災がきっかけだった。青森県は比較的被害が少なかったものの、風評被害で観光客は激減。とくに年間6万人ほど訪れていた県内の外国人観光客は、震災後は半分にまで減った。

どうすれば外国人観光客を呼び戻すことができるのか。そう考えた時にふと、かつて弘前藩に仕えていた「早道之者」の存在に思い至った。

「やはり外国の方は忍者が好きですからね、これは詳しく調べてみる価値があるだろう、と。すると、『早道之者』は明治初頭まで活動していた記録があることを知り、びっくりしたんです。他の地域の忍者はとっくに廃れてしまっているのに、彼らはなぜ200年に渡って活動を続けることができたのか。そんな疑問を解くために、ぜひ学生たちと一緒に研究をしたいと、忍者部の創設を思いつきました」

これが今からおよそ4年前のこと。清川教授はすぐに大学側にかけ合い、サークルではなくいきなり部活として成立させることに成功する。かくして翌年(2016年)、青森大学に日本初の「忍者部」が誕生した。

体育館の2階にある畳敷きの忍者部部室。写真は車座になって次の忍者ショーに関するミーティングを行う面々

「活動の構想としては、忍者の研究がまず1つ。さらに、青森大学には何年も連続して日本一に輝いている新体操部がありますから、彼らの力を借りることができれば、忍者ショーも実現できるのではないかという期待もありました」

つまり、研究とアトラクションの2本立て。当初は思ったように部員が集まらず、苦労した時期もあったようだが、地道なリクルーティング活動により、少しずつ部員が集まり始めた。その中には新体操部出身の身軽な学生も含まれ、青森大学忍者部は早くも2年目にして忍者ショーの開催に漕ぎ着ける。

「初ステージは青森駅構内のコンコースで、これはJRからのオファーで実現したものでした。お正月の寒い時期でしたが、忍者の姿をした学生たちによるアクションは物珍しかったようで、評判は上々。これ以降、県内の様々なイベントや小中学校などから声がかかるようになり、昨年(2018年)は年間30回ほどのショーを行いました」

こうして忍者部の活動が認知されるほど、津軽にも忍者が存在したことが少しずつ周知されていく。まさに清川教授の目論んだ通りの展開だった。

ねぶた祭りのルーツは伊賀忍者にあった!?

アトラクション担当チームが体術の練習をする横で、忍者の歴史に関するレクチャーを行う清川教授。なお、現在の部員数はおよそ20名

清川教授の忍者研究も急速に進み始めた。東北は忍者研究の後発地域だが、近代まで活動していた「早道之者」は、忍者としては資料や証言が比較的豊富であることも追い風だった。

「たとえば弘前藩の200年余りに渡る藩政が記録された『弘前藩庁日記』には、『早道之者』の活動の一部が記録されています。また、『早道之者』の子孫の方が、今も青森のどこかに存在するはずですから、武士の家系図なども貴重な資料です」

また、忍者部の活動を通して清川教授の取り組みが知られるようになると、思いがけない情報が寄せられることもある。その最たるものが、冒頭の忍者屋敷発見だった。

忍者部の活動は、マスコミも大いに注目されている。今や忍者は青森の代表的コンテンツとなりつつあるようだ

「忍者研究というのは、いわば点と点を結ぶ作業なんです。ある事実を突き止めたことで、歴史上のさまざまなパーツが突然繋がったりすることがある。これが面白いところですね。私が最近注目しているのは、ねぶた祭りのルーツに、実は伊賀忍者が関係しているのではないかという説です」

夏の大祭、ねぶたの起源には諸説ある。坂上田村麻呂が蝦夷征討の際、敵をおびき寄せるために笛や太鼓で囃し立てたのが始まりとする説もあれば、七夕祭りや神道の禊祓をルーツとするとの説もある。ところがもし、忍者に起源があることが証明できれば、「青森=忍者」のイメージは一気に強固なものになるはずだが――。

「戦国時代に津軽藩の家老を務めた、服部長門守康成という伊賀忍者がいます。あくまで二次史料に過ぎませんが、この服部長門守康成が、文禄2年(1593年)に京都で大灯籠を披露していて、それがねぶたのルーツになったという記述が、江戸時代の文献に残されているんです」

服部長門守康成は関ヶ原の戦いで武功をあげた伊賀の忍者で、慶長12年(1607年)に弘前藩の家老になったとされる人物。その際に持ち込んだ大燈籠がねぶた祭りに転じたというわけだが、一方で、そんな戦国時代の真っ只中に祭りを興したとするのは無理があると、否定的な意見も多い。

「それでも、戦乱の世を終え、江戸時代に入ってからねぶた祭りが始まったと考えれば、この仮説に矛盾はないはず。何より気になるのは、いくら二次史料とはいえ、こうした大きな祭りを時の藩主ではなく、家老である服部長門守康成が持ち込んだと記されていることに、何か特別な事情があったのではないかと勘ぐりたくなるんですよね」

こうして話を聞いていると、歴史はパーツとパーツの集積であることがよくわかる。もしも、忍者研究がねぶたのルーツ解明に繋がるようなことがあれば、これもまた歴史的な大発見となるだろう。今後の研究成果を楽しみに待ちたいところだ。

青森を伊賀や甲賀に負けない忍者の街に

創設から4期目を迎えた忍者部。その活動は間違いなく青森における忍者研究の推進に大きく貢献している

忍者部の活動は、月曜と木曜の週2回。取材に訪れたこの日はまず、次の忍者ショーのキャスティングをどうするか、というミーティングから始まった。ショーが行なわれるのは基本的に週末だから、メンバーそれぞれのスケジュールを確認した上で配役を固めることになる。

学業やアルバイトと両立しながらの活動は、学生忍者たちにとって決して楽ではないだろう。それでも地域から求められ、老若男女から拍手喝采を浴びるこの取り組みはやはりやり甲斐があるようで、メンバーの顔は総じて明るい。

「細かなアクションやBGMの選定などは、すべて学生たちに任せています。こうした活動を通じて、多くの方に地域の歴史を知ってもらうきっかけになれば嬉しいですね」

オリンピックイヤーを目前に控え、これからますます多くの外国人観光客がやって来ることを踏まえれば、忍者部の活動もいっそう注目されるに違いない。

清川教授は言う。全国各地に忍者の活動実績は数多あるが、「弘前の忍者は頭一つ抜けていると思います」と。実際、戦国時代から400年もの長期間活動した例は稀であり、甲賀忍者として確かな技能を備えていた「早道之者」は、今では他の地域の研究者からも注目されている。だからこそ、次々に飛び込んでくる新情報、新資料を精査して、その実態を解明するのは有意義なことだ。そしていつの日か、青森を伊賀や甲賀に負けない忍者の街に育てたいというのが、清川教授の大目標である。

――なお、この取材を終えて帰京した直後、清川教授からこんなメッセージが届いた。

「『早道之者』の頭領の末裔らしき人物を発見しました。これから詳しい調査を行ないますが、ある程度の証拠が見つかるようなら、きっと大きなニュースになりますよ」

津軽では今まさに、忍者研究が日進月歩で進んでいることを実感させるこの臨場感。忍者不毛の地と思われてきたこの地域から、世間をあっと驚かせる新事実が飛び出すのも、時間の問題かもしれない。


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