EVENT | 2022/04/05

「実業家・本田圭佑」を取り込む自己啓発ビジネス 「自己責任で稼いだもん勝ち」は何が問題か

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レジー
1981年生まれ。一般企業に勤める傍ら、2012年7月に音楽...

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「勝者」としてのサッカー選手

大妻女子大学准教授の牧野智和の論文「身体をめぐる大衆的想像力の現在 ―「パーツ」への注目、スポーツとビジネスの節合―」(2017)によると、「近年の「身体」をめぐるベストセラーに注目すると、以前からみられるダイエット関連の書籍に加え、開脚、体幹、ふくらはぎといった特定の身体部位に注目し、それらへの働きかけによって人生の諸問題が一点突破的に解決するとする書籍をいくつかみることができる」という。この流れは、パーツ単体にアプローチすることでクイックに成果を出したいという心理の現れだろう。身体のコントロールに関してもコスパ重視のファスト教養に向かう構図が見られる。

こういった文脈で登場する「体幹」というキーワードと結びつきが深いのが、『長友佑都体幹トレーニング20』といった書籍も出版しているサッカー選手の長友佑都である。

サッカー選手がトレーニングに関する書籍を出すのはそこまで不自然ではないが、一方で長友には『日本男児』(2011年)という40万部を越えるベストセラーもある。自伝としての側面を持つこの本は、「意志あるところに道あり」といった多分に自己啓発的な内容を含んでいる。長友に限らず、吉田麻也『レジリエンス -負けない力』、酒井宏樹『リセットする力 「自然と心が強くなる」考え方46』など、自己啓発書を出版するサッカー選手は2010年代以降目立つようになってきている。  

サッカー選手と自己啓発本の関係は、中村俊輔『察知力』(2008年)が一つの転機だったとされている。その後大ベストセラーとなったのが、長谷部誠『心を整える』(2011年)。この本には長谷部の読書遍歴として、『超訳 ニーチェの言葉』、松下幸之助『道を開く』、太宰治『人間失格』などが挙げられている。

雑誌『日経ビジネスアソシエ』の教養特集に出てきそうなタイトルの並びからは、長谷部が「現代のビジネスパーソン」としての側面を持っているのがうかがえる。2010年代の日本代表をキャプテンとしてまとめあげ、今後ドイツでコーチとしてのキャリアを積むことが既定路線となっている長谷部は、グローバルリーダーの理想像ともいえるだろう。このタイミングで『心を整える』の続編が出れば、再びベストセラーとなるのではないか。

長谷部がロックバンドのMr.Childrenのファンであることはよく知られた話だが、不思議とサッカー選手には「ミスチル好き」が多い。特に「終わりなき旅」の<高ければ高い壁の方が 登った時 気持ちいいもんな>というラインは、サッカー選手に限らず多くのアスリートにとっての座右の銘とでも言うべきポジションを占めている。

Mr.Childrenの発するメッセージは本来シンプルな自己啓発ではなく、その裏側にある葛藤や多様な価値観への目配せが随所にみられる。一方で、自身を高めるためのサプリメントとしてMr.Childrenを使うサッカー選手の振る舞いは、彼らが作る音楽に対する世間の「誤読」を深めているように思える(もっとも、バンドのフロントマンである桜井和寿は大のサッカー好きであり、自身の音楽がサッカー選手を奮い立たせていることにネガティブな気持ちは持っていないはずだが)。

そして、一部のサッカー選手はその「自身を高めるためのサプリメント」を自らの思想そのものとして取り込んでいるかのような言動をとることも多い。

前述の通り自己啓発色の強い書籍を発表している長友が自身への日本代表でのプレーについての批判に対して発した

「厳しい批判、意見の中に、自分を成長させるチャンスが眠っている」
「もっと批判されてもいいし、人々が感動するのは、そこから這い上がる姿」

という言葉(スポーツ報知「長友佑都、自身への批判を感謝 サッカー文化の進化を実感、さらなる批判も求む」2022年1月30日)は、自己責任論を内在化した自己啓発書の一節のようでもある。

また、長友とともにロシアワールドカップに出場した槙野智章がJリーグのホームタウン制撤廃報道(後にJリーグはこの報道が決定事項ではないことを公式にリリースした)についてツイートした

も、前述の堀江貴文『多動力』の編集者でもある箕輪厚介の著書『死ぬこと以外かすり傷』から引用したかのような言葉遣いになっている。

誰よりも努力をすることで大きな成功を収め、富も名誉も手に入れたサッカー選手は社会における明確な強者である。そんな彼らが、自身の成功をバックボーンに自己責任論を加速させるような発信をたびたび行っている。

努力とチャレンジを続けることはもちろん素晴らしい。しかし、ことさらに努力とチャレンジの結果こそすべてというような考え方を披露することは、自己責任をよりどころとする社会のあり方を強化する側面もある。そんな危険性を彼らはもう少し自覚する必要があるのではないか。

この流れを昨今もっとも強く表現しているのが、長友や槙野と同世代の本田圭佑である。

強烈な努力と強靭なメンタルでここまでの地位を築き上げた彼は、周囲にも同様のスタンスを悪気なく要求する。その考え方が凝縮された

というツイート(15~39歳の死因でもっとも多いのが自殺であると記したネット記事についてのコメント。2017年5月30日)は、ミュージシャンの米津玄師をはじめさまざまな層からの批判を浴びた。自身がプロデュースするソルティーロファミリアサッカースクールなどを通じて次世代の育成にも関心を示す本田だが、こういった自己責任一辺倒の考え方は多様な人材と向き合う上では幾分バランスを欠いているかのように思われる。

なお、本田は前出の長谷部と日本代表在籍時にこんなやり取りをしていたことが雑誌『Number』に記されている(2010年9月号。長谷部が本田のバッグの中の本を見つけて声をかけるシーン)。

「『お前、白洲次郎なんて読むの?』多少の驚きと共に、持ち主に声をかけると、それに倍するトーンで驚きの声が返ってきた。『えっ?白洲次郎知ってんの?』笑いと共に返す。「なに言ってんだよ、知ってるよ」」

日本を背負って世界と戦った2人は、「教養」においてもともに高め合う存在だったのだろうか。「成功するビジネスパーソンには教養が必要だ」がこんな場所でも体現されている。

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