CULTURE | 2021/12/30

岸田政権の「グダグダ」は日本が「本当の対話と改革」を実現するための予兆である

【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(26)

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倉本圭造

経営コンサルタント・経済思想家

1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。企業単位のコンサルティングプロジェクトのかたわら、「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元小学校教員がはじめた塾がキャンセル待ちが続出する大盛況となるなど、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。アマゾンKDPより「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」、星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』、晶文社より『日本がアメリカに勝つ方法』発売中。

岸田政権が成立した時、私は「90年代末期の小渕恵三政権のように、最初は酷評されつつ後々支持率が上がってくるのではないか」と予想をしていたのですが、徐々にそういう情勢になりつつあるようです。

基本的に内閣支持率は発足直後が一番高いことが多い中で、開始3カ月でむしろ上昇傾向にあるのは非常に珍しいことらしい。日経新聞の12月の世論調査では内閣支持率が65%と10月から6ポイント上昇しており、発足3カ月後で支持率が上昇するケースはこの四半世紀で3例しかないそうです。

読者のあなたは岸田政権のことをどう思っていますか?

SNSを見ていると、岸田政権を酷評する声も結構聞きます。「優柔不断で政策がブレまくっている」という批判も多い。

政権発足後の3カ月だけを取ってみても、

・文通費問題(今国会で法改正見送り)
・10万円クーポン問題(自治体が希望すれば100%現金も可能に)
・海外居住者がいきなり国際線予約を停止され帰国できなくなった問題(撤回)
・オミクロン株陽性者の濃厚接触者は大学入学共通テストが受験できず(追試の機会を用意)
・北京五輪の外交的ボイコットを事実上実行するが、明言はせず(財界は評価するも保守層は反発)

といったグダグダ事例があり、右からも左からも集中砲火を浴びている。

特に以下の「3つの強硬派」からは相当嫌われているのを見かけます。

1:市場主義的に強引な改革を求めるネオリベ型の人
2:中国にもっと強い態度を取ってほしいという最右派層
3:あくまで政権を声高に批判することに意義を感じており、朝令暮改の連続に「ナアナアに抱き込まれている感」があって嫌がる(コロナ対策の鎖国政策がやりすぎだと感じるなども)左派層

しかしなぜか支持率は上昇している。

私は逆説的ながら、そういう「3つの強硬派」から距離をおいて柔軟な態度を取っていく姿勢自体が、政権の支持率を押し上げているのだと考えています。

それどころか、私はこの「岸田政権のグダグダさ」をうまく活用して伸ばしていくことこそが、これからの日本の舵取りにとって非常に重要なことだと考えているんですね。

というのも、過去20年ぐらいの日本は、そもそも対立する必要もないようなところで一部の強硬派が大声で対立しあっていて、ちょっと「改革」的なことをしてはそれに押し切られた人の恨みが募ってタタリ神のように反撃されてさらにグダグダになる…ようなことばかり繰り返してきたからです。

「声の大きい強硬派」に引っ張られすぎずに、一見多少グダグダに見えても、ある程度合意形成に時間をかけてから、スルスルと進めて行った方がむしろ最終的にはうまくいく可能性がある。

そういう「ウサギと亀」の「カメ」作戦を今後日本が取っていくために、「岸田政権の一見グダグダに見える姿勢」は必要なのだと私は考えています。

今回記事では、岸田政権の優柔不断なグダグダさに見えるものをいかに今後の日本が「活用」していくべきか、その「ウサギと亀」の「亀」作戦のあり方について考えます。

1:本当の「改革」にドラマはいらないのかもしれない

この連載でも別の媒体でも、かねてからいろんな場所で「日本企業の改革例」として、私の経営コンサル業のクライアントが10年で平均年収を150万円引き上げることができた事例について説明していたんですね。

そしたら、その初期の原稿を読んだ出版社の編集者の人から、

それだけ大きな変革が実現できたのだから、大きなドラマがあったでしょう。その決定的な場面についてもっと書いてください

と言われたんですよね。

そう言われてハタと気づいたんですが、

「そうか、世間では変革は“怒鳴り合いのドラマ”がないと実現しないことになっているのか」

という認識のギャップがあるなと。

私とクライアントの経営者の認識としては、毎月毎年「当たり前にやるべき変化」を積み重ねてきただけで、「10年前との給与の平均値を比較してみたら150万円も上がっていた」というのが正直なところです。

その社内には

「こんな古くさい体制なんかぶっ壊してやる!改革が必要なんだ!」

と大騒ぎする“改革派”もいなかったし、

「そんな夢みたいな話認められるかよ!ウチは昔っからこうだったんだ!」

といった、ドラマで定番の“改革を潰そうとする老害さん”もいなかった。

むしろ、改革派と抵抗勢力が「二派に別れて全力の 罵り合いを起こしている」状態になってしまった時点で、すでに「改革」は失敗している、と言っても過言ではないのかもしれません。

2:中小企業と国家運営は違うのだろうか?

会社の平均年収を150万円も上げるというのは、単に「皆で頑張る」程度のことで実現することではないので、ビジネスモデル的にかなり大きな「変革」は実現してはいるんですよ。

その「現在の姿」を10年前のその会社で「大演説」的にブチ上げて、「ついてこれないヤツは排除する!」みたいなことをやっていたら確かに大紛糾していたかもしれない。

でも実際には、方針を示し、それに対して相手側の懸念に理解を示し、狙いすました方向に向けて衆知を集めた工夫を載せていって、毎年普通に変われる範囲で変わってきたので、そもそも「怒鳴り合いのドラマ」すら必要はなかった。

とはいえ、お前のクライアントみたいな中小企業と、国全体の大きな決断を同じ土俵で測るなよ…と言われそうです。

確かに、そのまま通用するとも思っていません。

しかし、私のそのクライアントは中小企業といっても、「その地方都市を代表する企業」ぐらいのレベルではあって、決して家族経営のパパママショップの事例というわけではありません。

そもそも、日本全体で見てここ10年20年と、「ぶっ壊す!!」「抵抗勢力を排除しろ!」と勇ましく言って押し切ろうという勢力は沢山あったけれども、すべて「日本社会の強固な結びつき」の前に跳ね返されて終わってきたのだから、次は「別のやり方」を試してみてはいいのではないでしょうか。

3:国レベルで見た時の「無駄な罵り合い」の例

養父市国家戦略特区パンフレットより(https://www.city.yabu.hyogo.jp/jigyosha/koyo_shugyo/senryakutokku/index.html)

そういう「本来ちゃんと話せばスルスルと進むところを無駄に罵り合いにしている例」として、兵庫県養父(やぶ)市の農業特区の話があります。

この市では農業法人以外でも農業参入できる特区の規制緩和が行われていたんですが、それを全国でも認めるかどうかについて2021年の初めごろ紛糾していたんですね(結果として全国展開は見送りになりました)。

「こういう話題」があると、インターネットのSNSではもう脊髄反射的にイデオロギー的に敵と味方がわかれる紋切り型の大論争が始まるじゃないですか。

読者のあなたの頭の中にも、既に

こうやって日本は自分の既得権を守りたい抵抗勢力どもが新しい試みを潰そうとするんだ!

なのか、

こうやつて、人間の根本たる“食”につゐても、ケガラワシイ企業どもに担わせむとする強欲な資本主義の世界から、私達にんげんはどうやつて脱却していけばいいのだらうか

なのか、お好みにどちらかの脊髄反射が浮かんできているのではないかと思うのですが。

正直言って私もニュースを聞いた瞬間は前者の方で「論戦」に参入しようとしてしまったのですが、クライアントの農家のおっちゃんといろいろと事情を調べながら議論をしたところ、そう単純な話でもないことがわかってきたんですね。

というのは、今でも株式会社が農地をリース契約して参入するぶんにはほとんど規制はないぐらい「改革」は進んでいるからです。

これは企業が農地を「購入」して農業をやる場合のみの規制で、そうしたい場合でも農業法人を作りさえすればいいので実質的には既に規制はほとんどないに等しい。

今回特区の全国展開が見送られたのも、そもそも養父市の事例でも企業はリース契約で参入している事例がほとんどだったからだそうです。

だから「養父市の成功事例」を全国展開することは、別に明日からでも何の問題もなくできる。ただ農地の規制を完全に撤廃すると乱開発の問題が持ち上がったりとか色々不具合が起きる可能性があるので、形式上の規制が残してあるだけらしい。

日本の官僚制度は、確かに仮想通貨とかの最新の話題で後手後手に回りがちではあるものの、こういう分野の細部の差配は結構信頼できるな…と最近私は感じています。

勿論いかにも時代遅れな分野も散見されるものの、大部分ではいちいち「官僚を過剰に悪者にする」論者は、それを利用して悪どく儲けようとしているか、全部を「単純に図式化された政治論争」に変えたがる実態を知らない論客なのか、どちらかではないかと思います。

つまり、こうやって実態を事細かに見てみれば、なんかもう幽霊相手に喧嘩しているような状態は、他の領域でもかなりの数ありそうだなという感じがしてきますよね?

4:「幽霊相手のケンカ」をやめて、単に工夫を持ち寄れる風土づくりをするべき

そういう「幽霊相手のケンカ」の例として、今年10月末の衆院選でも日本維新の会が「いかに日本が古い既得権益層に牛耳られていて新しいチャレンジができない社会なのか」の「事例」としてこの養父市の話を扱っていたんですけど(笑)。

こういう「幽霊相手のケンカ」にエネルギーを浪費するのはそろそろやめるべきではないでしょうか。

地方では耕作放棄地が増えすぎて何かしないとどうしようもないのは明らかなので、「すべてがイデオロギー対立に見えるビョーキ」の人が多い団塊世代が引退し始めた昨今では企業体による営農に否定的な人なんてほとんどいないわけです。

養父市の事例がうまく行ったのは市長が旗振りをして関係者の間を取り持って具体的に動かしたからであって、「抵抗勢力をぶっ壊せ!」とか騒いだからではない。

私は学卒でマッキンゼーという「アメリカのコンサル会社」に入った後、こういう手法って大事なのはわかるけどこればっかりやってたら社会が真っ二つに分断されちゃうよな…と思って、それ以降「日本の現場レベル」の仕事をアレコレ実体験として潜入してやったあげく中小企業コンサルティングをやっている人間なんですけどね。

その経験から言って、日本の中小企業や農家の「横の相互研鑽力」みたいなのって相当すごいものがあるんで、「こういうのがいいらしいよ」っていうことを単純に共有できるようになれば凄いスピードで変化が起きるんじゃないか?という感じがします。

個人主義のインテリ階層が嫌いな「日本社会の自然的な連携力」を否定せずに、そこと協業して活かすように持っていくことが大事というか。

大事なのは「アメリカ型の隅々まで言語化された議論」を末端まで押し通そうとするんじゃなくて、「日本的な組織・社会」が持つ特性を否定せずにそのまま活かす形で、縦横無尽に勝手に広がる伝播力をいかに活用できるかどうかで。

醸造食品を作るような「微生物さんたちの力」を否定しないような関わり方を工夫する必要があるというか。

今はそこで「工夫自体を単純に共有する回路」が、「全部がイデオロギーに見えるビョーキ」の人たちが敵と味方に分かれて大声で罵り合っている声にかき消されてしまっているのではないかと思うんですね。

単に

「養父市じゃこうやってうまく行ったらしいよ」

「なるほどウチでもやってみよう」

という工夫の共有がなんのこだわりもなく日本全国で縦横無尽に起きるプロセスを、概念志向で頭がいっぱいになったインテリが邪魔しないことが大事なんではないかと。

5:岸田首相がグダグダなのは仕方ない。どう活かすかが大事なのだ。

私はスガ首相が結構好きで、確かに弁舌さわやかにテレビで国民に説明する能力は壊滅的だったけれども、あれだけマスコミや野党に「根拠がない」「適当なことを言うな」などとむちゃくちゃに批判されていた「ワクチン一日100万回」をゴリ押しで実現するとか、携帯料金を下げるとか、カーボンニュートラルの目標設定をするとか、「これが必要だ」と心に決めた政策を実現する能力は非常に高い人だったと思います。

だから、「スガは権力の座にいることしか興味がない小者」みたいな、実態とかなり違う批判をする人たちには怒りを感じていたんですけど。

ただ、結局そういう「強引さ」が嫌だからと「必殺仕事人スガ」を引きずり下ろしたんだから、後任の岸田氏が多少優柔不断でグダグダ感があっても我々は甘受しなくてはいけないところがあるでしょう。

しかし、岸田氏が新総裁になったことで、「どの勢力も無理やりには押しきれなくなった」ことは、単にこのままグダグダなだけになっていく可能性も十分ありますが、見方を変えれば「抵抗勢力をぶっ壊せ!」型の議論は全部通らなくなったのだ…という状況に追い込まれているということでもあります。

今の日本の政治状況は、先述したような「幽霊相手のケンカ」的な意見は全て跳ね返してしまう関門のようになっていて、特定の勢力が一方向的にゴリ押ししようとしても、全てナアナアの日本的曖昧さに絡め取られてしまう状況にあると言えます。

それは単にグダグダの無方向的な漂流状態になる可能性も十分ありますが、一方で今まで数十年間沈黙させられていた「本当の対話」の回路が開いてなんとなぁ〜くスルスルと改善が進むようになる可能性もある。

製造業の工夫の一つとして、「間違った場所に組み付けようとしてもハマらないような設計にする」ことでミスを防ぐ…という方法があります。

あるいは「武道の型稽古」を考えてみると、「本質的に正しい体の使い方をしないとむしろ窮屈に感じるような動き」を練習することで、今までの日常的な悪いクセを脱却してより良い体の動かし方を自己発見できるようになっている。

それらと同じように、「本当の対話」以外の幽霊相手のケンカ的な議論はすべて受け付けない、沼のような状況に自ら飛び込んだ形になった日本は、その閉塞感とちゃんと向き合うことができれば、「その先の世界」を見ることができるようになるはず。

さきほどの私のクライアントの話のように、「本当に大きな変化」というのは、実際に内側で体験してみれば「怒鳴り合いのドラマ」とか「あの決断こそが真実の決定的瞬間だった!」というような大げさな状況は発生せず、静かに進んでいくものである可能性が高いです。

それは一部のエリートが「ぶっ壊す!」式に引っ張り回そうとする無理を日本という「沼」に飲み込んでしまった先にある、すべての細胞が勝手に考えて勝手に行動してスルスルと常に形を変えていく、巨大で不定形な謎の生き物のような進化となるでしょう。

『ジョジョの奇妙な冒険』のセリフ風に言うならこうです。

『なるようにしかならない』 という力には無理に逆らったりするな……

『本当に国運が上向く』 ということはそれさえも味方にするということだからだ

今回の記事は以上です。

記事中に書いた本は、2022年2月5日に『日本人のための議論と対話の教科書』というタイトルでワニブックス新書から出る予定なので、ご期待ください。

また、この本の出版プロセスで体感した「日本の出版業界のナアナアさ」には良くない点もあるが一方で「ジャンプ編集部」的な世界的成果を出す秘訣も眠っていて、今回記事で書いたような「言語化した議論」だけで閉じない社会の連動性の重要さという意味においてはその「ナアナアさ」をいかに善用していくのかが大事なのだ…という記事をnoteで書きましたので、そちらもよろしければお読みください。

さらに、そういう「論理以前の直感的連動性」という話をさらに深堀りするものとして、古代ギリシャにも、現代の腐女子がやるような「カップリング妄想」の世界があったという話から、そういう多神教的豊潤さを失わずに社会の基礎として活かして行くことの重要性について書いた記事も、同じ意味で今後の日本にとって大事な話だと思うのでぜひどうぞ。

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