CULTURE | 2020/05/04

ゴールはベルトにあらず。そう遠くない引退に向けて、僕がもっとも恐れていること【連載】青木真也の物語の作り方〜ライフ・イズ・コンテンツ(6)

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15年以上もの間、世界トップクラスの総合格闘家として、国内外のリングに上り続けてきた青木真也。現在...

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自分の可能性を使い切らないのは無責任

ただ、準備の内容は人それぞれだろう。たとえば僕の場合は、対戦相手について事前に細かく研究を重ねるようなことはまずしない。仮に、入念な映像チェックによって相手の攻め手の傾向を把握したところで、実際の試合でその通りの展開になることなど、まずあり得ないからだ。

これが短距離走や水泳なら、「優勝するためにはあと何秒縮める必要がある」などといった計算も立つだろう。そのうえで、必要な要素を強化するトレーニングを積めばいい。しかし、格闘技は1+1が必ずしも2になる競技ではない。1と1を足して、50や100になることだって珍しくはない競技なのだ。

最悪なのは、相手のいいところを出させないよう手を尽くしたことで、自分のいいところも出せなくなってしまうパターンだ。それよりも、自分の一番強いところを相手にぶつけたいというのが僕の勝負哲学で、少なくともこれまでの戦歴において、研究の成果のおかげで勝てた試合は1つもない。

それよりも、戦いながら相手の出方を覗い、分析し、攻略法を見つける過程を楽しみたい。対戦相手はナマモノだから、その日その時の仕上がりによってパフォーマンスは変わるだろう。時折、ファンをびっくりさせるような試合展開や番狂わせが発生するのはそのためで、やってみなければわからない部分が多いからこそ格闘技は面白いのだ。

選手の立場として持っておかなければならないのは、「必ず勝つ」という気概のみ。もし僕が今、世界で一番強い奴と戦わなければならないとしても、結果はどうあれ、その気概だけは絶対に忘れることはない。それがこの仕事をする上での責任であるからだ。それがたとえ虚勢であったとしても、自分1人くらいは自分に期待できなければ、格闘技を続けることは不可能だろう。

今後、誰と戦いたい、誰に勝ちたいといった希望は特にない。常に誰とでもやるつもりでいるし、できるだけ楽な相手と戦いとも思わない。試合が決まれば100%以上の準備をするし、「勝つ」という気概を持ってリングに上がる。

そして、繰り返しになるがその先に見据えるゴールはベルトではない。では、僕は何を目的に、いつまでリングに上がり続けるのか――? ひとつ確実に言えることは、自分のあらゆる可能性を使い切ってからリングを去りたいということだ。

年齢的にも30代後半になった今、引退はそう遠い未来の話ではないだろう。いつか来るそのとき、自分の可能性を最後まで試すことなく辞めなければならないことを、僕はもっとも恐れている。いい時期に惜しまれて辞めたいと考えるアスリートもいるだろうが、それは長く見守り、応援してくれたファンに対して無責任だと僕は思っている。

最後はリングの上でお腹を見せて、「もうこれ以上はできません」。そう言える状態で辞めることができるなら、それ以上の理想はない。だから僕は、今日という1日のクオリティが、最高にいいものになるよう努めなければならないのだ。


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