神保慶政
映画監督
1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏や南アジアを担当。 海外と日本を往復する生活を送った後、映画製作を学び、2013年からフリーランスの映画監督として活動を開始。大阪市からの助成をもとに監督した初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」は2014年に劇場公開され、国内主要都市や海外の映画祭でも好評を得る。また、この映画がきっかけで2014年度第55回日本映画監督協会新人賞にノミネートされる。2016年、第一子の誕生を機に福岡に転居。アジアに活動の幅を広げ、2017年に韓国・釜山でオール韓国語、韓国人スタッフ・キャストで短編『憧れ』を監督。 現在、福岡と出身地の東京二カ所を拠点に、台湾・香港、イラン・シンガポールとの合作長編を準備中。
「やりがい」「安定」「賃金」全ての面で満足いかない仕事が存在し続けられる理由
世界中でキャッシュレス化が進み、クラウドファンディングや個人間送金が盛り上がる中、「なめらかなお金」という連続起業家の家入一真の言葉のように、各地で新しいお金のあり方が模索され続けている。今回ご紹介するのは「キャッシュを使わない」ことではなく、賃金の「なさ(少なさ)」に着目した、イギリス人ジャーナリストによる作品だ。ジェームズ・ブラッドワース『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した 潜入・最低賃金労働の現場』(光文社)は、アマゾン・訪問介護士・コールセンター・Uberドライバーという4つの職業を経験した著者が、英国社会の最底辺とみなされている仕事の実情を記している。
イギリスに暮らす多くの人が「やりがい」「安定」「賃金」をなるべくすべて満たすことができる仕事を見つけるのにもがいている。しかし、社会的弱者が容赦なく切り捨てられているのが現状だ。なぜイギリス社会はそのような状態にあり、そしてこれからどこに向かっていくのか?
著者はまず派遣会社に登録して、イギリス中部のルージリーという町にあるアマゾンの倉庫でオーダーピッカーというポストに半年間就き、その疑問を探求した。オーダーピッカーとは、巨大な倉庫に張り巡らされた通路をひたすら行き来して、棚から商品取り出し、箱に入れていく仕事だという。著者含め従業員の動きは、抑圧感を感じるほどに徹底管理されていた。
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「みんな、もっと生産性をアップさせなくちゃいけないぞ」とマネージャーたちはいかにも大企業の社員らしい言葉を使って言ったが、それは遠回しの警告でしかなかった————「アイドル・タイムが多すぎる」。そこまで生産性にこだわるのであれば、従業員がトイレに行くことに文句を言うよりもむしろ、代わりにトイレを増設するべきなのは明らかだった。(P66)
いくら時間や労力を切り詰めていったとしても、反比例して配慮や交流が増えることはない。最小限のコストで最大限の効果を期待される環境であっても、移民労働者たち(ルーマニアが多いという)は「本国よりマシ」と働き続け、負のサイクルの土台は皮肉にもしっかりと踏み固められていく。
もちろん、本書の意図は「アマゾン撲滅」ではない。アルゴリズムの最先端であるアマゾンのシステムは、社会格差・消費主義・労働者の妥協に頼っているのだという事実を、便利さに心を吸い取られてしまいがちな読者に投げかけているのだ。
「ゼロさ」に溢れた仕事は、「マズさ」に化ける
次に著者は、ケアウォッチUKという人材派遣会社に登録し、イギリス中部のブラックプールという保養地として有名な都市で、訪問介護士として仕事に就く。この職務における著者の着目点は「ゼロ時間契約」だ。
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会社はいつでも好きなときに、私たちスタッフを仕事に派遣することができた。しかし同じように、素っ気ない一本の電話によって、その週には何も仕事がないと知らされることもあった。それがこの仕事の核となる部分だった。この契約方式よって生み出される不安定さを、同僚たちは日々の通勤のような日常生活の一部として受け容れた。(P110)
つまり、「必要がないと依頼がない」という業務とはまったく関係ない不安定さに、社会福祉に従事する人々が耐えなければいけない状況なのだ。
フリーランスであれば、「依頼がないと仕事がない」という状態が継続的に発生し得ることは当たり前だ。しかし、本書の訪問介護士はフリーランスとは違い、ケアウォッチUKという会社に雇われている。それなのに、移動や待機の時間がゼロとしてカウントされることが常套化してしまっているのだという。そうしたネガティブなサイクルは、訪問介護士の勤務姿勢にも波及する。
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非人間的な行為の可能性など至るところに転がっていた。つねに時間との闘いで、予定どおりに作業を終えることはむずかしかった。私が一緒に組んだ介護士はときどき、訪問のスピードを上げるために一連の誘導尋問を用いることがあった———「エセル、今日は買い物の必要はないですよね?」「ブライアン、お腹はすいていませんよね?」。すると顧客は相手に迷惑をかけることを嫌い、たいていノーと答えた。(P140-141)
全く話が違うようだが、映画業界にも似たような問題がある。日本で映画企画に対する公的な助成金は完成品に対するものがほとんどだ。つまり、準備のプロセスはギャンブルのような状態で進めなければいけないことが多い。企画開発の助成は、ここ数年でやっと準備が始まりつつあるが、準備段階への投資の流れが希薄だと、結果的に「世の中でウケるのはこういう作品だろう」という忖度が働く極めて均質的な作品が出回るようになる。こうしたサイクルは、経済的・商業的な検閲ともいえる見えない規制をつくりだし、「(需要が顕在化されていなくとも)真に必要とされる作品」はいつまで経っても生まれなくなってしまう。
訪問介護の場合、本当は善意に溢れた労働者が、劣悪な環境によって意図なき悪意を発露してしまうことがあるだろう。環境の「マズさ」を放置したツケは、巡り巡って社会全体にまわってくるのだ。
安定供給の影に隠れたヒューマン・ウェイスト(人の無駄)
次に、ウェールズのスウォンジーという町で、著者はコールセンターに勤めた。産業革命以来、炭鉱として栄えた町で、かつての単純労働と現代の単純労働を比較するのが著者の目的の一つだ。
誤解しないで頂きたいのは、著者はこうした仕事をこきおろして「ヤバいから働くな」と言おうとしているのではない。実際、職員の言動に感心したり、著者が与えられた仕事を楽しんだりしている場面も本書には描かれている。
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自動車保険の顧客を引き留めるという仕事は、私が予想していたとおり退屈なものだった。しかしアドミラルは、従業員のために多大な努力を払っていた。帰宅した労働者たちがソファーに坐って連続ドラマを見ながら、翌日また仕事場に戻ることを恐れる————そんな事態にならないように彼らは努めた。実際、アドミラルの仕事は耐えがたいものではなかった。 (P233)
最後に著者は、ロンドンでUberのドライバーになった。日本では最近Japan Taxiという配車アプリが普及し始めているが、Uberや東南アジアのGrabなどのように目的地を事前入力するには至っていない。そのため、以下の例をお読みいただくにあたっては、Uber Eatsの配達員を想像してもらえればと思う。
Uberにおける著者の関心は、ネット経由で受注する単発・短期の仕事を基盤としたギグ・エコノミーを経験すること、そしてUberがドライバーを「増やし放題」にできるカラクリを知ることだった。
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結局のところ、どんなにドライバーを増やしてもウーバー側にはほとんど埋没費用は生じず、税金関連の事務処理が増えるわけでもなかった。請負人であるドライバーとは出来高払いの契約を結んでいるため、仕事がなければ支払いは発生しない。(P263)
呼びたいと思った時にタクシーを呼べること(Uber Eatsならば、食べたいと思ったものをすぐ配達してもらえること)は、一見効率性がきれいに積み上げられた結果のように見える。しかし、その土台には余分な移動や待ち時間など、誰かの「無駄」が下敷きになっている可能性がある(もちろんものすごく効率的に需要・供給・タイミングマッチする場合もあるだろう)。
本書の原題『HIRED』(「雇われる」の意)が示す通り、著者はこうした労働環境を「かわいそうなこと」として、どう頑張っても恵まれない環境にいる主人公が苦闘するドラマのように楽しんでもらうことを期待しておらず、「雇用主―被雇用者」という関係を切り口にして、他者とどう関わっていくべきかについて考えてもらうことを意図しているように思える。イギリスにおける他者との関わりあい方の極端な現状から、日本人の私たちも、身の回りの人間関係を問い直すことができる内容となっている。