今回インタビューする挾間美帆氏は、ジャズの中でも「ラージアンサンブル」と呼ばれる、大人数のビッグバンド編成であり、かつジャズに留まらない最新の音楽トレンドも踏まえた作曲アプローチをするジャンルの作曲家・指揮者として、日本・アメリカ・ヨーロッパを股にかけた活動をしている。
同氏はまだ30代前半。華やかな活躍が目立つが、活動にあたっては少人数編成のロックバンドよりも多くの人や組織(しかも国籍まで違う)とのコミュニケーションが必要だ。そのための予算や場所も確保しなければならない。そしてこれらは音楽の才能さえあればレコード会社などがお膳立てしてくれるわけではなく、まだ“若手”である挾間氏自身が営業やプレゼンをして勝ち取らなければならないことも多い。
つまり、それができている挾間氏はほとんど経営者やマネジャーに近いスキルも兼ね備えているとも言えるわけだが、メディアではあまり語られてこなかったビッグバンドの「経営」の側面、そして彼女が単身海外に渡り、いかに自身をプロデュースしていったのかを詳しく話してもらった。
聞き手:神保勇揮・柳樂光隆 文:神保勇揮 構成:柳樂光隆 写真:松島徹
挾間美帆
ジャズ作曲家
国立音楽大学(クラシック作曲専攻)在学中より作編曲活動を行ない、これまでに山下洋輔、モルゴーア・クァルテット、東京フィルハーモニー交響楽団、シエナウインドオーケストラ、ヤマハ吹奏楽団、NHKドラマ「ランチのアッコちゃん」、大西順子、須川展也などに作曲作品を提供。また、坂本龍一、鷺巣詩郎、グラミー賞受賞音楽家であるヴィンス・メンドーサ、メトロポール・オーケストラ、NHK「歌謡チャリティコンサート」など多岐にわたり編曲作品を提供する。そして、テレビ朝日系「題名のない音楽会」出演や、ニューヨーク・ジャズハーモニックのアシスタント・アーティスティック・ディレクター就任など、国内外を問わず幅広く活動している。
2016年には米ダウンビート誌の「未来を担う25人のジャズアーティスト」にアジア人でただ一人選出されるなど高い評価を得ている。2017年5月にシエナ・ウインド・オーケストラのコンポーザー・イン・レジデンスに就任し、”ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2017”に初出場。同年9月には“東京ジャズ2017”のジャズ生誕100周年記念ステージのプロデューサーという大役を務める。
2017年10月にはオランダの名門メトロポール・オーケストラ・ビッグバンドと共演。生誕100周年を迎えたセロニアス・モンクのトリビュート・コンサートを、挾間自身の指揮でオランダ国内4都市にて敢行。その中でアムステルダム近郊のビムハウスという街で行われたライヴの模様をレコーディングしたライヴ・アルバムを2018年2月にリリース。
ニューヨークは「ジャズの本場」ではあるけれど…
挾間氏が率いるオーケストラ「m_unit」の11月21日にリリースされた新作アルバム『Dancer in Nowhere』
―― 挾間さんはビッグバンド、今ではラージアンサンブルと呼ばれるジャンルのジャズ作曲家として国内外で活躍しているわけですが、人数が多いので運営や維持が大変でしょうし、音楽ビジネス自体も変革期にあり先行きが見出しにくい状況です。そうした中、「ビッグバンドのジャズ作曲家として食っていくというのはどういうことなのか」というテーマでお話を伺ってみたいと思います。
挾間:はい。
―― 挾間さんはマンハッタン音楽院への留学時代にジャズ作曲家でピアニストのジム・マクリーニー(Jim McNeely)に師事されていましたよね。それについて話されていたインタビューを読むと、その師匠のジムさんすらニューヨークでは自分のビッグバンドでは演奏していなかったことに驚いたと。まずはアメリカでのビッグバンドとその作曲家の状況を教えてもらえますか?
挾間:今のジャズのビッグバンド界の全体像を見ると、アメリカにとってジャズは“遺産”なんです。アメリカが生み出した文化であり、アクチュアルな動きを支援するというよりは遺産としての方が大事なんだということです。まだジャズは生まれてから100年ほどしか経っていないですし、それは私たち日本とか中国4000年の歴史とは話が違います。アメリカはその100年分を大事に大事にするしかないんですね。
アメリカにとってはこの100年で生まれてきた音楽を観光客とか音楽ファンの人たちに還元することの方が大事なんです。なので、そこにお金が回るシステムになっているんです。つまり、ジャズに関しては新しいものにお金が回るようなシステムにあまりなっていないし、それはビッグバンドに関しても同じです。
―― なるほど。
挾間:ただ、お金のあるヨーロッパでは、アメリカからその時その時のスターを自国に呼んで、しかも現地のオーケストラやビッグバンドの豪華メンバーとの共演でライブをやって興行的に成功してきた、という歴史がある。
ヨーロッパではそれが「ヨーロッパのジャズの歴史の一部」になっているんですよ。だから、テレビ局とかラジオ局が大きい編成のビッグバンドやオーケストラを持っているんですね。つまり日本でのN響(NHK交響楽団)のビッグバンド・バージョンみたいなものがヨーロッパにいっぱいあって、それがいまだに残っているから、そこにアメリカのスターが大きな興行をしに行ったりする。それが、自分の先生のジム・マクリーニーであり、マリア・シュナイダー(Maria Schneider)であり、ヴィンス・メンドーザ(Vince Mendoza)の今のヨーロッパ興行に繋がる、というような状況です。ヨーロッパにとってはジャズは遺産ではないので、新しいものを作ることに抵抗はないし、お金も出る、ということだと思います。
―― アメリカでお金が回るのは例えばどういう場所ですか?
挾間:ウィントン・マルサリス(Wynton Marsalis)が音楽監督をやっているジャズ・アット・リンカーン・センター(Jazz at Lincoln Center)とか、ケネディ・センター(John F. Kennedy Center)とか、そういうところがビッグバンドを持っていて、しっかりジャズのレガシーを継いでいて、かつ予算もあります。
そういった場所でも新しいアレンジを書いてビッグバンドで演奏することもあるんですけど、楽曲はセロニアス・モンク(Thelonious Monk)や、ディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie)などの「ジャズ・ジャイアンツ」の作品で、若いコンポーザーの新しい曲をやりましょうということにはあまりならないですね。
ニューヨークに住んでいる若いジャズミュージシャンたちのレベルはとても高いですが、誰かに雇われてお金を稼げるという環境がニューヨークにはなかなか存在しません。自分たちで何かアクションを起こさないといけない状況なんです。
―― ジャズの本場=ニューヨークみたいな漠然としたイメージがあるんですが、このジャンルで言うとヨーロッパを狙っていかないとかなり厳しいということですか?
挾間:「お金になる仕事はヨーロッパ」で「自分のブランドを築く仕事はニューヨーク」というのが今の自分の状態です。自分のバンドの「m_unit」はニューヨークを拠点にしていて、ニューヨークないし東海岸でもう少しそのブランドを広げていくことが重要だと考えています。ニューヨークでブランドを確立すれば、ヨーロッパや日本に呼ばれるようになる。つまり自分の商品価値を高めるきっかけになる場所ということですね。
「自己負担が原則」のジャズアルバム制作。デビュー作の資金集めをどうする?
m_unitの2017年10月ブルーノート東京公演の模様
Photo by Takuo Sato
―― ブランドを広げるためにはどういうことをやっているんですか?
挾間:m_unitという自分のオーケストラに関しては、小さいギグに出るのはやめました。自分の音楽をいいかたちで聴いてもらうには、それなりにリハーサルもしなくてはいけないし、いいメンバーを事前に揃えなければいけないので、ある程度は名があって、しっかりオーガナイズできているところでしかライブをしないようになりました。
―― オーガナイズしてくれる場所は、例えばどこですか?
挾間:今、ニューヨークだとジャズ・アット・リンカーン・センターの中にあるディジーズ・クラブ(Dizzy's Club)というところで毎年1回はやろうとしていて、毎年恒例みたいなイメージを定着させたいですね。CDリリースライブは自分にとって今ニューヨークで一番素晴らしいと思うジャズ・スタンダード(Jazz Standard)でやろうと思っています。1作前の『TIME RIVER』というアルバムの時に初めてそこでCDリリースのライブができたんですけど、今回の『Dancer in Nowhere』もそこでやりたいなと思っています。
―― 2012年のデビュー盤『Journey to Journey』の時は、自腹で全部作ってからレコード会社に売り込みに行ったということをインタビューで仰ってましたけど、それは挾間さんがミュージシャン全員を雇って制作したわけですよね。
挾間:そうです。
―― その予算はどうやって集めたんですか?
挾間:大学院の2年目に日本の文化庁の海外研修員になることができて、大学院の学費を賄うことができたんです。私は留学する前からオーケストレーションの仕事をしていたので、そこで貯めたお金を使いました。
―― 公式サイトのWORKSのページには挾間さんの全仕事が細かく掲載されていますが、かなりいろんなことをやられていますよね。演歌歌手の楽曲アレンジとか、大学とか高校のビッグバンドや吹奏楽のアレンジとか。
挾間:はい。大学院を卒業するころ、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の劇伴のオーケストレーションという大きなプロジェクトに関わらせていただくことができた(後に鷺巣詩郎『Shiro SAGISU Music from “EVANGELION 3.0" YOU CAN(NOT)REDO.』としてCDリリース)のも大きかったです。そのうえ、当時は1ドル80円ぐらいだったんです。
―― 一番円高だった時期ですね。
挾間:そうなんです。だから、思ったよりもお金をかけずに制作することができました。
「編曲の仕事は広く浅く」で演歌歌手のアレンジも務める
―― 「ジャズ作曲家・挾間美帆」という名前が全面的に出るお仕事以外のものを今も結構やられていると思いますが、それは自分の作品を作るための資金集めとか人脈づくりの意味合いもありますか?
挾間:そうですね。m_unitはとにかく現状では全然お金になっていないです(苦笑)。作曲家の中でも「職業作曲家」ではなく、私のような「アーティストとしての作曲家」というのはかなり稀ですし、そういう人の作品がバンバン売れるわけでもありませんし(笑)。m_unitは自分がアーティストとしてやりたいことを表現する場所であって、売れることを狙ってやっているわけではないんです。
だから採算は完全に度外視しています。でも、それを作るためには、現実問題としてどこかで採算を取らなければなりません。私は「作曲の仕事は狭く深く」、「編曲の仕事は広く浅く」と考えているので、編曲に関しては、全然違うジャンルのところからご依頼いただいてやることも自分の肥やしになるかもしれないし、経験にもなると思っているので、ジャンルを問わずに幅広く引き受けてますね。
―― ちなみにどの国の出身の作曲家でも挾間さん的なルートというか、ニューヨークに足場を築きつつ、ヨーロッパが主戦場みたいなかたちになっていくという感じに収れんしていくんですかね?
挾間:仕事としてはそうでしょうね。ブランディングする場としてはニューヨークが一番強いと思います。ミュージシャンのレベルが全然違っていて、飛び抜けてレベルの高いミュージシャンが揃いに揃っていると思いますから、そういう意味では自分が切磋琢磨しブランドを築く街としてのニューヨークと、出身国である日本、あるいは新しい若い作曲家に興味を持ってくれる国としてのヨーロッパが仕事をする場所ということになります。
ビジネススクールと同様に、日本人の音楽留学生が減っている
―― 音楽のトレンドみたいなことに地域性はあるんですか?
挾間:ジャズに限ってですが、もちろんニューヨークの“嗅覚”は一番鋭いと思いますし、アメリカの中で言うとニューヨークとニューオリンズとシカゴかな。その三つでそれぞれの流行りが全然違います。LAはどうなっているかちょっとわからないですが。そうしたアメリカの動きを数年ぐらい後から追い掛けるのがヨーロッパで、その後から追い掛けるのが日本で、それをさらに後から追い掛けるのが東南アジアとか中国とか韓国。でもアジア圏はかなり日本に近くなってきた印象がありますね。
―― 僕がメインで聴くのはロック、ポップスなんですが、特にインディロックの世界では欧米で出てきた新しい動きに対して、日本と台湾・韓国など東南アジアでの反応のタイミングがほぼ同じぐらいになっていきているように感じますし、相互交流もかなり増えてきました。
挾間:ジャズも今はそういう感じになっています。中国も韓国もすごく大きなジャズ・フェスを持っているし、インドネシアもジャカルタのジャワ・ジャズ・フェス(Java Jazz Festival)がすごく大きくなりましたし、そういう意味では差はなくなったのかもしれません。しかも、中国と韓国はジャズの留学生がとても増えました。
―― へえ、アメリカに?
挾間:今、日本人はあまり留学していないですから。
―― それはビジネススクールとかでも聞く話ですね。
挾間:ジャズピアニストの小曽根真さんたちが留学していた25年くらい前は日本人だらけだったんです。15年ぐらい前からは韓国人だらけで、今は中国人がすごく増えた感じです。私が留学していたのは2010年から12年にかけてですけど、30人のクラスの中に日本人は1人しかいなくて、韓国人は2人いましたね。
単身ヨーロッパに向かい「指揮者です、今日はよろしくお願いします」
―― なるほど。留学生の数って産業の規模みたいなものともつながっている気がしますね。ここで話を変えますが、バンドの運営を考えた時にメトロポールなどから招聘されてバンドを組むのとご自身のm_unitを組むのは、予算の制約とかに違いはありますか。
挾間:メトロポール・オーケストラの場合は完全に雇われ仕事なので、私はバンドメンバーの予算は分かりません。自分も雇われている立場ですから。
―― そこでメンバーに誰を呼びたいということを決められるわけではないんですか?
挾間:決められなかったですね。例えばこの前、チャイナ・モーゼス(China Moses ※ディーディー・ブリッジウォーターの娘でジャズヴォーカリスト。ヨーロッパで絶大な人気がある)というシンガーとメトロポールの仕事があったんですが、それはバンドディレクターとして呼ばれているだけなので、チャイナもバンドメンバーも全部そろっていて、そこに一人のこのこ行って「指揮者です、今日はよろしくお願いします」みたいな感じでやるだけですね。
去年オランダのビムハウス(Bimhuis)で録音したアルバム『ザ・モンク:ライヴ・アット・ビムハウス』のプロダクションは、自分から企画をプレゼンしたプロジェクトなので、曲は自分で全部選んだんですけど、メンバーはもともとメトロポールのラジオ・ビッグ・バンドのメンバーで、と決まっているので、そのメンバーでやりました。
―― m_unitの方はどうですか?
挾間:m_unitは自分で運営しているバンドで、いくらでも自分の勝手にできるので、ものすごく厳しく、ものすごく選り好みしてメンバーを決めています(笑)。ニューヨークで色々なライブへ足を運ぶのも、よいミュージシャンがどこにいるか見るためというのもありますし、バンドメンバーについては常に、誰の演奏にどんな変化があったかを見る責任が自分にはあると思っています。自分は曲を書くだけで演奏しないので、演奏する前までが自分の仕事だとすると、弾いてくれる人を選ぶ責任は自分にあると思うんです。
後編はこちら。
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